視えざる船たちの記憶――特設監視艇第7光明丸航海記   作:缶頭

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第15話

「金剛が被雷した!?」

 隊内電話に耳を傾けていた浜風が目を大きく見開いて叫んだ。船員妖精が張り付いて操作して

いる無線機の向こうからは金剛の悲鳴や榛名の呼び声、古鷹の良く通る声などが二重三重に重な

り合って聞こえてくる。特一号船団の輸送船娘たちにもあっという間に話が広まるが、彼女たち

貨物船やタンカーには手の打ちようがない。手の打ちようがありそうな不知火と浜風は一瞬針路

を変えようとしたが、自分に与えられた命令を思い出しとどまる。金剛の命令は船団を支援して

退避させることだ。その命令はまだ有効だ。金剛と親しい浜風は落ち着かない様子だったが、だ

からといって持ち場を離れるような真似はしなかった。

 光明丸は戸惑う。船長が好意を寄せている――あるいは寄せていた――艦娘がピンチだ。魚雷

艇相手なら自分も役に立つかも知れない。弾ももう一戦出来る程度には残っている。助けに行く

べきだろうか。それとなく、実にそれとなくエビに聞いてみるが彼は返事をしない。エビの頭の

中では様々な思いが渦を巻いた。一方では助けに行くべきだと思うし、一方ではそうするべきで

無いとも思う。自分たちは餌としての役割を立派に果たした。後は金剛たちの仕事であってこれ

以上付き合う義理はない。それに助けに行った所で何が出来るとも思わない。いや、そもそも何

かをしてやる道理もないのだ。光明丸が敵艦載機に爆撃や雷撃を受けた時、金剛はいなかった。

ならば彼女が雷撃された時に光明丸がそばにいなければならない理由はない。特一号船団は31隻

中20隻が沈んだのだ。その死線をくぐり抜けようやく助かりそうな命をみすみす無駄にする必要

はない。そしらぬ顔で徴用船舶をすり潰しておきながら美味しい所だけをさらいに来た連合艦隊

を、一体全体なぜ手伝ってやらねばならないのか。

 とはいえ、まるで気にもならないし何隻くたばったところで知った事じゃない、とも言えない。

何だかんだ言っても、あれやこれや悪口を言っても、それでもなおエビは未だ金剛のことが好き

だった。例の一件以来まともに目も合わせられないが、その分なぜか思いは募っていった。公報

や鎮守府内で撒かれている新聞(ワタノキの噂によればいち艦娘が執筆し印刷しているらしい)

