魔法少女リリカルなのは 『神造遊戯』   作:カゲロー

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狂気襲来

おびただしい数のクレーターが大地を穿ちながら、剣士と拳士の激闘は続いていた。

魔力を、気力を振り絞り、積み重ねた技術、胸に宿す覚悟を攻撃に乗せ、ただ眼前の好敵手を打ち倒すためだけに咆哮の如き叫びを上げながらぶつかりあう。

幾度目かの交叉を経て、二人は互いの拳と剣がぶつかり合った衝撃で弾かれるように後方へと跳ぶ。

大地を削りながら着地を決め、油断なく相手の様子を伺いながら、荒く乱れた呼吸を整えることに神経を注ぐ。

頬を伝う汗がに紅いものが混じった雫が砂の中へと吸い込まれていく。肩で呼吸を繰り返しながら、アルクはシグナムを見据える。

 

「(やっぱ、マジで強えなアイツ……これほどの底力を秘めていたのかよ)」

 

戦闘を始めてからすでに数十分は経過しているだろう。激しい戦いのお蔭で時間の感覚が曖昧になってきている。少なくない時間とずきずきと痛み続けるダメージを引き換えに大分追い詰めることが出来たと思うが、それでも倒し切ることが出来ると断定できない。それほどまでに、底が見えないのだ。数百年面の間積み重ねてきた戦闘経験、それは今のアルクには持ち得ないもの。戦いの中で自分もまた、成長できているという実感こそあるが、それでもまだ彼女の立つ領域には届かないのではないかという不安が鎌首を擡げる。

攻撃特化型であるアルクが歴戦の勇士あいてにここまで食い下がれてきたのは、偏に『救世の刃(テン・コマンドメンツ)』による防御強化によるものだ。だが、常時発動型であるこのチカラは相応の魔力を消費しつづけなければならず、このままずるずると長期戦に持ち込まれると、間違いなくこちらが先にへばってしまう。

 

「(ユーノに念話を飛ばしても全然返事が無い……ってことは、あっちもあっちで誰かと遭遇しちまってるかもしれないってコトか。下手すりゃ、他の騎士が増援に来る可能性もある。対して、俺は全身ボッコボコ。魔力はまだしも、体力の低下と流し過ぎた血が多すぎるか。ったく、非殺傷とか大口叩いてんなら、剣で斬られても血ィ出ねー様にしとけよ! って、ヤベ、クラクラしてきた。貧血か……? このままだと……まずいな)」

 

シグナムもまた、戦意が衰えぬアルクを見据えながら内心で感嘆の声を上げる。

 

「(強い、な……戦いの中でどんどん強くなっていく――まさに戦いの申し子か)」

 

戦闘を開始してから、決定打と呼べる攻撃が通ったのは一度や二度ではない。アルクの守りが弱いということは当然見切っていた。全力の一撃を叩き込む事さえできれば、それで終わるとも。だが、現実はどうだ? 幾度打ち倒そうとも立ち上がり、より一層、闘志を高め続けている。最初は拙い体捌きも、幾度と交叉を繰り返すうちにどんどんと洗練されていき、今では一人前の騎士を名乗っても遜色しないレベルにまで達しつつある。驚愕すべきは、凄まじいまでの成長速度だ。もしこのまま剣を交えていけば、一体どれほどの騎士に成長するのだろうか……?

ゾクリ、と背筋に冷たいものが走る。それは恐るべき強敵に対する警戒であり、騎士として次世代を担うであろう勇者を他の誰でもない、自分自身が戦いの中で育て上げているという考えに対する興奮によるものだ。もし、こんな出会い方をしていなかったとすれば――果たして、どんな未来を歩むことが出来たのだろうか?

