ウツギ研究所は閑かだった。
まだ主人であるウツギしか起床しておらず、生活音が無に等しいからだろう。おまけにナユタはエンジュへ出発したらしいので絶好のチャンスだ。
足音は立てない。
隠密に、慎重に。
サカキに叩き込まれた技術は皮肉にもこういうところで役に立つ。あの頃は嫌々だったが、今なら感謝すべきだろうか。
ーーー否。
ーーー『弱さ』は罪、滅ぼすべきもの。
そのためにも一刻も早くポケモンを盗み、ナユタを倒さねばならない。
逸る気持ちに反比例して行動は慎重になっていく。
無防備にも玄関にかけられていた合鍵を使って研究室に侵入する。シルバーがかつて入ったロケット団の研究室は薬品臭かったが、こちらにその気配はない。
シルバーが今から盗むポケモンたちに配慮したのだろう。
ワニノコ、ヒノアラシ、チコリータ。
皆ボール内ですやすやと寝息を立てている。
シルバーとて強欲な男ではない。育成をも考慮すると、やはり盗むのは1匹に絞られる。
3匹のデータはあらかた集めたが選びにくい。チコリータとヒノアラシであれば【ねむりごな】、【えんまく】で追手や警備員を撒ける、が。
「必要なのは『強さ』。ちょこまかと小賢しい技なんて、オレには必要ない」
手に取った途端、そのポケモンは目を覚ました。
あとはこいつを鍛え、ナユタを倒すだけ。
あの時奴が盗聴器をポケットに入れたのは宣戦布告の意味があったのだ。無論今は着替えただろうから、その盗聴器の電波を辿ることはできない。
だがそれすらも奴からの挑戦状と考えたシルバーは、机上にあったウツギのポケギアを手に取った。
これが受信する電波を元にナユタを追おう。
『弱さ』の幻影を潰すため、シルバーは1つのモンスターボールを手に、静かに去っていく。
ウツギが研究所から消えた2つの存在に気づくまで、あと20分。
***
ただいま29番道路にてポケモンを調査中である。ゲームでは精々オタチやホーホーなどしか出てこなかったが、現実(?)はやはり違いがあるらしい。
なんといきなりオオタチからヨルノズク、更にはレディアンなどと、進化系まで一挙に登場という大盤振る舞いだった。
生でポケモンを見られて嬉しい。もちろん本来の仕事も増えたものの、地道な作業が好きな俺には楽しみの一つである。
シュンギク、アカマツ、オオイヌフグリ……。
自然に生えているのは元の世界と大差無いものだ。
ちなみに、博士がくれたカメラは写真を撮った際、被写体がどのような植物なのかを瞬時に弾き出してくれるという何とも近未来的な道具だったことが判明した。そもそもポケモン図鑑だって元の世界の科学技術では作るのは難しそうだから、ポケモンの世界は色々と進んでいるのだろう。
何故ポケモンの世界の文字が読めるんだ、なんて質問が飛んできそうなので答えるが、『なんとなく読めるから』としか言いようが無い。
俺自身驚きだが理屈はよくわからない。「なんで俺ってば字が読めるんでしょう」と誰かに質問したとしても、単なるお気の毒な人としか認識してもらえないと思う。
一方アマタは1匹で修行のようなものを始めた。青い気体に身体を包み込ませ、宙に向かってゆっくり拳を突き出す。ポケモンにも独自の流派やなにかがあるのだろうか。
生憎ポケモンの言語はわからないし、邪魔されて憤慨したアマタに殺されかけないので遠慮しておく。
「はあ……」
俺が脈絡もなくため息を吐いたのはカメラのせいだ。
いつの世もカメラのシャッターボタンは右側にある。しかし俺は右手が封鎖されているので使えない。
うーむ……不便。
ちら、と視線を左に流す。
本当に意味はなかったが、素敵なものを見つけることができた。
ーーーサクラソウだ。
サクラソウとは元の世界でいうなら日本や朝鮮半島などに分布する多年草だ。特に日本では自生しているものは珍しく、現在は観賞用の品種が大部分を占めている。
(そういえばこのカメラってフィルム数何枚なのかな)
だいぶ撮ったから、限りがあるならあと1、2枚くらいだと思う。
(サクラソウにそれを使うか……んー、でもまだ向こうの方とか撮ってないし)
迷う。サクラソウをじっと見つめながら思考をする様は、傍から見ればかなりシュールである。
ウツギ博士に聞いてみればいいかな……あ!
