魔法少女リリカルなのは 『神造遊戯』   作:カゲロー

37 / 101
対”闇の書”戦、開幕。
時間的には、ダークネスが白夜と激闘を繰り広げていたのとほぼ同時刻になります。


決戦、”闇の書” 『堕ちた英雄』

海上でダークネスと白夜が激しい戦闘を繰り広げているのとほぼ同時刻、都市部を包み込んだ結界の中を縦横無尽に飛び交う閃光の輝きが飛び交っていた。

 

それはまさに、光が奏でし幻想の円舞曲(ワルツ)

 

時に高層ビルの外壁を、時に砕けたコンクリートの破片を足場にして文字通りに天を“駆ける”少年が繰り出した拳を、銀色の長髪をなびかせたどこかうつろな瞳をした女性が難なく障壁で防ぐ。その瞬間に一時だけ発生する硬直を見逃さず、女性の背後をとった金色の死神が放つ一閃が彼女の背中へ振り下ろされる。さらに同時攻撃として左右方向から白い魔法使いたちの砲撃が放たれていた。普通ならば防御不可能なこの状況……されども、彼女にとってはこの程度(・・・・)の連携など脅威にすら値しない。

まずは目の前の少年の腹に蹴りを叩き込んで距離を取る。飛行魔法が使えない少年は、吹き飛ばされた衝撃に抗うことが出来ずにそのままコンクリートで舗装された地上へと叩き付けられてしまう。

次いで、金色の死神に向かい合うように振り返ると、自由になった両手を左右に突出して二つの砲撃を完全に受け止め、さらに受け流す様に両手を前へと動かす。

すると、眩い輝きを放つ魔導砲はその軌道を九十度変化させられ、今まさに彼女へ迫り来ていた金色の死神へと襲い掛かる。

(デバイス)を振り上げていた死神はそれを見るや慌てて攻撃をキャンセル、射線軸からの離脱を試みる。瞬間的な加速力と最高速度に優れた死神は、マントの端を巻き込まれながらも何とか直撃を躱して見せた。だが、そこでほっ、と気を抜いてしまうという愚行を起こしてしまった彼女に向けて、女性の放つ追撃の血に染まりし刃――【ブラッディダガー】――が放たれてしまった。

貫通力と殺傷力に優れた刃が、金色の死神をカバーするように立ち塞がった少女たちのバリアジャケットを、頬を、腕を、全身を切り刻んでいく。

苦痛を堪えつつも、三人で協力して発動させた強固な障壁で刃の嵐を何とか凌ぎ切る。血に染まりし刃と障壁がぶつかり合った反動で巻き起こった爆煙から抜け出す少女たちに向け、更なる追撃をと魔力を収束させた漆黒の魔力球いくつも生み出していく女性……“闇の書”の管制人格がその破壊にしか使えない魔力を解放させようとした瞬間、――彼女の脳天を両断せんと猛毒と化した怨念の宿りし大剣が振り下ろされた。

三対六枚の漆黒の翼をはためかせて後方へと下がる管制人格の前髪をわずかに斬り落とした一閃を放った人物……暗い狂気をその身に宿したディーノは、人ならざるモノの咆哮を上げながら彼女へと突撃していく。その瞳が映すのは目の前にいる『憎き仇』のみ。彼女と杖を交えていた少女たちのことなど欠片も興味を抱いていない……いや、もはやそんな感情すら無くしつつある彼は、ただひたすら復讐を果たすためだけにその身を、魔力を、想いを燃やす。例え、その先に在るのがどこまでも空虚な未来しかないのだと理解し(わかっ)ていても、それでも彼には剣を振るうことしか残されていなかった。

怨嗟混じりの咆哮と共に、まさしく獣の如き形相で襲い掛かってくるディーノを見て、一瞬だけ管制人格の顔に悲しみの感情が浮かぶ。だがそれも一瞬、大海原に一個の角砂糖を落としたところで海水が甘くなくなることが無いように、一時の感情の揺らぎで自分のなすべき事が変わるはずも無いと切り捨てた管制人格は、自身に残された最後の願い……主である八神 はやての願いを叶えるために破壊の魔力を振るい続ける。

 

「お前が“闇の書”(わたし)に抱く激情は理解できる、それが当然のことだということも承知している。だがそれでも――私には我が主の願いを、全てが夢であってほしいという願いを叶えて差し上げたい! そして――主を追いつめ、傷つけた貴様は必ずや私の手で引導を渡してやろう」

「――――――ッ!!」

「もはや……言葉すら忘れたか……。いや、これもまた私の罪なのか……」

 

目を瞑り、美貌を悲痛さすら感じさせるくらいに歪ませながらも、彼女の身体は本人の意思を無視したかのように動きだす。翼をはためかせて一気に加速sると、魔力を込めた拳を振り上げて、構えもとらないディーノへと叩き付ける。軽鎧と呼ばれる動きやすさを重視させたバリアジャケットでは彼女の一撃がもたらす破壊力に耐えきることなど出来ようはずも無かった。胸元に突き刺さった拳を通して、胸骨を砕き、肺を潰す感触が伝わってくる。何度やっても決して慣れない感触に、誰かの命を奪うという行為に、彼女の瞳が僅かに揺れる。故に気づかなかった。呼吸をする上で重要な器官の一つを潰されて尚、ディーノが呻き声一つ上げていなかったことを。衝撃で吹き飛ばされるでもなく、大地へ向けて崩れ落ちるでもなく、まるでボールをぶつけられた壁のように、彼がそこに在り続けていることを。

 

「あぶない! 避けるんだっ!!」

「――ッ!?」

 