不意に脳裏に浮かんだ考えを振り払うようにかぶりを振り、改めて今の状況を整理する。

 

「(奴の力は大体見抜くことは出来た。万全の状態ならばやりようはあったが……駄目だな。酷使させた右腕はもう動かん。【レヴァンティン】も刀身にひびが入っている。修復に回す余剰魔力も底を尽きかけている。体力も限界に近い、このまま時間をかけるのは得策では無いな)」

 

両者の思惑は偶然か、それとも必然か。大技にて一気に勝負を決めるという単純なものだった。

 

「(天皇竜の断罪(エグゼキューション・ブラスト)……決められるのか?)」

「(シュツルムファルケン……当てられるか?)」

 

切るべき切り札を見定めた二人は、それ(・・)を決めるための隙を作るべく、拳を、剣を構える。まるで鏡写しの様に、二人が同時に地面を蹴った直後、

ドシュッ! という生々しい音と共に、アルクの胸元からナニカが生まれ出た。

 

「なんっ……だと……!?」

「なっ……!? スクライアっ!?」

 

驚愕で目を見開く二人を心底愉快そうに見下ろしながら、光学迷彩を解除させた仮面の男が姿を現した。

胸を突き破る腕には、アルクのリンカーコアが握りしめられていた。爪を立てる勢いで握られたことで激しい痛みを感じながら、アルクは途切れそうな意識をギリギリのところで繋ぎ止めていた。

 

「ぎぃ……!」

「フン、しぶといな……だが!」

 

必死の形相で奪われつつあるリンカーコアを握る仮面の男の腕を掴もうとするアルクをあざ笑うかのように、仮面の男は勢いよく腕を引き抜いてリンカーコアを身体から引き千切る。器官の一つでもあるリンカーコアを無理やり引き抜かれた衝撃は想像を絶する激痛となって、ダメージを負っていたアルクの意識を侵食する。

落雷によってブレーカーが落ちるように、一瞬でブラックアウトしたアルクは、操り糸の切れたマリオネットの様に力無く崩れ落ちる。完全に意識を失ってしまったアルクの背中を忌々しげに何度も踏みつけながら、仮面の男はシグナムへ向き直る。先日の戦いでは“Ⅹ”によって腕を斬り落とされたショックで幻術が解除されていたが、あの出で立ちは間違いなく管理局の関係者のはず。

正体がわかっているのに再び仮面の男に扮して現れたということは、管理局内部も一枚岩ではないことの証明なのかもしれない。だが、そんなことはこの際どうでもよい。狙いはわからずとも、自分たちに利があるのならば互いに利用するのもやぶさかではない。だが、これは――

 

「……気に入らんな」

「っは。『気に入らん』……だと? たかがプログラムの分際で、生意気に人間の真似事か? それとも騎士道のつもりか? ――笑わせるな。貴様らなど所詮は道具、闇の書を完成させるためだけに存在し、不幸を撒き散らすだけの“モノ”でしかなかろうが」

「――っ!!」

 

嘲りの多分に含まれた嘲笑を投げかれられ、シグナムは歯を噛み締める。憤怒の如き怒りが己を解放しろと叫び続けているのを感じながら、それでも彼女には仮面の男を睨み付けることしか出来ない。一刻も早く闇の書を完成させることは何よりも優先すべき事……なのに心躍る戦いに没頭して、本分を忘れていたのは紛れも無く彼女自身なのだ。リンカーコアを奪い、魔力を蒐集する。そのための行動として、弱った獲物に不意打ちを仕掛けるという行為は、間違っていないだろう。だが。そうだとしても、彼女の胸に宿る騎士道が、彼女の支えでもある誇りが、この非情な男を許せないと囁き続けている。

 

「さあ、奪え……これでまた一歩、闇の書の完成に近づく……」

「ぐっ……! すまない、スクライア……闇の書よ」

 

俯き、血が出るほどに強く握りしめた拳を震わせながら、かすれるような声で闇の書を呼ぶ。守護騎士たちはある程度の距離ならば、はなれた場所から闇の書を召喚することが出来る。

召喚された闇の書は仮面の男が差し出した真紅のリンカーコアに向けて頁を開く。すると、開かれた頁に文字が刻み込まれ、空白を埋めていく。普段であれば数秒も掛からずに終わるはずの作業がやたらと遅い。最初の数頁は問題なく文字が記載されていったのに対して、新たな頁に進むごとに時間がかかっていく。十頁ほど進んだところで、等々一文字一文字を記すのに数秒も掛かるほどになっていく。この状況にシグナムは勿論、仮面の男にすら焦りのが浮かぶ。

 

 

 

 

「ど、どうした、闇の書? こんなことは今まで一度も――!」

「くっ! またしてもイレギュラーがっ! 何故だ! 何故こうも私の邪魔ばかり起こるのだ!?」

 

闇の書の明らかな異常を前にしてしまったが故に、二人は気付くことが出来なかった。紫電の拘束を破り、闇の書の気配を辿って、一人の復讐者がこの世界に現れたことを。

 

