視えざる船たちの記憶――特設監視艇第7光明丸航海記   作:缶頭

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第12話

 貨物船市谷丸、鶴見丸撃沈。特設駆潜艇第6東丸撃沈。特一号船団は今や6隻の護衛艦艇、10隻

の貨物船、3隻のタンカーからなる19隻の船団となってしまった。貨物船の数は舞鶴を発った時

の半分になってしまっている。大損害を出しながらも、指示された針路を進み続ける彼女らの周

囲を夜のとばりが包む。次に太陽が昇るまでの数時間は敵の空襲を気にしなくていい。東丸が命

と引き替えにあの潜水艦を沈めてくれたおかげで、潜水艦の危険も去った。太平洋をうろついて

いる敵潜水艦が特一号船団を射程に収める頃にはとっくに味方と合流できているはずだ。

 光丸は夜になってやっと落ち着いたが、顔は青くなり、同じように青ざめた唇から何かをぶつ

ぶつと呟いていた。無理もない。姉妹を一瞬で失ったのだから。艦娘の中にもかつて姉妹や親友

を目の前で失った経験のある者が何人かいる。用兵上の都合、同型艦同士をまとめて使うのはご

く当たり前だ。だがそれは、姉妹の死に様を目の前で見せることでもあったのだ。姉や妹を目の

前で撃沈された過去を持つ艦娘は一隻や二隻ではない。

 夜の闇はいよいよ濃くなり、時計の針はあと数十分で日付が変わることを示す。夜が明けて、

敵が先に来るか味方が先に来るか、誰にも分からない。分からないが、今出来るのは敵の目を忍

びつつ前進することだけだった。自分の生死を他人に握られていると言っても言い過ぎではない

だろう。連日の指揮と戦闘で、さしもの朝潮も疲労を感じていた。夜間の監視任務という、何一

つ変わらない暗い海と空を見渡す行為が酷く面倒に感じた。聞こえるのは機関の唸る音、波を切

って進む音、風の音。さらに耳を澄ませば船員妖精が作業したり会話したりする音が聞こえる。

 突然、船員妖精が大声で朝潮に報告した。話を聞いた朝潮は誤報だと思った。次にはタチの悪

い冗談だと思った。しかしどちらでもないことが分かると、頭からつま先まで突き抜ける痺れを

感じた。

――電探に感あり、ですって? 100機近い航空機が接近中?

