ソードアート・オンライン──投剣── 作:kujiratowa
「…………終わった、のか」
「お疲れサマ」
一つ、大きく息を吐き出し、表示されたままのシステムウィンドウを指で叩く。
ポップする野良モンスターからは得たことのないような経験値とコルを取得できたことがわかると同時に、静寂を破るような軽やかなファンファーレが鳴り響く。
あぁ、レベルアップに足りる経験値を稼げたのか。
ステータスウィンドウを開くと、確かに1つレベルアップして、レベル15になったのがわかった。
ファンファーレの音が途切れるのと同時に、新たな音が加わった。
手と手を叩く、拍手の音。
「おめでとう」
「めでたいな、ツブッチ」
「あ…………ぁ、その、ありがと、ぅ……」
レベルアップをするときは、いつも一人だった。
だから、誰かがすぐそばで喜んでくれるという状況には不慣れで、最初の一句を口にするのに時間はかかるし、語尾は尻すぼみしていくし、とんでもなく恥ずかしい返事となってしまう。
とはいえ、二人は差して気にした様子もなく、互いにボスモンスターからドロップしたアイテムを確認したり、装備を整えたりしているようだった。
座り込んでいるままの自分が何だか悪いことでもしているような気がして、片膝立ちになりながら、ゆっくり立ち上がる。
まだ、足が震えているような、そんな気がした。
「えーと…………ツブッチさんって呼んでいいのかな」
「……えーと、プレイヤーネームで呼んでもらえた方が、個人的には……」
「かっこいいじゃないカ。懸命に石つぶてをぶつける様から取られた名前は大切にした方がいいと思うゾ」
所為なく辺りを見回していると、見事な剣戟を見せた片手剣使いが話しかけてきた。
遠慮がちに話しかけてくる彼の言葉の中に感じた異質をまずは訂正しようと、したところで、俺の返答に重ねるようにしてアルゴが口を開く。
いつだったか、50コル必要と言われたツブテの由来をいとも簡単に明かしながら、楽しそうに笑っていた。
「アルゴ、50コル必要って言ってたのは」
「ン? 情報にも旬があるのサ。今、ツブッチの由来は旬じゃないからこうやって公開しただけだヨ。キリ坊、どうだっタ? 言った通り、できる奴だろウ」
「あぁ────というか、≪投剣≫をここまで扱えるプレイヤーなんて、最前線でもほとんどいないだろう。ましてメインに据えている奴なんて、ゼロに等しい。ツブテさんは、ゲームが始まったときからずっと投剣を?」
「あぁ、うん、そうだ」
ツブッチさんがツブテさんになったことを喜んでいいのか悪いのかわからないが、プレイヤーネームで呼んでほしいという控えめな願いはさらっと棄却されてしまったらしい。
もう、そこに拘るのも馬鹿らしく、俺はアルゴにキリボーと呼ばれるプレイヤーの質問に答える。
アルゴと親しそうなところを見ると、やはり名のあるプレイヤーのように思えてしまう。
先ほどのボスとの戦いぶりからも、それは明白だった。
「あの、キリボーさん?」
「……え、あ、俺? その、キリ坊っていうのはアルゴがつけたニックネームで、俺にはキリトっていうプレイヤーネームが……」
「ちなみにキリ坊の“ぼう”は坊やの坊だからナ」
「アルゴ、うっさい」
「おお、それは失礼……ところでキリ坊さん? ひょっとすると、もしかして……攻略組の一人なの?」
顔の表情を変えず、しれっと先ほどのお返しでもするように、キリ坊という名前を連呼する。
アルゴは口元を手で隠しつつも、笑う姿まで隠そうとはしていなかった。
“せめて、さん付けは止めてほしい”というキリ坊の願いを受けつつ、お互いに敬語なしで話そうということで、とりあえず話の折り合いがついた。
攻略組の一人か、という質問には曖昧に笑いつつも、そうだと答えてくれた。
この目の前にいる彼が、浮遊城を攻略し、クリアへと導こうとする、精鋭の一人。