「……ウツギ博士か、盲点だったな」
一度戻ってウツギ博士に聞こう。気づけば早いことだった。くるりと背を向け、ワカバタウンへ戻ろうとする。
「アマタ」
一旦帰ろう、そう言いかけたら背後で爆発音が響いた。
***
シルバーは心の内で悪態をついた。
というのも、自分の居場所がすぐに見破られたからだった。
ナユタの眼はちょっとやそっとでは誤魔化せない。小細工などあってないようなものだ。そこでシルバーは野生のホーホーを捕獲し、【さいみんじゅつ】を発動させた。
【さいみんじゅつ】は通常相手を眠らせる技として使われるが、本来は『相手の思考を鈍らせる』効果がある。
ポケモンバトルでの【さいみんじゅつ】は、脳が急激な思考力の低下によって一時的に『睡眠状態』だと勘違いして生まれた、いわば副産物だ。
事実を知るトレーナーは数少ない。その上教え込むのは大変厄介であった。
このホーホーが本来の意味での【さいみんじゅつ】を使えるよう短時間で鍛えたシルバーは、素晴らしい育成センスの持ち主と言えよう。
閑話休題、シルバーは【さいみんじゅつ】の本当の効力を用いてナユタの目を欺こうとーーー正確にはナユタの自分へ対する認識力を低下させようとーーーしたのだった。
だのに、何故⁉︎
「はあ……」
ナユタは小さくため息をついて、その目玉でシルバーを捉えた。まるで児戯に仕方なく付き合っている親のような態度だ。
シルバーは怒りと焦り、そして恐怖を覚える。
【さいみんじゅつ】を使ったのに、何故だ⁉︎
「……ウツギ博士か、盲点だったな」
ナユタの口から抜け出てくる言葉を耳にすると、わなわなと身体が震えた。
こいつは何処まで自分の策を見破るのだ、と。
自分と歳の差は感じない。なのにナユタは数歩先へ進んでいるような気がした。そう思ってしまったための自己嫌悪がどこからともなく湧き出てはやり場に困り、ギリギリと歯ぎしりした。
それを抑えることもせず、濁った目玉と視線を合わせ続ける。
だがその状況がいつまでも続くわけでもなかった。
なんと、ナユタから目をそらしたのだ。興味がないという風に自分から背を向けて………、
(ーーーオヤジっ‼︎)
3年前、自分をおいて何処かへ去って行った父の姿がオーバーラップした。
シルバーは待て、と叫ぼうとして駆け出す。
「アマタ」
『アマタ』と名付けられたリオルがこちらに向かってくる。お前がその気ならと、シルバーもモンスターボールに手をかけた。
しかしアマタの方がコンマ数秒、シルバーよりも素早く戦闘態勢に入った。
(ーーーしまった‼︎)
シルバーは次に来るであろう痛みに備えて目を瞑る。
瞬間聴こえてきたのは爆発音。大量の痛みが身体を蝕み………?
「……?」
痛みはない。背後からくる爆風は先程の爆発音が嘘ではないと語っている。
不思議に思ったシルバーが振り向く。
「……っちぃ、奇襲失敗だぜ。昨日のお返しをしてやろうと思ったのによぉ」
見えたのは凛とした態度で地に立つリオルと、宙に浮いているマタドガス。そしてマタドガスの持ち主である黒ずくめ。胸元に大きくプリントされた『R』の文字が目立つ。
……こいつは。
「ロケット団………‼︎」
ポケモンマフィア、ロケット団。
『弱さ』、父の幻影。
認識したシルバーはポケモンを繰り出した。
「『ワニノコ』ッ、【かみつく】攻撃‼︎」
ウツギ研究所より盗んできたおおあごポケモン『ワニノコ』は大きく口を開いた。垣間見える鋭く大きな歯はマタドガスでなくロケット団員を噛みつかんと向かう。
「? なんだお前?」
「……ッ、ワニノコ、もう一度‼︎」
団員はそれをヒョイと軽く躱す。それに対し更に怒りを膨らませたシルバーが、再度ワニノコに命じる。だがそれを団員が避け……。
幾度か繰り返される行為に醒めた団員はマタドガスに目配せした。
「お前が誰かは知らねぇが……」
するとマタドガスの身体がぐんと膨らむ。
小刻みに揺れる様子に、シルバーはとある技を思い出しワニノコに指示を仰ごうとしたが、時すでに遅し。
「邪魔する奴はぶっ殺す!」
マタドガスの口から黒い塊が吐き出される。【ヘドロばくだん】だ。それは弧を描きワニノコへ飛んでいく。
ワニノコは初めて見る技への驚嘆と伴う悪臭に混乱し硬直した。
黒い塊はどんどんワニノコに近づき、シルバーは自分がロケット団員に負けたという事実を認められずに茫然自失としてしまっている。
オレの、負け。
ロケット団は『弱さ』の証だ。だがそれに負けたオレはなんだ?
「あ………」
弱い。
オレが、弱い?
「ああ……………」
今までシルバーを構築していたものが崩壊し始める。うずだかく積まれた石の山は簡単に崩されてしまう。
そして、強烈な悪臭と爆風が辺りを包んだ。
地面は砕け、草木は毒により枯れる。
やがて宙を支配する砂埃は消え失せ、変わり果てた地面が姿を表した。
「……わ、ワニノコ?」
シルバーはすぐに異変に気付いた。一変した景色の中にワニノコの姿が見えなかったからだ。
左方、右方、上方、下方……、どこにも姿は無い。
見失ったのは相手方も同じで、ロケット団員とマタドガスもキョロキョロと辺りを見回している。
まさか塵芥がごとく粉々にされてしまったのか?