 何度も確認したが電探の故障ではないという。陸上機が飛んでこれる場所ではない。空母艦載

機がこんな真夜中に飛べるはずもない。マリアナを襲撃したという敵機動部隊が今日一日中西進

していたとするなら、確かに航空機の行動半径内に特一号船団を収めることは出来るだろう。し

かし夜間に艦載機を離発着させるものだろうか。

 ここまで考えて朝潮はひとつの可能性に辿り着いた。

 空母ヲ級フラッグシップを始め、ごくごく一部の深海棲艦は夜間の航空機運用能力がある。奴

らなら、確かに艦載機を繰り出してくることはありうる……。嫌な汗が背中を流れた。100機と

いう数も、深海棲艦の正規空母の搭載数を考えればまったく不思議ではない。むしろ鎮守府から

の電文にあった推定6隻という数からすれば少なすぎるくらいだ。

 うかつ、あまりにうかつだった! 「夜間の航空攻撃は極めてレアケース」と勝手に決めつけ

て物を考えていたのだ! 朝潮は唇を思い切り噛んで自分で自分をしかりつける。

 敵機動部隊ということは、当然お供の水上艦艇もいるだろう。艦載機の行動圏内ということは、

どんなに離れていたとしても彼我の距離は300海里。駆逐艦や巡洋艦のように足の速い船なら今

から10数時間の後には到達できる距離だ。仮に艦載機が発進する遥か以前から艦隊を分離し水上

艦艇を進撃させていたとすれば、あと数時間で接敵してもおかしくなかった。

 空襲だけでも水上艦艇だけでも特一号船団は間違いなく全滅する。が、もし朝潮が逆の立場な

ら当然両方の手段を使う。どうすればいい。どうすれば……。悩んでいる間にも敵機は距離を詰

め、そのたびに船員妖精が報告する。とにかく、味方に知らせなければ。朝潮は鉛のように重い

体を動かし、周囲の船を見渡した。

「敵推定100機接近中だと?」

 光明丸の見張り台でエビが呟いた。伝声管の向こうからツチガミが話を続ける。

「昨日と今日この船団を空襲した空母とは別の空母だと言っている。敵の精鋭だと思ってよいと

も」

「しかし、夜中に飛行機が空母から飛んだり降りたりする道理はねぇぜ」

「こっちが聞きたいくらいだよ」

 エビは急いで船橋に入ると、半信半疑のまま光明丸に指示を出す。敵が、来る。そう言われて

空を見上げる光明丸だが、目に映るのは輝く星ばかり。しかしともすればその星の瞬きが敵機の

排気炎に見えてしまいそうになる。朝潮の命令にしたがって配置に就く。ただでさえ少ない護衛

艦艇が1隻減ってしまったツケは大きい。朝潮と光丸の2隻が船団の左前方、望月と吉祥丸が右前

方に付き、光明丸と万寿丸がペアを組んで後方を固める。敵は目の前まで来ている。ところが目

には見えないし、音もしない。電探によれば10キロを切っているそうだが、頼りない月と星の光

は敵機の姿を映し出してはくれない。

 こう言う時は目より耳が役に立つと艇長に言われ、両手を耳にかざして周囲の音を聞いていた

吉祥丸の耳に異音が入ってきた。船舶の音ではない、異質な音。

「朝潮せんぱい、なんかヘンな音が聞こえます!」

 吉祥丸がそう報告するのと、船団の上空に小さな太陽が輝いたのは同時だった。いくつもの吊

光弾が特一号船団の上空でまばゆい光を放ち、船団全体をくまなく照らし出した。望月は吊光弾

の光をまともに見てしまい、思わず手をかざし目をつぶった。目が眩んでも耳は無事だ。敵機の

唸りが後方へ過ぎ去っていったように聞こえる。

「今のはパスファインダーってやつ?」

 吊光弾を見ないよう手で覆いながら敵機が来た方向を見る。おぼろげに光るものが見えた。12

センチ砲を向け、ほどほどに狙いを付けてから発射する。吊光弾の光に負けないくらいに明るい

発砲炎が望月の茶色の髪をあらわにした。吊光弾の光の中に数え切れないほどの敵機が飛び込ん

で来た、と同時に、特一号船団に対する五月雨式の攻撃が始まった。

 敵機へ向けて必死に弾幕が張られるが、明らかに火線の数が少ない。夜空へ吸い込まれていく

曳光弾の光は端から見れば幻想的だったろうが、その真下にいる艦娘たちはとてもそんな気分に

浸っていられない。いくつもの水柱が立ち、射撃音と爆発音、それに敵機の唸るような飛行音で

辺りは騒然となる。

 さすがに深海棲艦の艦載機と言えど夜目は利かないのか、時たま全く見当違いな所へ爆弾を落

とす敵機がいた。真夜中でも問題なく飛行と攻撃が出来るのなら吊光弾などいらない。というこ

とは案外敵機も見えていないのではないか?

