ボッチがいたら果たしてどうなるのか。
「修司さんッ!!」
黒に染まるシュメルの大地に、悲観に満ちた叫びが響く。驚愕と悲哀に目を大きく見開いた藤丸立香の視線の先では、心臓を貫かれた修司が膝をついている。
「そんな、そんな………!」
マシュも、突然起きた出来事にパニックを起こしていた。ラフムとの戦いに気を取られ、ティアマト神自らがマスターである立香を狙っている事に気付けなかった。修司の胸元からボタボタと滴り落ちる血、それを目の当たりにしたマシュが更なる混乱に陥ろうとした時。
「まだ、戦いは終わっていない。確りしろ二人とも!」
血反吐を吐きながら、ふらつく足取りで立ち上がろうとする修司に、立香もマシュも言葉を失った。
「こうしている間にも、ティアマトの行軍は進むんだ。悔やむのも、嘆くのも後にしろ! ドクター、ウルク到着までの時間はどうなっている!?」
『────ティアマトのウルク到着まで後80キロ弱。現在のスピードだと、甘く見積もって10時間程度だ』
「少なくとも、あと三時間以上は時間を稼がなきゃいけねぇわけか。へへ、結構しんどいな」
「お願い修司さん。もう、喋らないで………」
貫かれた胸元から血が滲み、修司の身体から流れ出ていく。立香が懸命に修司の心臓を治そうとしているが、既に修司の心臓は深く抉られている。止め処なく溢れ出ていく血液と共に、修司は自分の力が抜け落ちて行くのを感じた。
「ら、ラーマ君もこんな気持ちだったんかな。こんな、まるで根っ子から力が抜けていくみたいな感覚。へへ、やっぱり英霊ってすげぇな」
「修司さん。ごめ、ごめんなさい。私の、私の………所為、で」
立香の治癒の魔術が利かない。どれだけ力を込めても修司の傷は一向に治ろうとしない事実に、立香は俯いて膝を着く。大粒の涙を流してごめんなさいと口にする彼女に、修司は笑った。
「バカ、こんな事で謝るな。まだ戦いは終わっちゃいない。謝る前に、やれることをやれ。────マシュちゃん」
「は、はい!」
「皆を守れ、ティアマトのお膝元まであと少しなんだ。ここで踏ん張らなきゃ、これ迄頑張ってきた皆の想いが無駄になっちまう。それだけは、絶対に駄目だ」
「──────了解です。マシュ=キリエライト、全力で踏ん張ります! ですからマスター、どうか私に力を!」
「うん、うんっ!」
心臓を貫かれ、常人ならショック死を免れない致死量の血を垂れ流す修司だが、それでも彼は戦うことを諦めてはいなかった。出来ることをやれ、戦えと、諦めることを許さない修司は、心の折れ掛ける二人を突き放すように叱咤する。
自分達は、絶対に負けてはいけない戦いの最中にいる。であるならば、決して諦めてはならない。故に、修司自身もまだ自分の生を諦めてはいなかった。心臓を潰され、肺も半分ほど抉られている為に呼吸も儘ならないが、それでも修司の瞳には戦いへ赴く戦士の眼を宿したままだった。
「さぁ、て…………俺、も。まだまだやりますかぁ!」
マシュも立香も、辛い思いをしながら戦おうとしている。ならば、彼女達の先輩である自分もいつまでもへばっている場合ではない。出血多量で霞む視界に苛立ちながら立ち上がろうとする修司に、今度はロマニから止めが入ってくる。
『止めるんだ修司君、ドクターストップだ! 君は心臓を貫かれているんだぞ!』
人間の核である心臓を貫かれた以上、その構造上修司はもう長くは持たない。本来ならばとっくに死んでいてもおかしくないのに、それでも生き永らえているのは修司自身の異常な生命力…………否、意志力に他ならない。
