────オケアノス。七つの特異点の中の一つであり、何処までも青い海で満たされた大海の特異点。世界を股に掛けた大航海時代に風穴を開ける為に生み出されたその特異点は今、決戦の舞台となっていた。
何処までも続く大海原、時に凪ぎのように静かで海の冒険者達を見守り、時に嵐となって凄まじく荒れ狂って訪れる人間を海底へと引きずり込んでいく。
そんな極端な二面性を持つ大海オケアノス、特異点を覆い満たす大海原………その一部が
砕けた。
比喩でもなく、誇張でもなく、大海で埋め尽くされていた
圧倒的熱量と覇気を携え、激突する二人。その片割れであるギリシャの大英雄ヘラクレスは目の前の好敵手に目を剥いた。
(驚いた。確かに何か隠しているとは思っていたが、よもやこのような力を隠し持っていたとは)
ヘラクレスの眼前の男、白河修司は実力こそは凄まじく、ギリシャにいても何ら違和感がない程に強い男だった。もし、彼が古代にギリシャにて生を受けていれば、きっと多くの伝説と逸話を遺せる程の英雄となっていただろう。
けれど、それでもこのヘラクレスには及ばなかった。積み上げてきた研鑽、磨きあげてきた技の数々と冴えは目を見張るモノがあった。だが、それではこの身は砕けない。数多の試練と困難を乗り越えてきた自分を、たかが人間が越えられる筈がなかった。
隔絶された力の差、しかしそんな格差を目の前の男はアッサリと乗り越えてきた。拳を付き合わせただけ、けれどヘラクレスには理解できた。目の前の紅い炎を纏う男は先程までとはあらゆる意味で別物であるという事に。
「だが、その程度で俺の首はやれんぞぉっ!」
ヘラクレスは更なる力を解放し、修司の拳を振り払い直突きの拳を放つ。何の細工もない唯のパンチ、しかしその拳には今までとは桁違いの威力を秘めていた。
迫り来る剛拳、受ければ即死は免れない巨大な死を修司は受け流して見せた。体が流れ無防備を晒すヘラクレス、そんな彼の鳩尾に修司が肘鉄をめり込ませて息を詰まらせ、更にその顔へ回し蹴りを叩き込む。
瞬間、ヘラクレスは吹き飛んだ。衝撃で唯一残った島の断片を砕きながら吹き飛び、幾度も海面をバウンドし、木々を薙ぎ倒しながら壁に激突して瓦礫に埋もれる。漸く勢いが止まり、ヘラクレスが吹き飛んだのはオケアノスの何処かにある要塞付きの島だった。
一体何処まで吹き飛んだのか、現状を確認するよりもヘラクレスは次の攻撃を先読みした。右からの一撃、全身の感覚を研ぎ澄ませて察知した攻撃は見事ヘラクレスの読み通りに的中した。
右から繰り出される鋭い拳、体を回転しながら飛んでその勢いのまま振り抜いた蹴りは今度こそ修司を捕らえた。大英雄の一撃、防いだ所でダメージは免れない。
要塞の壁を突き破り吹き飛ぶ修司だが、次の瞬間には目の前に戻ってきた。その事実に面食らうヘラクレスの顔面に今度は修司の拳が捩じ込まれる。猛烈な痛みと衝撃、それはヘラクレスに嘗ての巨神達との闘いを思い出させた。
修司の攻撃はそんな古き神々にも匹敵するというのか、困惑するヘラクレスだが、次第に彼の内には驚愕よりも喜びの感情が勝りつつあった。嘗て、自分と正面から戦えるのはそれこそネメアの獅子やヒュドラといった怪物達や、巨神達しかいなかったのだから。
今、ここに自分と互する者が現れた。目の前の男がどんな手品を使って此処まで強くなったのか、奴の身に纏う紅い炎にどれだけの意味があるのかはこの際どうでもいい、ヘラクレスが望むのは自分をこの場へ喚んでくれた親友の願いに応える為、目の前の脅威を捩じ伏せて勝利する。
「ペガサス───流星拳!!」
「おぉおぉおぉっ!!」
眼前に広がる拳の弾幕、明らかに先程よりも範囲が広がり、威力を乗せたソレをヘラクレスは正面から迎え撃ち。
嘗てあった要塞の跡地は最初から無かった様に消し飛んだ。
◇
「────へっ、どうやら此方の大将は当初の目論見通りに上手くいったようだな」
遠くから聞こえてくる爆裂音を耳にしながら立香達は血塗れになりながら座り込むヘクトールを見下ろしている。多数のサーヴァントを相手に単騎で立ち回り時間稼ぎに徹していたヘクトールは自身の仕事をやり遂げた事に満足していた。