シルバーの困惑は、ほんの数秒で打ち消されることとなる。
ーーーそんな考えを打ち破るように、青い影が草陰から飛び出してきたのだから!
「【でんこうせっか】か!」
ロケット団員が悔しそうに言い放つ。一瞬何が起きたのか理解できなかった、だが徐々に事の次第がわかり始めたシルバーの足元に、影は駆け寄ってきた。
「リオル……⁉︎」
リオルはシルバーを見やり、抱きかかえていたワニノコをそっと地に下ろす。
いつの間にか隣に並んでいたナユタが呟いた。
「アマタ、もう1回【でんこうせっか】で距離を詰めて」
ナユタの指示にリオルは迅速な反応を見せた。まばたき程の時間の内でマタドガスとの距離を詰める。【でんこうせっか】の名にふさわしいスピードだ。
「クソッ、【ダブルアタック】‼︎」
「【はっけい】」
抑揚の無い声は激しいバトルを展開させる。
リオルの接近により【ヘドロばくだん】の構えに入る時間が無い今、マタドガスに残されたのは物理攻撃のみだった。
仮にも進化系だ。リオルならば簡単に捻り潰せる。
「馬鹿め! 物理攻撃ならーーー」
こちらが押し負けるわけが無い‼︎
続けようとして、口をつぐんだ。
大きな物体が目の前を通過したのだ。
物体は周囲の木々をへし折り地を抉る。ようやく静寂が訪れた頃、二つの足で凛々しく立っていたのは。
「リオ、ル」
シルバーは愕然とした。それはロケット団員も同じだったが、シルバーの場合は意味が違った。
ナユタとリオルのコンビネーションがこれまで見てきたどのトレーナーよりも素晴らしかった、その驚きに対するものだったからだ。
「……アマタ」
「ひぃっ、許してくれっ‼︎ もっ、もうお前らを襲ったりしねぇからっ!」
ナユタの呼びかけに応じ、リオルは戦闘態勢を解く。
ロケット団員はすっかり萎縮し、マタドガスをボールに戻した後逃げて行った。
シルバーは惨めな思いを胸に、ナユタに声を掛けた。
***
「………おい、お前」
誰かに呼ばれて目を覚ます。
先程の爆発音と物凄い悪臭に気絶してしまった俺を介抱してくれた人だろうか。
声がある方に頭を向ければ、何やら見覚えのある少年が。
「なに?」
無茶苦茶目付きが悪く、赤い髪は毒々しい。しかしただの不良少年かと言われればそうではない。単に機嫌が悪いのだと思われる。
それもそうだ。見ず知らずの子供が立ったまま気絶していたんではさぞかし介抱しづらかったろう。
「何故助けた⁉︎」
いきなり胸倉を掴まれて驚く。
この少年、チンピラ予備軍なのかもしれない。親の顔が見たい。
というか、『何故助けた』?
少し理解できないが、つまりは『何故(オレがお前のことを)助けた(のかわかるか)⁉︎』ということか。子供にありがちな言葉が足りないタイプだな。
「……そのままだと迷惑だから」
道端で突っ立ったまま気絶している子供とか通行の邪魔以外の何物でも無い。この赤髪の少年にも迷惑を被ったのかと思うと自分の無神経には泣けてくる。
少年は肩を震わせて大きく深呼吸を繰り返している。俺が素直に罪を認めたので、溜飲を下げていると見えた。
意外に良い子でホッとした。
そういえば、この子はこの世界での俺より背が高い。高身長は女性にモテやすいらしいから羨ましい。
俺の視線に気付いた少年は、胸倉を離し目を背ける。
「……いつか、追い抜いてやる」
『いつか(お前の身長を)追い抜いてやる』?
いや、キミの方が高いのでは。
逆らえば何をされるかわからないので黙りこくる。
「……いつか、絶対………」
ぶつぶつと呪詛のように呟きながら少年は去っていく。後に続くのはワニノコで、歩幅が合わず大変そうだった。
アマタはいつのまにか擬似修行を辞め、すっかり旅支度を整えていた。
もう二度と会うことは無いであろう少年の背を眺めながら、俺達も先へ足を踏み出した。
(そーいえばウツギ博士に用事があった気が……まあいいか。忘れるってことは、そんなに重大なことじゃ無いんだろうな)
あと、あの悪臭と爆発音は何だったのだろうか。
野生のポケモン同士の衝突だったのであれば、一目見ておきたかった。
名残惜しく思いながら、俺とアマタは29番道路を後にした。
シルバーの中ではもはや人間を辞めているナユタであった……。
※ナユタのアマタに対する指示は寝言です
シルバーはワニノコを手に入れました。ポケスペと被ってしまうのですが、ヒノアラシは熱血漢、チコリータは乙女という先入観が作者にはあるので消去法。ごめんなさい。
次回あたりには新たな仲間を増やす予定……。