二時を過ぎると屋台の出店も終了し、ぞろぞろ大勢の人が校庭の中心に集まってきている。中心には、三メートルほどの櫓がそびえ立っている。
いよいよフィナーレのどんど焼きが始まろうとした時だった。
「あら、もしかしてニニィちゃん?」
校庭の隅にいた良央たちの前に、眼鏡をかけた中年の女性が近づいてきた。
すぐさま、ニニィが驚いたように反応する。
「森永先生?」
「そうよー。卒業式以来じゃない。ニニィちゃん、すっかり綺麗になっちゃってー」
森永先生と呼ばれた女性は、良央たちに視線を巡らせる。
良央はすぐさま頭を下げた。
「初めまして。ニニィの親戚で古川良央と申します。で、こちらは友人の柳原花蓮さん」
「あら、そうなんですか。私は森永と言いまして、ニニィちゃんが五年生と六年生の時にクラスの担任をやってました。よろしくお願いします」
「ああ、先生だったんですか。こちらこそ……」
そして森永先生は再びニニィに向き合った。
「ニニィちゃん。いくつになったの?」
「もうすぐで十五です」
「あら、そうなると、もうすぐで中学卒業なのね」
「はい」
「やっぱり三年経つのって早いわねー」
何やら話が長くなりそうな気配があったので、良央はニニィに向けて言った。
「先に櫓の方に行ってるから」
そして良央は花蓮を連れて、どんど焼きの前までやってきた。
櫓から少し離れたところの地面には白い線が引いてあり、これより中は入ってはいけないようだ。良央たちから少し離れた場所では、地域の会長らしき人が挨拶の言葉を述べており、それが終わったらいよいよ点火になりそうである。
ともあれニニィがこの場にいない今、話の続きができそうだった。
「先ほど運命と言ってましたが、いったいどういうことですか?」
花蓮は固い表情のまま、櫓をじっと眺め続けている。
「花蓮さん?」
「……その前に、まずは良央さんに打ち明けなればいけないことがあります」
「なんでしょうか」
「私の祖父は、瀬名源二郎さんです」
一瞬、彼女が何を言ってるのか理解することができなかった。
会長の挨拶が終わり、いよいよ点火の瞬間が訪れようとしている。
「私の母は、源二郎さんと祖母との間に生まれた子供でした。しかし、母が生まれる前に、祖母はすでに源二郎さんのもとを離れておりまして、ニニィさんの祖父が紹介してくれたところで滞在していました」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
近くにいた何人かが怪訝そうな顔で良央を見るが、気にしている暇ではない。
「どういうことですか。花蓮さんのおじいさんが大叔父さんって――」
その瞬間、良央は新しい事実に気付いた。
「もし、それが本当だとしたら、俺と花蓮さんは親戚同士になるんですか?」
「厳密には、はとこ同士になりますね」
あまりのことに良央は愕然とする。
自分の隣にいる女性は赤の他人ではなく、自分の親族にあたるのだ。
線の内側に、長い竹の棒を握った小学生らしき少年が中に入ってくる。
竹の棒の先端には布が巻かれており、壮年の男性がその先端に火をつける。
「大叔父さんと久子さんの孫が、花蓮さん……」
良央は声に出して、何とか状況を整理する。
「大叔父さんと久子さんって、結婚してたんですか?」
「いえ、正式な婚姻届は出していないです。いわゆる事実婚みたいなものですね」
「このことを大叔父さんは知っているんですか?」
「知りません。私から打ち明けたことはありませんし、祖母は源二郎さんのもとを離れた時、まだ自分が妊娠していることを知らなかったようです。それからイギリスでひっそりと私の母を出産しまして、女手一つで育てたそうです。私がその事実を知ったのは、母が亡くなる直前のことでした。十三歳の時ですね」
「……孫だってことを、大叔父さんに伝える気はないんですか?」
「今のところはありません。もし、そんなことを言いましたら源二郎さんの寿命がさらに縮んでしまいますよ? なので、このことは他言無用でお願いしますね」
花蓮は微笑みながら、口元で人差し指を立てる。
頭がぐらぐらと揺れる感覚を抱きながら、良央は櫓に視線を戻す。
「あ、あはははは……」
今まで自分がアプローチしてきた女性は、実は自分のはとこだった――。
