ニニィ   作:個人宇宙

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【11】再会

 

 

 どうして、こんな行動に出たのか自分でもよく分からなかった。

 

「お兄ちゃんと一緒に買い物なんて、けっこう久しぶりだよね」

「そうだな」

「でも、もうリカ一人でできるから、お兄ちゃんの助けなんていらないからね」

「そりゃ心強いな」

 

 嬉しそうに話しかけてくる利香に適当に相槌を打ちながら、俊樹は歩いていく。

 現在、彼は妹の利香を連れて、近くの大型スーパーに向かっている最中だった。ここ最近は妹に任せっきりだった買い物に、俊樹が行っているのは理由があった。

 

 それは昨日の夕食の時、利香と母親の会話を聞いたからである。

 要約すると、一昨日に母親がスーパーで買い物をしている時、金髪のすごくきれいな女の子が売り物の服をじーっと眺めているところを見たと話した。

 すると、利香が「そのお姉ちゃん見たことある」と答えて、二人で盛り上がったのである。

 

 言うまでもなく、その女の子はニニィ・コルケットのことだろう。

 小学三年の頃、俊樹は両親と一緒に彼女の家を訪れて、自分がやったことを謝罪した。

 しかし、結局ニニィ本人は現れず、代わりに彼女の養父が対応してくれた。だから、母親は十四になった彼女を見ても、それがニニィ・コルケットだと気付かなかったのだろう。

 母親の話を聞くと、つい最近になって見かけるようになったという。

 

 スーパーなら、またやってくる可能性がある。

 そう判断した俊樹は妹の利香を連れて、一緒にスーパーに行くことにしたのだ。利香は一度だけニニィとコンタクトしたことがあるので、利香がいれば、ニニィと会った時にも何とかなるかもしれないと思ったからである。

 スーパーは休日の夕方ということもあり、それなりに混んでいた。

 母親から渡されたメモを見ながら、俊樹はつぶやいた。

 

「ええと、歯磨き粉は何階にあるんだ」

「二階だよー」

 

 利香はエスカレーターを指差す。

 何度か一人でお使いをしたこともあってか、すっかりこのスーパーも慣れている様子だ。

 

「じゃあ、まずはそっちから行くか」

 

 そう言って、俊樹は利香と共に二階へ行った。

 

 ◇

 

 台所に置いてあるレシピ本を、良央はパラパラとめくっていく。

 今日の夕食のメインはエビグラタンだと言っていた。それは本の三十ページに記載されており、だから台所に置いてあるようだった。

 

 今、ニニィはトイレに入っており、その隙を突いて良央はレシピ本を見ている。

 この本に書かれてる文字が、ニニィのものではないことは先日分かっている。

では、これはいったい誰が書いたのか。先日、花蓮と源二郎から聞いた話から良央は、すでに一つの結論を導き出していた。

 それは、柳原久子である。

 傷心のニニィを救ってくれた久子は大の料理好きで、自分の持っている技術を全てニニィに教えたと花蓮は言っていた。つまり、このレシピ本は久子が書いたことになる。

 

 ――それにしても、びっしり書いてあるな。

 そう思いながら、良央はページをめくっていく。エビグラタンを例にしても、ホワイトソースの作り方だけで細かく書き込みがされており、久子の強いこだわりを感じる。

 ニニィがあそこまで美味しい料理を作れるのは、言うまでもなく久子のおかげであろう。残念ながら彼女は亡くなってしまったが、彼女の技術は確かにニニィに受け継がれている。

 その時、水の流れる音がしたので、慌てて良央は居間に戻る。

 トイレから出たニニィは、すぐにスーパーのチラシを鞄に入れた。

 

「行くのか?」

 

 はい、とニニィは頷く。

 良央は早速、三日前に通販で買ったばかりの冬物の上着に腕を通す。

 ニニィも黒の上着を着るが、帽子はかぶらなかった。

 あの焼肉以来、ニニィはなるべく帽子をかぶらずに外に出るようになっていた。

 決して怖い感情を克服したわけではなさそうだが、ニニィにはニニィなりのペースで頑張っているようである。服装に関しては相変わらず地味なままであるが、今は帽子をかぶらないだけで精一杯のようなので、そこに関しては何も言わないようにしている。

 スーパーに到着後、良央は「今日は何を買うんだ?」と言った。

 

「これに書いております」

 

 ニニィからメモを渡されたので、それを確認する。今日は品物は少なそうだった。いつもは手分けして買い物をしているが、これくらいならその必要もなさそうだった。

 良央とニニィは二階へと移動する。

 

 そして、衣類売り場を通り過ぎようとした時だった。

 数十メートル先、こちらに向かって歩いてくる二人の人間の足が止まった。

 視線を向けると、小さい女の子と少年の二人組だった。少年の方はニニィの歳とあまり変わらないようで、大きなビニール袋を二つ抱えている。

 ニニィの表情が固まったのは、その直後だった。

 それと同時に少年の方も大きく目を見開いて、こちらに視線を送った。

 

