ソードアート・オンライン──投剣── 作:kujiratowa
現実世界で、死の恐怖を間近に感じたことが、一度ある。
運転免許証を取得し、そろそろ初心者マークも外れるかという頃に、悪友たちと深夜に遠出したときのことだ。
その運転手を務め、街灯と、僅かに光の漏れるコンビニやガソリンスタンド以外、光源の無い暗闇の国道を、海へと向けて走っていた。
突然、反対車線を走って来る車の頭が、こちらへと向いた。
速度を落とさないまま、こちらへと向かってくるのが、はっきりとわかった。
突然の出来事に、ブレーキを踏めばいいのか、ハンドルを切ればいいのか、意識してどんな行動を取れば良いのかわからなくなってしまう。
時間的には3秒に満たない、僅かな隙間だった。
しかし、その僅かな時間を、はっきりと知覚し、生き抜いた。
依然、スピードを落とさず近づいてくるヘッドライト。
正面衝突を避けるために、僅か左へと切ったハンドル。
身構えるようにしながら、左へと反らした体。
直後、衝撃音の後に、意識が飛んだ。
飛んだといっても失ったわけではなく、5秒程度の時間だ。
車内に立ち込める、ゴムの焼けたようなむせ返る匂い。
顔面を覆ったエアバッグは、火でも包んだように熱く、甲高い電子音のようなものが耳の奥で鳴り響いていた。
ここにいたら死ぬ。
漠然と理解し、運転席側のドアに触れるも、鍵などかかっていないのに、全く開かなかった。
死が、近づいてきた。
────ちょうど、そんな感じだ。
ボスの横に薙いだ刀の軌跡をはっきりと追うことができ、そこから放たれた見えないはずの遠距離技は、幾許かのライトエフェクトを伴ってやってくることまで視認できた。
尻餅をついた状態から、素早く両腕を交差し、顔の前で組む。
次いで、左膝をついて片膝立ちの体勢を取り、体を小さく丸める。
迫り来る死を前に、何としても抗いたかった。
僅かでもいい、残り数ドットでもいいから、この攻防をやり過ごして、背中にある扉を潜る。
まだ、まだだ。
まだ…………────死ねない!
「そのまま頭を下げてろ!! アルゴ!!」
「はいヨ!」
背中から声が聞こえた。
咄嗟のことに振り返ろうとしたくなるも、短い指示内容を守るべく、さらに体を小さく丸めようとする。
せめて死の刹那まで目を瞑らず生きようとしたことが功を奏したのか、頭を下げて狭められた視界に映る部屋の床の影が、一回り大きく、濃くなるのがわかった。
俺を誰かが飛び越えていく、そんな気配を感じずにはいられなかった。
そして、視界が暗転する。
ああ、これは、あのときと同じ。
生から死へ、そして────死から、生へ。
「もう、大丈夫かナ? 久しぶりだね、ツブッチ」
「…………ぁ、るご?」
左手を俺の胸元に押し当て、右手を掲げていた彼女は、俺のか細い声に、嬉しそうに笑った。
視界の隅に映るHPゲージは、先ほどまでの表示が嘘だったように、全快であるオールグリーンカラーを示していた。
跳ね起きるようにして上体を起こす。
覆いかぶさるようにしていたアルゴとぶつかりそうになるが、アルゴもこちらの動きがわかったのか、少し顔を離して、そのまま視線を別の方向へと向けた。
アルゴの視線に導かれるように、そちらを見やる。
およそ20メートル先で、ボスモンスターと、一人のプレイヤーが、対峙していた。
全体的に装備の色が黒い、青年と呼ぶには幼そうな男性らしいプレイヤーは、右手に握った剣を光らせながら、ボスへと切り込んでいった。
その動きが、ボス部屋に入ってきたときに見た攻略組の影と、重なる。
「あれは…………」
「しがないソロプレイヤーだヨ。キリ坊っていう片手直剣使いサ」
力強い、剣戟だった。
剣と剣とが交錯して生じる響きある音が、この広いボス部屋に木霊する。
後姿しか臨めない彼は、ボスの振るう刀≪ソードスキル≫を片っ端から、自分の片手剣≪ソードスキル≫で弾いていた。
そしてときどきは、ボスの攻撃を上回る連撃を見せ、着実にダメージを稼いでいた。
「ほらほらツブッチ、いつまでも寝てないで加勢にいったらどうだイ?」
「あ、あぁ、ありがとう、アルゴ」
「話はあいつを倒したあとにでもゆっくりナ。さぁ、行ってこイ!」
左足に食い込んでいた破片も消滅していて、問題なく立ち上がることができた。
装備中だった投げナイフの一本を抜き、ボスへと狙いを定める。
しかし、先ほどまでの戦いと違って、今度はボスの前に遮蔽物……──ではなく、プレイヤーがいる。
もし、ソードスキルを使って、プレイヤーに当ててしまったら。
試したことなどないのでわからないが、助けに入ったはずの味方が敵になってしまうわけにはいかない。
どうする、どうやって戦えばいい。
「アルゴ、回復は!」
「とっくの昔に済んでるヨ」
「それを早く言ってくれ! いくぞ、スイッチ!!」
ボスとの激しい打ち合いの合間に、キリボーと呼ばれたプレイヤーがやや強い口調で声を飛ばす。
隣で腕組みをしたまま、アルゴはどこかとぼけたような声で答えた。
やや大振りに片手剣を薙ぎ払うと、ボスの右手が刀ごと大きく後ろに弾けた。
かけ声と共に体を反転させ、そのままプレイヤーは戦闘域から飛び出していく。
途中で彼と目が合う、ようやく見えたその表情は、イメージした通り、まだ幼さの残る顔立ちだった。
何か、力強く訴えかけてくるようなその目に、思わず気圧されそうになりながらも、右手に掴んだ投げナイフでプレモーションを起こす。
攻撃を防ぐための刀も、今だけは使えそうにもない。
ならば、この隙を逃してなるものか──!