 吉祥丸の艇長はそう判断し、彼女に命じて吊光弾を狙って撃たせる。まぶしさを薄目で堪えな

がら、船団の右前方をゆっくり落ちてくる吊光弾に狙いを付けて7.7ミリ機銃を撃つ。数発の後

命中弾を得たらしく、吊光弾はパラシュートに穴が開いたのかぐるぐるときりもみしながら勢い

よく落下して着水した。海水と触れてもなおチカチカと光っているが、それでも明るさはぐっと

減った。吉祥丸は次々と吊光弾を狙っていくが、それに気がついた敵機が彼女へ向けて爆撃を開

始する。右手に25ミリ単装機銃、左手に7.7ミリ機銃を持ち、乱射して迎撃する吉祥丸。艤装に

尻尾のように後ろ向きに縛り付けられて固定されている、銃架の壊れた謎の25ミリ機銃まで撃ち

まくる。1機、2機とかわした。が、3機目の爆弾はついに避けきれなかった。吉祥丸は思わず目

をつぶる。体を叩き潰されるような衝撃が走った。四肢にしびれが走り、左舷に大きく傾いた。

だが、彼女が想像していたような爆発はおこらない。

「やった! 不発弾!」

 艇長の叫びを聞いてゆっくり目を開く。頭、手、胸、腰、足と順に触ってみるがどこにも怪我

はない。後ろを見ると、粉々になった木片が辺りに散らばっている。艤装の中央左側を爆弾がも

ぎ取って行ったようだった。

木造船ゆえ被弾の衝撃に耐えられずに砕けたようだが、それが幸いしたらしく被害は少ない。

「吉祥丸、大丈夫?」

 望月が至近距離まで寄ってきて援護する。「だいじょうぶです、望月せんぱい!」と返してす

ぐにまた吊光弾を狙おうとする吉祥丸だったが、敵機のマークがきつくなかなか狙う暇がなかっ

た。そうこうしているうちに新たな吊光弾が船団上空にきらめいた。これではきりがない。

 一方の船団後方では、光明丸と万寿丸が懸命に対空戦闘を続けている。敵機は一瞬その姿を現

したかと思うと、爆弾なり魚雷なりを放り出してあっという間に闇の中へと消え去る。見えてか

ら狙いを付けるまでの間に見失ってしまうのだから全く埒があかない。敵機が来るであろう方位

にとにかく弾を撃ち続けるしかないが、そんなことをしていればいつまで弾薬が持つか分かった

物ではない。

 あまりの長時間射撃に13ミリ機銃が過熱して煙を上げ始める。光明丸が思わず射撃を止めた瞬

間、敵機が目の前すぐ近くにぬっと現れた。緩降下しつつ進入した敵機もこちらを見て慌てたの

かロクに狙いもしないうちに機体中央に取り付けられた爆弾を投下する。頭に当たるのではない

かと錯覚するくらい低く飛んで来た爆弾に思わず身をかがめる光明丸。次の瞬間その爆弾は彼女

の左前方に着弾した。爆発の勢いで一瞬体が跳ね上がる。思い切り右舷に傾き、あわやひっくり

返りそうになるのを大量の海水を頭から被りながら懸命に堪える。

 バキンという甲高い音が、爆発の轟音の中でもハッキリと分かるくらいの音量で響いた。シー

ソーのごとく右へ左へと揺れる光明丸は腕と足を突っ張ってようやく体勢を立て直した。さっき

の音は何だろう。もしや艤装がやられた? しかし舵もスクリューも問題ないようだ。では船橋

か? ひどい耳鳴りがするが、構っていられない。

「船長、船長、返事してください!」

 返事がない。数秒待ってもう一度繰り返すがやはり沈黙が帰ってくるだけ。三度口を開こうと

した時、ようやく船橋からの声が聞こえた。

「全員大丈夫だ。エビは船橋の床と天井を2往復もして目を回してるが、怪我はない」