既にメディアによって召喚された竜牙兵はその全てが塵となって消え、ヘクトール自身も霊核を破壊されている。もうじき消えるであろうトロイアの英雄に立香達は言葉に出来ない敗北感を味わっていた。
「喚ばれた当初は酷い貧乏クジを引かされたもんだと諦めていたが、最後の最期にあのボンクラ船長は一皮剥きやがった。自身の夢よりも友の勝利を優先する。大馬鹿野郎には違いねぇが、仕えるならああいう馬鹿の方が良い。そういう意味ではあの兄ちゃんには感謝しねぇとな」
「ったく、まんまとしてやられたよ。まさかあのイアソンが其処までヘラクレスに傾倒していたとはな」
「あぁ、其処ばかりは俺も同意見だ。………じゃあなカルデアの魔術師さんよ。もし万が一この局面を乗り越えたら、その時は俺を喚んでくれ。迷惑掛けた詫びとしてそれなりに働かせて貰うからよ」
そう言って英雄ヘクトールは光となって消えていった。口では悪かったと言っていたが、最期に見せた表情は清々しい程に晴れやかだった。
対して闘いを制した筈の立香達の表情は暗い。ヘクトールという守りに特化したサーヴァントも倒し、特異点の原因たるイアソンも消滅した。残るのは聖杯を持っているであろうメディアのみ、キャスター一人相手ならこのメンバーでも充分対応出来るだろう。
それなのに、全く勝ったとは思えない。その原因は遥か遠くから聞こえてくる炸裂音が原因だろう。イアソンが自身が消滅してまで望んだヘラクレスの勝利、欲望と野望に満ちたイアソンの望みの中でも最も純粋で鮮明な願いが起こした有り得ざる奇跡、誰もが侮り下に見ていた男が成し得た奇跡に立香達は過去一番に追い詰められていた。
「………あー、一応聞くけど。あのヘラクレスに戦えそうな奴ってこの場にいたりする?」
ぬいぐるみのオリオンの質問に応えられるものは誰一人いなかった。相手は英霊の座より召喚されたヘラクレスの本体に限りなく近い存在だ。既にその戦闘能力はサーヴァントの枠組みから大きく逸脱し、生前と変わりない力を有している。
身に纏う神秘の濃さも、神性も何もかもが桁違いに高過ぎる。ただのサーヴァント数体では覆らない力の差が出来上がってしまっていて、その上此方はヘクトールの巧みな立ち回りの所為で無駄な労力を強いられてしまっている。
勝てる見込みはゼロ、更に言えば此方とカルデアとの通信も途絶えてしまっている。向こうからの増援も望めず、頼みの綱は現代に生きる生身の人間───白河修司ただ一人に委ねられていた。
「………マシュ、宝具の展開はいけそう?」
「す、すみません先輩。ヘクトールさんの宝具を防ぐ為に……その、思った以上に魔力を消費してしまって……」
「そう、だよね……」
ヘクトールの宝具である“
結果として、マシュは味方全員を守る事に成功したが、その代償に此方側の余力の大多数を削られる事になってしまった。アルテミスやアタランテ、ダビデやエウリュアレ、そしてアステリオスもヘクトールの策略によって力の大部分を失ってしまっている。
これでは、修司の助けにも行けない。仮に向かったとしてもこれでは彼の足手まといになりかねない。マスターとして闘い始めて日の浅い立香だが、未熟なりにあのヘラクレスの強さの異常さには何となく察しは付いていた。
────このまま、決着が付くまで待つしかないのか。悔やむことしか出来ない自分、無力でしかない自分に立香が下に俯こうとして。
「よし、じゃあ行くとしようかね」
「…………え?」
一人の女海賊が何気なく口にした。
「なにを呆けているんだい立香。マシュも、あの兄ちゃんはお前達のお仲間じゃあないのかい?」
「で、ですがドレイクさん、もう既に此方の戦力は戦えるだけの余力がありません。仮に向かったとしても……あの戦いに付いていける余裕は、もう」
遥か水平線の彼方で繰り広げられている戦い。神話の具現、伝説の再現とも呼べる戦いに付いていけるほどの余裕は今の立香達にはなかった。いや、仮に万全だとしても真なるヘラクレスと修司の戦いに割って入れる者は限られているし、マトモに戦えるとも限らない。