キリ坊には悪いけれど、今こうして対面して話していると、先ほどまでの鋭さはどこへ消えたのかと思うくらい、普通のプレイヤーの一人にしか見えなかった。
まだアルゴの方が場慣れしているようにも見えてしまう。
「…………と、あんまり時間もないな。アルゴ、俺は先に行くよ。後を頼む」
「了解ダ」
「それじゃあ、ツブテ。また向こうで」
「あぁ、じゃあな…………じゃあな?」
向こうで、ってどういう意味だ。
それを問わせるよりも早く、キリ坊はボス部屋から続く出口を潜って行った。
あの先に待っているのは第2層への階段だと聞いている。
ということは、彼は第2層へと向かったのだろうか。
もう少し色々な話が聞きたいと思ったが、今はそれを叶えることが難しそうだった。
そうだ、さっきのボス戦で助けてもらったことも、しっかりとお礼ができていない。
これはすぐにでも“向こう”を目指して、キリ坊を追いかけるべきではないか。
遠くなっていく足音を辿ろうとした矢先、左腕を誰かに取られ、踏み出した一歩から先へと進めなくなってしまう。
この場にいる誰かとはつまり、アルゴ。
「離してくれよ、アルゴ。そうでなきゃ、キリ坊に追いつけない」
「残念だけど追いつかせナイ。キリ坊一人で行かせた方が早いのは間違いないからナ」
「どういう意味だ?」
「どうもこうも、まずは言うことがあるんじゃないかとネーサン思うヨ」
「…………あ」
「愛してル? アイラブユー?」
「────アブナイトコロヲタスケテイタダキアリガトウゴザイマシタ」
「そんな片言だと思いが伝わってこないナ、減点」
なら茶化すな、と思ったが、ここでそんな馬鹿を言い合っていても、先を行くキリ坊とは差が開くばかりだ。
もう少し建設的に会話を進めるためにはどうすれば良いか────そんなこと、決まっている。
掴まれた左腕から力を抜き、しっかりとアルゴに向き直って、頭を下げた。
「ありがとう、本当に助かった」
「ん…………どういたしましテ。あそこまで一人で持ち堪えられたのは、誇っていいと思うヨ」
普通、ソロではボスに挑んだりせず、6人パーティを8つ連結させた48人のレイドパーティを組むのがボス戦の基本だそうで、どうやら最初から片足を棺桶に突っ込んだような戦闘を自分が繰り広げていたらしいことに、今更ながら気づく。
それから、状態耐性の説明も受けた。
アルゴ曰く、何度も同じ状態異常を引き起こそうとすると、一部のモンスターはそれに対して耐性を得ることがあるらしい。
今回は執拗に麻痺毒を用いたために、いつからか麻痺への耐性を、ボスがつけていたようだ。
「なるほど、だからナイフが刺さっても、ボスは動けたのか」
「あのときのツブッチはすごい形相だったヨ。信じられない、って顔だったネ」
「…………あのときいたっけ?」
「一生懸命走ってきたじゃないカ。扉が開いてたから君の顔が見えたんだヨ」
事もなげに言うアルゴだが、≪索敵≫スキルを鍛えている俺だって、扉の向こう何メートルだかわからないが、その位置から人の表情をまじまじと、ましてや走りながら読み取るなんてできやしない。
一体、アルゴはどれくらい≪索敵≫スキルの熟練度を高めているのだろうか。
……いつか自分も、そのレベルに達することができるのだろうか。
何も喋れず、ただアルゴの顔を覗き込み続けた俺に、彼女は不思議そうに首を傾げながら、くすぐったそうに笑いかけてくれた。
「さて、ト。立ち話をしていたら時間も勿体ないし、そそろそろ出発しようカ」
「おいおい、やっぱりキリ坊を追いかけるんだったら、さっき走り始めた方が……」
「違うヨ。オレっちたちが行くのは、向こうダ」
そう言って、アルゴは、キリ坊が出て行った扉とは反対の扉────入口を差す。
「この迷宮区を、降りるんだヨ」
悪戯でも成功したような、そんな笑みを浮かべて、アルゴが言った。