 ツチガミの声だった。艤装にクラックが入ったそうだが、沈んでいないのならそれで十分だ。

光明丸は海水とは別の水分で濡れた目元を拭うと、かがみ込んで13ミリ機銃を3丁丸ごと槍のよ

うに海中へと突っ込んだ。ジュッ、と水が一瞬で沸騰する音とともに鉄臭い匂いがした。数秒の

後に引っ張り上げる。それで冷却は完了だった。錆びるだの脆くなるだのは生き残ってから考え

れば良い。弾倉3つを交換し再び射撃開始。

 視界の右から左へとオレンジ色の曳光弾が点線を描く。万寿丸の火線だ。彼女も何とか踏ん張

っているらしい。と、その火線がグンと右へ移り、次いで海面すれすれへと向けられた。同時に

4時方向に雷撃機! と万寿丸の声がとどろく。光明丸も目をこらして暗い海を見つめるが何も

見えない。すでに射撃している万寿丸の25ミリ弾が飛んでいく方向を目で追うと、小さな排気炎

がチカチカとちらつくのをやっとの事で発見した。ほとんど狙わないうちに機銃弾を撃ち込む。

何機突っ込んできたのか分からないが、その内先頭の一機に火が付いた。かなりの低高度を飛ん

でいた敵は海面に突っ込むと大きくバウンドし、大小様々な破片をバラまきながら2度目の着水

をした。

 2機か3機か、もっと多くか。とにかく複数の敵機が魚雷を投下していった。いつもは恐ろしい

までに白く映る雷跡もこう暗くてはほとんど分からない。ほとんど祈るようにしながら目一杯に

面舵する。その間も敵機への銃撃は止めない。万寿丸と光明丸の頭上をすり抜けていった4機の

雷撃機――吊光弾の光でようやく数がはっきりした――は左に急旋回して離脱しようとする。そ

こへ2隻の機銃弾が降り注いだ。あまりの急旋回で速度を不必要に失った1機がもろに被弾し墜落

する。残りの3機は取り逃がした。しかし構っていられない。闇夜へ消えていく雷撃機を無視し、

光明丸は輸送船の上空を何度も行き来して機銃掃射を浴びせる敵機に狙いを付けた。動きが単調

になっていた敵機は横合いから飛来する13ミリ機銃弾に驚いた様子だが、今更遅い。何発もの弾

丸を胴体に受た敵機は2つに分解して海に叩き付けられる。すぐさま次の敵機へ。

 狙いを付けて撃とうとした瞬間、発火し粉々になる敵機。どうやら万寿丸が撃墜したらしい。

光明丸は彼女の方を振り向く。吊光弾に照らし出されていた彼女はこちらの視線に気がついたの

か、頷きながら25ミリ機銃の弾倉を変えていた。その万寿丸の真後ろ、低いところから敵機が忍

び寄る。降下体制に入った敵機は明らかに万寿丸を狙っていた。光明丸は思わず叫ぶ。13ミリ機

銃を撃った所で爆弾の代わりに火の玉になった敵機が落ちてくるだけだ。光明丸は右側アームの

47ミリ砲を突き出し発射する。鮮やかな曳光剤が夜の世界に一筋の光を描く。だがそれは目標へ

僅かに届かず、暗い海と空の間へと消えた。

 間に合え。その一心で急ぎ次弾を装填する。気付いた万寿丸も頭上へ25ミリを撃ちまくりなが

ら回避運動に入る。けれども避けきれない。光明丸の2発目。発砲炎で一瞬世界が明るくなる。

降下する敵機が爆弾を投下しようとした瞬間、まさにその瞬間に47ミリ砲弾は飛び込み炸裂した。

敵機はたまらずはじけ飛び、粉々になった。破片が万寿丸へ降りかかる。小さい物は小指の先く

らいの破片から大きい物は敵機が装備していた爆弾まで、様々な大きさの雨が降る。幸いにも万