もう、自分達に出来ることはない。悔しさに手を握り締めながら俯くマシュにドレイクは言い放つ。
「んな事を聞いてるんじゃないのさ。立香、マシュ、アンタ達二人が今どうしたいのかって話をしているんだよ」
真っ直ぐ、立香とマシュを見つめてくるドレイク。そんな力強い瞳で問い掛けてくる彼女に二人は息を呑んだ。
「圧倒的力の差? 上等じゃないか。此方はいつもバカデカイ力の差を持った相手に喧嘩を挑んでるんだ。今更それが二つ増えたくらい、何て事はないさね」
あっけらかんと、大したことはないと言い放つドレイクにマシュは目の前の女性が世界最大の大海賊である所以を理解した気がした。フランシス=ドレイク、大海原を制覇し太陽を沈めた女とされる大海賊。
彼女が偉大なる海の覇者となったのは、そんな泥臭い程の諦めの悪さにあった。力の差なんて関係ないと、日頃から大海という桁違いの怪物相手に闘いを挑んできた故の信念。
挑むか、挑まないか。やるか、やらないか。結局の所、ドレイクの言いたいことはそれだけだった。それだけで充分だった。
気付けば、立香の体に力が戻ってきた。単なる空元気かもしれない。けれどその顔には先程より幾分か顔色が良くなってきた。
周囲を見れば、皆立香の指示を待っているかのように佇んでいる。アルテミスも、アタランテも、ダビデも、エウリュアレも、アステリオスも、そして……マシュも。皆が立香の言葉を待っている。
「皆、疲れているかもしれないけど……どうかお願い。力を貸して!!」
「はい。こうなったら、やれるだけやりましょう。先輩!」
「やれやれ、サーヴァント使いの荒いマスターだ。その代わり、その未成熟なパイオツを一揉み所望──」
「ダーリン?」
「なんでもないですハイ」
「私としても望む所だ。あの筋肉達磨に我が一矢を浴びせてやろうではないか」
「うーん、どう考えても勝機はなさそうなんだけどなぁ。いや、やるよ? うん。正直逃げ出したいけどね。あのヘラクレスに今更
「まぁ、ここまで来たらやるっきゃないわよね。どうせあの男が負けたら此方は皆殺しにされるだろうし、せめて一矢報いてやろうかしら」
「だい、じょう、ぶ。オレが、エウリュアレを、守る、から」
それぞれが決意を固めて立香に賛同する。無駄骨だろうと返り討ちにされようとも、ただ死を座して待つのはいやだ。ここにロマニがいたら間違いなく止めに入るだろう。事実、これはあまりにも無謀な賭けだ。
相手は甦った大英雄。生前に打ち立てた武勲と伝説を携えて復活したヘラクレスに敵うとは思えない。
だけど、この海の向こうでそんな大英雄を相手に一人で挑んでいる人がいる。その人を死なせたくない、そんな浅はかな想いで藤丸立香は闘いへ自ら挑む。
この時、初めて藤丸立香は覚悟というモノを決めたのかもしれない。戦い抜くこと、最後まで諦めないこと、それら全てを抱えて彼女は一歩歩みでる。
そんな立香にドレイクは笑みを浮かべて応えた。この無力で無謀な少女を何がなんでも守り抜くと、全てを賭けて戦いに挑む事を誓った。
「そんじゃ、行くぞ野郎どもぉ!
怒号が響く。ノリと勢いに任せて帆を張り、大海原へと漕ぎ出す。これが最後の戦いだと、信じて疑わない彼等の行く手の前に……不気味な程に晴れ渡った青空が広がっていた。
◇
衝撃が迸る。轟音が轟き、力が暴風となって荒れ狂う。修司とヘラクレス、互いに加速しながら力を高める両者は、付かず離れずの超高速戦を繰り広げていた。
現れては消え、また現れては消える。一瞬の内に見せる両者の間には、しかして千を越える応酬が繰り広げられている。
激突する拳と拳、蹴りと蹴り、腕と腕がぶつかる度に衝撃が広がり、オケアノスを蹂躙していく。辺りには海面を蹴る小さな波紋が広がるが、次の瞬間には衝撃による爆風がオケアノスの海を荒波へと変えていく。
伝説の大英雄ヘラクレス。その実力は正に天井知らずであり、それに拮抗している修司もまた規格外の戦士であった。
しかし。
(くそ、痛ぇ。痛ぇ! 界王拳の反動がもう抑えきれない所まで来ている! 早く決着を着けないと、あっという間に押し潰されちまう!)
