魔法少女リリカルなのは 『神造遊戯』   作:カゲロー

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『彼』の過去話(敬語を使わせるのが難しい……)


『闇』、始まりし刻

同日の放課後、一日の授業をつつがなく終えた仲良し四人娘(花梨、なのは、アリサ、すずか)に二人を追加した計六人で、雑談を交わしながら徒歩で帰路についていた。

花梨のクラスに転校してきたフェイトはもちろん、花梨の誘いを受けた葉月も同行している。普段は話さない相手だからか、アリサはいきなりの誘いに訝しみ、すずかは人見知りスキルを発動させてしまっていた。

だが、花梨と仲良さ気に腕を組み、さらにこれ見よがしに顔を近づけて何やら内緒話。

ついでとばかりに、その際にはなのは嬢へと優越感たっぷりな流し目を送ったりしているものだから、なのはの機嫌がマッハでヤバくなりつつある。

彼女をなだめるフェイト嬢の頑張りが無ければ、とっくの昔に『シスコンVS百合属性』というドリームマッチバトルが繰り広げられていたことだろう。

だがそんな事情を知らないアリサやすすかから見れば、甲斐甲斐しく親友(候補)に尽くす葉月の姿は、実に美しく映っている。

 

「まったく、昨日は久しぶりに登校できるってメールをあたしやすずかへ送っておきながら、いざ当日の朝になったら熱出して寝込んじゃいましたって……なにやってんのよ、もう」

「あはは……でも、花梨ちゃんがお休みするなんて珍しいよね? なのはちゃんならともかく」

「そういえばそうよね……なのはならともかく」

「ちょっと待って、二人とも!? どーしてなのはとお姉ちゃんの扱いに差があるのかな!?」

「しょ~が無いじゃない、なのはなんだから。アンタならまだ沸いてない水風呂状態の浴槽に気づかないままダイブして風邪になるくらいはしそうだし」

「しかたないよ、なのはちゃんなんだから。肌寒いこの時期に、間違えて夏用のパジャマを着て寝っちゃって風邪になっちゃう位、ありそうだし」

 

親友二人から予想外の評価を受けていたという事実に打ちのめされるなのは嬢。

知りたくも無い現実と直面した魔法少女はこの瞬間、新たな称号その手にしたのだ。

多くの人々に愛される癒し系……その名も!

 

いじられキャラ 高町 なのは 爆・誕☆

 

「ただでさえなのはには『清祥一のドジっ娘』なんて称号があたえられてるってのに、この上、『もやしっこ』属性まで追加するつもりなのかしら?

「ちょっとまって、お姉ちゃん! 何ソレ? 初耳なんだけどっ!?

「あ、その噂についてはわたくしも存じ上げています。なんでも家庭の事情で何週間も休まれたのに、親しい方々にも詳しい理由をご説明なされなかったとか。それであらぬ推測が飛び回った末に、『高町妹さんは、実は運動オンチを克服するために山ごもりに挑んだ挙句、山に踏み込まんとする最初の第一歩目ですっころんで怪我したから、長い間家庭の事情という名の療養生活を送ってたんだ』とか」

「事実無根もはなはだしいよ!? ありさちゃん、すずかちゃん、どうしてみんなに違うって言ってくらなかったの!?」

「だってアンタが詳しい理由を話してくれなかったのは事実でしょ~が。じごーじとくよ」

「ご、ごめんねなのはちゃん。てっきり知ってるものだとばっかり……花梨ちゃんから教えてもらってなかったんだ?」

「あっ! そ、そうだよお姉ちゃん。どうしてなのはに教えてくれなかったの!?」

 

追及してくる妹を押さえつつ、視線は傍らに立つ親友の下へと。

 

「どーしてって、それは……ねえ?」

「ですわねぇ」

 

花梨とは葉月は顔を見合わせ、

 

「「その方がおもしろそうだったから(ですわ)」」

「みんななんてきらいだよぉおおおお!」

 

いじめすぎたのか、涙を流しながら夕日に向かって駆け出していく高町なのは 九才。

こういったスポコン的シュチエーションがやたらと似合う女の子である……が、この瞬間! 場に伏せられていたトラップカードが発動する!

 

(トラップ)発動! “バナ~ナの皮”! 通学路のど真ん中に、まるで『ワタシを踏んで♪』といわんばかりにその身を横たえる黄色い悪魔ちゃんである!