寿丸は無事だった。投下直前に撃墜したためか爆弾も安全装置が掛かったままらしく、僅かな水

柱を立てただけで海底へと旅立っていった。数秒間、回避運動も対空射撃も忘れ唖然とした姿で

航行する万寿丸。その口が「ありがとう、光明丸ちゃん」と告げたが、最初の数文字分しか聞こ

えなかった。光明丸と万寿丸のすぐ前方を航行していた第3柳丸がけたたましい爆音を上げて炎

と煙に包まれたからだ。

 左舷に傾斜しているが機関は生きているようで、柳丸は爆煙の中からゆっくりと這いだしてき

た。艤装は砕け、ぽっかりと大穴が開いているが、船娘本人には大きな怪我はないようだ。その

上空では爆撃を終えた敵機が今度は機銃掃射を浴びせようと旋回している。光明丸と万寿丸の2

隻はすぐさま柳丸へと接近し彼女を援護する。闇の中へと消え、すぐさま現れた敵機に2隻から

の対空砲火が浴びせられる。しかし命中弾を得られる前に敵機は柳丸を射程に収めた。突然、敵

機が横滑りして狙いを変える。目障りな取り巻きから潰そうとしたのか、砲火に阻まれ柳丸への

攻撃を諦めたのか、万寿丸へと狙いを付けるとその銃口から大量の弾丸が撃ち出された。

 不意打ちを喰らった万寿丸を弾丸のシャワーが包む。腹やもも、そして背部艤装を等しく貫か

れた万寿丸は激痛に身もだえした。だが彼女の目だけは、常に不安と恐怖を表現していたあの目

だけは護衛船としての自負がみなぎり、敵機を見据えて離さない。25ミリ機銃の引き金を引く。

が、弾が出ない。機銃も敵機の銃撃を浴びたらしく、潰れ、変形し、歪な形に変わり果てていた。

用無しの25ミリを海に放り投げると短5センチ砲を取り出す。1発、2発と撃ち込むが全く見当違

いの方向へ弾が飛んでいく。体に力が入らない。光明丸は万寿丸が被弾したのを見るや否や我を

忘れて敵機へと銃弾を撃ちまくった。急旋回を駆使して鮮やかに避ける敵機は柳丸を爆撃した時

と同じように距離を取って姿を隠すと、しばしの後姿を現した。再び万寿丸へと襲いかかろうと

している敵機に13ミリ機銃弾をこれでもかと送り込む。ひるむこともなく迫る敵機は吊光弾の光

で照り返され不気味なシルエットを浮かばせる。その姿を見て光明丸は息を呑んだ。

 あまりにも恐ろしげなその形にではなく、翼下にまだ爆弾を装備していたことに。

 万寿丸は血を流しながらも短5センチ砲を撃ち続けていた。敵機の射線から回避しつつ柳丸を

カバーする位置へと舵を切る。

 一歩も退くつもりはなかったし、これ以上惨めな艦娘になるつもりもなかった。自己犠牲など

というのは馬鹿馬鹿しい。しかし命は大事だなどと言って味方を見捨てるのを自己正当化するの

も、同じくらいに馬鹿馬鹿しい。損得とか敵味方とか鎮守府における地位とかの問題ではない。

ここで英雄的に振る舞った所で、提督のお気に召す訳でも監視艇隊での評判が良くなる訳でもな

い。そんなことなどどうでも良い。要するに特設監視艇万寿丸としてのプライドの問題、自尊心

の問題だった。艇長の指示に従ってこれ以上怠惰な振る舞いを続ければ一生後悔する。その気持

ちが万寿丸を突き動かしていた。

 穴だらけになった万寿丸の背部艤装では、船橋から飛び出してきた船員妖精――気が狂わんば

かりに慌てふためく艇長が彼女の髪を千切れそうなほど強く引っ張って、何かを喚いていた。逃

げ出せとか、艤装を破損させてどう始末を付けるつもりだとか、そんな風な事を言っているのだ