ヘラクレスと互角にまで高めた修司の奥義である界王拳は使用者に絶大な力を与えるが、それ故に反動も強く、倍率を高める度に比例して肉体に掛かる負荷もまた増していき、使用時間が長くなる程にその負荷は重くなる。
───筋肉が、骨格が、神経が、血液が、細胞が、もうやめろと悲鳴を上げている。これ以上は耐えられないと、修司に激痛となって界王拳の使用停止を促していく。
でも。
(ここまで来て、負けて、たまるかよぉ!)
それでも、修司は界王拳を止めない。目の前の伝説を越える為に、ギリシャ最強に勝つ為に、修司は自分の限界に挑み続ける。
惜しみ無く繰り出す技の数々、振るう度に大気が弾け、振り抜く度に空に浮かぶ雲を吹き飛ばす。全開を越えた全開、そんな修司の必殺の数々を───。
「
「っ!?」
大英雄は、一凪ぎで容易く凌駕する。振り下ろされるマルミアドワーズの斬撃が修司の放つ技の数々を切り刻んでいく。界王拳を使っているのに、未だに破れないヘラクレスの奥義。修司も鍛えた技の応酬で相殺を狙う。
結果、威力だけは殺すことに成功した。大英雄ヘラクレスの破壊に特化した奥義、それを相殺するには修司もまた全霊で挑まなければならない。本来なら技の相殺にではなくヘラクレスそのものにぶつけなければならなかった攻撃、それを防御に回してしまった事でいやいよ修司には後がなくなってしまった。
そして……。
「~~~~~~~~っ!?!?」
ここに来て界王拳を使っていた反動が来てしまった。全身を蝕む痛みは濁流となって押し寄せ、修司の意識すらも断絶させていく。視界が白い火花で埋め尽くされ、思考が激痛で鈍くなる。
当然、その隙を見逃すヘラクレスではなかった。時間にして一秒にも満たない攻防だが、それ故に修司が見せた隙は大きい。構えもせず、身悶えする今の修司はヘラクレスから見てただの的に過ぎなかった。
───駆ける。大地を抉る脚力を以て修司との距離を瞬く間に零にしたヘラクレスはその剛腕を鎌のように広げ、修司の首を刈り取る様に振り抜いていく。
大英雄ヘラクレスによるラリアット。この一撃を受ければ死ぬ、痛みを必死に堪えながら両腕を前に翳して防ぐ修司が味わったのは想像を絶する衝撃だった。
岩が砕ける。森を、山を粉砕しながら押し進んだヘラクレスは気炎を吐きながら修司を吹き飛ばす。
瓦礫が吹き飛び、人気のない要塞をぶち抜き、二人の闘いの余波で変形した地形の岩盤に叩き付けられた事で漸く勢いは止まった。
地に倒れ、動けなくなる修司、何とか意識は繋いでいるが、それももう時間の問題となっていた。
「───貴様の使う界王拳とやら、その効果は確かに絶大で凄まじい。もしこの技を極限まで極めていたら、俺でも対抗するのは難しかっただろう」
「………」
「だが、絶大な効果故にその反動は凄まじい。使用者に莫大な力を与える代わりにそれ以上の代償を支払わせる。まさに奥の手だ」
倒れ伏す修司にヘラクレスは淡々と語りかけた。生前から無敵の怪力と桁違いの剛力として知られるヘラクレス。しかしその実、彼の真価は相手の弱点を見極める眼の良さにあった。
「つくづくお前の強さには驚かされる。人間の身でありなから、神の血を引く俺に匹敵する強さ。………認めよう、お前こそが俺の宿敵であると」
自分と戦う為だけに自身の身を顧みずに負荷の大きい技を使い続けた修司、そんな彼にヘラクレスは最大の賛辞を贈る。既に戦いは決した。そう暗に語るヘラクレスは手にしていた宝剣を握り締める。
これでこの戦いは終わる。振り上げたヘラクレスが自身の奥義で宿敵を屠ろうとした時。
───再び、紅い炎が天を衝いた。
「な………に………!?」
その光景にヘラクレスは驚愕した。有り得ない、白河修司の体力は底を尽き、精神力も尽きた。界王拳の反動で既に指一本すら動かせない筈だ。
しかし、そのヘラクレスの予想に反して修司は立ち上がる。全身から流れる血、腕は折れ、全身の筋肉はあちこちが断裂し、そのダメージ量はヘラクレスが付けたモノよりも深刻だ。
なのに、それなのに………修司の目は依然として輝きを失ってはいなかった。
「あぁ、そうだよな。たかが限界に挑んだ程度で、アンタに勝てる道理はなかった。伝説に挑むには、アンタという伝説を塗り替えるには、限界を攻めるだけじゃダメだったんだ」
「…………」
修司は嗤う。自分の弱さを、自分の浅はかさを。限界に挑む? 笑わせる。向こうが一つの神話の最強を担っているのに、どうしてたかが人間が勝てるというのか。
目の前の大英雄を凌駕するには、今の自分では何もかもが足りない。足りないのなら………引き出す他ない。
「なら、その限界を越えてやるまでだ。アンタに、大英雄に勝つまで───何度でも」
その決意は何処までも泥臭く、見苦しく、それでいて………熱い。
限界を越える。その言葉に偽りなく、修司の力は更に爆発的に膨れ上がっていく。再び空が震え、大地が震え、特異点そのものが震撼していく。
(なんだ。このバカげた力の高まりは!? この男、一体何処まで引き上げるつもりだ!? 五倍……六倍………いや、これは!?)