に金剛がらみの話が出ると、興味のないふりをしつつもしっかり読んでいた。記事の中で金剛が

戦果を挙げたことを知ると何となく誇らしくもなった。嫌いだ嫌いだと意識を向ける程度には意

識していることは本人も認めざるを得ない。完全に無視する程には嫌っていなかったが、仲良く

しようと思うほどには好意的でない。一方的にも程がある自分勝手な片思いと失望に未だ整理は

付いていないし、行き所のない感情もため込んでいる……。

 くどくどとした話を切り捨て端的に述べるなら以下のような具合になるだろうか。艦娘金剛の

うち戦艦としての彼女は今もって敬愛しているが、女性としての彼女はそうでもない。というの

も艦としての働きは様々なメディアで知っているが、女性としての彼女とは相互不理解なやりと

り一件を除いてまともに喋ったこともないので人となりが分からない。だからどう振る舞うべき

か分からない、と。むすっとして黙っていたエビだが、ツチガミ、ワタノキ、そして光明丸から

の無言の圧力を感じてしまえば何事かを言わざるを得ない。

「向こうに駆けつけるまでに魚雷艇なんぞみんな沈められて、なんの役にも立ちはしねぇよ。そ

れに、朝潮から命令されちゃいないしな」

「役に立つとか意味があるとか命令があるとか言う問題ではないだろう」

 ツチガミがすかさず反駁した。

「惚れた艦娘なんだろ? 違うのか?」

 惚れた艦娘、という単語を出されてエビは泡を食った。結局自分は金剛をどう思っているの

だ?頭の中で彼女の姿を今一度思い浮かべる。栗毛色をした髪と、愛敬のある瞳。引き締まった

体と妙なカタコト言葉。嫌いな相手をわざわざ心のスクリーンに映す奴はいない。ということは、

そういうことだろう。

「分かった、分かった。どうやらまだ惚れてるみてぇだ。それは認める。だけどお前らを巻き込

む理由がない。それに俺は『愛のために死ぬ』なんて気障な理屈はゴメンだ」

「何を今更。この船の艇長はあなたですし、あなたが金剛ラブなのはとうに承知ですよ。だいい

ち沈むつもりは毛頭ありません、喜ぶのは提督だけですし。仮にこのまま離脱したら、提督はき

っと逃げだした特一号船団が迷惑を掛けたから金剛が中破したなんて言い出すに違いありません。

ここは先手を打って第二戦隊に恩を押し売りして、彼女らを味方として『引き込む』くらいしな

いと」

 今度はワタノキがそれらしい理屈をこねた。元来調子づきやすいエビは二人の後押しにより少

しずつ気持ちが傾いてくる。

「光明丸、お前自身はどうなんだ。俺達が偉そうなことを言っても戦うのはお前だ。嫌ならはっ

きり嫌と言ってくれればいい」

 光明丸は唇を噛んで考える。船長が金剛に入れ込んでいるのは彼との馴れ初めの時から知って

いる。だから彼がおおっぴらに金剛の事を喋っていても嫉妬する気にはならなかった。言ってみ

れば母親に父親を取られると心配する娘のようなものであった。戦艦金剛がいなければトロール

漁船金剛丸は存在しなかった。それを考えると艦娘金剛に対しても妙な親近感が湧いた。だから、

エビが金剛の悪口を言っているのを聞くと変に居心地が悪く感じるくらいだった。光明丸自身は

金剛と話したことがない。だがそれは見捨てて言い理由にはならない。

 行こう。自分の間接的名付け親が傷つくのを放っておくような卑怯な艦娘ではない。

「行きましょう! こうなったら最後の最後まで餌として付き合うまでです。ただし! 誰も食

べることは出来ない餌ですけれども!」

 船橋の中にどっと笑い声が響いた。笑いながらエビが続けた。

「言うようになったな。よし、こうしようじゃねぇか。『まだ戦える船が、戦友を見捨てるよう

な真似は出来ねぇから戦う』。これよ。提督のためでも勲章のためでもねぇ。連合艦隊が俺達を

餌にしたのは気に入らないが、じゃあ連合艦隊の艦娘なんぞ沈んじまえば良いかと言えばんなこ

たぁねぇ。奴さんらも腹に一物あるだろうが、だからって指をくわえて味方の艦娘が沈むのを見

てましたってんじゃ夢見が悪いし、後味も悪い。だから助けに行く。どうだ」

 言ってから別の考えも頭に浮かぶ。提督はここまで見越しているのではないか、つまり自分た

ちが「自発的に、自ら望んで名誉の戦死をする」状況になるよう計算ずくではないだろうかとい

う疑念だ。だが、それこそ知ったことか。

 頭と体を動かすのは俺達で、戦場にいるのも俺達だ。得をするのも痛い目を見るのも俺達であ

って提督が何を考えていようと関係ない。強情を張るなら張り通すまでだ。

 エビの言葉にツチガミとワタノキも深く頷く。それで作戦会議は終わりだった。次の問題はど

うやって離脱するかだ。エンジントラブルを装って停船することも考えたが、下手に不知火や浜

風が護衛として残されると面倒になる。如何にも堅物そうな2隻だ。第二戦隊を助けに行きたく

て……などと言ったら首に縄を付けてられてしまう。ところが意外な所から救いの手が現れた。

吉祥丸が光明丸の脇へと近づき、ひそひそ声でこう言うのだ。

「吉祥丸ちゃん。わたしたち、みんなを助けに行かないとかなぁ?」

 光明丸が驚いたのも無理はない。光明丸ですら足手まといは確実だというのに、吉祥丸に何が

出来るというのか。それを知らない彼女でもないし、ましてや彼女の船橋で指揮を執る熟練の艇

長が首を縦に振るはずがない。しかし、その艇長が構わないと言ったのだ。

「わたしねぇ、むつかしい事はよく分かんない。けどね、なんだかじっとしてられないの。見て

るだけなのがイヤなのかな。艇長はこのままでも良いって言うんだけど、でも助けに行ってもい

いとも言うの。どういうことかなぁ」