何とも言えない感覚が襲ってきて、思わず変な笑い声をあげてしまった。
少年が先端が燃えている竹の棒を、ゆっくりと櫓に近づけていく。
「源二郎さんが、コルケット一家と親しくなった経緯はご存知ですか?」
「ああ……。それは以前、大叔父さんから聞いてます」
初めて源二郎たちと出会った時のことが、頭に蘇ってくる。
「仕事の関係でイギリスに長期滞在することになりまして、その時に親しくなったと」
「その時、源二郎さんは祖母を半ば強引に連れてイギリスに行きました。祖母いわく若い頃の源二郎さんは本当に身勝手な性格だったようで、仕事は超が付くほど有能でしたが、それ以外のことは全く駄目な人間だと言っていました。イギリスでの二人の生活はあまり長続きせず、ある事件をきっかけに祖母は源二郎さんのもとを離れることになりました」
「ある事件?」
その時、櫓から灰色の煙があがって周囲が一斉に声をあげた。
「源二郎さんは私の祖母に隠れて、あろうことかニニィさんの祖母と親しい関係になったのです。その現場を何度も祖母は見ておりますので、確実な情報でしょう」
良央は言葉を失う。
あの堅物で真面目そうな大叔父が、昔はそんな人間だったとは意外だった。
しかも、その相手がニニィの祖母だったとは――。
櫓から噴き出る煙がどんどん多くなってくる。
「久子さんは、そんな大叔父さんが嫌になって出て行ったんですね」
「出て行った直後、傷心の祖母を助けたのがニニィさんの祖父でした。その方は祖母のため、友人が経営しているお店を紹介したそうです。当初は日本に戻る予定でしたが、新しい働き口を見つけた祖母はそのままイギリスに滞在することを決めたそうです」
「今度はニニィの祖父が出てくるんですか……」
良央はおおげさに頭を掻く。頭が混乱しそうだったが、何とか整理する。
「ニニィの祖父は、大叔父さんとニニィの祖母の関係は知っていたんですか?」
「さあ、どうでしょう。私もそこはよく分かりません」
「じゃあ、大叔父さんとニニィの祖母は結局別れてしまったんでしょうか?」
「それは分かりません。ただ、ニニィさんの祖父母は離婚をしておりませんので、お二人も親しい関係もそう長くは続かなかったのかと思います」
ここで良央は以前、源二郎が話してくれたことを思い出した。
ニニィの両親が事故で亡くなった直後、幼いニニィを育ててくれと頼んだのはニニィの祖母だったはずだ。
「でも、ニニィの祖母は大叔父さんにニニィを託しました」
「そう考えますと、別れた後も源二郎さんのことは決して嫌いではなかったんだと思います。細かいことは定かではありませんが、周囲の環境が二人の関係に歯止めをかけたのでしょうかね……」
いくら仕事で親しくなったとはいえ、どうしてニニィの祖母が赤の他人である源二郎に、自分の孫を育ててくれと頼んだのか以前から少し気になっていたが、今ようやく分かったような気がした。
煙が良央たちとは反対の方向に流れてしまい、その場にいた人たちが移動を始める。
良央は大きく息を吐いた。
「それにしても、花蓮さんと大叔父さんがそんな関係だったなんて……」
「まだまだ、打ち明けなければいけないことは沢山ありますよ」
彼女の言う通り、まだ本題に入り始めたばかりなのである。
花蓮は櫓を眺めながら言った。
「私が研究所に入れましたのも、ニニィさんの祖父の力が大きかったですね。先ほども言いましたが、イギリスの大学を卒業した直後に入りました。まあ、コネでの入所だったので最初は周りから嫌味をよく言われましたけど、そこは自分の実力で黙らせたつもりです」
「さすがですね……」
「入所した直後は様々なことが起こりました。まず、ニニィさんの祖父が亡くなり、その後にニニィさんの両親が難病の特効薬の開発に成功しました。実を言いますと、その時期にちょっとだけニニィさんに会っているんです。研究所の記念パーティーの時に、父親を盾にして怯えながら周りの様子をうかがっているニニィさんを励ましたことがあるんです。たしか、四歳くらいの頃ですね。ニニィさんは、すっかりそのことを忘れているようでしたけど」
花蓮は懐かしむように笑う。
その時、櫓から何かが破裂するような大きな音が響いた。