「10倍だァァァァァッ!!!」
瞬間、ヘラクレスは吹き飛んだ。顔面を殴られ、大海を跳ねながら、自分が如何にして殴られたのか分からなかったヘラクレスは次に襲ってくる背中からの痛みに顔を歪めた。
見えなかった。修司の動きが、その挙動が、手足の指先から初動まで、その全てが全く読めず、見えなかった。
背中を蹴りあげられ、ヘラクレスは宙へカチ上げられる。次は何処からだと体勢を整えるが、修司の速度は既にヘラクレスでは捉えられない領域にまで足を踏み入れていた。
攻撃が止まらない。左から、右から、上から、下から、縦横無尽に容赦なく打撃が叩き込まれる。速く、重く、鋭い。神性を持ち、何者にも砕けなかったヘラクレスの肉体がこの時初めて悲鳴を上げた。
「ぬ、あ、ぐがぁっ!?」
痛みに悶え、叫びながらも、それでもヘラクレスは修司を捉えようと腕を振り回す。師から学びしパンクラチオン、触れれば破壊は確実な人類最古の格闘術を………。
「だらぁッ!」
修司は、それを真っ向から叩き潰す。奮われるヘラクレスの直突きを修司も同じ一撃を以て応える。拮抗は一瞬、打ち負けたのは───ヘラクレスの方だった。
「!?」
自分の剛撃が打ち負けた。その事実にヘラクレスは嘗てない衝撃を受けた。数多の怪物達を打ち倒し、遂には巨神をも殴り殺した必殺の拳。
自慢の拳が打ち負けた事実にヘラクレスは目を剥いた。自分よりも体格の劣る人間が、神でもなく神秘の恩恵を受けていない人間が、己の力と技のみで自分を越えようとしている。
その時、紅い炎を纏う修司と目があった。強い目だ。自分も既に限界を越えているのに、それでも目の前の男は挑み続けている。
いつからだろう、自分が挑むのを止めたのは。いつからだろう、自分が最強と呼ばれるのに違和感を失くしたのは。
生まれに恵まれ、才能に恵まれ、師に恵まれ、そして戦い続けた我が人生。勝つのは必定で、何時だって自分には勝利が確約されていた。
そんな自分が今、嘗てないほどに追い詰められている。ヒュドラの毒や神々の試練でもなく、何処までも真っ直ぐな一人の人間に。
その事実がとても不思議であり、恐ろしくもあり………そして何より、嬉しかった。
「お、オオォォォォォッ!!」
「っ!」
故に、ヘラクレスも挑むことにした。嘗てない好敵手に報いるために、この宿敵に勝つために。
ヘラクレスから覇気が迸る。吼えた事で生ずる衝撃は修司を一時的に距離を開けさせた。
「行くぞ、マルミアドワーズ。この一撃が俺の奮う最後の一撃だ」
剣を両手に構えて、頭上に掲げる。ヘラクレスから伝わる力に神によって鍛え上げられた宝剣は変色する。
膨れ上がる気配。これが最後の攻防だと察した修司もまた、その両手を腰へ持っていく。
それは、先程と同じ構図。違うのは双方この一撃で全てを終わらせるつもりであること。逃げることはしない、最早その選択肢は二人の頭の中にはなかった。
人理の焼却も、修復も、今この瞬間に限り二の次だ。この場にあるのは二人の男の意地の張り合い、それ故にその思いは何処までも純粋だった。
「かぁ………めぇ………はぁ………めぇ………」
「オォォォォォッ!」
収束されていくエネルギー。溢れる光を一点に集中し、圧縮させ凝縮させていく。
そして───。
「波ァァァァァッ!!!」
「
互いの全力を乗せて放つ一撃がオケアノスにて激突する。天と地を切り裂くヘラクレスの両断する力、何処までも届かせて見せると放つ修司の光の奔流。
周辺の島々を巻き込み、砕き、呑み込んでいく力の濁流。その拮抗を崩したのは───修司のかめはめ波だった。
「う、ぐぉぉぉっ!!」
「だぁぁぁぁっ!!」
