ニニィ   作:個人宇宙

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【08】日曜日

 

 

 利香にとって、今日のお使いは大きな冒険であった。

 お気に入りの帽子をしきりにいじりながら、利香は家への道を歩いていく。

 もう何百回と通ってきた道だ。このまま真っ直ぐ歩けば家には着くだろう。しかし、七歳の利香にとって、たとえここがどんなに慣れた道だろうと、大きな冒険をしていることに変わりは無かった。

 なぜなら、今日は初めて一人で買い物に出かけているからである。

 

 甘えん坊な性格のこともあり、外に出る時はいつも母親――もしくは中三の兄と一緒だった。しかし、今日は二人とも手が離せない用事があるらしく、母親は自分が行けないことを伝えて「利香ちゃん一人で頑張れる?」と尋ねてきた。

 当初は利香も真っ向から反対したが、母親にしぶとく説得され、しぶしぶ一人で行くことに決めたのである。

 

 一応、中三の兄は彼女のことをすごく心配してくれたが、「これも利香ちゃんのためよ」と母親に釘を刺されたため、やむなく退くことになってしまった。

 家からスーパーまでの距離は、およそ六百メートルほど。

 スーパーに到着するまでの間、利香は頭の中でひたすら好きなアニメキャラの言葉をリピートしながら、ゆっくりと道を進んだ。

 そして何とか到着した利香は、母親に頼まれたものをしっかりと買って、今まさに家に戻っている最中だった。最初はかなり心細かったが、ここまで来ると精神的にも多少の余裕が出てくる。利香は心の中で自分を励ましてくれたアニメのキャラに感謝をしながら、残り少ない道を進んでいた。

 

 家の手前には小さな公園があり、利香はそのまま通り過ぎようとした時だった。

 突然、強い風が吹いて、利香の帽子を吹き飛ばしてしまったのだ。

 

「あっ!」

 

 帽子はひらひらと飛んで、公園のベンチの前に落ちた。ベンチの前には帽子をかぶった少女が座っており、帽子に気付いた彼女はそれを拾い上げる。

 

「すみません!」

 

 慌てて公園に入り、少女の前まで駆け寄る。

 そして、その少女の姿を見て、利香は驚いてしまった。

 少女の髪は、クラスのみんなと違った色をしていたからである。帽子をかぶっていたので気付くのが少し遅れたが、きれいな金色の髪がはみ出ていた。

 今、利香が夢中になっているアニメの中にも、あんな髪をした女の子が出てくる。ちなみにその子が利香にとって、一番のお気に入りのキャラクターだった。

 

「気を付けるのよ」

 

 少女はそう言って、微笑みながら利香に帽子を返す。

 間近で見ると、髪だけじゃなく顔もすごくきれいで、利香の視線は少女から離れることができなかった。

 

「んっ、どうしたの?」

「あっ……ええと。お姉ちゃん、すごくきれいな髪だと思って」

「えっ?」

 

 少女は目を見開く。

 

「ねえ、どうやったらお姉ちゃんのような髪になれるの?」

「なれるって、これは生まれつきだから」

「じゃあ、生まれた時からずーっとその髪なんだ」

「そうね」

「いいなあー。うらやましいなー」

 

 利香は純粋に少女の髪がきれいだと思って、今の感想を述べた。

 しかし、ここで少女は困ったような顔をしながら自分の髪に触れる。

 

「そんなにいいかな、この髪」

「えっ? どうして?」

 

 様子がおかしいと思った利香は首を傾げる。

 すると、少女は微笑みながら、帽子をかぶった利香の頭にぽんと手を置いた。

 

「ごめんね。私、あんまりこの髪が好きじゃないの」

 

 微笑んでいるはずのに、少女の表情は全く笑っていなかった。

 

 ◇

 

 日曜の夕焼け空をぼーっと見ていると、妙に暗い気分になってしまう。

 その原因は非常に単純で、明日から仕事が始まるからである。明日からまた五日間仕事をしなければいけないと考えると、どうしても思考が後ろ向きに偏ってしまう。

 

 欲に言う『ブルーマンデー』の一種だが、働き始めて三年も経つのに、良央は未だにこの症状だけは改善されずにいた。もしかしたら、二度と治らない症状なのかもしれない。

 とはいえ、働き始めた頃に比べたらまだマシになった方だとも自覚している。あの頃の良央は月曜日になるのが嫌で嫌でたまらなくて、日曜日の夕方に意味もなく町中を自転車で漕ぎ回ったものである。そして、どんどん暗くなっていく空を眺めて、得体の知れない寂しさと失望感を抱いていたのだ。もちろん、今は自転車を漕ぎ回したりはしていない。

 

 良央はふーっと息を吐いて、スーパーまでの道を歩く。家でゴロゴロしても仕方ないので、今日はニニィと一緒に買い物に行くことにしたのだ。

 隣のニニィは、いつも通り地味な服と帽子をかぶっている。

 制服の時以外、未だにニニィが帽子を外して外に出る姿を見たことがなかった。

 

 ――もうちょっとおしゃれな服を着た方が、絶対に可愛く見えるんだけどな。

 そう思いながら、良央はスーパーへと歩いていく。

 何はともあれ、いずれはやってくる月曜日に絶望していても仕方ない。残り少なくなってきた日曜日を満喫していこうと良央は決めた。

 

 ※

 

 日曜日の夕方ということもあり、スーパーの中は混んでいた。

 入口からすぐ先にあるエスカレーターの前で、二人は手を振って別れた。

 

「じゃあ、また後でな」

「はい」

 