彼女にとってごく身近な存在であった少年の叫び声に、つい反応してしまった管制人格が反射的に翳した左腕に、焼き付けるような熱さを伴った激痛が襲いかかった。

目を上げれば、くるくると宙を舞いながら地上へと墜ちていく自分の腕が見えた。彼女の剛拳を受けてなお微動だにしなかったディーノが、カウンターとばかりに振り下ろしてきた剣閃によるものだと理解した時には、斬り上げるように放たれた返す刃が彼女の脇腹に喰い込んでいた。

砕けた肋骨が突き刺さっているのか口から鮮血を溢しつつ、それでも顔に張り付いた狂笑を緩めることも無く繰り出された復讐の刃が己の身体を両断していく様を、彼女はどこか他人事のように見下ろしていた。自分がやっていることは目の前の少年の願いと同じなのだと、大切な人を理不尽に傷つけられて復讐に走るという行動は、まさしく鏡映しの自分そのものではないか。

 

――わかっている。この痛みは、向けられる憎しみの元凶は“闇の書”(じぶん)にこそあるのだと。呪われた存在(モノ)が誰かを慕い、想うことなどおこがましいにも程があるのだと。

 

だが、それでも……!

 

「私は……っ! 主のために、不条理な現実へ抗ってみせると決めたのだっ!」

 

無事な方の腕で身体に喰い込んでくる刀身を掴みとる。暴走しているとはいえ、ディーノのように痛覚まで消え去った訳ではない。苦悶に顔を歪ませながら、さらに指に力を込めて刃の動きを封じる。鮮血と共に魔力が流れ落ち、交叉する二人の身体をドス黒く染め上げていく。

“闇の書”の暴走を止めようと抗っていた少女たちが息を呑むのを感じる。ここからは見えないが、おそらく顔色を真っ青に染めながら、驚愕で瞳を見開いている事だろう。

彼女は知る故も無いが、抗い続けている少女たち……なのは、フェイト、花梨に並ぶように飛び上がってきた者たちも存在した。

彼女にとって、もう一人の主とも呼ぶべき少年……破壊活動を行おうとしている管制人格を案じて、つい警告の叫びを上げてしまった家族の一人である八神コウタと、彼におんぶされるという恥辱を味わっている速攻で叩き落された少年……アルク。彼らもまた、壮絶な殺し合いを繰り広げている二人に、ただ気圧されていた。

 

――年端も無い少女たちを怖がらせてしまったかな。

 

場違いにそんなことを思ってしまい、知らず口元が苦笑を形づくる。半眼で睨み付けてくるディーノの顔面に口内に込み上げてきた血飛沫を吹き付けた。

血液というものは存外に粘着力が強く、眼球にこびり付きでもしたらなかなか落とすことが出来なくなる。人でないとはいえ、限りなく人間のソレに近い身体構造をした管制人格の血は、狙い通りにディーノの視界を封じることに成功した。咄嗟に剣を握る片手で目元を擦ってしまったディーノの隙を見逃さず、握りしめた刀身を力ずくで引き抜いていく。鮮血が迸り、激しい激痛に苛まれながらも、管制人格は切断された腕の切り口から放出させた魔力を、具現化させた緑色の紐で縛り上げて疑似的な腕を作り上げた。

この紐の正体は、守護騎士の一人シャマルのデバイス【クラールヴィント】のもの。守護騎士たちが蒐集されたことで彼女らの魔法や知識も管制人格自身のそれとして使用できるようになっていたのだ。

ディーノの剣には対“闇の書”用に開発された(ウイルス)が仕込まれている。それは当然、彼女にも有効なものであったので。斬り落とされた腕をそのまま修復させることは不可能となっている。故に、密度を持つほどに圧縮させた魔力を【クラールヴィント】で腕の形に縛り上げることで、疑似的な腕を再現して見せたのだ。彼女の片腕は、見た目には黒い靄のような魔力に緑色の魔力で出来た紐が縛り上げるように絡みついて人間の腕……のような(・・・)ものとなっている。実体がある幻のようなものなので殴りつけでもすれば途端に霧散してしまうだろうが、魔法を放つ(・・・・・)だけならば何ら問題は無い。

疑似修復させた腕をディーノの眼前に掲げ、掌に破壊の魔力を集束させる。そこに集うのは、いくつもの次元世界を滅ぼしてきた呪われし魔力の濁流……されども、集いし光は闇夜の黒ではなく、鮮やかな桜色。

 

「なっ……あれは、まさかっ!?」

 

それが何を意味するのか、この場にいた全員が即座に理解した。かつて蒐集されたことがあるなのはの必殺技である最大集束魔法【スターライトブレイカ―】発動の前兆だ。管制人格は、あの至近距離からディーノ一人に向けて放とうと言うのか。保有魔力という点で見ればなのはよりも数段格上の彼女が放つそれは、まさしく星すら砕く最高の一撃となりうる。

即ちそれは、一人の人間に向けるにはあまりにも圧倒的(オーバーキル)すぎる無慈悲なる凶撃――!