ろうが何もかも遅すぎた。なにより、もはや万寿丸は艇長の言う事に聞く耳を持たなかった。

 光明丸と万寿丸の銃砲弾をくぐり抜けた敵機から音もなく爆弾が放り出された。世界がスロー

モーションになる。磁石が金属を引き寄せるように、万寿丸の艤装へ右舷から爆弾が命中した。

200キロとか100キロとかいった小型爆弾でも特設監視艇を沈めるのには十分すぎる。

「万寿丸ちゃん!」

 暗闇の中で一際目立つ爆炎に包まれた万寿丸を見続けている暇はなかった。離脱する敵機を必

死で追い続け、柳丸から追い払う。せめて彼女が守ろうとした柳丸を代わりに守りきりたかった。

光明丸の思いをあざ笑うかのように敵機は翼を左右に振って13ミリ機銃の射線を避け続ける。何

度も射撃を続けるが、当たりもしない。その隙を突いて別の敵機が侵入する。すぐに目標を切り

替える光明丸だったが、数発撃った所で機銃はパタリと沈黙する。さっきの敵機に弾を使いすぎ

て、ここぞというところで弾倉が空になったのだ。

 柳丸の艤装へめり込んだ爆弾は遅延信管によりごく一瞬のタイムラグの後起爆し、積載してい

た貨物と彼女の肉体を、万寿丸の想いごと切り裂いた。

 光明丸は言葉にならない声を張り上げる。いつもそうだ。頑張って、頑張って、あと一歩のと

ころですべて目茶苦茶にされる。築き上げたものを台無しにされる。万寿丸が命懸けで守ろうと

した柳丸が沈む。つまり万寿丸がやったことは全くの無意味だったのか。そんなことない、絶対

にそんなこと認められない。目線が無意識のうちに万寿丸を求めさまよう。右、左、近く、遠く。

視界の隅に艤装の先端だけが水面に出ているのを捉えると、戦闘のさなか近づいて足を止める。

格好の的となることを覚悟して万寿丸の左腕を掴み、ほとんど沈んでいる重い体を力ずくで引き

揚げる。

 海水がしたたる万寿丸の艤装は細切れとなり、武装も千切れ飛んで砲架だけが残っている。舵

もスクリューも折れ曲がり、機関は動きを止める。彼女は艦娘としての機能のうち艦の部分を完

全に喪失した。娘の部分にしても大同小異で、いくつもの銃弾が突き刺さっているその体を見て

致命傷の3文字を思い浮かべない者はいなかった。血まみれの万寿丸は既に事切れていた。船員

妖精に至っては形すら残っていなかった。エビもツチガミもワタノキも、光明丸の行為に気が気

ではなかった。が、のんべんぐらりとしていた万寿丸のこの数時間の異様な奮闘ぶりと痛ましい

最後を見せつけられた彼らは心の一部では光明丸の行為に首肯する所があった。一体何があった

のだ。

 万寿丸がどういう風の吹き回しで急にやる気を見せるようになったのか、光明丸たちは知らな

い。万寿丸の艇長が彼女に今まで何を要求し、何をさせていたか。彼女を何だと思っていたのか、

あるいは逆に万寿丸自身はどう思っていたのかも、彼女らは知らない。

 ただひとつ分かるのは、万寿丸が妙に清々しい顔つきで、満足げな表情さえ浮かべていた。そ

れだけだった。光明丸の体から力が抜け、万寿丸は水底へと去って行く。彼女の体は音もなく沈

み、足、胴、肩、そして顔が沈んでいく。万寿丸の安らかな顔が海中に消え、海面には涙をこぼ

す光明丸の顔が映る。くしゃくしゃになった自分の顔と目があった瞬間、電気のスイッチを切っ

たかのように周囲から光が奪い取られ、海面に映る光明丸の姿は消え去った。吉祥丸によってと

うとう全ての吊光弾が叩き落とされたのだ。

 

 