 吉祥丸の船員妖精たちが船橋から出てきて光明丸の艤装を見る。ざっくりと入った亀裂を指さ

し何か言っているようだった。光明丸の3人の船員妖精たちも船橋から出る。互いに声を出して

声援を送り合った。その中に一人、腕組みをしたまま何も言わない妖精がいる。あれが艇長だな、

とエビは直感で分かった。自分より年上だろう。白い髭を蓄え、びん底のような分厚い眼鏡を掛

けた妖精。顔に刻まれたシワの一本一本が深い経験を感じさせた。あなたが光明丸の艇長かね、

と聞くので肯定すると、彼が考えた不知火・浜風を出し抜くための策と芝居を教えて貰う。なる

ほど、確かに何とかなりそうだった。吉祥丸艇長は最後にひとこと口を開いて船橋へ戻っていっ

た。

「生きねばならん」

 きっぱりとした、あまりにもきっぱりとした口調だったのでエビはまごついた。曖昧に相づち

を打つが、その言葉が真に意味する所は分からなかった。石を投げれば地面に落ちるくらい至極

当然、といった物の言い方だったので聞き返すこともままならなかった。そのせいで吉祥丸を死

地へ飛び込ませる理由をも聞き逃してしまった。職業軍人達にとって戦争とは勝利と栄光をもた

らし得る。徴用された船と船員には何一つ得はない。ただし、こと生存、つまり生き残ることに

関しては無限大の配当が待っているやもしれない。明日は今日より良い日になるはずだ。心のど

こかで、指先ほどでもそう信じていなければとうに首をくくっている。だから海水をすすってで

も生き延びろ。――と、こういう事を言いたいのだろうか。エビは勝手気ままに浮かんだ考えを

途中で捨て去る。それもこれも彼の言うとおり生き残りさえすればまた聞けるからだ。吉祥丸は

ゆっくりと離れ、光明丸と距離を取る。しばらくの後互いに目配せして合図をする。

 吉祥丸の船員妖精が焼玉機関にちょちょいと細工して、わざと黒々とした煙を噴出させた。同

時に彼女は不知火に「機関故障、応急修理ノ後追イカケル」と打電した。すぐさま光明丸も「吉

祥丸ヲ援護ス。修理不能ノ場合曳航ヲ試ム。オ先ニドウゾ」と続ける。輸送船娘を挟んで船団の

前方にいる不知火は骨の髄まで染みるほど冷たい目線を送ってきた。不知火の名誉のために言う

ならこれは彼女の普段通りの顔である。周囲が勝手に恐れているだけだが、事実光明丸も演技が

バレるのではないかと気が気でなかった。本当についていなくてもいいのかと二度聞き返してき

た後「二隻ノ無事ヲ祈ル。軽挙ハ慎マレタシ」、続けて「貴艦ラトノ再会ヲ楽シミニ待ツ。必ズ

生還サレタシ」と返信してきた。芝居が完全に見透かされているな、と最後の一文を聞いて光明

丸は思った。知っていて止めないのはそんな命令をされていないからか、それとも知らないふり

をしてくれているのか。どちらにせよありがたい話だった。特一号船団と2隻の駆逐艦は足を止

めずに北上を続ける。

 徐々に小さくなる彼女達を尻目に、吉祥丸と光明丸は今一度の戦闘態勢に入る。その吉祥丸の

マストで、艇長始め船員妖精たちがなにやら仕事を始めた。見ればマストに大漁旗を掲げている

ではないか。緑地の大きな旗には波が描かれ、赤い「大漁」の文字が鮮やかだ。彼ら流のゲン担

ぎだろう。

「粋な連中だこと……おい、何してる」

 戦場には不似合いなほど生命力に溢れた旗が風を受けるのを見ながら、ツチガミはエビに目を

向けた。船橋に備え付けられた棚をごそごそ漁るエビは、しばらくすると分厚い布の塊を取り出

した。

「俺達も一旗揚げようじゃねぇか。こうなりゃトコトンだ」

 そう言って船橋から出て行ってしまう彼を見ながら、ワタノキがぽつりと呟く。言葉の割にう

れしそうな言い方だった。

「ど派手な旗を掲げて撃ち合いですか。まるで海賊船みたいになってきましたね」

 見張り台が据え付けれられているマストに大漁旗を括り付けて掲揚する。青地の大漁旗には、

上半分には赤文字に金の縁取りで「大漁」の大文字。下半分には宝船が描かれ、その帆には「金

剛丸」と黒文字で書かれている。しまった、とエビは舌打ちした。そういえば漁船「金剛丸」は

船娘として生を受けてからこちら一度も漁に出たことが無く、ゆえに大漁旗も揚げたことがない。

当然ながら刺繍されているのは「光明丸」ではなく「金剛丸」だ。ええい、今更どうだって言う

んだ。こんなのはやったモン勝ちだ。ほとんどヤケクソになりながら高々と旗を掲げる。自分の

背中に大漁旗が掲げられたのを振り返りながら見て、光明丸は思わず心がときめいてしまう。漁

船というのはこういう感じなのか! 新鮮な感じだ。船橋に入りながらエビは光明丸に指示を飛

ばす。

「今から反転して金剛を支援する、どう支援するかは出たとこ勝負だ。無茶はするなよ!」

「はい!」

「ツチガミ、前進全速だ。ワタノキは針路出してくれ」

 ちがう、ちがう、といってツチガミは手を振った。

「『全力』だ。光明丸の本気を見るが良い。扶桑や山城に負けないと抜かしていたお前の言葉を

証明してやろう」

 ツチガミの自信に溢れる言葉に応えるかのように機関が回転を上げ、大量の空気がディーゼル

エンジンへと送り込まれる。光明丸は背部の艤装から豪雨にも似た音を立てて加速を始めた。つ

ま先に当たる波は砕け、ウェーキが髭のように伸びる。

「光明丸ちゃん、遅れるけれど無茶しないでね!」

「ありがとう、吉祥丸ちゃんも!」

「うん!」

 手を振り合図をする吉祥丸。彼女の速力では戦場に戻るのも一苦労だ。後方にゆったりとした

速度で走る吉祥丸を残しながら、光明丸の機関はさらに重厚な音と振動を放った。

 


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