10年前。
世界を震撼させる事件とともに、IS――インフィニット・ストラトスは、歴史の舞台に鮮烈デビューを果たした。
既存の科学では解明できないオーバーテクノロジー。速い・強い・硬いの3拍子揃った驚異のスペック。
軍事利用が禁止され、主な使い道がスポーツの道具となってからも、その存在が世間に与える影響は凄まじく。
昔は男女平等なんて謳っていた世界は、今や女尊男卑に染まり始めてしまっている。
……もっとも、僕自身はこれ以上女性優遇が進むとは思っていないんだけど。だって世の中そんなに単純じゃないし。喧嘩が強いだけで威張れるのは中学生までなのと同じだ。
けれども、あくまでそれは僕の想像。実際にどうなるかは、神のみぞ知るというやつかな。
「さて、授業はあと30分で終わりなわけだけど……眠そうにしてる人もいるし、ちょっと雑談でも挟もうかな」
とはいえ、やはりISそのものが素晴らしい価値を持つことに変わりはない。
そしてこの学園の生徒の大半は、将来そのISに関わる仕事を選択しようと考えてここに通っている。
彼女達にとって、最も優先して学ぶべきなのはISのこと。当然、社会科をはじめとした一般科目は二の次になる。
「君達の中にはこう思っている人が必ずいるだろう。社会科の勉強なんてする必要ない、この時間をISの勉強とかにまわした方が有意義だ、と」
一部の生徒の肩がぴくんと震える。心当たりのある子達だろう。
他のクラスの初回授業でも同じ話をしたのだが、この4組が一番そういう子が多いようだ。
……たとえば、授業開始からずっとキーボードをカタカタ揺らし続けている眼鏡のあの子とか。あれだけ熱心にモニターに打ちこむほどの量の言葉を僕はしゃべっていない。
「普通の高校生ですら感じることだからね。IS学園の生徒である君達ならなおさらだ。そして、その気持ちも僕はよくわかっているつもりでいる」
いらぬお節介かもしれないが、僕なりに一生懸命職務に励むと約束したんだ。言うべきだと思ったことは言っておこう。
「これは年上からのアドバイスだけど、学びたいことを学んでいるだけじゃ人は生きていけない。世の中複雑だからね、いろいろな知識が必要になる。いつ何が役に立つのか、わからないものなんだ」
たとえば、会社の取引先の重役が三国志マニアで、世界史の勉強を頑張っていたおかげで話が弾んだ――そんなことを、酒場で会ったお兄さんが話していたことがある。
これはちょっと特殊な事例かもしれないけど、つまりはそういうことなのである。
「本当に好きなことだけやっていてうまくいくのは、それこそよほど運がいいか、よほどの天才なのかのどっちかなんだ」
ほぼ全員が、黙って僕の顔を見ている。それなりに真面目に話を聞いてくれているようだ。
とはいえ、あまり熱を入れて語りすぎても逆効果になる。ここらでおしまいにしておこう。
「ついでに言うとね、博識な女の子はモテるよ?」
「先生、急に話がスケールダウンしてます」
「いやいや、大事なことだ。独り身は辛いよ?」
おどけた調子でそう言うと、爆笑とまではいかないにしても笑い声が返ってきた。
だだ滑りにならなくて一安心。
「あと字がきれいな女の子もモテる! だからこの授業はキーボードではなくノート推奨です」
後ろの方の席を確認する。さっきの眼鏡の子も、空中投影ディスプレイを消してキーボードをしまってくれていた。
名簿で名前を確認すると、どうやら更識簪さんというらしい。このクラスの代表ということになっていた。
「それじゃあ、授業を再開しようか」
総合回数が少ないから、さっさと紀元前の歴史の話は終わらせておきたい。
*
「ふう。やっと戻ってこられた」
職員室に設けられた自分の席に着いた時には、もう昼休みが終わりかけていた。
「ずいぶんお疲れみたいですね。……はい、どうぞ」
「山田先生。ありがとうございます」
隣の席の山田先生がお茶を出してくれた。ありがたい。
「寮の部屋のドアに穴が開いたっていうんで、修繕してたんですよ」
「織斑くんと篠ノ之さんのお部屋ですか。初日からドアを壊しちゃうなんて、ちょっと元気すぎますね」
「それに関しては、担任として一言注意しておきました」
彼女と雑談をしていると、さらに隣の席に座っている織斑先生が話に加わってきた。
「あ、そうだ。織斑先生、昨日はうちのお嬢様が弟さんに喧嘩を売ってしまったようで申し訳ありません」
「……教員としての仕事中は執事にならないのでは?」
「今はお昼休みですので、少し羽目を外しております」
織斑千冬さん。1年1組の担任である彼女は、一夏君の実姉である。
今でこそ弟君の方が世間の注目を集めているけれど、何を隠そう彼女はISの世界大会『モンド・グロッソ』の初代王者。
僕自身も写真で何度か顔を見たことがあったから、昨日の朝に生の本人と挨拶を交わした時はちょっとした感動すら覚えたものだ。
