制服を着たニニィは、呆然とした様子でその場に佇んでいる。
大きく息を切らしながらも、良央は苦笑しながら彼女に近づいていく。
「なんだ。信じられないような顔をしているな」
「よ、良央さん……。どうしてここに」
「不幸中の幸いって言うのかな。昨日の電話があった後、ケガしちゃってさ。今日の仕事は来なくていいことになって、慌てて東京に戻ってきたんだ」
「ケガ? じゃあ、その頭の包帯は……」
「心配するな。検査を受けたけど、異常はなかったよ。で、少し前に花蓮さんからもらった名刺に会社の番号があったから、ダメ元で電話をしたんだ。そうしたらちょうど花蓮さんが会社にいたから、ニニィがどこにいるか尋ねてみたら『南小滝橋にいる』って言ってくれてね。なんていうか、本当に運が良かったとしか言い様がないよ」
病院の先生からは、もう少し安静にしておいた方がいいと説得されたが、そこは強引に押し通すことができた。上司にも東京に戻っていいと、何とか許可を取ってくれた。
「利香ちゃんから伝言を預かってる。――怒ってしまってごめんなさいだって」
「利香ちゃん?」
「詳しい事情は知らないけど、とにかくそう伝えてくれって有野くんが言ってた」
「そう、ですか……」
風が吹いて、桜の花びらが散っていく。
ニニィは未だに戸惑った様子でこちらを見ている。
あまり時間は残されていない。良央は単刀直入に本題に入ることにした。
「実はさ。ここに来る前、家の方にも寄ってみたんだ。そしたら、いつもニニィが使っているレシピ本が全て置いてあってさ。あれ、間違って忘れたわけじゃないよな?」
ニニィはうつむきながら黙っている。
「あの本、久子さんが書いたレシピ本だろ? お前にとってはすごく大切なものだったはずなのに、どうして俺の部屋に置いてきたんだ?」
「そ、それは、その――」
「やっぱりわざとだったのか?」
「え、ええと……」
頬を桜色に染めながら、ニニィは何とか口を動かそうとするが、うまく言えないようで、口をもごもごとさせている。
その小動物みたいな姿は、れっきとした十五歳の子供である。しかし、その中には確かに大人の片鱗を感じさせる何かが漂っており、より一層、良央は複雑な気持ちを抱いてしまった。
でも、久子のレシピを置いてきた時点で、彼女の想いは紛れもなく本物なのだ。
桜が舞い散る中、良央は小さく深呼吸をする。
ついに覚悟を決めた。
「ニニィ。お前の気持ちはよく分かった。でも、今はその時じゃないと思う」
えっ、とニニィは大きく目を見開く。
「俺も含めて、もうちょっと立派な人間にならないとな……。だから、その時がやって来るまでにお互いに待っていよう。お前の覚悟は十分に伝わってきたから、俺の方からも大切なものをお前に託すよ」
そう言って、良央はポケットからある物を取り出した。
それは先ほど家に戻ってきた時に取ってきた、青色のペンダントだった。
「これ、母さんの形見のペンダントなんだ。昔、父さんから結婚祝いとしてもらったものでさ。離婚した後も大切そうに持っていたんだ。それなりに値段の張るものだから、少しニニィには重たい物かもしれないけど、今の俺の中ではこれが一番大切なものなんだ。だから――」
良央はそのペンダントをニニィの首に巻きつける。
「受け取ってくれ。今、俺にできる精一杯の気持ちだ」
その直後――。
突然、ニニィが歩み寄って、良央の体に思い切り抱きついてきた。
良央は大きく目を見開く。いきなりのことに対応できず、そのまま何歩か後ろに下がってしまう。
ニニィの体がどんどん震えてきて、目から大粒の涙が流れていく。
と、同時に抱きつく力がどんどん強くなっていく。
絶叫、に等しい泣き声が響いた。
それは、あらゆる感情を全て放出させんばかりの声だった。あまりの大きさに、周囲を歩いていた人たちも良央たちに顔を向ける。
「おい、ニニィ……。離せ」
だが、彼女は首を大きく振って、良央から離れようとしない。
「ニニィ! 離せ!」
「いやだっ……。いやだっ!」
「おい、ニニィ!」
「あっ、ああっ、ああああっ!」
あろうことか、ニニィはさらに抱きつく力を強くさせてきた。
すさまじい力だった。
何が何でも離してやるものか、と言わんばかりの力だった。こんな華奢な体のいったいどこにそんな力があるのか、良央は信じられない気持ちで一杯だった。
良央は一呼吸した後、体の力を緩める。
「ニニィ、待ってるよ」
そう言って、良央はニニィの頭を撫でる。
その時、強い突風が吹いて、桜の花びらが二人を覆うように舞い散っていく。その花びらたちは、まるで二人を祝福しているようでもあり、別れを惜しんでいるようにも見えた。
「またここで一緒に桜を見よう。なっ?」
良央は微笑みながら、彼女の頭に付いている桜の花びらを取った。
終
最後までありがとうございました。
後書きにつきましては活動報告に記載しています。よろしければ、そちらにも目を通していただけると幸いです。