 

「マズイ! 皆、距離を取りなさい! あの魔力量……ヘタすれば、この街そのものが吹っ飛ぶわよ!?」

 

叫びながら全速力で退避行動に移る花梨に応えるように、一人だけ自分の開発した魔法の威力を理解していないなのはの腰を抱き寄せながら、フェイトも飛び出した。

防御に定評のあるコウタでもあれを近距離で防ぐことは無理と判断、アルクを背負ったまま最大速度でその場を後にする。

 

「ふぇ!? あ、あのフェイトちゃん? 何もここまで離れなくても……」

「至近距離で直撃されたら、多分どんな防御も意味を成さない。もっと距離を取らないと余波だけで落とされる」

「なのは、あんたはもう少し自分が使ってる魔法がどんだけ強力なのか理解しときなさい。艦砲並みの砲撃魔法をどっかんどっかん、とぶっ放してるんだってね」

「お、お姉ちゃんヒドイよ!?」

 

並翔する姉のさりげない人間魔導砲台呼ばわりに、反論の声を上げるなのはだったが、自分を抱えるフェイトも『うんうん』と姉の発言に同意しているのに気付き、ずぅ~ん、と沈み込む。まさか友達にまでそんな目で見られていようとは思ってもみなかったと言いたげな表情だ。……“P・T事件”の際、彼女をバインドで拘束した上で集束砲を叩き込んだ人が何を言ったところで、評価は決して覆る事はないだろうが。

肉眼では彼女らの姿を確認できないほどに距離を稼いだ五人だったが、それでもスピードを落とさずに距離を開ける。距離を稼げた分だけ、襲いくるであろう余波が弱まってくれる。

自分たちと“闇の書”、そして“闇の書”を封印するためにわざと暴走を促した仮面の男……は何処かへと逃げてしまっているが、復讐に取りつかれたディーノがこの戦場には残っている。

実質、三つ巴というこの現状、戦局を打開するためにも、向こうの決着がつくまでに極力余力は残していた方が良い。そう考えたが故に花梨たちはさらに距離を稼ごうと速度を上げるが――

 

【……これは!? マスター、前方三百ヤードの地点に、一般市民とおぼしき反応があります!】

『っ!?』

 

相棒【ルミナスハート】の報告に、花梨が失念していたあの二人の存在を思いだすのと、桜色の閃光が天空に炸裂するのはほぼ同時のことだった。

 

 

 

 

海鳴大学病院から数キロほど離れた高層ビルの屋上。

“闇の書”の主、八神はやてに絶望を植え付けた二人の仮面の男は、当初に交わした契約に従ってディーノを病院の屋上に残し、ここまで引き下がっていた。そこで仮面の男たちは“お父様”の立てた計画、その最後の準備を行っていた。

 

「……よし、結界は張れたようだ。流石に連中を封じ込めるくらいに強力な奴を展開させるのは骨がおれるな」

 

足元に展開していたミッド式魔法陣を消していた相方に、片腕の無い(・・・・・)もう一人が問う。

 

「デュランダルの用意は?」

「いつでも起動できるように準備は出来ている……問題はないさ」

 

待機モードであるカード状態のデュランダルを見せつけるように掲げながら、万事抜かりがない証を示す。

その直後

此処からでも聞こえるほどの爆音と伴った強力な魔力の波動が、都市部付近から拡散された。結界を震わせるほどの衝撃に、歴戦の勇士である彼らであっても驚きを隠せない。

 

「空間攻撃魔法、いや……集束砲、か? さすがは“闇の書”というべきか……」

「――あの子たち、持ちこたえられると思う?」

「さぁ、どうだろう……せめて、暴走開始の瞬間までは耐えて欲しいところだがね……」

 

安全圏から戦場を、どこか他人事のように見つめながら二人は呟く。

“闇の書”の戦闘力は、いやというほどに理解している仮面の男たちだからこそ、あの戦場で抗い続けている若き魔導師たちに勝利は無いと確信している。

数百年にも上る年月の中で積み重ね続けられた経験と、世界を滅ぼすほどの圧倒的魔力を有する“闇の書”に、今の彼らの実力ではどう足掻いたところで太刀打ちできるはずも無いと考えているからだ。強い想いは確かに奇跡を手繰り寄せるほど可能性を秘めている。だが、そんなものを容易く打ち消してしまうほどの力量差が、彼らの間に存在していることもまた事実なのだ。

故に、仮面の男らは花梨たちに勝利を期待などしていない。せいぜい、保険として時間を稼ぐ程度の役割をこなしてくれればよいと、そう考えている。

そんな彼らの本命とは――

 

「しかし、流石は“お父様”……あんな狂人の手綱を見事に握って見せるなんて」

「確かに……彼の目的は私たちと似通っているというのもあったけれど……それでも、自分の手で復讐を果たしたいという思考を察して、書が未完成の状態で守護騎士を襲うのではなく、覚醒させた“闇の書”そのものを破壊するように促すなんて、私たちには到底出来る事じゃなかったからね」

「ああ……しかも、“闇の書”と戦う舞台を用意すると言いつつも、その裏では私たちの計画――永遠氷結の檻に主ごと封印する――を恙なく進めるための時間稼ぎに利用するなんて……さすがだね」

「対“闇の書”用のウイルスプログラム……結局、デバイスを直接調べてもその理論が欠片もわからなかった不可解な能力……そんなものに、十年もの歳月をかけた“お父様”の計画を託せるはずもないしね。――まあ、いいじゃないか。彼が“闇の書”を破壊出来ようと出来まいと、私たちのやるべきことは変わらない」

 

そう、仮面の男たちにとって、ディーノと“闇の書”の戦いの決着などどうでも構わないのだ。

なぜなら、彼女たちの願いは“お父様”の願いを叶えること。故に、時が静止した氷獄の檻の中で永遠の眠りについてもらうことは、もはや彼女らにとって決定事項なのだから。

 

「まぁ、“お父様”の願い成就のために精々かんばってくれよ……未来を担う若き魔道師たち――っ!?」

 