 辺りが突然闇に覆われた事に驚いた朝潮だが、吉祥丸の報告を聞いて驚きは歓喜へと変わった

この激しい攻撃の中ひたすらに吊光弾だけを狙い続け、ついには全て撃墜してしまった。船団の

中でもっとも頼りない船だと決めつけていた自分を引っぱたきたいくらいだ! さすがの敵機も

特一号船団がここまで頑固に粘るとは思っていなかったのか、攻撃は徐々に低調になってきてい

る。

 もう一息かと思った矢先に背後で巨大な爆発音がとどろき、海面が炎で赤く照らされる。タン

カーの鹿野丸が雷撃を受けたらしく、派手に炎上していた。艤装は火に包まれ艦娘は身を焼かれ

ている。雷撃した敵機は彼女の頭上すれすれを飛んで離脱を図る。しかし投下前には存在してい

た吊光弾の頼もしい光が投下後には無くなっていた。それが敵機の行動に一瞬の迷いをもたらし

たのか、ふらふらと旋回するとよりにもよって朝潮の方向へ機首を向けた。

 避ける間はおろか動揺する間すらなかった。反射的に身をかがめた朝潮の体に衝撃が走る。全

身がシェイクされ、心臓が跳ね上がる。金属がぶつかりねじれる音が聞こえた。幸いにも体に痛

みはない。武装にも異常なし。では一体何が……と疑問に思う間もなく船員妖精が報告した。敵

機は13号電探を六文銭代わりに頂戴して行ったのち、煙突に主翼を引っかけながら海面に落ちた

そうだ。由々しき事態だった。この船団で対空用電探を装備しているのは朝潮だけだ。今や特一

号船団は目が見えなくなったに等しい。今まで空襲に耐え抜いてこられたのも電探による早期の

索敵あればこそである。だが、それは生き残った後で考えればいい。

 朝潮は頭を切り換えると目の前で燃え上がる鹿野丸を見つめた。自分の背中で大火事が起こっ

ていというのにわめき声のひとつも挙げなければ手足をばたつかせる訳でもない。既に虫の息か、

ややもすると絶命しているようだった。彼女が積載する燃料は真夜中の世界に一際明るいランプ

となり、吊光弾が無くなった敵機に絶好の光源となっていた。水密区画の多いタンカーは中々沈

まない。放っておけば数十分どころか数時間は燃え続けるだろう。

 嫌な、実に嫌な決断を朝潮は迫られた。とはいえ迷えば迷うだけ状況は悪くなる。彼女はひと

つ深呼吸すると信号灯を握り、鹿野丸へ向けた。

「船員妖精ハ直チニ退艦セヨ。今カラ貴船ヲ撃沈スル」

 信号が終わるや否や「ふざけるなぁ!」という大声が聞こえた。見れば光丸が激怒してこちら

をにらみ付けている。

「味方を沈めるなんて、あんた正気!?」

「今ここで沈めなければ、もっと多くの味方が沈みます!」

「だからって、味方を手に掛ける理由になるとでも!」

 分かっている。分かっているのだ。言われなくてもそれぐらい考えている。朝潮は思わず反論

しそうになって、我慢して飲み込んだ。小を殺して大を救うのは正しいのか。1000人のうちラン

ダムに100人死ぬ作戦と、1000人のうち名前の決まった10人が死ぬ作戦とではどちらが不公平か。

そういう議論は吐き気がするほど繰り返してきたのだ。迷いはない。例え自分が切り捨てられる

「小」の側であっても。ぐっと左腕を突き出して魚雷発射管を構える。その射線を邪魔するよう

に光丸が割り込み、燃えさかる鹿野丸へ接近していく。

「邪魔になる! 離れないとあなたごと撃つわ!」

「やってみな! そうなる前にあんたを沈めてやるから!」

 光丸はそのまま接舷し、鹿野丸の顔をのぞき込んだ。彼女がすでに絶命しているのを見てハッ

としたが、次の瞬間には海水で濡らした手を火の中へ突っ込んで船員妖精を救助し始めた。火中

の栗を拾う、の言葉通りの行動だった。光丸に戻るよう命令した朝潮だったが、彼女は意に介し