「うぅぁぁあぁぁっ!!」
今日何度目かになる≪アプライト≫を、会心の投げ応えと共に放つ。
寸分の狂いなく右胸へ突き刺さった刹那、激しくボスがノックバックした。
ボスのHPバーが再び弾ける。
残り、1本。
「背後からタゲを取り直す! タゲが移ってこいつが背中を向けたら、その隙に攻撃してくれ!」
返事も待たず、再び片手剣使いが飛びかかっていく。
相手と鍔迫り合いでもするかのように至近距離で剣を交えながら、円を描いて移動する。
すぐに、ボスの背中が露わになった。
たしかにこれは狙いやすい、防がれることを心配することなく、着実にダメージを与えることができる。
ふと、以前にモンスター2体に前後を挟まれたことを思い出した。
そのときは前後とは別に横への道があったため、被害は最小限に食い止められたが、なるほど、こうやってプレイヤー間でも挟み撃ちは成功するわけか。
立て続けに≪シングルシュート≫を放ち、背中へと3本のナイフを生やすことに成功する。
剣士もボスの猛攻を防ぎながら、少しずつダメージを蓄積させているようで、すでにボスのHPゲージは半分近くが失われていた。
「気を引き締めロ。最後まで何があるかわからないのがボス戦ダ」
アルゴは俺の心の内を見透かしているような言葉を吐きながら、隣に立って、深く腰を落とした。
その通りだ、さっきも逃げられると思ったから、後方への注意を怠って、窮地に陥ったのではないか。
軽く握っていたナイフを強く握り直し、多少の勢いをつけて、≪シングルシュート≫を放つ。
「そら、“抜く”ゾ」
アルゴが喋るのとほとんど同時に、ボスの背中に何かが自動生成されていく。
そのジェレートライトに向かっていった投げナイフは、片手剣使いが幾度となく響かせた剣戟の音を発した。
近くで目の当たりにすれば眩しいであろうライトエフェクトが晴れ、見えてきたのは巨大な斧。
刀よりも少し長そうな得物で、柄の部分と刃の部分が1対1くらいの割合であるそれを、ボスは左腕を回して手に取り、無造作に振りかぶる。
「予定通りダ」
“鼠”と呼ばれている所以であろう片方3本ずつ生えた髭のフェイスペイントが、口角が上がるのと同時に動きた頬によって、引き上がる。
いつから構えていたのか、右手にナイフを持った彼女は、ボスに向けて≪シングルシュート≫を放とうとしていた。
ナイフの形状が独特で、先端が鉤爪のようになっているそれは、柄元に何かロープのようなもの結んであるのがわかった。
「キリ坊! ツブッチ! 斧は任せナ!」
手際良く投げたアルゴのナイフは、ボスが左手に掴んだ斧の柄へと絡みついた。
そんなナイフなどお構いなしだと云わんばかりにボスが斧を振り下ろそうとしたが、中空でその動きが止まる。
涼しい顔をしたアルゴが、ロープの反対側に結んでいたらしい別のピックのようなものを地面へと突き刺し、それを右足で踏み込んでいた。
「はああああああ!!」
こちらまで聞こえてくる峻烈なかけ声に続いて、片手剣使いのソードスキルがボスの体に大きなライトエフェクトを刻む。
背中越しのため、その全てを拝めたわけではないが、迸ったエフェクトの量から、かなりの大技が放たれたことを理解する。
負けていられない、ナイフを2本同時に引き抜き、≪ツーピース≫を放つ。
続いて、放った右手をそのままホルダーへと走らせ、追撃の≪バックハンド≫を行った。
返しを意識して投げた≪バックハンド≫のナイフは、≪ツーピース≫のナイフに迫る勢いで飛び出していく。
計3本のナイフは、右肩から左肩に向けて一直線を刻むように、突き刺さった。
途端、ボスは手にしていた刀と斧を取り落し、天井の方を眺めるようにしながら、何事か呟いた様子を見せた。
体全身にヒビのようなものが入り、直後にその体が幾千ものポリゴンへと四散した。
システムウィンドウが起動する。
そこに書かれた『Congraturation/You got the Last Attack』という簡易な2行を読み終えたところで、全身の力が抜けて、そのまま床にへたり込んでしまった。
2014年4月1日、ボス部屋。
漸く、クエストを進めることができた。