 ニニィは食品売り場のある地下一階へ、良央は雑貨売り場のある二階へと向かう。

せっかく二人で買い物に来たので、効率的に済ませようと、事前に家の中で買うものをリスト化しておいたのだ。

 二階に来た良央はニニィが書いたメモを見ながら、目当てのものを探していく。掃除用品、消臭剤、あとはニニィの希望でデザート用の皿も欲しいとのことだった。彼女がやって来てから、以前の生活では無縁だった雑貨品をよく買うようになった。

 

 最後の掃除用品をかごに入れて、良央はそのままレジに向かおうとする。

 しかし、その途中にある服の売り場に思わず足を止めてしまった。

 近所で最も大きいスーパーということもあり、ここは様々なレパートリーの商品が売られている。当然、服や靴といったファッション関連の商品も中に含まれている。

 

 何となく売り場に入ってみると、可愛い服を着たマネキンが多く並べられていた。

 良央は、とある一体のマネキンの前に立つ。服装は白のシャツに茶色のジャケットを羽織らせており、タータンチェック柄の赤いスカートを穿いている。その服装をニニィに変換させてみて、良央はうんうんと頷いた。

 結果は言うまでもなく、あんな地味な服よりこっちの方が断然可愛く見える。

 そもそも素材自体が飛び抜けて可愛いのだ。

 コーディネートさえ失敗しなければ、だいたいの服は似合うだろう。ニニィに今のところ付き合っている彼氏はいないようだが、こんな可愛い服を着たら、すぐに男の子が必死でアプローチをするだろうなと思った。

 

「よし」

 

 良央は決心した。

 いったん服の売り場を離れて、持っていた雑貨品の会計を済ませる。そして一階の入口付近に戻ると、すでにニニィが買い物袋を手に持っていた。

 

「全部買ってきたか」良央が問う。

「はい」

「じゃあ、ちょっとニニィに見せたいものがあるんだけどいいかな?」

「はい?」

 

 疑問符を浮かべるニニィを連れて、良央は二階の先ほどの服売り場へ戻る。

 そして、先ほどの服を着たマネキンの前へやってきた。

 

「この服、ニニィにすごく似合うと思うんだよな」

 

 ニニィは大きく目を見開いて、マネキンを凝視する。

 

「もし良かったら買ってあげるけど、どうだろう?」

 

 そういえば、こうやってニニィに物を買ってあげるのは初めてのことだった。

 しかし、彼女はうつむいたまま首を横に振った。

 

「いえ、気持ちはすごく嬉しいですけど、結構です」

「でも、絶対に似合う服だと思うんだけどな」

「あんまり、こういったことには興味が無いので……」

 

 頑なに断るニニィに、良央は唖然とする。

 まさか、ここまできっぱり断われるとは思ってもみなかった。女の子はみんな自分の容姿やファッションを気にしていると思っていたが、これは良央の偏見なのだろうか。

 

「そ、そっか。ニニィがそう言うなら……」

 

 しかし、納得がいかなかった良央はマネキンの後ろにある棚に目を向ける。そこには、カラフルな色をしたニット帽があった。これもまた、ニニィにとても似合いそうな帽子だ。

 

「じゃあさ。服はいいとして、あの帽子なんかはどうだろう?」

 

 ニニィはきょとんとした顔で帽子に目をやる。

 少し意地になっていた良央は、棚からニット帽を取り出す。

 

「そんな地味な帽子なんかより、絶対にこっちの方が似合うと思うんだけどな」

 

 言いながら良央はニット帽をかぶせようと、ニニィがかぶっていた帽子を取り上げる。

 しかし――。

 

「やめてください!」

 

 いきなり叫んだニニィが、すぐさま良央から帽子を奪い返したのだ。

 

「勝手に取らないでください!」

 

 そう言って帽子をかぶるニニィに、良央は体を硬直させる。

 周囲で買い物をしていた人たちも、何事かと視線を向けている。

 

「あっ……。え、ええと」

 

 我に返ったニニィが、すぐに頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい」

「あ……いいよ。俺もちょっと強引すぎたからさ」

 

 ショックを隠せないまま、良央はニット帽を棚に戻す。周囲の視線が気になったので、二人はそそくさと売り場を離れることにした。

 結局、そのまま一言も口を交わすことなく、二人は店を出た。

 

 何とも気まずい雰囲気だった。もともと口数の少ない子なので、普段からそこまでニニィと会話をしているわけではないが、とても気軽に話せる状況ではなかった。

 この生活が始まって、初めて見るニニィの怒った姿だった。驚きと困惑が大半を占めていたが、その一方でニニィもちゃんと怒るんだという奇妙な安心感もあった。

 すでに時間は六時を過ぎており、空は赤黒く染まっていた。

 

 部屋に戻ってきた良央たちは、それぞれの家事に取りかかる。

 ニニィは夕食の支度、良央は風呂の掃除だった。それが終わったら、少し早いけど買ったばかりのストーブを取り付けようと決めた。ボーッとしていたら、ネガティブな思考に陥りそうだったからだ。

 

 ――やっぱり、何か理由があるのかもしれない。

 

 良央は浴槽をシャワーで洗いながら思った。

 これまでの行動やさっきの言動からして、意図的にニニィはおしゃれな服を着ないようにしている。しかも、なるべく人前に金髪を見せたくないようで、だからさっき帽子を取りあげた時に激しく抵抗したのだ。

 単に、派手なファッションが嫌いだからなのか?

 それともコルケット一家ならではの古いルールがあるのだろうか?

 さすがに、それをニニィに直接質問するわけにもいかなかった。

 

「大叔父さんに聞いてみるしかないよな……」

 

 ピカピカになった風呂を眺めながら、良央は小さく呟いた。

 

 


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