竹の破裂音である。節と節の間にあった空気が膨張して、竹を破裂させたのだ。あまりに威勢が良い音だったので、近くにいた子供がびくっと後ろに下がった。
「ニニィの両親はどんな感じの人だったんでしょうか?」
「父親は温厚な方でしたが、母親は少し性格に問題のある方でしたね……。実力や容姿は誰もが認めるお方でしたが、やや破天荒なところがありまして、よく周囲の人たちを困らせていました。実際に私も何度かお会いしたことありますが、突拍子のないことばっかり訊かれて、かなり戸惑ったのを覚えています。中には彼女を嫌っている方もいましたが、私にとってはあの性格だからこそ、あれだけ大きな功績を残せたのだと思いますけどね」
「それを聞くと、なんだか本当にニニィの母親なのか疑ってしまいますね……」
「顔は間違いなく母親似ですよ。性格の方は父親から譲られたのでしょう。そう考えますと、ニニィさんはお互いの長所を上手に引き継いでいると思います」
後方を確認すると、ニニィと森永先生はまだ会話の最中だった。
よく見てみると、森永先生が一方的にしゃべっており、ニニィは少し困ったような顔で相槌を打っている。彼女にとっては少し気の毒だが、今の良央たちにとっては好都合なことだった。
「話を戻しますが、ニニィさんの両親が亡くなったのは私が入所してから二年後のことでした」
花蓮の口調が急に重たくなる。
「二人とも信号無視の車に巻き込まれてしまいましてね……。即死だったようです。しばらくショックで、なかなか仕事に集中できなかったのを覚えています」
「ニニィが日本に行ったのは、その直後でしたよね」
「ええ。それは源二郎さんが説明した通りです。これは私の調査不足でしたが、その事故でニニィさんも亡くなったと勘違いしてしまいましてね……。生きていると知ったのは、祖母が病気で倒れた直後――事故から六年も後でした。上司に日本に行くことを相談した際、ニニィさんが日本人の養子となっていることを聞きましてね。それだけでもかなりの衝撃でしたが、それ以上に衝撃を受けたのはニニィさんの養父が、あろうことか私の祖父だったことです」
櫓から噴き出る煙がどんどん多くなっていく。
それに伴って、竹の破裂音もひっきりなしに聞こえてくる。
「すぐに日本に行きまして、祖母からニニィさんの面倒を見ることになるまでの詳しい経緯を聞きました。正直に言いまして、話を聞いた時は源二郎さんに対して猛烈に怒りが湧いてきました。学校でいじめられていたニニィさんの異変に気付かず、自分のことばかりに目を向けていたんですからね。もし祖母がいなかったら、ニニィさんの精神はそれこそ後戻りができない状態までになっていたかと思います」
櫓からついに火の手が見えてきて、周囲の喧騒が大きくなる。
「それからすぐに祖母は亡くなり、ニニィさんは一人になりました。とはいえ、その頃はニニィさんも立派な中学生になっておりまして、私の見た限りでは、だいぶ精神的に自立していました。さすがに祖母が亡くなった直後はショックを受けておりましたが、しばらくすると、また家のことを率先して行うようになりました。しかし、それで私の怒りが収まったわけではありません。私はどうしても源二郎さんが許せなかったのです」
櫓から出る火がどんどん大きくなっていく。
「はっきり言いますと、私は源二郎さん――いえ、祖父を一方的に憎んでいました。尊敬する人間の子供を、祖母を裏切った人間の許に置いてなどおけない。そう思った私は、どうすれば二人を引き離せるのかを考えました。そして考えついた結論が、ニニィさんをイギリスの研究所に連れ戻すことでした」
燃え盛る炎に照らされながら、花蓮は静かに話していく。目の前で燃えている炎は、まるで花蓮の感情を読み取っているかのように徐々に勢いが増している。
一連の話を呆然と聞いていた良央は、マフラーの位置を調整してから恐る恐る尋ねた。
「憎んでいた? ということは、今はどうなんですか?」
「今、ですか?」
花蓮は小さく笑って、どんど焼きから良央に目を向けた。
「それを言う前に、祖母が亡くなった後のことを話しましょう。ニニィさんが日本にいることを知った私はすぐにイギリスに戻って、長期で日本に滞在できないか交渉しました。ちょうど、その直前に日本にいる職員がイギリスに帰国するという話を耳にしまして、見込みがあると思い、交渉をしました。その結果、入れ替わりで私は日本に来ることになりました。そして、日本に来た私はニニィさんをイギリスに連れ戻すため、ひっそりと行動を始めました」
