あなたに跪かせていただきたい、花よ
カール・クラフト
クラリッサは初めて一夏と会った時のことを鮮明に覚えている。
一夏の人柄が良かったということや、ISの教官であり友人である千冬から紹介を受けたことなど、様々な理由がある。だが、違和感を覚えたため、印象に残った。その違和感はとても酷いものだったが、クラリッサは気にしていなかった。だが、会えば会うほどその違和感が無視できないようなものになってきた。彼と初めて会ってから二か月が過ぎ彼と会った回数が数十回を越えそうになった時、彼女はその違和感の正体に気付いた。
“既知感”
彼と初めて会ったはずなのに、会ったような気がする。
彼とこんな会話をしたことがないはずなのに、彼とこんな会話をした気がする。
彼と出かけたことがないはずなのに、彼と何度も出かけた気がする。
彼の料理を食べたことがないはずなのに、彼の料理の味を知っていた気がする。
最初クラリッサは戸惑ったが、その既知感を嫌悪することはなかった。
何故なら、クラリッサは既知感の正体を理解したからだ。夜眠りについたときに見る夢に出てくる男性と彼があまりにも酷似していた。そして、夢の中の彼に酷似する男性は自分と親しい間柄だった。夢の中でクラリッサは彼と会い、似た会話をし、彼と出かけ、彼の料理を食べたことがあった。夢の中で経験したことがあるのだから、現実世界で既知感を覚えたのは必然である。そして、クラリッサは夢の中の出来事を鮮明に覚えていたからこそ、既知感の正体を理解できた。もし、夢の中の出来事を覚えていなかったならば、彼女は既知感の正体を理解できなかっただろう。
クラリッサは夢と現実で彼に会うことが好きになっていく。
今日は現実の彼とどんなことがあるのだろう。今日は夢の彼とどんなことがあるのだろう。起きる前と寝る前が楽しみで仕方が無かった。
夢の彼も現実の彼もとても優しかったからだ。
軍人になるべくして生まれた自分に彼は世間一般の女性に相応しい生活をさせてくれた。男性からそんな扱いを受けたことのなかった彼女にとって、それが何より嬉しかった。
だから、夢の中の彼の余命が少ないと知った時、彼女は枕を自分の涙で濡らした。
夢の中の彼をクラリッサは救おうと奔走するが、その努力もむなしく、彼も自分も命を落としてしまう。彼の不遇の人生を見たクラリッサは現実の彼に恩返しをすることで、夢の中の彼への償いをしようと考えた。
そう決心したその日、クラリッサは見てしまった。
夢の中の彼を殺し、死後も魂を束縛した槍。
そして、その槍の所有者の最悪の能力。
その光景を見た時、クラリッサは全てを否定した。
自分の目の前の光景は全て夢で、すぐに夢から覚めると、そう自分に言い聞かせる。だが、何時まで経っても夢から覚めよとする気配がない。これが夢であることを確かめるために、彼女は自分の頬を抓った。夢ならば痛みを感じないはずだ。だが、己の願いに反して、痛みがあった。これは何かの間違いで、痛みを感じるなどありえない。そう言い聞かせ、次は誰もいないトイレの壁を渾身の力で殴ってみた。鈍い痛みが拳から伝わってくる。クラリッサは痛みを打ち消すために、更に壁を殴る。いつまで経っても夢は覚めず、痛みが血まみれの手から伝わってくるだけだった。それでも手から伝わってくる痛みは胸を締め付けられる痛みに比べればなんてことはなかった。
これが現実ならば、あちらが幻想だったかもしれない。
クラリッサは自分の夢が架空の産物であったということを証明しようと夢の中の記憶を頼りに様々な文献を読み漁った。だが、一人で調べるには限界があったため、担当しているクラスの学生とその姉の助力を得て情報取集を開始する。姉妹は裏社会に精通していたため情報収集は容易だった。姉妹が集めた情報は自分の夢と整合するところが多かった。