「あっ! 金髪のお姉ちゃんだ!」

 

 女の子がニニィに気付いたようで、こちらに駆け寄っていく。

 

「知り合いなのか?」良央が問う。

 

 しかし、ニニィは何も答えないまま、呆然と少年を眺めている。

 この瞬間、良央の直感が警告を発した。ニニィはどこか怯えきったような目をしており、対する少年も驚いたような態度を取っているのだ。

 

「アリノくん……」

 

 ニニィが震えた声を出す。普通の知り合いでないことは明白だった。

 

「お姉ちゃん。こんばんはー」

 

 やってきた女の子は、隣の良央を見て目を瞬かせる。

 

「お姉ちゃんの知り合い?」

 

 女の子はこくりと頷くが、その目は良央を警戒しているように見えた。

 良央は苦笑しながら、女の子と同じ目線までしゃがみこんだ。

 

「ああ、ごめんね。いきなり話しかけちゃって。紹介が遅れたけど、俺はニニィの保護者で古川良央っていうんだ。よろしくね」

 

 保護者と聞いて、女の子は首を傾げた。

 

「お姉ちゃんのパパ?」

「いや、パパじゃないんだけどね……」

 

 良央は後方の少年に顔を向ける。

 すると、少年も良央の視線に気付いたのか、すぐに目を逸らした。

 

「リカ! 悪い。俺、先に帰ってるから後は頼んだ!」

「えっ、ちょっとお兄ちゃん!」

 

 女の子が持っていたビニール袋を掴むと、そのまま少年は一階のエスカレーターの方へ向かってしまった。

 リカと呼ばれた女の子は困ったようにニニィに助けを求めてくるが、彼女は呆然と立ち尽くしたまま何も応じない。

 良央の直感が、このまま彼を逃がしたらまずいと囁いた。

 

 しかし、初対面の彼をいきなり追いかけてしまうのはどうだろう。

 そう判断した良央は、財布の中に入っていた会社の名刺を取り出す。そこには会社の電話番号だけでなく、仕事用で使っている携帯電話の番号も入っていた。

 

「リカちゃんと言ったっけ。ちょっとお願いを聞いてくれる?」

 

 良央はその名刺を利香に渡した。

 

「この紙をお兄ちゃんに渡してくれるかな? で、もし気が向いたら、そこに書いてある携帯番号に電話して、って伝えてくれるかな」

 

 リカは目を丸くさせる。

 もしかしたら、ニニィと何も関係ない可能性だってあるのだ。

 それなら名刺だけでも渡しておいた方が相手にデメリットを与えないし、うまくいけば相手から連絡が来るかもしれない。時間がない今、それしか思いつかなかった。

 

「ほら。早くお兄ちゃんを追いかけないと、はぐれちゃうぞ!」

「う、うん……。お姉ちゃん、ごめんね!」

 

 名刺を受け取ったリカは慌てながら、兄の後を追いかけていった。

 二人がいなくなった後、隣のニニィが大きく息を吐く。その額には汗が浮かんでいた。

 

「どうしたんだ。しっかりしろ」

「……なんで名刺を渡したんですか?」

「何となく。特に意味は無いよ」

 

 通路の真ん中で立ち往生していたので、良央たちは隅に移動する。

 

「アリノくんってさっき言ってたけど、その子と何かあったのか?」

 

 ニニィが少し落ち着いてきたのを見計らって、良央が問いかける。しかし、唇を舐めるだけでなかなか答えてくれない。余程のことが二人の間であったようだ。

 詮索するのを諦めようとした時、ニニィはぽつりと口を開いた。

 

「……実は、良央さんに重大なことを打ち明けなければなりません」

「えっ?」

「さっきの人……あの人は昔、私をいじめていたグループの一人です」

 

 驚きの気持ちが半分と、やっぱりなという気持ちが半分だった。

 ニニィが小学校時代にいじめられていた話は花蓮を通じて、すでに聞いている。

 しかし、ニニィの口からそのことを発するのがこれが初めてのことだった。ついに、自らの口で過去を打ち明ける勇気が出てきたようだ。

 良央はニニィの肩に手を置くと、前方にあるパン屋に目を向ける。このスーパーの二階にはパン屋が併設されており、中には喫茶店として利用できる席も設けられている。

 

「こんなところで言う話じゃないね。ちょっと場所を移そうか」

 

 ニニィはうつむいたまま首を縦に振る。

 そして喫茶店の中で、今度はニニィの口から小学校時代のことが話された。

 一部を除いて、ほとんど花蓮が言ってくれたことと同じだったが、言葉の節々からニニィの苦悩が感じられて、良央の胸の苦しさは増すばかりだった。

 

 ◇

 

「なんで? なんで、こんな数字になっちゃうのよー」

 

