ソードアート・オンライン──投剣── 作:kujiratowa
「やだよ、投剣使いなんかと組んでたら、いつまで経っても攻略なんてできねぇ」
そこを何とか…………という言葉を飲み込み、伸ばそうとした右手を強く握る。
軽量そうなプレートメールに身を包んだ短髪の彼は、そう言ったきり踵を返して、往来に混じっていく。
引き留めることができなかった、そう言われてしまうことに慣れているとはいえ、流石に今日まで何度も続けばへこたれることもある。
──投剣? そんなスキルあったっけ?
──ああ、遠くからちょこちょこ当ててるだけの臆病スキルだろう。
──投げナイフだって無料じゃないんだ。パーティを組んでまでお前の面倒を見たくはない。
──マイナースキルじゃん! 敵に近づかれたらどうするんだよ、お前死にたいのかよ!
──石でも拾って投げてれば? ボア一匹に何十回当てればいいのか知らないけどさ。
このゲームが、デスゲームと化す数時間前。
どうせなら誰もスキルを取らないであろうマイナースキルで楽しもうとしたのが、そもそもの間違いだった。
剣や斧、槍ではなく特殊な役回りができそうな投剣に飛びつき、≪はじまりの街≫の外に広がる草原で猪を相手に矢鱈滅多に投げナイフを放っていた。
≪シングルシュート≫という投剣ソードスキルを始めて使ったときは、自分の体が誰かに操られているような感覚に違和感を覚え、とんでもない方向に投げてしまった。
広い草原のため其処彼処にプレイヤーがいたけれど、彼らに当たらなかったのは不幸中の幸いだった。
突進してくる猪の攻撃を、余裕をもって避け、再び≪シングルシュート≫のモーションを取る。
投げナイフの柄を握り、突進後の硬直に陥っている猪に向けて、再びナイフを投げる。
その繰り返しをして、少しずつ熟練度を稼いだ。
仮想現実の中で、自分自身の力でモンスターと戦う、表現しがたい高揚感。
始めたこの数時間で、もう俺は≪ソードアート・オンライン≫の虜になっていた。
その矢先に、あの悪趣味なチュートリアルだ。
『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』
安宿へと戻り、プレイヤー共用となっている水場で顔を洗う。
備え付けのタオルで拭きながら、プリセットされている≪洗顔の感覚≫は現実世界と同様に、頭の中が混沌としているときにすっきりさせてくれているような気がした。
あの死刑にも似た宣告から、間もなく一ヶ月。
現実の自分の体がどうなっているかなんて心配は、三日も過ぎる頃には考えなくなっていた。
たぶんきっと、首謀者である茅場とかいう奴が捕まってこの事件は終わる──SAOがデスゲームへと姿を変えてからの一週間は、そう思いながらこの寝泊りする宿で過ごしてきた。
けれど、事態が劇的に変化することもなく、ただただ、浮遊城での時間が過ぎていった。
ふと思い立って、街の中を巡ったときのことだ。
黒鉄宮と呼ばれる場所にある巨大な碑、そこに記された名前の数に、唖然としたのを覚えている。
百よりももっと多い、数多の名前がそこにあった──それだけのプレイヤーが、死んだ。
これまで、敵が死ぬところは見たことがあっても、プレイヤーが死ぬところを見たことはなかった。
死ぬ、という解放が現実世界での目覚めにつながるのではないか、という希望を抱かないでもない。
しかし、それが本当かどうかを試す勇気は、持ち合わせていなかった。
ならば、このままゲームがクリアされるかもしれないその日まで、この街にとどまり続ければいいのか。
自問自答し、出した答え────それは、この街で長期宿泊できる程度に稼げるようになる、ということ。
デスゲームに姿を変えたとはいえ、その本質はMMORPGだ。
廃人と呼ばれるようなトッププレイヤーを目指すのも醍醐味ではあるが、命のやり取りの可能性があるのだから、そこまで頑張ろうとは思わない。
なるべく弱そうな敵を、なるべく安全に倒して、幾らかでも稼いで、そして生活する。
碑に向かって手を合わせ、誰に聞かせるでもなく、決意した。
その足で宿に戻り、しばらく手にしていなかった投げナイフを手に取り、再び街の外へ出た。
以来、俺はその日暮らしの投剣使いへと変わった。
顔を拭き終え、目の前の鏡に映った自分の顔を眺める。
すっきりしたとはいえ、浮かない表情であることに変わりはない。
石でも拾って投げればいい、という言葉が思い出され、鏡の中の自分が苦笑いを浮かべていた。
石で敵が倒せれば苦労はしない、そんなことは投剣使いの俺が誰よりもわかっている。
最初の猪相手でも、今の自分のレベルでは30回くらい当てないと倒しきれない。
もちろん、適当に投げ続けて、という前置きはあるが。
パーティを組めれば、効率よく安全にコルも稼げるのだが、現状では寄生と思われ、ほとんどパーティを組めることがなかった。
物珍しから誘ってくれるプレイヤーもいたが、戦闘中に投げたナイフが自分の傍を飛んでいくのを肌で感じ、PKされては敵わないとその場で解散されてしまうのが常だった。
結果、一人きりでモンスターと戦わなくてはならず、今日も今日とて、ソロで狩場に向かう予定だ。
スキルを取り直そう、と思ったことがないわけでもない。
≪片手用直剣≫などのソードスキルであれば、猪を倒すのも簡単だと聞いた。
しかし、ゲームを開始してからの数時間で染みついた投剣の動作と、敵に近づかなくてはならないという恐怖に、スキルの取り直しを選択することはなかった。
もう、貯えも少なくなってきた。
ステータスウィンドウに表示されたコルと、ストレージに入っているいくつかの素材の売却額を概算しながら、投げナイフを何本仕入れられるか考える。
武器作成関係のスキルを取れば店で買うよりも多少安価に揃えられるとは思うが、生憎、投剣スキルを活かすために≪索敵≫スキルを取得してしまった。
命中補正をかけられるのでありがたいにはありがたいが、どうしてもコルの問題は出てくる。
溜息、一つ。
大きく深呼吸して、部屋の扉を開けた。
2022年11月27日、曇天。
今日も、実に投剣日和だ。