「っ!? 闇の書が……!?」

「……どうやら、僕の親友があなたの仲間に負けたみたいですね」

 

手の中から突如として姿を消した闇の書に驚きを隠せないシャマルとは違い、ユーノは冷静に現実を受け止めながら、理論を組み立てていく。

 

「(あのアルクが一対一で遅れをとるとは思えない。ってことは、多分横槍……状況から考えてみても、援護に入られたのは騎士じゃなくて、報告に上げられていた仮面の男。だとしたら、いったい何の目的があって……)」

「……ユーノ君、どうやら私たちの仲間の誰かが、あなたのお友達を倒したみたいですね?」

「ええ、どうやらそのようですね。それじゃあ、僕はアイツの救援に向かいたいと思うんですが……その前に、一つだけ確認したいことがあるんです。いいでしょうか?」

「……内容によります」

「ありがとうございます。……シャマルさん、貴方は“闇の書”――いえ、”夜天の書“という言葉に訊き覚えはありませんか?」

「え……っ?」

「僕の仲間の一人に、かなりの情報に通じた人がいるんです。その人曰く、『”闇の書“はその原点を”夜天の書“と呼ばれる魔法を記録するために生み出された魔導書が改悪され続けた結果、今のような形になってしまった』らしいんです。そして『改悪されたせいで中枢部分、特に防衛機能が暴走状態へと陥ってしまっており、今のままでは完成した直後に主を吸収して際限ない破壊活動を行ってしまう』とのことです。その辺り、当事者である貴方から真相をお聞きしたいんです。もしこの情報の通りならば、貴方たちの未来は誰もが悲しむものでしかないことになるんです」

「そんな……!? 嘘です! ”闇の書“については私たちが一番よく知っているんです! 書を完成させれば、はや……主もきっと――!?」

「……管理局に記録されている過去の”闇の書“事件についてできる限り調べました。ですので結論から言います。”闇の書“が完成したのち、書の主が生存できていた事は一度たりとも存在していないんです(・・・・・・・・・・・・・・・・)。確かに、これはあくまでも過去の記録でしかなく、真実は違うのかもしれない。書を完成させられた主には、文字通りの強大な力が与えられていて、過去の事件は悪意に呑まれてしまった主が引き起こした人災だったのかもしれない。――でも! これは間違いなく過去に起こった真実なんです! もし、もしもですよ? 僕の推論通り、”闇の書“に重大なバグが発生していたとするのなら、いろいろと辻褄が合うんです! 貴方たちが”夜天の書“の名前を忘れてしまっていることも! 過去に起こった事件の真実も! 彼の――”Ⅹ“の故郷を滅ぼした貴方たちと、今の貴方たちが違い過ぎる事も! バグに侵されたせいで、都合の良い記憶の改変が行われていたと考えれば、総て説明がつくんです!」

 

何故、ヴォルケンリッターたちが“Ⅹ”の故郷を滅ぼし十年前の事件を始めとする過去の記憶を失っているのに、本人たちはそれを指摘されるまで疑問に思わなかったのか?

何故、最低限の感情しか持たなかったはずの彼らが、心優しい少女だとは言え、僅かなふれあい程度でこうも容易く誰かを傷つけることに罪悪感を感じるようになっていったのか?

 

――もしそれが、“闇の書”に巣食う悪意によってもたらされたモノなのだとしたら?

もし、主の望む通りの『人形』として、実体化する前に都合の良いように人格に干渉されていたのだとすれば。

十年近くもの間、蝕み続けてきた主たる少女が受け入れやすいように、人間のような価値観を内包させられて実体化させられていたのだとすれば。

そうでもなければ、血と殺戮の中で存在し続けてきたモノが、こうも容易く平凡な世界に馴染めるはずも無い。一度でも血の味を覚えてしまった獣は、人の手で与えられた餌に満足することは二度と出来ない。

戦うために生み出された彼女らが、平穏な生活に息苦しさを感じぬはずも無い。

 

「――僕の推察は以上です」

 

ユーノから自分たちの存在意義すら揺るがしかけない事実を聞かされたシャマルは呆然と視線を彷徨わせながら、両手を額に当てる。

泣き崩れているようにも見える素振りが、彼女の内で混乱と驚愕の嵐が吹きあれていることのなによりの証明だ。やがて落ち着いたのか、大きく息を吐きながら顔を上げると、どこか遠くを見つめながらゆっくりと口を開く。