 

ぐにっ!   ← 少女がバナ~ナの皮をおふみになされた音

「にゃ?」  ← 人懐っこい子猫を思わせる少女のかわいらしい声

ズルッ!   ← 少女が見事なサマーソルトを繰り出す音

がごんっ!  ← 少女の後頭部がアスファルトとお友達になった音

 

「うにゃぁああああああああ!?」

「もう……あの娘ったら、ナニやってんのかしら」

「あ、あはは……」

「なっ、なのはっ!?」

 

当人はひっ……じょうに痛そうなのだが、見ている分にはなんだか可愛くみえてしまう光景にアリサとすずかは揃って微笑ましい笑みを浮かべている。

あわあわしてるのはフェイト嬢だけだ。

賑やかすぎる妹たちを見守りつつ、花梨と葉月は接触型の念話で会話を交わしていた。

最初からワザとらしく腕を繋いでいたのも、念話を行っていることをなのはやフェイトに悟られないよう計算しての事である。

……若干、葉月の邪念が含まれていることも否定できないが。

それはさて置き、二人は“ゲーム”関連の今後の方針について意見を交えていた。

 

『すこし、不用心すぎたかもしれませんわね。こんな状況になってしまった以上、学校を休むくらいの危機感は持っていた方が良いかもしれませんよ?』

『それは、まあ……でも、なのはたちと過ごす平穏な日常も私にとって大切なものなのよ』

『言いたいことはわかります。ですが、無防備に一人で外出をするという行為だけでもやめてくださいませんか? 限定的とは言え『神成るモノ』へと至ったあなたに興味を抱く者は大勢いるのですから』

『とは言っても、“ゲーム”や魔法のことを表沙汰に出来ない以上、義務教育を受ける責任てのがあるでしょう? ジュエルシードの時みたいに長期欠席する訳にもいかないし』

『それは……そうですが……』

『そもそも、私たちはこんな儀式なんかを受け入れるつもりも踊らされるつもりは無いし、負けるつもりもないわ。必ず抜け道を探し出して、私たちの平穏な日常を取り戻して見せる! ……でしょ?』

『はぁ……楽観視し過ぎている気がしないでもありませんが、そういうことなら良いでしょう……。で・す・が! 花梨さんが本気で“ゲーム”を拒絶して平穏な日常を守り抜くというのでしたら、いい加減にその方法も探さなくてはありませんよ?』

『うん、わかってる。“彼”にも言われたことだけど、今までの私は仲間を集めることに気が行き過ぎて、肝心の方法を探すことを疎かにしていたからね。このまま他人任せにするワケにもいかないわ』

『はい。……それと、出来る事なら管理局のデータベースも一度確認しておきたいところですわね。もちろん、あらゆる情報が蓄積されているという無限書庫こそ本命ですが、もしかして他の管理局の部隊がまだ見ぬ参加者と接触している記録が残されているかもしれません。特殊な能力を有しているとあれば、保護観察や監視下に置かれていても不思議じゃありません』

『あれ? ちょっとまって。今回の事件で参加してくるのは十番までじゃなかったっけ?』

 

巨木の世界で伝えられた情報では、“ⅩⅠ”以降の転生者は“ゲーム”に参加しないと言われていたような……

 

『花梨さん、もっと視野を広く持たなくては。十一番以降参戦時期はたしかに今から十年後ですが、別に“十年後に生まれてくる”と言う意味では無いのですよ?』

 

あっ! と思わず驚きの声を漏らしてしまった花梨に振り返ったアリサに手をひらひらさせながら「なんでもないよー」とアピールしつつ、告げられた神サマの言葉をよぉく思い返してみる。

確かに、この世界にいつ頃誕生するのかなどと、一言も口にしていない。あの場所の祭壇に現れていなかったから、てっきりまだ転生を果たしていないのだと思い込んでしまっていたのだ。

 

『そう簡単には見つからないでしょうし、もしかしたら本当に生まれてすらいないのかもしれません。ですが少しでも手掛かりをつかめる可能性があるのならば……』

『やってみる価値はある、ってことね。うん、了解よ。――それにしても』

 

花梨は葉月の顔をじっ、と見つめてみる。精神年齢も自分と同じくらいらしいと言うことだが、この頭の回転の速さの違いはどういうことなのか……これはアレだ。自分に軍師キャラは似合わなというお告げ的なものなのだろうか……。見つめられた葉月はというと、何を勘違いしたのか頬を赤らめ、瞳を閉じて、唇を突き出していた。

少女の欲望まみれな願望をチョップで撃墜しながら、花梨は空を見上げる。蒼い空の中を白い雲が悠然と泳いでいる風景に、こう思わずにはいられなかった。

平和だわ……、と。

しかしこの後、彼女が平和を堪能しているのとほぼ同時刻のとある場所で漢たちによる未来を掛けた激闘が繰り広げられていたことを、彼女らは知ることとなる。

 

――◇◆◇――

 

 

翠屋

 

それは花梨となのはの両親が経営する海鳴市で有名な喫茶店だ。

父、士郎がオーナーを、母、桃子がメインパティシェを務めるこの店は、彼女の生み出す至高のスィーツ目当てにうら若き女性客から絶大な支持を受けていたりする名店なのだ。

本日も絶賛繁盛中の店内に入ると、ウエイトレスをしていた姉、美由紀と挨拶を交わしながら奥の席へと移動する。ちょうど今は下校時間、学校帰りの学生客が多数訪れており、かなり客入りが良い状態というこの店の跡取りを目指している花梨としては非常に嬉しい光景に頬が緩んでしまう。