「別に、改めて謝られるほどのことではありません」
「ですが、話を聞く限りでは結構キツイことを言ってしまわれたようなので」
「学生同士ならよくある程度のいざこざです。姉としてはまったく気にしていません」
淡々と答える織斑先生の様子を見る限り、特に何か怒っている様子はない。
それならそれで、こちらとしてもありがたいんだけど……
日本茶をすする彼女を眺めながら、僕がそんな風に考えていると。
「でも織斑先生、あの後ちょっとだけ機嫌の悪そうな顔してましたよね」
「うぐっ」
不意に飛び出した山田先生の一言に、織斑先生が大きく反応した。
どうやらむせたらしく、コホコホと小さな咳を何度か重ねている。
「山田先生。事実の捏造は良くない」
「そうですか? 私にはそう見えましたけど……」
「やっぱり気にしていたんですね。申し訳ありません。お嬢様も根は良い方なのですが」
「だから気にしていないと言っているではないですか。だいたい一夏の方にも問題があるんです。あれがもう少ししっかりしていればオルコットが腹を立てることもなかったわけで、むしろあれくらい厳しく言われて当然と考えられなくもないつまり」
僕達2人から視線を逸らしつつ、早口で巻きたてる織斑先生。しかも無駄に足を組み替えたりしている。
「女性が右手で髪をいじる時は、嘘をついている可能性が高いらしいですよ?」
「っ!?」
慌てて右手を引っこめる彼女。
「冗談です」
あまりに予想通りの反応が返ってきたので、山田先生と顔を見合わせて笑ってしまった。
「……マーシュ先生の冗談は笑えないと、覚えておきます」
「よく言われます」
睨まれてしまったが、秘技・執事スマイルで受け流しておいた。
ハードルの高いクールビューティーだと思っていたけど、意外と会話しやすい人みたいで助かった。
弟の一夏君も、話してみれば普通の好青年のように見えたし、ふたりともと仲良くできるといいな。
*
僕のお嬢様は優秀である。
これは身内びいきでもなんでもなく、客観的に述べたうえでの感想だ。
3年前にご両親が事故で亡くなられたという辛い過去を経験しつつも、オルコット家の当主としての仕事を立派に果たしている。
ISの操縦者としても、国家代表候補生という肩書きに恥じないだけの成績は残してきている。
加えて努力を惜しまない方だから、使用人としては『お守りしなければ』と強く思ってしまうわけである。新参の部類に入る僕ですらそうなのだから、他の皆さんに関しては言うまでもない。愛がいきすぎて裏でファンクラブ結成してるからね。
「僕が学園について行くことになった時、うらやましがってた人がかなりいたよなあ」
もちろんお嬢様にも欠点はある。
料理が苦手。異性が苦手。若干天然入ってる。料理がひどい。予想外の事態に弱い。ちょっと思いこみが激しい。料理がやばい。料理がポイズンクッキング。殺人兵器。などなど。
けれど、そういうウィークポイントがお嬢様の魅力をまた引き立てるのだと力説するのはメイドのジェニーさん28歳。
僕も彼女の意見におおむね同意する。料理以外は。
……話が逸れてしまった。
何が言いたいのかというと、お嬢様はすごいということだ。
ISに乗っても、強い。
「織斑一夏君、か」
そんなお嬢様と、ISに関しては素人同然である少年との試合が今しがた終わった。
アリーナで一部始終を見ていた僕は、観客席に座ったまま、目の前で繰り広げられた戦いの内容を思い返す。
試合自体はお嬢様の勝ちだった。でも、一夏君の健闘ぶりもすごかった。
本体への有効打こそなかったものの、『ブルー・ティアーズ』のビットを2つも落としたのだ。とても素人とは思えない。
一瞬だが、『天才』の2文字が脳裏をよぎった。が、その答えが出るのはまだまだ先のことになるだろう。
「あれ? マーシュ先生帰らないの?」
「うん。僕はもう少しここで余韻に浸ってるから」
「そっか。それじゃね」
バイバイと手を振ってくれているのは、確か1組の谷本さんだったかな。
こちらも右手を挙げて応じながら、再び脳内で試合の映像を再生する。
飛び交う射撃。空を自由に動き回る2つの機体。そしてぶつかり合うふたり。
ああ、本当に……。
本当に、憎たらしい。
「………駄目だな」
女の子の嫉妬は時として可愛らしいが、男の嫉妬なんて醜いだけだ。
沸き起こった黒い感情は、邪魔でしかない。
思考を切り替え、おもむろに席から立ち上がる。
さあ。寮に戻って、お嬢様に称賛の言葉を送るとしよう。
とりあえず、主人公であるカズキの性質についてある程度説明を終えました。
次回からは1話完結型で、いろんなキャラに焦点を当てていきたいと考えています。
関係ないですが、千冬姉は一夏と同様いじりたくなるタイプだと思います。
感想や評価等あれば、気軽に送ってもらえるとうれしいです。
では、次回もよろしくお願いします。