 

「本当はね、どこかおかしいなって思ってはいたんですよ……。あの男の子、“Ⅹ”君の話を聞いてから特に強く、ね」

 

いくら思い出そうとしても、彼のことは勿論、前回の闇の書が起動したときの記憶自体が曖昧なものだった。自己修復機能を有するプログラム生命体である自分たちには、劣化という概念は存在しない。だというのに、記憶に欠落が生じている。もし、ユーノ言うとおり、今の生活に、主たるはやてが望む生活を送るためには、あの頃の記憶はあまりにも凄惨過ぎるから不要だと判断されて消去されたのだとすれば納得できる。

『闇の書が完成すれば、はやては本当に幸せになれるんだよね?』

ヴィータの何気ない疑問。だが今では、それは深い棘となって自分の胸に突き刺さっている。

だが、それでも――

 

「私は、私たちは立ち止まるわけにはいかないんです。例え、どんな未来が待ち受けていようとも……救いたい人がいるから」

「シャマルさん……」

「ユーノ君、こんなことお願いできる立場じゃないってことは理解できます! どれほど恥知らずなお願いをしようとしているのかもわかっています! すべてが終われば――あの人を助けることが出来れば、どんなこともします! だから、お願い! もう少しだけ……あと少しだけ、私に時間を下さいませんか!」

 

深々と頭を下げながらシャマルが懇願する。自分は犯罪者で彼は管理局の協力者。互いの立場にどれほどの隔たりがあるのかもわかる。ユーノに自分たちに対する悪意は微塵も無い。きっと、ただ純粋に自分たちのことを案じ、間違った道を進んでいることを教えてくれようとしているのだ。例え犯罪者だとしても、拭いようのない罪を重ねてきた存在なのだとしても……救える命は救いたい。少年特有の無謀で、けれどもどこまでもまっすぐな想いを抱いて接してくれるユーノへの想いは感謝という言葉では表せられない。それでも、今はまだ差し伸べられた手を取ることは出来ない。本当に“闇の書”……いや、“夜天の書”には重大なバグが発生しているのか。書を完成させてもはやてを救うことが出来ないのか。それを調べることは参謀役たる自分の仕事だ。まずは真実を明らかにすること。全てはそこからだ。

だから――!

 

「シャマルさん……わかりました。今日の会話のことは他言無用にしておきます」

 

シャマルの覚悟を感じとったユーノもまた、『決断』を下す。必ずや、彼女たちを救って見せると。そのために泥を被らなければならないのならば、いくらでも被ってみせようと。

 

「近々、僕は管理局本局にある無限図書館で“夜天の書”の改変について知らべるつもりです。もし、どのような改変が行われていたのかがわかれば、きっと元の正しい形に戻すことも出来るはずですから。“夜天の書”には主に害をなすような機能は搭載されていない筈なので、もしうまくいけばあなたの助けたい人……書の主を救う手助けができると思います」

「っ!? あ、貴方は最初からそれを知っていて……!?」

「いやぁ、これも友人からの入れ知識ですよ。まったく……どうやってこんな情報を仕入れてきたのやら。あ、勘違いしないでくださいね? 僕が教えて貰えたのは書の主が魔力の侵食を受けているっていうことと、その人を救うために貴方たちが蒐集活動を行っているらしいということくらいですから」

「そう、ですか……(嘘をついている風には……見えないですね)」

 

ユーノの言葉に偽りがないことを察し、シャマルは小さ息を吐く。本来ならばユーノがそこまでする必要などありはしないのだ。所詮は他人事。見て見ぬふりを貫けば、ユーノはここまで危険な橋を渡ることも無かっただろう。密会じみた敵との対話、そして情報交換。それは何もユーノだけに言える事ではない。シャマルもまた、この場で手に入れた情報を仲間たちに伝えるのは控えようと考えていたからだ。結論が出るまでは、仲間のモチベーションを下げるような行為は極力避けるべきだと、彼女の中の騎士としての理性がそう判断していた。