その横顔を眺めて頬筋が大変なことになりつつある葉月が微妙にプルプルし始めたあたりで、ようやく席に辿りつくことが出来た。腰を下ろし、一息つく。

 

「ふぃ~~」

「花梨、何よその溜息」

「いえいえ、私にもいろいろと考えるコトがあるのよ……てか、お姉ちゃん。なんだかいつもより混んでる気がするんだけどどうかしたの? 何なら手伝おうか?」

 

店内が普段よりも混んでいるように感じた花梨が注文を取りに近づいてきた美由紀に尋ねれば、彼女は手をパタパタ振りながら答える。

 

「あ~、大丈夫大丈夫。ちょ~っと、お父さんと恭ちゃんが道場に行ってるだけだから。すぐ戻ってくるって」

「へ? 営業時間中なのに、二人揃って? 何かあったの?」

 

なのはの疑問はもっともだ。飲食店を経営している店長とその息子が、仕事をほっぽり出して剣術の稽古に励むなどとは思いもしないだろう。

それに対して、苦笑を浮かべる美由紀の後ろからひょい、と顔を覗かせた桃子がにこにこと笑みを浮かべながら近づいてきた。

仕事の合間に入ったのか、ちょうど注文や来客が途切れたらしい。

 

「ちょっと前にちょっと変わったお客さんが来られてね? ちょっとお話ししてたみたいなんだけど、急に真剣な顔をして道場に行ってくるってだけ言い残して居なくなっちゃったのよ。多分、お客さんも一緒にね」

「え? ちょ、それ大丈夫なの? お父さんとお兄ちゃんが何で?」

「さあ……ただ、二人とも表情が厳しかったような気がするわね……」

 

いやいやいや、「こまったわ~」じゃありませんよ桃子さん。超が頭につく剣術家である高町家家長と後継者が殺気立って誰かを道場に拉致したってことじゃないの、ソレ!?

あわあわ、し始めた娘たちの様子に気づいた桃子は、「大丈夫よ」と相変わらずのにこにこ顔を浮かべたままだ。

 

「フェイトちゃんのお姉ちゃんも一緒に居るんだから。滅多な事なんて起こらないわよ」

 

高町家最高権力者様はごく自然に、まるでその辺のコンビニに出かけてくると言わんばかりにあっさりとそんな爆弾発言をかましてくれました。

 

「え……?」

「フェイト、ちゃんの……?」

「あ、姉……?」

 

花梨、なのは、フェイトの三人は桃子が口にした言葉の意味を理解できずに硬直してしまう。葉月は即座にカバンの中に忍ばせていた【グリモワール】へと手を伸ばし、周囲一帯に感知魔法を展開させる。

直後、高町家の裏庭にある道場、その中から憶えのありすぎる反応を二つ感じ取り、目を見開く。その反応で最悪の状況が頭の中を過ぎったのだろう、花梨となのはの二人の顔色が見る見るうちに蒼白になる。

フェイトはプレシアの件と、昨晩の戦闘で軽くあしらわれたことに対する怒りの形相で今にも飛び出しそうなほど殺気だっている。

友人たちの豹変に、ここまで蚊帳の外だったアリサとすずかは頭の上に疑問符を浮かべていたが、やがて沸点の低いアリサが焦れたように叫ぶ。

 

「ちょっと、アンタたち! 何なのよ? どうしたっているのよ? 急に顔を青したり赤くしたり……ちゃんと説明しなさい!」

「あ、アリサちゃん、落ち着いて……ほら、他のお客さんのご迷惑になっちゃってるから……あ、あの、すみません……」

 

周囲から驚きと好奇心の込められた視線が集まったことに気づいたのだろう、流石のアリサも恥ずかしそうに頭を下げながら腰を下ろし、テーブルに頬杖を突きながらジト目で元凶を睨む。

 

「……で? なんでそんなに動揺してるワケ? フェイトのお姉さんてどういうこと?」

「あ、えと、その……」

「なのは任せて。あのねアリサ、詳しいことは家庭の事情だから話せないんだけど、フェイトのお姉さんって、その……行方不明になってるはずなのよ」

「はぁ!?」

 

驚きの声を上げたのはアリサだけだったが、ずずかも彼女同様の表情を浮かべていた。確かに、行方不明になっているはずの友達の姉妹がここに居たなどと言われても、いきなり納得できるはずがない。彼女らの視線は、自然と『フェイトの姉』を見たらしい桃子と美由紀の方へと向けられる。二人は一度だけ顔を見合わせると、同時に頷きを返す。

 