 算数のドリルを眺めながら、利香は独り言を漏らす。

 今、彼女は家の居間で学校の宿題をやっている最中だった。

 二学期の総復習として、九九の掛け算のおさらいをしていたが、どうしても分からずに苦戦をしていた。一年生の時にやった足し算とかはすぐに覚えられたのに、なかなか掛け算は覚えられずにいたのだ。周りの友だちはみんな九九の掛け算を言えているから、なおさら焦りは大きかった。

 

 窓の外を見ると、四時になったばかりなのに空はすっかりオレンジ色に染まっていた。この宿題を終わらせてから母親に頼まれていた物を買いに行こうと思っていたが、こうなってしまうと先に買いに行ったほうがいいのかもしれない。

 

 鉛筆を放り投げて、お使いの準備をしようとした時だった。

 玄関の扉が開けられる音が聞こえてきた。おそらく兄の俊樹だろう。母親は用事で出かけており、帰ってくるのは五時くらいになると言っていたからだ。

 兄が帰ってきたということは、宿題の分からないところも教えてくれるかもしれない。利香にとって、歳の離れた兄は心強い自分の味方だった。

 

「お兄ちゃーん!」

 

 叫びながら玄関まで駆けていくと、兄が険しい顔で人差し指を口元に立てていた。

 

「シーッ! 静かにしてくれ」

 

 どうやら、兄は携帯で電話をしている最中のようだった。

 

「ああ、すいません。で、何時にすればいいんですか?」

 

 利香が呆然とする中、兄は玄関で通話を続けていく。

 その顔はどこか緊張している様子だった。

 

「はい。大丈夫です。――じゃあ、今日の九時に中野坂上駅前で。――はい。もし遅れそうだったら、この番号に掛ければいいので。――はい。じゃあ、失礼します」

 

 通話を切った瞬間、兄は微笑んだ。

 

「悪いな。帰っている時、急に電話が掛かってきたもんで」

「……九時に待ち合わせ?」

「ああ。ちょっといろいろとあってな」

 

 その瞬間、利香の脳裏に日曜日のスーパーでの出来事が蘇ってきた。

 あの時、兄に追いついた利香はあの男の人が言った通りに名刺を渡した。

 記憶が正しければ『ヨシオ』という名前が書かれてあったような気がする。そして、気が向いたら携帯の番号に掛けてということもちゃんと伝えた。先ほどの丁寧な口ぶりからして、明らかに兄は友達や両親と話しているとは思えなかった。

 もしかしたら、あの『ヨシオ』という大人と電話していたのかもしれない。

 利香の心配そうな目つきに気付いたのか、兄は彼女の頭をそっと撫でた。

 

「そんな顔するなって。場所は中野坂上だし、終わったらすぐ帰れるから」

「会う人って、この前にスーパーで会った人?」

「おお。よく分かったな。その人だよ」

「何しにいくの?」

 

 突然、兄の顔が険しくなった。明らかに動揺している様子である。

 

「ちょっと謝りに行かなくっちゃいけないことがあってな」

「あやまる? お兄ちゃん、悪いことしたの?」

「……まあ、そうだな」

 

 ようやく兄は靴を脱いで家にあがると、そのまま自分の部屋へ向かう。

 

「まあ、そこまで利香が心配することはない。これは俺の問題だからさ。んじゃあな」

 

 軽く手を振って、兄は自分の部屋に入ってしまった。

 利香はしばらくの間、呆然と目の前のドアを眺めていた。

 兄は大丈夫だと言ってくれたが、やはり心配なものは心配だった。

 それにあの名刺を兄に渡したのは紛れもない自分なのだ。

 知り合いのお姉ちゃんと一緒にいたから平気だろうと思っていたが、まさか兄がそんな苦しんでるなんて――。利香は得体の知れない罪悪感を抱いた。

 

 気付いたら、すでに時計は四時十分を過ぎていた。

 このままボーッとしているわけにもいかなかったので、利香はそのまま買い物に出ることにした。宿題については、帰ってきたら兄に手伝ってもらえるようにお願いするしかない。

 家を出て、すっかり慣れた道を歩いている最中だった。

 途中にある公園のベンチで、あの金髪の女の子が座っているのを見つけたのだ。

 この前とは違い、黒の帽子はかぶっていない。

 視線に気付いたのか、女の子の視線が利香に向けられる。確か、名前は『ニニィ』と言っていたような気がする。

 

「ニニィお姉ちゃん!」

 

 利香が叫ぶと、ニニィがこちらに駆け寄ってくる。

 

「良かった。来てくれたんだね」

「えっ、どういうこと?」利香は首を傾げる。

 

 ニニィは、利香と目が合う高さまでしゃがむ。

 

「実はね。利香ちゃんが来るのをずっと待ってたの」

「えっ。どうして?」

「ちょっと利香ちゃんにお願いしたいことがあってね」

「お願い?」

「うん。お兄ちゃんのことでね」

 

 目をぱちぱちさせる利香に対して、ニニィは穏やかな口調で言った。

 

 


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