そんな、無責任な激励を呟いた直後、彼らの周囲に青く輝く魔力の粒子が出現、その正体に気付いた仮面の男たちが離脱するよりも早く、彼らの足元にミッド式の魔法陣が出現し、其処から伸びた無数の魔力の戒めが二人を完全に拘束した。

「バインドだと……!? だが、この程度で――っ!?」

 

この程度の拘束など何ら問題は無い……そう口にしようとした彼女たちだったが、不意に苦悶の声を上げながら崩れ落ちた

 

「ストラグルバインド……対象を拘束すると同時に、拘束者にかけられた強化魔法を無効化する効果がある拘束魔法の一つ」

 

徐々に光に包まれていく仮面の男たちを見下ろすのは、上空から舞い降りてきた時空管理局執務官……愛機【S2U】を構えた少年……クロノ・ハラオウン。

奥歯を噛み締め、指先が白くなるほどに強くデバイスを握り締めながらも、表面上はポーカーフェイスを維持しつつ、淡々と解説を続ける。

 

「あまり使い所が無く、繊細な技術が求められる魔法だけど、こういう時には役に立つ。――変身魔法も強制的に解除するからね」

 

その言葉が(トリガー)となって、仮面の男たちの身体がひときわ眩い輝きを放った瞬間、その姿が変わって――いや、元に戻っていく。

がっしりとした男性のソレからふくらみを帯びた女性特有の体型へと。

肌をほとんど露出していない白い服が、ミニスカートが眩しい黒い服へと。

そして……顔を覆っていた仮面が弾ける様に霧散し、彼ら……否、彼女ら(・・・)の真実の素顔がさらされることとなった。

 

「クロノ……! アンタぁ……!」

 

変身魔法が解けた仮面の男だった者の片割れ――リーゼロッテは、悔しそうにクロノを睨み付け、

 

「こんな魔法……教えた覚えなんてなかったんだけどね……」

 

もう一人のリーゼアリアも、弟子にしてやられたことの悔しさを抑えるかのように、低く呟いた。

そんな二人の非難の視線を正面から受け止めながら、クロノはこみ上げてくる悲しさを堪えつつ、答える。

 

「……一人でも精進しろと言ったのは……君達だろう? ……師匠」

「チッ……あ~あ、余計な事なんて言わなきゃよかったよ」

「ええ……本当にね」

 

ロッテのぼやきに同意する様に返すアリアの片腕に気づいたのか、クロノは思わず息を呑む。

変身魔法と共に幻術も解除されただろう、リーゼアリアの片腕が肘上から先が消滅していたからだ。

向けられる視線に気づいたアリアは、なんでもないとでも言いたげに首を左右に振る。

 

「ああ、気づいた? いやー、本局の医療技術でも、この短期間に両腕を治すことは間に合わなかったのよ。ま、片腕だけでもこうして生えただけ、マシと思わないとね」

「……あの時、(ディーノ)に腕を斬り落とされていたのは……」

「そ、この私よ。まあ、そんなことはいいじゃない? 今はもっと優先することがあるでしょう? ――アースラなり、本局なりに私たちを護送するって役割がさ」

「そーそー、執務官として、やることはやっとかないとねー。あ、でも忘れんなよ、クロスケ。アースラのシステムにクラッキングを仕掛けたのはこの私たちだってことをさ。実力的にみても、その辺の武装隊程度じゃあアタシらを拘束し続ける事なんてできねーよ?」

 

とことん諦めの悪い師匠たちに、クロノは怒りでどうにかなってしまいそうだった。

彼女たちの目的はあくまでも”闇の書”を自分たちの手で破壊、或いは封印させること。クロノたちン手による八神 はやてたちの保護など最初から望んでいないのだ。

だからこそ、同じ管理局員たちにすら手を上げることも厭わないのだと、彼女たちは言外に告げている。クロノの拘束魔法は術者である彼が離れれば、その瞬間に効果を失ってしまうだろう。

そうなれば、アースラの武装隊員の手に彼女らの身柄を委ねなければならない訳だが、きわめて優秀な彼女らの実力は折り紙つき、アースラ在駐の武装隊員では捕え続けることは不可能だろう。

かといって指揮官として有能なクロノが戦闘に参加できないままだと、“闇の書”の暴走までに打つ手を取れなくなる可能性が高い。

戦場にいる花梨たちは確かに個々の能力は目を見張るものがあるものの、所詮は個人の力量に傾倒した個別戦力の集まりに過ぎない。コンビネーションはとれようとも、戦略を立てるという意味での指揮官はあの場に不在なままなのだ。さらに師匠二人はまだ気づいていないようだが、この結界に阻まれているせいなのか、無限図書で調べ上げた調査結果を携えたユーノと彼のサポートに回っていたアルフも援軍として駆けつけることも、通信で情報を伝えることも不可能となっているらしい(クロノは、結界発動時にちょうど結界の壁の境界線にいたため、運よくアースラとの一時的な通信が可能だった)。

何らかの力が干渉して変異しつつあるらしい結界を突破できない以上、まさに現状は手づまり状態となりつつあった。

 

(くそっ……! 母さんたちと連絡が取れさえすればまだ手はあるんだが――!)