「間違いないと思うよ? こうして見ると、本当にそっくりだもん。ねえ? お母さん」

「ええ。でも、フェイトちゃんの方がちょっとだけお姉さんぽいかしら?」

「え~?そうかな……あの娘、えっと確か……『アリシア』ちゃんだったっけ。あの子からなんとなくお姉さんオーラっぽいのを感じたんだけど」『!?』

「あらあら、美由紀もお姉さんだから、何か感じるところがあったのかしら? それはともかく、一緒に居た男の子と仲良さそうだったわね~~」

「……ああ、うん……ソウダネ……ぅぅ、どうして私には彼氏いないのにあんな小さな娘には年上で頼りになりそうな恋人がいるのよぅ」

「あら♪ やっぱり恋人だったのね?」

「うん!男の人がお父さんと恭ちゃんに引きずられていった時に、二人の関係を訊いてみたんだ。そしたらアリシアちゃんてば『私、ダークちゃんのことすきだよ~~♪』って、満面の笑顔で返してきたんだよ――!」

「あらあら、まあまあ!」

 

ボルテージがどんどん上がっていく母と姉に若干ひきながら、花梨はとりあえず二人の暴走を止めようと声を掛けようとしたその時、店の奥に備え付けられた勝手口から物音と男性の話し声が聞こえてきた。

 

「クッ……! ま、まさかこれほどの実力者が海鳴に存在していたとは……ッ!」

「いやあ、まさか恭也と二人掛かりでも相打ちが限界だとは……世界は広いと改めて思い知らされた気分だよ」

「いや……そもそも、どうして俺がアンタらに勝負を挑まれなければならなかったんだ? まったく意味が解らんのだが」

「ダークちゃんが、『高町 花梨と俺は特別な関係(殺し合う意味で)だ』なんて言うからだと私は思うんだよ」

「?? 別に間違っちゃいないと思うんだが?」

「……ッ!!(ギリギリギリ)」

「落ち着くんだ恭也。どうやら彼は恋愛云々の話をしているつもりは無いようだ。ここは情報収集に徹した後、もしそういう関係だと判明した場合に改めて見定めればいい(それにしても、彼の動きは武術の心得がある人間のソレではない……あれは実戦の、それも生死を掛けた死闘をくぐり抜けてきた者特有のソレだ。……彼は一体?)」

 

なにやら聞き捨てならない台詞がありまくりな会話を交わしながら姿を現したのは父、士郎と兄、恭也。

その後を続く様に、顔の左半分を包帯で覆った全身真っ黒な青年と清楚なワンピースと純白のケープを纏った金髪の少女。

前者二人は学校帰りの娘たちが友達と連れだっていることに気づいて笑みを浮かべ、後者二人は僅かに驚いたような顔をしたものの、男性はすぐに興味を失ったようで、傍に空いていたカウンター席に座るとメニューを開いていた。

少女は花梨たち――正確には、自分と同じ容姿をした少女――フェイトの方を微笑ましそうに見つめていたが、やがて踵を返して男性の隣の席に飛び乗ると、彼の方へ身体をくっ付ける様に身を寄せながらメニューを覗き込む。

少女をちらりと一瞥した男性は、甘える子猫の様に己の胸元へと額を擦り付けてくる少女の頭に手をやり、なでなで。

「んぅ~~♪」と気持ちよさそうな少女の浮かべるとろけそうな笑みに、店内にいたお客様方はそろって微笑ましそうな表情を浮かべている。

……ごく一部からは、嫉妬と怨嗟混じりの呪歌が響いてくるような気がするがその辺はスルーするのがお約束である。

 

「あらあら♪」

「ぅぅ~~……あれが勝ち組オーラなのかなぁ?」

「あの男、まさか幼女偏愛……? ならば、花梨やなのはの身がっ!? や、やはりここでヤるしか……!」

「すいません、注文良いですか? ブレンドコーヒーと後は……」

「あ! 私、この特製シュークリームが良いんだよっ!」

「じゃあそれで。後、オレンジジュースもお願いします」

「かしこまりました。少々お待ちください……ホラ、恭也。いつまで睨んでいるんだ。お前も手伝いなさい」

「……あぁ」

 

翠屋一同からもガン見されているというのに、ンな事知ったこっちゃねぇ! とばかりに注文を入れる男性は流石というべきか。さすがは”Ⅰ”(ファースト)ッ、肝っ玉が並みじゃねぇ……!!

もっとも、それは当たり前の様に注文を受け取っている士郎さんにも言えることだが。

程なくして運ばれてきたコーヒーに口をつけ、予想以上の味に小さな感動を覚える男性の横では、桃子お手製のシュークリームに齧り付く少女の姿が。

口の周りがクリームでベトベトになっているというのに一心不乱に手元の甘味に挑む姿は実に微笑ましくあり可愛らしい。

思わず、ウエイトレスであるはずの美由紀がナプキンで口元を拭いてあげたくなるほどのシロモノであった。

そんな穏やかな空気とは裏腹に、普通の人間ではない異能の能力者たちの間では激しく念話が交わされまくっていた。

 