その直後、遥か彼方より感じ取れた禍々しい魔力の気配の接近に気づいた二人が、まるで照らし合わせたかのように勢いよく飛翔する。向かう先は、ユーノの親友とシャマルの仲間がが激闘を繰り広げていたであろう戦場。いやな予感を抱きながら、二人はそれぞれの仲間の無事を祈りつつ、全速力でその身を翻した。

 

 

 

 

それは、あまりにも一方的な蹂躙だった。

シグナムと対峙し、アルクによって倒されていた赤竜の亡骸が、一瞬で肉片一つも残さずに消滅した。

 

「な……」

 

間の抜けた声を上げるシグナムと声すら出せない仮面の男。

だが次の瞬間、はるか上空から飛来して赤竜の亡骸があった場所に着地した存在に気づき、全身を硬直させることになる。

身を包む漆黒の戦装束はまるで喪服の様であり、奈落の底を彷彿させるほどに不吉な衣。全身から立ち昇る黒き魔力が、過去の怨念と混じりあいながら渦を巻きながら広がっていく。

砂漠という灼熱世界にいながら、まるで極寒のシベリアもかくやという寒気が二人の全身を蹂躙する。

――人はそれを、恐怖と呼ぶ。

騎士だの魔導師だのいう問題ではない。生物としてとか魔導生命体だとかいう問題ではない。ヒトという存在であるが故に、決して抗え切れぬ生物的本能が今すぐ逃げろと全力で警告を鳴らす。

だが……すべては遅すぎた。

 

「きさ――がはっ!?」

「なん――っぐぅっ!?」

 

問答も、前置きも、警告も無かった。問答無用、二の句を継がせぬ神速の踏み込みを以て、黒い魔力を纏わせた拳が二人を吹き飛ばす。

飛ばされた二人が地面に落下するよりも早く、刹那の内に二人に追いついた存在……ディーノは両者の頭をわし掴みにすると、勢いよく地面に叩き付ける。

肺の中の空気を吐き出すシグナムの鳩尾に魔力で強化した爪先が叩き込まれ、シグナムの意識が一瞬だけブラックアウトする。だが、気絶などさせないとばかりに幾度も蹴りを追撃として叩き込む。

アルクとの戦いで体力を消耗していたシグナムになすすべが残されているはすも無く、まるで素人に蹴られたサッカーボールのように地面を転がる無様を晒すことしか出来ない。

仮面の男は頭部をわし掴みにされながら片手で持ち上げられ、腹部に無慈悲な拳を幾度となく叩き込まれる。先日の戦いで自分の邪魔をしたせいなのか、ディーノの表情に揺らぎは無く、むしろ仮面の男すら復讐の対象ととらえたかの如き勢いで攻撃を繰り出し続ける。

 

「ぐっ、がっ、がはっ!?」

 

無論、仮面の男が抵抗しなかったわけではない。むしろ、初撃を受けた直後に全身を覆うタイプの防護魔法を最大展開していたし、バリアジャケットの強度も最高レベルに設定し直していた。

対抗手段を用意しておきながら、それでもなお覆すことの叶わない圧倒的な力量差が彼らの間には存在した。

圧倒的なまでの実力差。技量や経験、戦略などの問題などではない。ただ純粋に、ディーノの戦闘力がシグナムや仮面の男を凌駕しているということだけだ。

 

「きっ、貴様は――っぐぁあああっ!?」

「うるサイ……」

 

ディーノは抵抗する余力を失った仮面の男を無造作に放り投げると、昏倒したシグナムの傍へと近づいていく。

ジャリッジャリッ、という砂を踏みしめる音がいやに響く。全身が傷だらけけ、無傷の場所を探す方が難しいほどの手傷を負わされたシグナムを見下ろすディーノの瞳に僅かな揺らぎが生まれる。

それは彼の中に宿る心優しい誰かの願い……騎士たちを助けてあげても良いのではないか? とほんの少しだけ思ったことで生まれた揺らぎだった。だがそれも一瞬、一条の風がディーノの頬を撫でた次の瞬間には、何も映してはいない焦点が合わない濁った黒い色に染まりきっていた。

無造作に、背中から大剣を引き抜く。復讐を果たすためだけに磨き上げてきた外道の技。人ならざる存在を完膚なきまでの破壊する魔性の毒を纏った刃を振り上げ、頭上で左手を添えながら一気に振り下ろす。刃の軌跡に沿って黒き毒が撒き散らされ、大気を侵食していく。それに反して、ぴたりと止められた大剣を構える姿はきれいな正眼の構えとなっている。数えることも忘れるほどに同じ型を繰り返す努力を行ってきた者だけに許されたその動作は、一種の芸術性すら感じ取らせる。