まだ倒れない。倒れる訳にはいかない。ここで倒れて楽になってしまえば、それこそ立香やマシュに要らぬ疵を残す事になる。特に立香は唯でさえ自分を庇ったのだと負い目を背負わせてしまっている。年長者として、そんな格好の悪い終わり方は修司自身が許さない。
「なぁに、これでも死にかけるのは慣れてるんだ。多少の耐性はある。それに………まだあの化物達を倒しきれていないんだ。ここで俺一人だけ寝ている訳にはいかねぇよ」
『でも、だけどさぁっ!』
向こうでは、ラフムの群れと二体の髑髏の怪物を相手に牛若丸が一人で戦っている。あのままではいずれ数に押し切られ、戦線は一気に瓦解する。そうなったらティアマトを阻む術は無くなり、ウルクは滅び魔術王の人理焼却を覆す糸口を永遠に失ってしまう。
ロマニからの制止を振り切り、胸元から溢れ落ちる血を塞ぐように手を添えながら、修司が気を解放しようとして………。
「ノー、それは悪手にも程がありマース。修司、博打に走るなんてあなたらしくありませんよ?」
太陽の神が、よろける修司の身体を優しく受け止める。
「ケツァルコアトル……?」
「以前から思っていましたが………修司、貴方は一人で頑張り過ぎでーす。人間にとっての強さとは、一人で極める事だけではありません。他人を頼り、誰かに託す。ギルガメッシュ王も言ってたでしょ? 意志による系譜。それこそが人類史を紡いできた人間の強さなのだと」
それは、まるで言うことの訊かない子供を諭す様に、ケツァルコアトルはその言葉を口にする。ただ己一人で頑張れば良いのではない、皆で苦悩し、乗り越え、意志を繋いでこそ、人という種は現代までその命を繋いできたのだと。
だから、一人で頑張ろうとするな。心臓を貫かれ、意識も朦朧としてきた修司に、ケツァルコアトルはその額に口付けする。
「貴方の出番はもう少し後、どうかそれまで────生きて」
「ケツァルコアトル?」
「藤丸立香、私の可愛いマスターさん。エスコートは此処までで充分、マシュと修司を連れて、ウルクに戻りなさい。あの賢王なら、修司の傷も癒せる事でしょう」
太陽神からの口付けは、一種の加護の様な作用となり、修司の出血を一時的にではあるが抑えてくれた。膝が折れ、倒れ掛ける修司を支える立香にケツァルコアトルは微笑みながら告げる。
「さぁ、早くお行きなさい。此処で二の足を踏んでいたら、それこそ全てが無駄になってしまうわ」
「ケツァルコアトル。…………ゴメン、そしてありがとう」
その微笑みに彼女の決意と覚悟を察した立香は、ケツァルコアトルに命じられた翼竜にしがみつき、戦線から離脱。遠くなっていく立香達を追おうとするラフムを、両手で引き裂きながら太陽神は金星の女神へ声を掛ける。
「イシュタル、貴方も立香達と一緒にウルクまで下がりなさい。此処は同じ金星に所縁のあるこの私が引き受けました!」
「………そう、なら、任せたわよ!」
どうやら自分の役目を定めたらしいケツァルコアトルに、イシュタルは引き留める事はせず、ただ任せたと言って立香達を乗せた翼竜を追った。これでこの場に残るのは牛若丸のみ、出来れば彼女も下がらせてやりたかったが……。
「────どうやら、彼女も腹を決めたみたいね」
既に、牛若丸は死に体だった。怪物二体の足止めと、無数のラフムの群れを相手に戦い続けた牛若丸は、左腕を引き千切られ、修司以上にボロボロになっていた。
しかし、それでも彼女は下がらない。侍としての、英霊としての意地が、彼女に不退転の覚悟を抱かせていたから。
一瞬だけ、牛若丸と目が合う。それだけで彼女の抱く想いを察したケツァルコアトルは、日ノ本の侍の意地に呆れと感謝の願いを抱きながら、己の宝具を開帳させる。
「過去は此処に!