『ちょっと! どういうことなの!? なんでアンタらが翠屋(ウチ)に居るのよ!?』

『俺たちが喫茶店で食事を堪能してはいけないルールなんてあるのか?』

『そういう問題ではないでしょうっ!? 何を呑気にコーヒーブレイクなされているんですかっ!? 犯罪者として指名手配されている自覚あるんですのっ!?』

『? 別に構わんだろ? さすがに今の状況でアルカンシェルでもブチ込まれれば少々キツイかもしれないが、そこまで短絡なオツムの持ち主じゃあ無いだろう? 指揮官がリンディ・ハラオウンなら尚更だ』

『……まるでアルカンシェルの直撃を受けても平気な風に聞こえてくるんだけど?』

『事実だが? お前らも“Ⅷ”経由で知っていると思うが、昨夜の戦闘中にジュエルシードを制御できるようになったんでな。空間を歪曲させて対象を押し潰す……だったか? ジュエルシードの空間干渉能力を制御できるようになった俺にそんな物が通用する訳ないだろうが』

『ホント、めちゃくちゃにも程がありますわ……』

 

実にあっさりと自分の情報を提示してくるダークネスの態度に不気味さを感じ、その内容のあまりのぶっ飛び具合に乾いた笑み浮かべることしか出来ない。

 

『――で? いい加減リンディ・ハラオウンに状況説明と救援の要請は終わったのか?』

 

ぎくり、と肩を震わせる少女二人に、男性……ダークネスは薄い笑みを口元に浮かべていた。

 

『ばれないでも思ったか? それとも一般人が大勢いる店内で仕掛けてみるか?別にいいぞ?ただし結界を張った際に、運悪く(・・・)無関係の人間が……たとえば、お前たちと同席している魔法なんてものとは無縁な小学生たちが結界の中に取り残されてしまうかもしれないが?』

『なっ!? あ、アンタっ!?』

『ククッ……! 別に他意はないぞ? ただ、そういう可能性が考えられるな、と思っただけだ。そう神経質になるなよ……なあ? 高町 花梨? 如月 葉月?』

 

明らかに遊んでいるダークネスに、花梨と葉月は歯を噛みしめるしか出来ない。何故なら彼女らは知っているからだ。封時結界の中に魔法を使えない一般人が取り残されるというイレギュラーが起こりうる可能性を。

悪の大魔王に弄ばれる二人の魔法少女的な構図が繰り広げられているのを余所に、金の少女が己の片割れや友人に向けて念話を送っていた。

 

『やほー、フェイト。それになのはちゃん、だったっけ? 妹がお世話になってま~す♪』

『ッ! どの口がそんな事……!』

『おおう、念話で歯軋りを再現するなんて……オヌシ! できておるなっ!? ……なんちゃって~~』

『このっ……!?』

『だ、駄目だよフェイトちゃん! お願いだから落ち着いて!? アリシアちゃんも! フェイトちゃんを挑発なんかしないで!?』

『え? 挑発? 何の事かな??』

『思った通りの天然さん!? やっぱり姉妹だから……!』

『な、なのはっ! 私はまだアリシアを姉さんなんて認めてないよっ!?』

『ツンツン言いながら、しっかりと“お姉ちゃん”って呼んでくれる妹萌え~~♪』

『あっ!? ~~ッッ!!』

「ふぇ、フェイト? 大丈夫? いきなり百面相したかと思えば今度は顔を真っ赤にしてテーブルに突っ伏したりして……」

「えと、大丈夫なのかな? なのはちゃん?」

「にゃう!? あ、あはは~、大丈夫! 大丈夫だから! うん、何も問題はなかったよ!」

「いや、そんな引きつった顔で言われても説得力なんてないから。なのはの国語の成績と同じ位ありえないから」

「それどういう意味!? アリサちゃん、それどういう意味かな!? 詳しく聞かせて!?」

「構わないけど……本当にいいの? 桃子さんが居るのに?」

「――っ、ぁ!?」

「うふふ……なのは?」

 

びくっ!

 

「はっ、はひっ!?」

「詳しくお話し……訊かせてもらいましょうか? ――ああついでに花梨も一緒にね?」

「うええぇ!? なんで私にまで飛び火が!?」

「だって、最近テストの答案用紙、見せてくれなくなってるでしょ? ちょっと前までは二人とも、テスト用紙が戻ってきたらその日の内に出して見せてくれてたのに」

「そっ、それは……!」

「それはいかんな。小学生たるもの、学校であったことはちゃんと親に報告しておかないとナ?」

「うっさいのよ! 関係ない人はすっこんでてよ!」

 

コーヒーカップ片手にくっくっと小さく笑いながらからかってくるダークネスに真っ赤な顔をした花梨が噛みつく。

ばんばん、とテーブルを叩く仕草はまんま子供が駄々をこねている風にしか見えない。この二人、精神的にはそう変わらない筈なのだが肉体に精神も引っ張られているのか、どうしても花梨の方が子供っぽく見えてしまう(事実、彼女は見紛うこと無き幼女なのだが)。

屈辱と恥辱でプルプル震える花梨の様子を愉快極まりないと言った表情で眺めるダークネスは間違いなくいじめっ子だ。清々しいまでに見事なドSの顔してるし。

 

