目の前で崩壊する「箱庭」を見ながら、佐倉杏子は数日前に見た光景を思い出していた・・・・
あの日
ニコの「接続」でジュウベェから洗いざらい記憶を抜き出した彼らは、それ以上の干渉をさけ再び見滝原の根城に戻ってきた
織莉子たちは以前箱庭に侵入してある程度のデータを得たが、しかし敵には直接に触れる機会はなかった
でも、ニコの魔法で直接に記憶を抜く手段を得たおかげで、彼女達の戦略は大きく広がった
「さてと・・・早速戦利品を見ようかしらね」
インキュベーターの話を信じるのは癪だが、奴らはまず嘘はつかない
特に自分達の利益に関することについては
シュオン!
織莉子のアカシックレコードが空中に展開し、結界が皆を包み込む
「あの白いネズミは入ってきてないよな?」
杏子が周りを見る
あの夜の一件以来、杏子はキュウベェの事を白いネズミと言うようになった
彼女自身奴らのことは嫌いだが、それなりの付き合いを心掛けてきたが人のキモチを踏みにじるようなあの行為は許せなかったのだ
「大丈夫よ。ここは私の結界の中、私の許可が無ければアイツらは入ってこれないわ」
「織莉子が言えば安心だ」
ニコがそう言うと笑みを浮かべた
「何時の間にかそんな深い仲になったんだよ?」
あいりが茶化すように言うと、今度は織莉子が妖艶に笑う
「私とニコさん、それに貴方は前世の仲でしょ?」
「・・・・そうだな」
そう
彼女達は「前世」という繋がりを持っていた
だからこそ信頼できるのだ
「ふ~ん、奴が言っていたのは嘘じゃないんだな・・・」
結界にはジュウベェの記憶が浮かんでいた
この個体の記憶にはインキュベーターを集団で襲っている姿が何度も浮かぶ
そして・・
「うわ・・・エグイな・・・・」
ジュウベェが嚙みついたインキュベーターはその場で機能を停止すると、その身体が徐々に変化し始める
「恐らくはあのジュウベェにはある種のウィルスが入っているようね。それでインキュベーターをジュウベェに作り変えている・・・」
「でも何でだよ・・・?」
「恐らくはあすなろ市の防衛に使用しているのでしょうね。インキュベーターには死という概念が存在しないから、何らかのトラブルがあれば事情が分かる前に大量に端末を投入するだろうし」
記録は続く
そして・・・
金色の髪をした少女が喫茶店のような場所で仲間と話す光景が映し出された
「宇佐美真琴」に間違いない
~ 少女達に負担がかかっている ~
~ でもこの結界を解除した途端にインキュベーターが雪崩れ込んでくる可能性も・・・ ~
~ そうね・・・ほんの短い時間に解除するわ。それなら大本のシステムには問題ないわ ~
ジュウベェの感覚器官を通しての記録の為、全体の話は大まかに理解できない
しかし、その話を総合するのならそれは彼女達の福音に間違いない
― あすなろ市の「箱庭」を一時的に解除する ―
これが事実ならば、彼女達は問題なくあすなろ市に侵入できる
囚われた少女達を助けることもできる
確かに余りにも出来過ぎた話だ
でも、同時に提示された記録によると魔法少女化したプレアデス聖団の皆にかなりの負担がかかっている
彼女達は「箱庭」の要だ
喪うわけにはいかない
敵は一旦解除して、その際に少女達の浄化を行う予定だ
辻褄が合う
罠かもしれない
でも、目的が決まっている以上は衝突は回避できない
ならば少なくとも自分達が有利な時に行動するのが肝要だ
皆に声は無かった
でも、既に答えは出ていた
選択を迫られているのは何も杏子達だけではない
純粋であるが故に仲間を裏切った一人も少女も今思い悩んでいた
アンゼリカ・ベアーズ地下
魔法少女たちの「安置所」
そこを訪れる影があった
プシュ・・・・
「あら?巴さん」
巴マミの前に先客がいた
否
マミは彼女に会うためにこの場所を訪れたのだ