この時、良央の中であることが繋がった。
「もしかして花蓮さんだったんですか? ニニィに論文を出すように言ったのは」
「ええ。もう二年以上も前のことですね。源二郎さんとコンタクトを取りまして、そこで気になる話を聞きました。祖母が亡くなって以来、ニニィさんは病気の治療について強い関心を抱いているということです。さすが、医療一家の末裔と言った方がよろしいでしょうか。それを聞いて、私はすぐさまこんな提案をしました。費用が全て研究所が負担しますので、ニニィさんに専門的な勉強をやらせてみたらどうかという内容です。そうしたら、源二郎さんを介しまして、ニニィさんから『やりたい』との返事をいただくことができました」
「なるほど。あの膨大な量の本は、全て研究所が負担していたんですね」
ニニィの本棚には膨大な研究書があり、あれを揃えるにはかなりの金が掛かったはずだ。
専門家でもない源二郎が、ニニィのためだけに膨大な金を出していたのか疑問に思っていたが、それがようやく氷解された。
「それからニニィさんからオーダーを受けた書籍を届けたり、定期的に様子を見に行ったりしました。でも、その部分は私ではなく別の担当者にお任せしました。ニニィさんの祖母に対する思い入れが強く感じられたので、孫である私が出てきたら、ニニィさんが大きく戸惑ってしまうと思ったからです。来るべき時がきたらコンタクトを取ろうと考えていました」
「花蓮さんが初めてニニィに会ったのは、たしか去年の八月末ですよね」
「ええ。ニニィさんが良央さんの家に住み始めた直後にやって来ました」
花蓮は櫓に視線を戻す。
「それからニニィさんは、独学ながら驚異的なペースで実力を伸ばしていきました。最初は基礎的な内容の書籍を送っていましたが、徐々に高度な内容の書籍をオーダーするようになりまして、一年後くらいには初めて論文を書くくらいまでに成長しました」
「すごいですね……。さすがニニィと言いますか」
「正直に言いますと、予想を遥かに超える成長ぶりでした。当初はもう少し強引な手段を使って、ニニィさんをイギリスに連れ戻すつもりでいましたが、途中で日本の中学校を卒業した後、研究所に入れるように方針転換をしました。年齢のこともあり研究所からオファーの許可が降りるまでかなりの手間を要しましたが、無事に実現させることができました。源二郎さんの難病発覚が、ニニィさんの決断を後押しさせたのも一因としてありましたが」
難病と聞いて、良央は以前から気になったことを言ってみた。
「大叔父さんは自分の病気を知ってニニィを俺に預けましたけど、あれは大叔父さんの独断で俺にお願いしたんでしょうか?」
「半分、正しいと答えておきましょう。源二郎さんの難病発覚後、私はその治療のために我が研究所が関連する病院への入院を勧めました。しかし、源二郎さんはニニィさんに病気のことを知らせたくないと言ってきました。そこで、海外へ長期出張に行くと嘘をついて、ニニィさんを別の誰かに預けるのかどうかと提案しました。ただ、ニニィさんを誰に預けるのかにつきましては、源二郎さんの判断に任せました」
「ははは……。なるほど」
良央は思わず苦笑してしまう。
「これまでのことは、何から何まで花蓮さんが関わっていたんですね」
「疑問は晴れましたか?」
「ええ。だいたいは」
その時、突風が吹いて、煙と灰が一気に良央たちに襲ってきた。
焦げた匂いが鼻を刺激して、良央は思わずむせてしまう。
「急に風向きが変わりましたね……」花蓮が涙目になりながら言う。
「大丈夫ですか?」
「ええ。何とか」
ここで、背後から何者かが駆け寄ってくる足音が聞こえた。
やってきたのはニニィだった。ようやく先生との会話が終わったようだ。
「すいません。つい話が長くなりました」
「やけに遅かったな」
「昔の話に夢中になってしまいまして」
「そうか。こっちはもうすぐで終わりそうだよ」
「ああ、もう終わっちゃうんですか……」
ニニィは残念そうにため息を吐いてから、良央と肩を並べる。
――憎んでいた? ということは、今はどうなんですか?