表面上は穏やかに、されど内面的にはカオス極まりない事態が進行する最中、軽やかなベルの音と共に入口の扉が開いて、新たなお客様の来店を告げる。

 

「いらっしゃいませ~~……あ! リンディさん!」

 

店内への案内をしようと出迎えた美由紀が、最近知り合いになった若奥様(と、美由紀は思い込んでいる)の姿を確認し、親しげに話しかける。

 

「こんにちは、美由紀さん。それに……あら? 今日は翠屋さん全員集合なされていたんですね」

「ええ、恭也が忍ちゃんにフラれちゃって」

「母さん!」

「あらあら、ごめんなさいね? 冗談じゃないの♪」

 

コロコロと悪戯の成功した子供のような笑みを浮かべる母に、生真面目な息子はため息を吐くしかできない。

ちなみに、忍とは花梨の友人の一人である月村すずかの実の姉であり、恭也と清い交際を続けている女性である。

若くして月村家当主という肩書を背負う彼女は時々、今日の様に会社関係の付き合いで遠出しなければならないことがある。

さすがに恋人とは言え、今はまだ他人である恭也が同伴することは出来ず、こうして実家の手伝いをしている訳だ。

知人の前で実の母にからかわれるという恥辱を味わった恭也に同情の視線を向けるのはリンディに続いて入店してきた黒髪の少年、クロノ・ハラオウンだった。

女性上位な環境に居る者同士、何か通じ合うものがあったらしい。男二人、視線だけでしばし会話してから、がっちりと固い握手を交わしていた。

その様子を「あはは~~」と生暖かい目で見守るのは来店者の最後の一人、エイミィ・リミエッタだった。

 

「皆さん、いらっしゃいませ」

「いえいえ、実はフェイトさんたちからお茶のお誘いの電話を頂いたものでして……あの娘たちと同席してもよろしいかしら?」

「ええ、もちろんですよ」

 

桃子に花梨たちがいる奥の席へと案内されつつも、リンディたちの視線はカウンター席で甘味に舌鼓を打っているダークネスとアリシアに注がれている。

彼らの存在を確認した瞬間、即座に葉月が救援信号を発していたおかげで、こうして救援に駆けつけてきた訳だ。

リンディたちが花梨たちと合流して互いに挨拶しながら、魔導師組は念話で情報交換を交わす。

花梨たちは、彼女らが翠屋に到着してから今に至るまでの経緯の詳細を。

リンディたちは翠屋周辺に、罠の類や、“Ⅹ”らしき人物の存在が確認できなかったという調査結果を。

一方、カウンター席でアリシアが三個目のシュークリームに齧り付く姿を横目に、ダークネスも士郎お手製のコーヒーの味を堪能していた。

 

「美味い……それ以外に感想が思い浮かばないほどのコーヒーに巡り合う日が来ようとは」

「おや、そうかい? そこまで言われてしまうと照れてしまうよ」

「いやいや、実際スゴイですよ。俺が今まで生きてきた中で最高レベルの美味さだ……! ああ、そう言えば敬語を忘れていましたね。申し訳ありません」

「いやいや、初めてご来店いただいたお客様を試すような目をしたのは私たちの方なんですから……寧ろ、謝るのは我々の方です」

 

深々と頭を下げる士郎に泡を食ったのはダークネスだ。珍しく動揺した風に慌てつつ、謝罪など不要だと告げる。

 

「いえ、敬語の方は目上の方と判断した方には相応の態度をとることを信条としていますので御気になさらず。それに、先ほどの手合せは俺としても感じるところがありましたし。やはり武術の“ぶ”の字くらいは齧っていたほうがいろいろな意味で安心かと再確認する切っ掛けになりましたから」

「ふむ……少々、ぶしつけな質問になるかもしれないけれど伺っても良いかい?」

「? はあ、どうぞ?」

「君はどこで戦う術を身に付けたんだい? 正直に言って、君の動きは戦いの経験がある者のソレ……言ってしまえば、殺しの業だ。それも、実践の中で積み重ねてきた類の、ね」

「――」

「……言いにくいことかい?」

「いえ……、ただ訊いても面白くも何ともない話ですが? それでもいいですか?」

 

ダークネスの表情が真剣そのものだったため、士郎もまた姿勢を正して清聴の意を示す。

さりげなく恭也も聞き耳を立てているし、魔法で聴力を強化させた花梨たちも同様だ。

知ってか知らずか、ダークネスはカップに注がれたコーヒーの表面に映る己の顔……包帯に覆われた左目辺りを見つめながら、ぽつりぽつりと語り出す。

 

「俺がこの“セカイ”に生を受けたのは大体十五、六年ほど前でした……俺の生まれた町は治世が決して良いとは言えない処でね。俺を生んだ女、まあ母親に当たる奴は所謂、娼婦という奴だったんですよ」

 

僅かにカップの中身が揺れて、コーヒーに映る顔が波紋で掻き消える。

 