 

――もし、彼が復讐ではなく真っ当な道を歩くことが出来ていれば……果たしてどれほどの達人へと成長できていたのだろうか。いや、所詮は詮無きこと、か。

 

「やっト、ダ。矢ッと、やっと、ヤット、稍也野ャや――!」

 

仇を目の前にしたディーノの表情が劇的に変化していく。

能面のような無表情から年相応の歓喜の笑顔へと。そして――狂ったような凶笑へと。まともな言語機能など忘れてしまったかのように、壊れたラジカセのように意味を成さない言葉をたれ流していたが、やがて……

 

「――ケヒャ」

 

最後の防波堤が崩れ、人として踏み越えてはいけない境界線を踏み越えてしまう。その先に在るのはどこまでも続く、終わりなき迷宮路。けれども彼に後悔はない。何故なら――そんな思考すら、彼にはもう残されてはいないのだから。

 

「けっ、げげげげひゃひゃぁあははははははは!!」

 

絶叫と同時に放たれた一撃が、微塵の躊躇もなくシグナムへと振り下ろされた。

 

 

 

 

「――かはっ!」

 

激しく咳き込みながら意識を取り戻したアルクは、リンカーコアの激しい痛みを感じて思わず胸元を押さえる。

身体の芯からくる鈍い痛みに意識が飛びそうになるのを何とか堪えながら、周囲を見渡して状況を確認する。

この全身を突き刺すようなむき出しの殺意。葉月の情報から察するに、“闇の書”へ強い恨みを抱く“Ⅹ”のものに間違いないだろう。

世界そのものが恐れているかのような禍々しい魔力の波動……“Ⅰ”とは似て非なる存在、彼とは別の意味で危険な転生者。

 

「くっそ、何がどうなってやが――」

「アルクッ!」

「!? ユーノ、か……?」

 

駆け寄ってきたのはアルクとは数年来の付き合いとなる親友、ユーノだった。蹲るアルクの様子にただごとではないと判断すると、すばやく彼の身体を触診し、状態を確認していく。

スクライアの族長から遺跡発掘を許されてから二人はずっと一緒に行動してきた。パートナー、相棒、パティ……二人がそういう関係になっていくのにそう時間はかからなかった。

細かい作業が得意で、細かな情報を纏め上げて隠された秘密を暴くことに才能を開花させたユーノ。

頭脳労働には微塵も役に立たないが、それを帳消しにするほどの戦いのセンスを有していたアルク。

遺跡の発掘調査をユーノが行い、その護衛としてアルクがガードする。理想的な二人三脚の関係を彼らは築き上げていた。

そうした経験から、ユーノはアルクの顔色を見ただけでその容態を大まかに反別できるほどにまでなっていたのだ。アースラの優秀な医療スタッフもびっくりである。

 

「……蒐集されたんだね?」

 

その問いかけは疑問形だったが、確信が籠められていた。アルクもまた、誰よりも信じる親友に隠し事などせずにここまでの経緯を事細かに説明する(都合の悪い所はオミットすることを忘れずに)。

 

ユーノを探している途中でシグナムとエンカウントしてしまったこと。逃げることは出来そうも無く、他に仲間がいた可能性もあったため、そのまま戦闘に突入したということ。

そして、突如として出現した仮面の男らしき人物に不意打ちを食らい、リンカーコアを蒐集されてしまったということを。

最後に、周囲を包み込む悍ましい魔力の根源は先日出会った“Ⅹ”だと考えられるということを。

 

「“Ⅹ”……確か名前はディーノ、だったっけ。アルク、彼を止めることが出来るかい?」

「無茶言うなよ。全開状態ならやりようはあったかもしれんケド、流石に今のナリじゃあ死ににいくようなモンだよ」

 

予想はしていたが、アルクの消耗は予想以上のモノらしい。淡々と答える親友の本心……意識を繋ぎ止めておくことが精いっぱいだという状態を感じとったユーノは彼我の戦力差について思考を働かせる。

 

(予想以上に事態は悪化している……腕を斬り落とされたっていう仮面の男が平然としていたっていうこともそうだけど、“Ⅹ”の精神状態は行動の予想がまるで出来ない。わかっているのは、最優先で“闇の書”の関係者に襲い掛かるってことくらいだけど――っ!?)