 

あくまでもグレアム提督の望み――十中八九“闇の書”への復讐だろう――を叶えようとするだろう二人が、八神はやての救出を前提として行動しているクロノたちに協力するとは思えない。

かといって、味方であるはずの管理局にすら牙を剥いた彼女らを放置しておくのはあまりにも危険すぎる。

この状況、どう見積もっても手が足りなさすぎる。せめて、結界が展開された直後に逸れてしまった彼女(・・)が此処に居てくれればと、浮かび上がってきた弱気な思考にクロノの気がわずかに緩んだ、その刹那、

 

「――な、があっ!?」

 

年若い少年であるが故にできた隙を狙い澄ましたかのように放たれた蹴撃が、クロノの背中に突き刺さった。

フェンスに叩き付けられたクロノは、思考こそ混乱していたが、条件反射として身体に染みつくほどに繰り返し続けてきた受け身をとって体勢を立て直すと、デバイスを構えながら振り返り、襲撃者である“仮面の男”を睨みつける。と、同時にとある事実に気づいた。リーゼ姉妹は、未だに拘束されたままであり、彼女たちもまたクロノと同じような困惑の表情を浮かべているということに。

 

――三人目だと!? いや……まさか!?

 

「――悪いが、私たちは、まだ立ち止まるわけにはいかないのだよ」

「その、声っ……! やはり貴方ですか……グレアム提督っ!!」

「やはり、自力で真実にたどり着いたかクロノ。さすがはクライド君の息子ということか……いや、彼と比較するのは君に対しての侮辱にしかならないな」

 

自嘲気味に言いながら、新たに現れた三人目の仮面の男が変身魔法を解除する。光が飛び散った後に現れたのは、管理局高官用の制服と同じ意匠のバリアジャケットに身を包んだ壮年の男性。

クロノにとって、もう一人の父親と呼ぶべき存在であり、憧れでもあった英雄。

 

時空管理局提督 ギル・グレアム。

 

“闇の書”の主、八神 はやての存在を隠蔽し、長きに渡って続く呪いを終わらせようと自ら犯罪に手を染めた男がそこにいた。

使い魔であり、手足であり、そして娘でもあるリーゼ姉妹にかけられたバインドを解除すると、リーゼから対“闇の書”用凍結封印機能搭載型デバイス【デュランダル】を受け取りながら、激しい空中戦を繰り広げている若き魔導師たちと“闇の書”へと視線を向ける。まるで、クロノにはもう用はないとでも告げているかのような態度であった。

 

「グレアム提督! 現時点の八神はやては望まずして魔法に関わってしまった一般人にすぎない! どんな理由があったとしても、貴方のやっていることは犯罪だ!」

「わかっているとも。正義を詠う管理局員として……いや、人として最低の行為をしているということくらい自覚しているとも。だがね、わたし自身すでに引き返せないところまできてしまっているのだよ」

「こんなのは正義なんかじゃない! 貴方のやっていることは、唯の私怨だ! 自分勝手な欲望に、罪も無い少女を巻き込むな!」

 

さすがにその言葉には我慢できなかったのか、激情型のロッテが叫ぶ。

 

「ふっざけんなクロスケ! どんな理由があったって、アイツは“闇の書”に選ばれた挙句、騎士共を普通に現界させてるじゃないか! こっちの事情を知っておいて、魔法技術のない世界で魔道生命体を闊歩させてる時点で、魔法技術の漏えいっていう罪に引っ掛かるんだよ!」

「問題をすり替えるんじゃない! もしそうだと言うのなら、魔法の資質を保有し、ロストロギアに選ばれた何も知らされていなかった少女を生贄にしようと画策していた者にこそ原因はある! それは他の誰でもない、貴方たちだろう!」

「……どこまでも真っ直ぐだな君は……羨ましい、そして眩しいよ。目が焼けてしまうほどに。――そう、私には正義という言葉を口にする資格などない。此処にいるのは……愚かにも復讐に駆られた男だけだ」

と、少しだけ自嘲じみた笑みを浮かべたグレアムに、『なにをいまさら』とクロノは鋭い視線をぶつける。

 

「仮に八神 はやてごと“闇の書”を凍結封印したところで、それが人の手によるものである以上、“闇の書”を利用しようとする者の手によっていつかは破られてしまう!」

「その通りだ。如何なる封印を駆使しようとも、それが人の手に届く場所にあるかぎり、それを求める者は必ず現れるだろう。――だが、もしそれがヒトの手に届かぬ場所であるとすればどうかね?」

 

……この人は、一体何を言っているんだ? 

次元の海を航行する術を獲得した組織の人間が発したものとは考えられない、一見すると唯の空想、夢物語のような言葉を真顔で語るグレアムを呆然と見つめるクロノの背筋に冷たいものが走る。彼の瞳に映る恩師の姿、まるでそれが禁忌に手を伸ばす狂人のように見えてしまう。グレアムは自分へ向けられる視線に気づいていないらしく、腰に下げていたバッグへと手を伸ばしながら言葉を続ける。

 

「次元航行技術を会得した我々とて、万能であるとは言えないのだよ。どれほど技術が発達したのだとしても、決して手の届かぬ場所というものは確かに存在しているのだ。たとえば、そう――虚数空間の奥底、とかね」

「なっ……!? 馬鹿な! それこそ人間には不可能だ! 虚数空間の研究は完全に行き詰まっているはずだ! なのに――」

「そう、我々人間が手を伸ばすことは未来永劫に不可能かもしれない唯一の場所……だがね、いるだろう? 不可能とされた奇跡を容易くこなし、次元震すらも制御しうる怪物が」

 

……まさか。

クロノの脳裏に、とある人物の姿が蘇る。彼が行ったというデタラメの数々についても逐次報告を受けて、流石にありのままを報告するのは問題がありすぎるので母と共にどのように本局に報告すべきか頭を抱えたのは記憶に新しい。

 