それは、サーヴァントとして顕現したケツァルコアトルが持つ、最大最強の切り札。己を奉る神殿にて飾られる過去と現在と未来を示したとされる巨石。
真名解放をトリガーに、巨石を“門”として自身の大元の権能の一部を引きずり出す、正真正銘の奥の手。
これ迄の戦いで、既にその準備は済ませた。後は解放させるだけとなったケツァルコアトルから、太陽の炎が嵐となって吹き荒れる。通常なら一部を引き出すだけで精一杯だったが、これ迄の戦いで神格を損なうことがなかったケツァルコアトルは、更なる欲張りを此処で見せた。
「風よ来たれ、雷よ来たれ! 明けの明星輝く時も! 太陽もまた、彼方にて輝くと知るがいい!」
虚空から、光が落ちる。炎の塊であるそれを握り締め、ケツァルコアトルは眼下に広がる黒き泥の海、ケイオスタイドに向けて吶喊する。
全ては、この一撃に繋ぐため。立ち塞がるラフム達をものともせず─────。
「
太陽の輝きを、解放させた。
「ハッハッハ、この古代の世界でよもや太陽を間近で目にするとは、流石は太陽神。やることが派手であるな」
間近に迫る太陽。その熱量は近くにある全てを焼き尽くし、ティアマトの権能である黒泥を蒸発させていく。直に自分も巻き込まれて霊基ごと焼失するだろう。
それでも牛若丸は高らかに笑う。既にこの身は英霊、亡霊より上等とは言え、死者であることには変わりはない。人類史が続くという事は、それだけ多くの人達が自分達の事を知り、その歴史を繋いでくれる。
だから、恐れる必要は無い。たったそれだけの理由で、牛若丸という英霊は仮初の命を何時だって懸ける事が出来るのだ。
故に。
「そら、何処へいく怪物。私とお前との決着はまだ着いていないぞ。逃げるというのなら─────その首、置いていけ」
“壇ノ浦八艘飛び”
分身。八つに身を分けて、牛若丸はひた走る。足場にしたラフムを切り捨てながら、空を懸けていく。限られた空間であっても足場はある。ならば、それだけで自分は戦える。凄惨な笑みを張り付けて駆ける牛若丸の瞳には、太陽の熱から逃げようと悶える髑髏の怪物。
怪物との視線が重なった。何処までも伽藍堂で、虚しくなる程に空虚な双眸、そこに僅かに滲んだ恐怖という感情。
それを見ながら、牛若丸はやはり嗤う。人を虫ケラと嘲笑う怪物も、人間のように恐怖を感じるのだと、何処か愉快に思いながら………。
「─────皆さん、後の事は…………頼みます」
愛刀薄緑を髑髏の額に突き刺しながら、牛若丸は満足そうに笑い、太陽の炎に呑まれて逝った。
◇
『無様。あぁ、なんと言う無様さよ。いかに強くなったところで、所詮は人間。意気がった所で、無駄だったな』
何処までも見下ろし、俯瞰した様子で語るのは魔術の王。影として介入しておきながら、口から出てくる言葉は嘲笑のソレ。相手の手の届かない所から間接的に介入する手腕の悪辣さを棚上げし、何処までも修司を扱き下ろす様は、端からみれば滑稽に映るだろう。
しかし、それでも魔術の王は構わない。自分にとって最も目障りな存在が再起不能な今、此処こそがカルデアを本当の意味で終わらせるチャンスなのだ。
あの異界の神から提示された代償は決して小さくはないが、それでも契約を履行出来る分には問題がない範疇で済んでいる。此処から後数体程呼び出せば、自分の目的の第一段は完遂出来る。
魔術の王はその手を掲げ、逃げ延びた唯一の個体に自らの術を使って複製させようとした時───白銀の一閃が、髑髏を両断させた。
『っ、貴様は────』
「失せるがよい。魔術の輩よ、汝の出る幕は既に此処ではない」
告げられるは告死の一撃。信仰に殉じ、信仰によってもたらされた斬撃は異界の神すらも両断し、魔術王の介入も断ち切って見せた。
繋がりを断ち切られ、これ以上の介入は不可能と判断した魔術王は突然現れた翁に苛立ち、言葉を吐き捨てる。
『フンッ、貴様が介入した所で結果変わらぬ。精々終わる世界で信仰に殉じているがいい』
祈りも、願いも全ては無駄。そう吐き捨てながら消えていく魔術王を尻目に、死神の翁はその眼差しをウルクヘ向ける。
「此処からだ。此処からが、汝の真価が問われる。修司よ、可能性の申し子よ。その輝きを放つ時は────今に置いて他に無し」
その呟きは誰かに訊かれる事無く………終末の時は来る。
多くの絶望と悲しみを乗せ、回帰の獣は突き進む。
次回、天の鎖。
心よ、原始に戻れ。
オマケ
Apocrypha+1
「へー、此処がユグドミレニアの居城か。なんと言うか、普通に城だな」
「ねぇ、今更だけど本当にいいの? 聖杯戦争に乱入なんかしちゃって」
「別に、乱入なんかしてはいけないってルールも無いだろ? そもそも一般市民に内緒にしながら戦争だなんてのが無理なんだよ。このネット社会が蔓延る現代なら尚更な」
「シュージは遠慮無しだからなぁ。魔術師でもないから神秘の隠匿に注意したりしないし」
「実際俺は魔術師じゃないしな」
「─────ねぇ、カウレス。ゴルドルフ叔父様、どうしてあの人の対応を私に丸投げするんです?」
「わからない。けれど、分かるんだ」
「私達は、あの男に関わってはいけない。関わってはならんのだ!」