「奴は街でもちょっとした有名になるくらいは容姿に恵まれてた女でね、娼婦やってたおかげで結構な荒稼ぎをしてたみたいですよ。で、その最上級のお客が、街を仕切るマフィアの幹部だったんです。そして幸か不幸か女はその男の子供を身籠り、生まれたのがこの俺という訳です」

『……』

「男には本妻とも呼べる相手がいたようなんですが、どうにも子宝には恵まれていなかったようで。だからって言う訳なのか知りませんが、男は女に大層な額の金を送っていたみたいです。所謂、育成費って奴ですね。どうも、本妻との間に跡継ぎが生まれなかったら俺を養子にでもしようと考えてたんじゃないですか? まあ結局、俺が生まれる頃辺りで本妻がご懐妊されたらしく、その話しも無かったことにされたみたいですが」

 

渇いた喉を潤わせるように、カップを傾ける。

程よい苦みが、あの頃の日常を……己が生まれた直後の出来事を思い返させる。

 

「女はその男を愛してはいなかった。奴の望みは養育費という名目で定期的に手に入る大金だったんです。俺を身籠った直後から贈られるようになった金は統べてあの女の浪費に費やされました。高級なドレス、職人が手間暇かけて造り上げた靴、眩い輝きを放つ宝石、金の匂いに惹かれるように近づいてきた数多くの男たち……女は俺を産んだ翌日から毎日、高級ブティックを練り歩き、金を湯水のように消費しまくっていたらしいですね。一人歩きが出来るようになった1才位まで俺を育ててくれた病院の看護師に教えて貰いましたよ。……まあ、その看護師も女に金を貰って世話を焼いていただけらしかったですが」

 

表情も変えず、まるで他人事のように語り続ける。ただ、淡々と。

 

「俺が生後一年位になるまではまだ良かったんですよ。父親に当たる男から養育費が贈り続けられていたんだから。でも、この頃になると女の浪費癖の噂が耳に入ったんでしょう、仕送りが必要最低限の、幼い子供を養うのに必要な最低限の額しか送られなくなっていったんです。でも仕事も辞めてしまい、おまけに贅沢を覚えた女に己の欲望を抑制できるはずも無く、なけなしの養育費すら己のためだけに使い続けた。俺は食事も与えられず育児は完全に放置。仕方なく、スラムや路地裏のゴミを漁って飢えを凌いでいたんですよ」

「警察は……他の大人は何もしてくれなかったのかい……?」

「はい。言ったでしょう? 治安が悪い街だって。街の住民の三割近くがスラムに住み着いた浮浪者だったんですよ? 当然、そういう組織の内部は汚職塗れ。治安の維持はむしろマフィアが受け持ってるようなモノでしたよ。――っと、話が逸れたか。……そんな半ストリートチルドレンな生活が大体……三年位続いたかな? その頃になると流石に女の生活にも限界が来たらしく、借金に借金を重ねまくったせいで家具一つ手元には無し、住居のボロアパートの家賃すら払えない始末。おまけに現実逃避でクスリに手を出したせいで情緒不安定。見事なまでに、人生の墓場一直線コースを滑り落ちていましたよ」

「……まるで他人事のように言うんだね」

「他人そのものでしたからね、あの女とは。俺も奴も互いを家族なんて欠片も思っちゃいませんでしたよ。で、結局頭がオカシくなって包丁振り回しつつ錯乱、俺の左目をブッ刺してくれやがった後、二階の部屋から窓を突き破っての転落死。最後は実にあっけない終わり方をしやがりましたよ、あの女」

 

そして、今日まで一人で掃き溜めの中を生き抜いてきた中で自然と闘いの術を身に付けてきたのだ、と続けたところで昔話を締める。

心底どうでも良いと言わんばかりの態度に思わず反論しようと立ち上がりかけたなのはの肩を花梨が抑える。

どうして!? と視線で告げてくる妹に、顔を伏せて首を振る。

結局のところ、これはダークネス個人の問題であり、他人の彼女たちの言葉が届く事はないのだと理解してしまっているからだ。

花梨はもちろん、葉月やリンディたちだけでなく、翠屋一同も沈痛そうに表情を歪めていた。

特に善人そのものである高町家の沈みっぷりが凄まじい。

すでに終わってしまった事であり、当人も心の整理が済んでいる以上、それをとやかく言うことに意味はないのだとわかってしまうから。

彼が転生者で無かったとしたら、あるいは何かが変わっていたかもしれない。

 

もし――転生時に能力を優先して出自をマイナスとする『選択』を選ばなければ。

 

もし――ごく普通の子供のように振る舞っていたのならば。

 

ちらり、と己が左手首へと視線を落とす。

生まれた時から左手首に刻み込まれ、『神成るモノ』へと至った今でも消えることなくそこに在る傷。まるで自殺未遂者の如き烙印に見えるソレこそが、出自のマイナスだと思っていた。