「貴方も眠れないのかしら?マルティニックラムでもどう」
薄暗い部屋のテーブルの上には金髪の少女の言うとおり、褐色の液体をたたえたデキャンターとショットグラスが置かれていた
「私はいいわ真琴さん・・・」
「酒はいいわよ?単純に酔いに身を任せるもよし、酔いの中で自分のキモチに向かい合うのもいいわ・・・・単に酔っぱらってもそれはそれで得るモノがある」
そう言うと真琴はショットグラスに残ったラムを一息に飲み干した
「貴方の不安もわかるわよ・・・巴さん」
巴マミの表情は硬い
人という生き物は不可思議な存在だ
目的を成し遂げる為には自らが過酷な道を歩むことも、その際仲間を裏切ることすらも正当化することができる
しかし、その目的が目の前に現れた瞬間、人はそれを手に入れることに躊躇する
指揮官にとって一番厄介な時はその時だ
「臆病風に吹かれた」とでも笑い飛ばすこともできる
しかし、人間とは未知を怖がる生き物だ
飢えた皮膚病におかされた狼が「血を吸う怪物」に見え、高い樹の上にとまったフクロウが「三メートルの宇宙人」に思える
今彼女「巴マミ」が対しているのはそういった「未知」だ
未知を既知にするのは難しい
実際、敵と戦っているつもりが友軍と戦っていた、なんてことは戦史に山のように実例がある
だからこそ、真琴は彼女と話し合うことにした
「あの・・・こんな事を言うのは臆病でもなくて・・・・」
マミがボツボツと話す
この姿を見ればかつての仲間達はどう思うのだろうか?
頼りがいのある先輩
厳しくも優しい大人の女性
それらは彼女が自分の弱さを隠す為の仮面に過ぎない
寧ろ、マギカ・カルテットという砂上の楼閣が無くなった今の彼女が「本当」の彼女なのだろう
インキュベーターのやることは気に喰わない
しかし、彼女はそのお蔭であの地獄のような事故から生還できた
その事は彼らの善行といってもいいだろう
とはいえ、彼らはそうしようと思って助けたわけではないのだが・・・・
「あの事故当初に戻るのが怖いんでしょ?」
マミが事故と聞いてビクっとする
真琴が提示したシステムで魔法少女から少女に戻るということは、彼女自身を「事故当初の状態」へ戻すことを意味する
マミの中でインキュベーターの言葉がリフレインする
― 助かったかもしれないけど、今のようにはいかなかったろうね ―
彼女は「助かりたい」、「命を繋ぎ止めたい」との思いで契約した
それを「無し」にすることは再び生死の境を彷徨うことになる
「・・・・・・・」
マミが安置所に新たに設置されたソレを見る
幾つもの棘が内部に生えたソレはまるで「鋼鉄の処女」と呼ばれる、人間から鮮血を絞り出す処刑装置にも似ていた
だが、その役割は全く違う
これは命を「繋ぐ」ものだ
「あの装置は貴方を治療するための物よ。あの棘は身体を固定し自動的に輸血と薬剤の注入、そして麻酔を自動的に行う。貴方は寝ていればいい・・・」
「真琴さん・・・その際に記憶はどうなりますか?」
「恐らくは事故当時まで遡るわ。でも心配はないよ、こちらには紗々もいるし何なら記憶を改変してしまうこともできる」
「記憶を?」
「ええ。そうすれば、貴方は魔法も魔法少女も知らない普通の少女に戻る。後は自分の人生を楽しめばいいわ」
そう言うと真琴はラムをショットグラスに注いだ
「未知を怖がるのは人間の本質。だから貴方は人間らしい」
真琴は一気にラムをあおった
「真琴さん・・・私にもラムを・・・」
マミが言葉少なげにそう頼むと、真琴はショットグラスに少なめに注ぐと彼女に手渡した
「かくて、われらは今夜も飲む、たしかに芸術は永く、人生は短い。しかしこの一杯を飲んでいる時間くらいはある。黄昏に乾杯を! 」
「乾杯を」
そう言うと真琴とマミはショットグラスをかかげた
認定心理士として働き始めたから時間が取れなくなったなんて言えやしない・・・・