櫻井という刀匠の一族。
末代の長男の名前は櫻井戒。櫻井戒の年の離れた妹の名前は螢。
戒は若くして死んでおり、死因は不明。
櫻井戒の友人であったドイツ女性将校の名前はベアトリス。風貌と年齢が一致せず、彼女も戒と同時期に亡くなっている。
クラリッサはこれの情報を嘘だと思いたかった。だが、それを否定するための情報を集めれば集める程、夢の内容が事実でないと否定できなくなってくる。
現実の彼は近い将来死んでしまう。
そんな現実を叩きつけられても彼女は絶望に染まることはなかった。
何故なら、現実の彼はまだ死んでいないからである。
死んでいないのなら救えるはず。そう信じて彼女は彼を救う手段を姉妹と共に探した。だが、夢と現実とでは状況が大きく異なったため、彼を救う手段が見つからない。それでも彼女は諦めず彼を救う手段を探し続けた。
だが、彼女の努力は報われることはなかった。
現実の彼は死んだのだ。
彼の死を知った彼女はあられもなく泣いた。
悔しく、苦しく、切なく、悲しかった。
感情は表に出せば出すほど、心が痛んだ。現実に生きることが辛くなるほど痛かった。
そして、安堵もした。
何故なら、夢の中では彼は死後屍兵となって魂が囚われていた。だが、現実には死後も彼に槍を持たせ続けさせようとする存在が無い。だから、彼の持っていた槍を最後に壊せば、彼に安らかな死を与えられる。彼女はそう考えていた。
葬儀中に彼が起き上がるまでは……。
「また私は彼を救えなかった」
悲しみで張り裂けそうな胸を抑えながらクラリッサは無意識に呟いていた。
自分の呟きに彼女は違和感を覚えた。何故なら、彼女は“救えなかった”と言ったからである。夢とは見せられる物であり、夢の中で自発的な行動など無理である。なのに、彼女は夢の中の彼を救おうと翻弄したという意識があった。眺めていたのではなく、自分で動いたという自覚がある。ならば、クラリッサのこれまで見てきた夢はただの夢ではない。
では、彼女はどのような夢を見ていたのか。
予知夢?……時代背景から考えて、あの夢は過去の出来事であったのは明白であった。
ならば、クラリッサは過去に自発的に夢の中の彼を救おうとした現実を体験したことがあるとしか考えられなかった。だが、クラリッサはクラリッサとして、夢の中の彼を救ったという現実を体験していない。つまり、あの夢はクラリッサがクラリッサでない過去の出来事ということになる。それを表す言葉をクラリッサは知っていた。
“前世”
前世の出来事を夢で見たと傍から聞けば、正気を疑われるだろう。
だが、それ以外に説明しようがなかった。
そこで、彼女はおそらく自分と同じ記憶を持っているであろう彼に鎌をかけてみた。
「今度こそは…今度こそは貴方を救ってあげるから……戒」
彼女の言葉を耳にした彼の表情が微かに変わった。
それまで無表情を貫いていた彼が動揺したのか歯を食いしばっていた。近くでじっくり見なければ分からないほどの変化であったが、彼女にはそれが分かった。
そして、数秒後、聞いたことのある台詞が返ってきた。
『君ガ僕ニ気ヲ使ウノハ、有リ難迷惑ダト言ッテイルンダ……ベアトリス』
彼は自分を大切にしてくれる。だが、己を犠牲にしてでも自分を大切にしようとする。
彼を救いたいという気持ちを踏みにじってでも自分を救おうと善意を押し付けてくる。
彼が嫌いでもあり、好きでもあった。
そんな彼が嫌いでもあり好きでもあるという気持ちは今でも変わっていない。
そして、彼を救いたいという気持ちも。
「何が――有り難迷惑……ですって?」
だからこそ、あの時と同じようにクラリッサの気持ちも高ぶってしまう。