でも、本当は(あの女)の愛情を受けることが出来ない事こそがそうだったのではないか? と思えるようになってきた。

このセカイで誕生直後から人格が備わっていたために、女の人格がもたらす不快感を感じ続けていた幼児の頃。

だからこそ、一人で動けるようになると、普通の子供の様に親に甘えるという真似をせず、自分の意志で動いていた。

それが彼女の眼にひどく不気味に映ってしまい、結果として向けられるはずだった愛情を失ってしまったのかもしれない。

 

だが、すべては“IF”。“もしも”の可能性でしかない。

 

「……そんなに暗い顔しないで貰えませんか? 俺自身、正直どうでも良いと思ってるので」

「いや、しかしだね……予想以上の内容で、正直何と言ったらいいのか」

「だから、良いんですって。こんなモン、少し探せばどこにでも転がっている詰まらないくて有り触れた、最低の物語でしかないですよ。所詮、過去は過去。俺は今を『生きている』。それで十分なんですよ。――まあ、最近は少しだけ欲、っていうか小さな……幸せ? みたいなモノも手に入りましたしね」

 

闇に浸り、身も心もどす黒い漆黒に染まってしまった者の成れの果て。そんな自分の(ここ)にも、確かな光がある。黒き闇そのものと化してなお、見失わぬ輝きを放ち続けてくれる光が。

不意に、左手が誰かに優しく包み込まれたことに気づく。

見れば、自身でも気づかぬうちに握りしめていた左手に小さな手の平が添えられていた。

透き通るような白い肌を辿れば、柔らかな笑みを浮かべる金の少女の笑顔が。

己と比べるまでも無い小さな手の平、それを通じて彼女の体温を感じる。

それはまるで、ダークネスが抱く闇そのものを包み込むかの如き優しい温もり。

かつて己が失いかけていたものを取り戻させてくれた大切な存在となった少女。

 

『貴方の全てを受け入れてみせる』

 

そう決めたのだと言わんばかりの微笑みを浮かべる少女と共に在るだけで、胸の奥で小さく輝き続けていた“ナニカ”が大きくなっていく。

それに呼応するかのように、ダークネスと共にある蒼き宝石たちも輝きを増し続ける。

内より溢れ出す蒼き『想い』と胸を満たす金色の『優しさ』が、闇色に染まってしまった竜神の穢れを祓い、黄金色の輝きを取り戻させていく。

大丈夫。彼女らが傍に居てくれるのならば、きっと自分は大丈夫だ。

そう、心から思える。

 

だから――

 

アリシアの頭を撫でまわしながら、小さく、しかし確かな“笑み”を浮かべるダークネスの姿にしばし呆気にとられていた士郎は「そうか……」と息を漏らす。

血生臭い裏社会を生き抜いてきた士郎には、ダークネスのような出自の手合いと出会った経験がある。

そしてそんな彼らは総じて、人間としてどこか欠陥を抱えていたということも。

だが、目の前で金髪の少女とじゃれ合っている彼の姿を見る限り、不思議と彼なら大丈夫だと思えてくる。

 

(おそらくは……いや間違いなくあの少女のお蔭なのだろうね)

 

闇の中にどっぷりと浸りきった者特有のどす黒さは気配でわかる。

でも彼からは確かな『想い』が宿っているのを感じられる。

それは優しさや誰かへの愛しさ……そんな暖かい『想い』。

それがある限り、彼は孤独ではない。

きっと彼女の様に彼を想い、慕う人たちが大勢いるのだろう(実際、アリシアや想いの結晶体であるジュエルシードたちがいる)。

 

(……うん、彼ならきっと大丈夫だ)

 

ならば、いつまでも暗い空気を漂わせている訳にはいかない。何故なら士郎は喫茶店 翠屋のオーナー。

彼の定めは、お客様方に安らかなひと時を感じていただくことなのだから……。

 

「ダーク君、だったかな?」

「……? はい、そうですが?」

「コーヒーのおかわり……如何だい? 僕のおごりだ」

 

にっ! と爽やかな笑みを浮かべる士郎の心遣いを察し、こちらも笑みを返しながら空になっていたカップを差し出す。

 

「……戴きます」

 

ダークネスの在り様に異議を立てるでも過去に同情するでもなく、ありのままの自分を認め、その上で満足そうに笑みを深くする士郎の様子に、ダークネスは内心で『この人には敵いそうにないかな……』と、生涯初めての敗北感を感じていた。

だが、その表情に負の感情は一切含まれていなかった。

何故なら、彼の口元には困ったような、それでいて穏やかな笑みが浮かんでいたのだから。

 

二人の穏やかな様子に感化された様に、暗い空気が漂っていた店内に暖かい風が舞い込んでくる。

見事に場の空気を作り変えた父の後ろ姿を見つめながら、恭也は改めて己の目指す『漢』の居場所に想いを馳せる。

いつか、己もその場所に立ってみせるという覚悟を胸に抱いて。

桃子と美由紀は、言葉も無く通じ合っている風に見える夫(父)と息子(兄)の姿を微笑ましげに見詰め続けていた。

 


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