“Ⅰ”(ファースト)くん、といったかな? 彼のことはリーゼたちより報告を受けている。彼のことを知っておどろいたよ。理不尽なまでの能力(ポテンシャル)は勿論、私が描いた計画を実行せんとするこの時に彼のような存在が現れたこと……まさに天啓とはこういうことを指すのだろうと、神に感謝を捧げたくらいさ。――クロノ、私は彼に取引を持ちかける。次元の壁を破壊し、凍結封印した“闇の書”を封じ込める虚数空間への入り口を生み出す様に、とね」

「な……ぁ……!? き、危険すぎる! あなたは彼を軽く見過ぎています! 大体、彼が貴方の命令におとなしく従う訳がないでしょう!?」

「命じるのではない、ギブ&テイクの取引を持ちかけようというのだ。……これを見給え」

 

グレアムが取り出したのは、黄金に光輝く小さな箱。オルゴールのようにも見えるそれは、美しい刺繍が刻み込まれている。

 

「これは、ロストロギア『パンドラ』。一見するとただの箱にしか見えないが、この中は異次元となっていてね。物理法則を無視してありとあらゆるものを収納することが出来るのだよ。しかも、収納したものの機能を一時的に停止させることすら可能なのだ」

 

 

『パンドラ』

 

かつて、とある世界で解放された際にその世界そのものを吸い込み、封印してしまったというとてつもない力を秘めた古代遺産(ロストロギア)。内部に吸い込まれたものは一定期間を過ぎると消滅してしまう上に、箱自体に防衛機能までも存在しており、脅威と成るモノは自動で蓋が開閉され、吸い込むことであらゆる外的要因による破壊が不可能と言う性質がある。このように“闇の書”に非常に似通った性質を持っているが対封印術への抵抗値は低く、Bランク相当の魔道師ならば容易く封印できるため、一定の権限を有した高官ならばこうして本局の保管庫から持ち出すことも可能なロストロギアなのだ。

きちんとした封印が成されている状態ならば蓋を開閉しても何かが吸い込まれてしまうことも無いく、なんちゃって四次元ポケットのような使い方もできたりする。それが分かっているからこそ、グレアムの手によって躊躇なく開かれた『パンドラ』の中から溢れ出すのは見覚えのありすぎる“蒼い魔力”。

クロノは知っていた。その魔力光を放つものの正体を。

 

「ジュエル、シード……!?」

「そうだ。本局に封印処理されていた十一個のジュエルシード、これを取引材料に彼の手で次元の壁に穴を空けさせる。プレシア・テスタロッサより託されたアリシアテスタロッサを擁護していることや、リンディ君と交わした停戦協定を律儀に守っている事を鑑みても、彼は一度交わした約束や契約を破らない性格だという可能性は十分にある。何より、彼もまたこれを欲しているのだろう?」

「馬鹿な! Aクラスに相当する危険なロストロギアを、犯罪者である彼に渡すなどと……! 貴方は世界を滅ぼすつもりなのか!?」

「甘く見たいでもらおうか? 復讐に駆られた愚者とはいえ、それでも時空管理局提督としての地位を築き上げてきたこの身だ。現場から身を引いてからは、知謀の世界であまたの犯罪者と渡り合ってきたのだよ? それこそ、危険な思想を持つ者たち共と、ね。そうやって身に付けた知恵、経験……それこそが、老獪というやつだよ。若い君には無いものさ。……蔑んでくれて構わない。見損なってくれても構わない。それでも、私はやると決めたのだ――この手で、悲しき闇の連鎖を断ち切ってみせると」

 

反射的に飛び出そうとしたクロノだったが、抜き打ちで放たれたリングバインドによって動きを封じられてしまう。

たとえ老いようとも、“英雄”ギル・グレアムの名は伊達ではない。デバイスを起動させることも無く、瞬きすら出来ぬほどの速度で繰り出された拘束魔法が、クロノをフェンスへと張り付ける。

 

「クロノ……君はそこでおとなしくしていなさい。“闇の書”が引き起こしてきた長き怨嗟の歴史……この私の手で全てを終わらせる」

「やめろ……、やめろぉおお! グレアムていとくぅうううっ!」

 

クロノの慟哭に背を向けて、仮初の英雄は空を翔ける。己の心にこびり付いた呪いを解くために。

その歩みに迷いはない。提督としての自負が、己が計画に失敗はないと確信させていた。

もし、彼が誤っていたとするのならば、それはおそらく――

 

 

「あらあら、それは死亡フラグという奴ですわよ、提督さん?」

『――!?』

 

 

彼女という存在、そのものを見落としていたことに他ならないだろう。

 

 

「申し訳ありませんわ、クロノさん。改変されたこの結界の解析と通信の回復を試みておりましたので救援が遅くなってしまいました」

 

見上げれば、宙に舞う巨大な魔導書に腰掛けながらころころと朗らかに笑う少女がそこにいた。

可愛らしいフリルが目を惹くゴスロリドレスと呼ばれるタイプのバリアジャケットを身に纏い、魔導書の縁に指先を掛けながら足を組んで、一同を見下ろしている。

その姿はまるで、童話の世界から抜け出してきた伝説の魔女を連想させた。

笑みを浮かべる口元を片手で隠しながら、超然と天を舞う魔女……葉月は気軽に、それこそ近所のコンビニに出かけてくると言うかのように、未だ拘束されたままのクロノへと話しかける。

 

「それで? いったい何のプレイをなさっているのですか?」

「はぁ!? どこををどう見ればそうなるんだ!」

「あらら、違いました?」

「当たり前だ。見てわかるだろう!? 仮面の男たちの黒幕……グレアム提督に拘束されているんだ! わかったらはや(パチンッ)」

 