冷静にならないとと自分に言い聞かせるが、彼の今の姿を見るだけで、押さえつけようとする気持ちが溢れ出てしまう。結果、冷静になれず、あの時と同じ言葉を返してしまう。
『違ウノカ?』
彼女に帰ってくる彼の言葉もまたあの時と同じものだった。だが、自分と違って彼の口調は淡々としていた。彼の内心がどのような物なのかは不明だが、彼は冷静そのもので、わざとあの時と同じ言葉を返しているのだとクラリッサは感じた。
これでは、あの時と何も変わらない。流れを変えないと結末まであの時と同じになってしまう。そう考えたクラリッサは会話の流れを変えようと熟考し、言葉を選ぼうとするが、彼を説得させられる言葉が出てこない。自分が馬鹿で言葉足らずだということをクラリッサは理解している。彼は頑固で自分理論を徹底して貫く人だからだ。もし、自分の思い通りになる人だったら、あの時あんなことにはならなかっただろう。
「違うわよ!」
クラリッサはプラズマ手刀を展開すると、遺体(一夏)に斬りかかる。
至近距離での瞬時加速、常人なら対処できない攻撃。
だが、遺体(一夏)は常人ではなく、屍兵だ。
遺体(一夏)はクラリッサの攻撃を脅威と見ていないのか、無表情のままクラリッサの攻撃が当たる寸前で横に移動することでクラリッサの攻撃を難なく躱した。
躱しただけではクラリッサが更に攻撃してくると読んだ遺体(一夏)は、偽槍を振るいクラリッサの背後に追撃する。偽槍の攻撃を受けた場所は右のスラスターの一部だった。偽槍の腐敗毒はスラスターに浸透し、使用が不可能となる。このままでは腐敗毒がISの装甲全体に及んでしまうと判断したクラリッサは右のスラスターを切り離す。右のスラスターを失ったことにより、このままでは空中で体勢を維持することができなくなり徐々に降下していく。だが、クラリッサは重心の位置を変え左のスラスターの出力を上げることで対処した。
クラリッサは反転し、再び遺体(一夏)に攻撃を仕掛けようとする。
だが、
「はーい、時間切れ」
遺体(一夏)が開けた天井の穴から一体のISが入ってくる。そのISは嘗てクラス代表戦で乱入してきた無人機と姿が似ていた。無人機はクラリッサの前に立ちはだかると、右手の甲にある砲口からエネルギー弾をクラリッサに向かって放つ。
頭の中が戒のことで一杯であったクラリッサは突然の乱入者に対処できず、砲撃を受けてしまう。不意打ちを受けたクラリッサは墜落する。だが、床に叩き付けられる寸前で会場からの避難誘導を終わらせた楯無がクラリッサを受け止めたため、彼女へのダメージは無かった。
「ハルフォーフ先生、大丈夫ですか?」
「私は大丈夫です。それより、戒が!」
「お気持ちは分かりますが、先生のISの損傷具合、こちらの戦力、織斑君の力量、増援までの時間から……」
「でも!」
クラリッサの反論を遮るかのように、無人機が再び砲撃を開始する。
砲撃の激しさは先ほどの不意打ちより激しいものだった。
無数のビームが会場の床や壁や柱を抉っていく。建物の支柱が破壊されたことで、建物は崩壊し始める。
何故なら、クラリッサと楯無に砲撃をしてきた無人機は一機ではなかったからだ。
天井の大穴から次々と無人機ISが下りてくる。最終的にクラリッサと楯無に砲撃をしてきた無人機は五機となった。クラリッサと楯無は遺体(一夏)を救出しようと無人機の攻撃を回避しながら遺体(一夏)の元へ向かおうとする。だが、あともう少しのところで死角からの無人機からの近接攻撃を受けてしまい、手が届かなかった。
数分後、箒達を避難させていた簪やIS学園の教師部隊がクラリッサと楯無の援護に駆けつけるが、無人機を倒し終わったころには、遺体(一夏)と束の姿は無かった。
「戒」