 

ユーノの思考をかき消すほどの爆音が響き渡る。反射的に二人が視線を向けた先では、黒と銀色の魔力光が激しいスパークを起こしながらぶつかり合っていた。

 

「あの色は……」

「……どうやらアチラさんにも増援が来たようだぜ――っと」

 

身体を起し、両手をついて立ち上がろうとするアルクに、ユーノは慌てて駆け寄る。

 

「アルク!? 無茶したら駄目だよ!」

 

心配してくれる親友に、アルクは不敵に笑み返して見せる。

 

「おいおい、俺を見くびんなよな。こんくらいのダメ―ジなんざ屁でもねーぜい。てなわけで、俺たちも向こうの様子を見に行ってみようぜ」

「バカ言わないでよ! 君はもうボロボロなんだよ!? ここは一度撤退して様子を見るんだ!」

「それじゃあダメなんだよ」

 

アルクは、ユーノを正面から見据えつつ、血を吐き出すように語る。

 

「今の俺じゃあ足りない、足りないんだ……。俺はもっと強くならなきゃけない。でもそんな都合よくパワーアップなんて出来るわきゃねぇ。だったら、別の手段で強くなるしかないじゃねェか」

 

吐き捨てるように語りながら下唇を噛む。歯が喰い込み、鮮血独特の鉄の味が口いっぱいに広がっていく。だがそんなことはどうでもいい。

 

「あそこで戦ってるのは“Ⅸ”と“Ⅹ”だろう。どっちも俺たちとは敵対関係にある以上、そう遠くない内に奴らと一戦交えることになっちまう。でも、今の俺じゃあ奴らに届かない。絶対負けられないっていうのに……ははっ、笑えるだろ? こんなに離れたトコにいるってのに、身体が震えやがるんだよ。――奴らには勝てないかあ今すぐ逃げろ、って警笛を鳴らしてやがんだよ」

 

同じ転生者でありながら、アルクとコウタ、ディートの間には圧倒的すぎるほどの壁が存在している。能力云々の話ではないそれは――純粋な戦闘力の差。

力が総てと言い切るつもりはアルクは無い。だがそれでも、自分の意志を、想いを貫くにはいかなる障害をも打ち貫く強さが必要なのだ。特に、この儀式に参加しながら儀式の在り様に否定的な意見をもっている立場からすると、弱いことは何よりも罪なのだと言える。かつてダークネスが語ったように、力無くしてこの戦いを生き抜くことは出来ない。想いを貫き通す力を持たぬ者の言葉に、人の心に響くような強さが籠められるはずが無いのだから。

 

「俺が力を手に入れるには相当の時間がかかる。でも、奴さんはこっちの都合なんて考えてくれねーだろ? だから情報収集しとくんだよ。戦闘スタイル、使用する魔法の種類、その効果、隙になる動きの癖……使えるものは何でも使う。知恵を絞り、総ての力を出し切ってやる。後になって『ああ、あの時ああしておけばよかったなぁ』なんて後悔するような真似だけはしたくねェんだ」

「……わかったよ」

 

アルクの覚悟を感じ取ったユーノもまた覚悟を決める。親友の頑固さをいやというほど理解していた彼だからこそ、考えを改めさせるのではなく同意することでサポートする。

一人ではできないことでも二人なら何とかなる。戦いはあまり得意とは言えないけど、それでもアルクを連れてこの世界から逃げることくらいはやってみせる。

一度『決断』を下したユーノの行動は迅速だった。リンカーコアを大きく減衰させた状態のアルクに回復魔法をかけるのは、逆に弱ったリンカーコアへ負荷をかけることになりかねない。

手持ちの救急キットから包帯、絆創膏や痛み止めを取り出し、目に見えるキズを手早く処置していく。遺跡調査ではいつも生傷が絶えなかったアルクの手当を担当していたユーノにとって、この程度の応急処置はお茶の子さいさいなのだ。ものの数分で手当てを終えると、二人は気配に注意しながら戦場へと駆け出していく。

 

総てを護ると決めた騎士と総てを壊すと決めた勇者の繰り広げる闘争の場所へと。

 


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