ない。「船員を救助したらすぐ戻る!」と返事するだけだった。英雄的な行為と言えるが、やや

もすれば「ミイラ取りがミイラになる」を身を持って証明することになる。

 古今東西、身を挺して船員妖精の救助に当たったあらゆる軍用船はその行為を高く評価されて

いる。だが、評価の対象となる「行為」は、ただ単に救助活動のみを指すのではなく、そこから

生きて帰ってきた手際の良さも含まれているのだ。何人船員妖精を助けた所で、生きて戻ってこ

なければ意味が無い。朝潮はそれを恐れて救助に行けなかったのだ。

 朝潮は焦る。光丸は自分への反発として危険な救助活動へと飛び込んでいったのではないかと

思うと気が気でない。しかし同じくらい光丸も焦っていた。火傷など気にもとめず船員妖精をつ

まみ上げては背部の艤装へとトスする間も敵機の飛ぶ音と味方の対空射撃の音は常に聞こえてい

た。死ぬつもりはないが船員妖精たちを見捨てたくもない。5人救助したか6人救助したか、もう

船員妖精は見あたらない。光丸は赤々と燃える鹿野丸からゆっくりと離れる。

 その時、背後から朝潮の声が飛んだ。3時方向に敵機、と。光丸の25ミリが火を吹くのと敵機

の航空機銃が火を吹くのは全く同時だった。25ミリ弾は敵機の鼻先からぶち当たり、一瞬で鉄屑

へとその姿を変えさせた。同時に敵機の銃弾も光丸の艤装に命中する。命中した先は爆雷だった。

その上敵機の銃弾には焼夷弾が混じっていた。大量に詰め込まれた炸薬は焼夷剤の扇動に抗えず

炸裂、周囲の爆雷も次々と巻き込み連鎖的に誘爆する。皮肉にも、多数の爆雷を装備していると

いう特設駆潜艇のレゾンデートルそのものが光丸の命取りとなった。

 一般的なイメージと異なり、爆雷は想像以上の炸薬が詰め込まれた重量物であり危険物だ。海

軍の主力爆雷の中で最も重い二式改一爆雷は重量212キロ、炸薬量は150キロ。4発合わせればそ

の重量は古鷹型重巡洋艦の20.3センチ砲6門による一斉射撃の投弾重量755.4キロを上回り、7発

合わせれは大和型戦艦が誇る46センチ砲の1発分の弾量1460キロをも超えてしまう。しかも、46

センチ砲弾の炸薬量が33.85キロに過ぎないのに対し、二式爆雷7発分の炸薬はサブタイプにもよ

るが700キロを下回ることはない。この炸薬量に匹敵する兵器は九三式酸素魚雷だけだ。ずんぐ

りとした見てくれの割に魚雷の弾頭並に危険極まりない爆雷を、光丸は20発は装備している……。

 バン、バンと規則的な間隔で爆雷は誘爆し続け、そのたびに光丸の艤装と肉体とを樹木のごと

く剪定していった。鹿野丸と同等以上の炎を上げ、光丸は救助した船員妖精ごと一瞬で落命する。

特設特務艇が撃沈される時はいつだって瞬きする間に事が終わる。戦艦や空母のように弁慶の立

往生となることは無い。それは限りなく痛みの短い、慈悲ある死だとすら言えるかも知れない。

撃沈された多くの特設特務艇と同じく、光丸もまた長時間の自責や後悔や激痛にもがき苦しむこ

となく果てた。

 朝潮は光丸の船体が水没していく光景を言葉を失ったまま見つめる。捕鯨船としての艤装も、

少女としての肉体も、目を覆わんばかりに変わり果てていた。その姿が完全に水中へと去りゆく

と、朝潮は涙がこぼれそうになるのを歯を食いしばって堪え、視界の中に歪んで見える鹿野丸へ

と魚雷を発射した。2本の魚雷が立て続けに命中しキールをへし折る。鹿野丸はゆっくりと沈み

始めたが、その姿が完全に海面に没してもなおしばらくの間こぼれた油は燃え続けていた。

 その火が敵艦に狙いを付ける役に立たないほど小さくなると、ついに敵機は夜空へ姿を消して

いった。

 


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