クロノの言葉を遮る様に、葉月がしなやかな指先を弾く。その刹那、クロノを束縛していたバインドは跡形も無く霧散し、消え去っていった。

 

「――は? え?」

「――で? それがどうかいたしましたか?」

 

呼吸するかのように自然に、まるでそれが当たり前のように、強固なはずのバインドを解除して見せた葉月の技量を目の当たりにして、グレアムたちは――特に魔法技術を得意とするアリアが――は在り知れない驚愕を露わにする。なのはと同じく管理外世界である地球出身であるグレアムには、出世する上で必要な情報部とのパイプや家系などといった後ろ盾はあるはずも無かった。それでも管理局の提督という役職にまで上り詰めたのは、偏に彼の優れた魔法技術が大きな要因を占めている。アリアとロッテ、魔法と体術という異なる特性を有した使い魔を生み出せていたことからも、彼自身の有能性を表明していると言って過言ではないだろう。そんな彼のバインドを、現役の執務官であるクロノですら解除できていなかったソレを、シングルアクションで打ち破って見せた少女の技量。それは文字通り、『得体の知れないもの』と警戒させるに値するものだった。数言の念話を交わして、今の状況をおおむね理解した葉月は、スカートのポケットから一枚のカードを取り出しながら、それを見せつけるように掲げてみせる。

 

「これがあなた方の『切り札』としてご用意なされたデバイスですか……ふ~ん? 確かに、なかなかの性能を秘めておられますわね?」

「なっ!? それ、は……まさかっ!?」

 

葉月が指先で弄ぶ『カード』の正体に気づいたグレアムが慌てて己の手にあるはずの【デュランダル】へと視線を落とす。だが、そこに在ったのは機械的な文様の刻まれた待機状態の【デュランダル】ではなく――地球で大人気のカードゲームに登場するマスコットキャラ――目と手足がくっ付いた毛玉の如きモンスター『クリボー』の描かれた、魔法も精霊も秘められていない何ら変哲の無いカードであった。

 

「お前っ! いつの間にすり替えやがった!?」

「あらあら、人聞きの悪い……淑女である私がそのようなはしたない真似をする訳ありませんわ。言いがかりはお止めになってくださいませんか、こ・ね・こ・さ・ん?」

 

明らかな嘲りの込められた笑みを浮かべる葉月に、もとから沸点の低いロッテのボルテージは一気に振り切れる。激情の赴くまま葉月へと襲い掛かる。

単調な突撃を余裕に回避して見せた葉月だったが、彼女にも油断があったのだろう、ロッテの影に隠れるように距離を詰めてきていたグレアムに人差し指と中指で抓んでいた『カード』を奪い取られてしまった。

 

「あらあら、やりますわね」

 

それでも葉月の余裕は崩れない。スカートの裾を軽く摘み、ビルの屋上へ華麗に着地を決めてみせた彼女は、何とも言いたげなクロノのジト目に向き直る。

 

「葉月……助けてくれたのはありがたいんだが、イロイロと言いたいことがある」

「――ええ、貴方のおっしゃられたいことは、理解しております」

「そうか、なら言わせてもらうが――」

「年上の殿方一人と、お姉さん系猫耳美女二人との“イ・ケ・ナ・イ”プレイを満喫なされていたというのに、水を指してしまいまして……本当に申し訳ありませんわ。心からお詫び申し上げます」

「全然違う! というか君はいったい何を言っているんだ!? てか、あの状況でどうやったらそんなぶっ飛んだ答えを導き出せたのか、むしろそっちの方が知りたいよ!」

「まあまあ、そんなに興奮なされましては身体に障りますわよ? これでも読んで、気分を落ち着かせてくださいませ」

 

そう言いながら、どこからともなく取り出した本らしき物をクロノに手渡す葉月。

なんだ? と視線を表示に落としてみれば、クロノの時間が――停止する!

 

「――は、葉月。君は、これを……これを一体、どこで手に入れたんだい?」

「ユーノさんの付き添いで無限図書館へと赴いた際に、たまたまクロノさんたちのご実家の方にも行く機会がありまして……つい、好奇心に駆られて家探しを。てへ♪」

「『てへ♪』じゃない! 『てへ♪』じゃ!? おまっ、これは……!」

「大丈夫ですわよ、クロノさん……あなたもお年頃の殿方なのですから。そういう本(・・・・・)に興味を抱かれ、あまつさえ、タンスの引き出しの二重底の下に隠されていたとしても、問題はありません。というか寧ろ、そういうコトにに興味がおありにならない方がイロイロと問題があるかと」

「や、やめろ! たのむから、やめてくれ! もうそれ以上は――!?」

「あ、ちなみに“それ”の隠し場所はリンディ提督から教えて戴きましたのですよ? 『あの子もお年頃よね~~♪』と、実にうれしそうになされていましたよ。クロノさんが初めてそういう本(・・・・・)を隠れてご購入なされた日の挙動不審な動きを録画した映像を干渉しつつ、リミエッタ情報官さんや花梨さんも同伴の上で、それはもう嬉々として語られておりました」

「なん……だと……!?」

 

くすくすと獲物を弄る猫のような笑みを浮かべた葉月に語られた真実は、クロノを絶望の闇に叩き落すに十分過ぎる威力が秘められていた。

実の母に全てを知られていたと言うだけでも、男として、そして息子として穴があったら入りこんでそのまま埋まりたいくらい恥ずかしいと言うのに、さらに同僚や友人にすら知られてしまったというのか……!?