結局、ニニィが来てしまったため、花蓮からさっきの質問の答えを聞くことができなかった。花蓮とは親戚の関係だったことや、ニニィをイギリスに行かせる計画が以前からあったことは驚きだったが、良央としては肝心なところが聞けなかったのが残念だった。
前方で燃えている櫓の勢いは、どんどん弱くなっている。気付いたらひっきりなしにあった竹の破裂する音も聞こえなくなっており、それはそれで寂しい気持ちになった。
良央はちらっと隣の花蓮を見る。
親戚同士とはいえ、ニニィと一緒にイギリスに行くことが決まっている以上、しばらく会えなくなってしまうのだ。
だったら、このまま黙っているわけにはいかない。
「花蓮さん」
「はい」
「さっきは簡単にしか言いませんでしたが、どんど焼きには一年の無事を願うだけじゃなく、実はいろんな意味が込められているんです」
「へえ……。例えばどんなことですか?」
母親が得意気に語っていたことを思い出しながら、良央は言った。
「正月に使った道具の中には神様が宿っていまして、それを燃やすことで、神様が煙に乗って天に帰っていくんです。だから、どんど焼きの火は『ご神火』とも呼ばれているんです。なんたって神様が関わっている火ですからね」
「それがどうかしましたか?」
「どんど焼きの火には、穢れを浄め、新しい命を生み出す力があるそうなんです」
花蓮は目を瞬かせる。
頭の中で言葉を選びながら、良央は続けた。
「これは俺の解釈なんですけど、つまり、あの火にあたれば、誰かを憎んでいたり恨んでいたりしていても、それを浄めて新しい自分になることができるんです。花蓮さんは、穢れを浄めることはできましたか?」
ここでようやく花蓮は良央の言いたいことに気付いたようだ。
ニニィは戸惑ったような表情になっているが、それはやむを得ない。
良央にとって、これが精一杯の問いかけだった。
「なるほど。穢れですか」
ここで花蓮はふっと微笑んだ。
「冗談はやめてください。穢れなんて、とっくの昔に無くなってますよ」
その答えは、良央にとって少し意外な回答だった。
「へえ、どういうことですか?」
「私が抱いていたイメージより、だいぶ違っていたからです。先入観というのは恐ろしいものです。百聞は一見にしかず、ですね」
それを聞いて、良央は源二郎と会ったばかりのことを思い出した。
喫茶店で初めて会った時、彼はいかにも厳格そうな雰囲気をまとった老人だった。
しかし、次の居酒屋に行った時は、自分の病気以上にニニィの今後を心配するようなことを言ってきた。良央にとって、大叔父の印象が大きく変わるきっかけだった。もしかしたら、花蓮も実際の源二郎に会ってみて、何かしらの心境の変化があったのかもしれない。
良央は隣のニニィを見る。
そもそも、この子がイギリスに行くのは源二郎の病気を治すためなのだ。
もし、源二郎が性格の悪い人間だったら、ニニィはきっと彼が病気になろうと日本に留まっていただろう。瀬名源二郎は、人見知りの激しいニニィが信頼を寄せている数少ない人間なのだ。
ここで初めて、良央の中で花蓮にニニィを託してもいいという感情が出てきた。
「そうですか。だったら余計なお世話でした」
「いえいえ。今日は誘っていただいてありがとうございます。イギリスに戻る前に、こんな素晴らしいものが見れて良かったです。どんど焼きですか――覚えておきます」
「花蓮さん。どうか、ニニィをお願いします」
良央はニニィの肩にそっと手を置く。
「この子はまだ十四です。良くできた子ですが、一人立ちするにはまだまだ早すぎる年齢だと思います。そんな彼女を連れていく以上、全力でサポートをお願いします。イギリスに行ったら、花蓮さんしかこの子の味方がいないんですから」
「ええ。そのつもりでいます」
「あと、連れていく以上、彼女の要望でもある、大叔父さんの病気の研究はちゃんと行ってください。最近まで縁がなかったとはいえ、瀬名源二郎はれっきとした俺たちの家族なんです。どうか、ニニィ――いや、みなさんの力で瀬名源二郎の命を救ってください。お願いします」
俺たち、の部分を強調して良央は頭を下げる。
その意味を察したのか、花蓮はふふっと笑った。
「そうですね。大切な家族ですからね。でしたら、曖昧な言葉はやめておきましょう。私たちの力で、必ず源二郎さんの病気を治してみせます」
そして、花蓮はニニィと目を合わせる。
「頑張っていきましょう」
「……はい」
ニニィはこくりと頷く。
その時、前方の櫓から大きな破裂音が聞こえて、思わず良央たちは驚愕する。
櫓のほとんどが灰となり、もう破裂することはないだろうと思い込んでいた良央たちにとって、それは予想外の音だった。近くで見ていた男性も「びっくりしたー」と呟いている。
しかし、良央はその音を肯定的に捕えることにした。
「花蓮さん。実は今の竹が破裂する音にも、意味が込められているんですよ」
「へえ。そんな意味ですか?」
「それは災いを退ける力です」
ここで良央は二人に笑顔を向ける。
「今日は嫌なくらい聞きましたからね。これで二人とも、イギリスに行っても無事に過ごせそうですね」
「それは心強いですね」
「機会がありましたら、また日本に来てください。日本には良いものがまだまだたくさんあります。もし良かったら、俺がいろいろ案内してあげますので」
「ええ。その時はお願いします」
――これが最後じゃない。最後じゃないんだ。
遠い親戚であると分かった今、これで花蓮と二度と会えないことはないだろう。
源二郎に会うまでは自分はこれから天涯孤独で過ごさなければいけないのか、と思っていたが、気付いたらこうして小さな繋がりが出来ている。
櫓の火は完全に消えて、周囲から自然と拍手が湧き起こった。