時空管理局局員、執務官、アースラのエース、名だたる称号を手に入れてきたクロノに、新たな称号『むっつりスケベ』が授与された瞬間だった。

遠くからこちらを見ているグレアム提督たちの視線が、なんだか暖かく感じられるのは気のせいなのだろうか……?

 

「まあまあ、これを差し上げますから、機嫌を直してくださいな」

 

両手をついて項垂れるクロノに、そう言いながら葉月が差し出したのはものすごく見覚えのあるカード……ていうか完璧に待機状態の【デュランダル】だった。

 

「はぁああっ!?」

 

驚き、思わず奪い取る様に手に取ったそれを食い入るように見つめると、それが正真正銘の本物であることを悟る。と同時に疑問が浮かんできた。グレアムに奪われたはずの【デュランダル】が何故、葉月の手にあったのだろうか?

 

「何か勘違いなされていませんか? 私はただトレードしただけ(・・・・・・・・)ですわよ? お互いの所有するカードを交換し合う……トレーディングカードの醍醐味ですわね」

 

その瞬間、グレアムの手元にある『カード』の絵柄が揺らめき、一瞬でデフォルメされたモンスターの絵が描かれたカード――今度は、目と手足がくっ付いた毛玉に羽の生えた『ハネクリボー』のカードへと変化した。

 

「まさか……これも幻術!?」

「こンの小娘ぇ……! ハメやがったね!?」

「あらあら、自分の無様さを棚に上げて何をおっしゃられているのやら……ただ、勝手に自爆なされただけでしょう?」

 

この瞬間、グレアムたちは葉月の策にはめられたことを悟る。彼女がワザと見せつけるように掲げてみせたのは何の変哲も無い『カード』だった……それを幻術で待機状態の【デュランダル】に似せることで動揺を誘い、同時にグレアムの手にした本物の方にも幻術を仕掛けてまったく別物であるように見せかけたのだ。さらに、こちらを煽るような発言を繰り返すことで激情しやすいロッテを挑発するとともに、ワザと(・・・)偽物の『カード』をグレアムに奪わせた。そして彼が葉月の元から『カード』を奪い取るために距離を詰めてきた瞬間、本物の【デュランダル】を抜き取って見せたのだ。

もし、グレアムが普段通りの冷静な状態であったとすれば、手元にある【デュランダル】が本物かどうかなどすぐに見抜けていたはずだ。しかし、彼の仕掛けた渾身のバインドを容易く解除して見せることで技量の高さを匂わせ、さらにアースラとの通信を回復させた旨をあえて伝えることにより、増援が贈られてくるのではという焦りを生み出させた。そして偽物を奪い取らせやすいように、挑発することで感情任せの無防備な攻撃を仕掛けるようロッテを誘導、相方であるアリアが未だ万全ではない現状では必然的に彼女のカバーはグレアムが取ることになるだろう。そう。これはすべて、最初から計算され尽くした戦略だったのだ。魔導を極めし魔女の資質……それを有する葉月にとって、他人を手玉に取ることなど動作も無いことなのだ。何故ならば、古来より魔法とは不可解な言葉や言い回しによって当たり前のことを理解できない超常のものであると思い込ませることで誕生していった偶像を生み出す技法……。そう、真実の魔女とは、強大な魔力を振り回すものを指す称号なのではない。

ただの言葉で、人の動きを、心を支配して見せる事こそが、魔女の生み出す真実の魔法と呼べるものなのだ。

若き精鋭や歴戦の勇士すらもその心を惑わせ、手玉にとる……まさに彼女こそ、このセカイに生まれ出でた“魔女”であると言えよう。

 

「さて、それでは……いい加減に幕を下ろしましょうか。――【マグダラ】」

 

詠唱と共に、宙に浮かぶ魔導書のページがひとりでに捲られていく。ページに刻み込まれた文字が眩い輝きを放ち、少女の全身から強大な魔力を放出させる。

鈴の音を思わせる少女の声とともに放たれたのは布状のバインド。それがグレアム達に絡みつき、抵抗する間も無く拘束して見せた。

グレアムたちも咄嗟に魔法を発動させようとするが、それよりも早く全身を締め上げてくる布にリンカ―コアから直接魔力を吸い取られてしまえば、もう彼らに抗う術は残されていなかった。

魔導書のページを閉じ、にっこりと笑みを浮かべる葉月に、クロノは先ほどとは違う意味で寒気を覚えていた。

 

(花梨と言い、葉月と言い……『参加者』とやらは、全員こんななのか? ホント、“ゲーム”とはいったいなんなんだ)

 

深まる困惑が彼女らへの疑念を生み出していくが、今やるべきことのために行動すべきだと頭を切り替える。

葉月が復旧させたアースラとの通信を試みながら、クロノは手に持った【デュランダル】の重さをひしひしと感じていた。これがグレアムたちの憎しみの……想いの重みという奴ならば、彼らの願いを否定した自分にはこれを背負う義務がある!

 

新たな覚悟を胸にしたクロノは、葉月と通信用モニター越しのリンディと共に、今後の作戦を構築するために、意見を交わしていくのだった。

 

遥か彼方の方角で、黒い光が爆ぜるのを視界の端で捉えながら。




グレアムの本命はあくまでも【デュランダル】による永久封印。
ディーノを引き入れたのは万が一の時の保険としてであり、得体のしれないイレギュラー(転生者たち)への牽制のためでした。

師匠超えを果たしたクロノ君のさらに上を行く提督さん。そして歴戦の勇士たる彼すらも手玉に取る葉月さん。ここまであまり目立てていませんでしたが、とっても有能な魔女っ娘なのです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。