呑み込まれまいと抗うヘラクレス。自身の渾身の一撃で対抗する大英雄に修司もまた限界を超える。
軈て光はヘラクレスを斬撃ごと呑み込んでいく。痛みはない、苦痛も、かめはめ波に呑まれたヘラクレスは、既に痛みを感じる機能すら失われつつあった。
(まだだ! まだ俺には
既にかめはめ波によって十二の内の六つが消し飛んでいる。だが此処までだ。もうじき光の奔流が収まり、自分は解放される。その時こそ自分の勝利だと、ヘラクレスは迂闊にも慢心してしまった。
互いに全てを出し切ったと思い込んだが故の慢心、それ故にヘラクレスは気付かなかった。蒼白い光の中から現れる紅い炎の存在に。
「な、なんだと!?」
まさか、自分の放つ技の中を放っていた張本人が現れるとは思わなかった。咄嗟に宝剣を奮うヘラクレスだが、既にその一振りに力はなく。
「七孔噴血───ぶち抜けェェッ!!」
緩やかに流れる時間の世界、音も、光も置き去りにした世界の中で、ヘラクレスが最期に目にしたのは───振り抜かれた拳によって砕かれる宝剣と、その拳を自分の体に捩じ込む修司の姿であり。
次の瞬間、ヘラクレスの霊核は世界ごと貫かれた。
◇
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁ………」
もう、何も出来なかった。手足を動かすのも、呼吸を整えることも、今の修司には何もかもが億劫だった。
全てを出し切った。精も根も尽き果て、目を開けているのも辛い。このまま倒れてしまったらどれだけ楽になれるだろうか。
けれど、それはできない。まだ自分は倒れるわけにはいかないのだ。
何故なら───未だに目の前の砂塵の中には、巌の巨人が佇んでいるからだ。
倒せなかった。今の攻撃は自分にできる最大の一撃だった。それは限界を超え、超克した果てに放った最高の一撃だった。
あれを受けて、それでも立ち続けるのは………流石に修司の予想外だった。もう、自分には鼻をほじる余力もない。既に肉体は限界を越えた反動で痛みに震えているし、今でも意識を保つのでやっとだった。
敗けだ。どうしようもなく、言い訳もできないほどに修司は自らの敗北を認める他なかった。また勝てなかった。未だ動こうとしないヘラクレスに最後のチャンスとばかりに拳を叩き込もうとするが………既にそんな力は修司には残されていなかった。
ありったけの力を振り絞っての一撃は、虫も殺せない程に弱々しかった。もう、これで終わりだ。大人しく敗けを認め、ヘラクレスからの反撃を受けようと身を委ね………修司は目を閉ざす。
しかし、ヘラクレスからの反撃はついぞなかった。
「───あぁ、本当に、凄い奴だよ。お前は」
「ヘラ………クレス?」
「限界を超え、更にその向こうへ目指すその姿。あぁ、どうして俺はそんな姿を忘れてしまったのだろうな」
何処までも健やかで、穏やかな顔で語るヘラクレス。その胴体には大きな空洞が出来上がっていた。
「白河修司」
「!」
「胸を張れ、この戦い………お前の勝利だ」
ヘラクレスの体が消えていく。光の砂となり、空へと消えつつあるギリシャの大英雄。敗北したのにその表情は青空の様に晴れ晴れとしていた。
「済まんなイアソン。負けてしまったよ」
遠くで親友の駄々を捏ねる声が聞こえた気がする。けれど、この勝負を訂正するつもりはない。十二の試練という次に期待した自分の負け、その十二の試練も一つ残さず潰された以上、ヘラクレスは大人しく敗けを認めるしかなかった。
今一度、目の前の男を見る。ボロボロで、負けた自分よりも傷だらけな男。これが自分よりも強い男なのだと、ヘラクレスは自身の記憶に刻み付けた。
「───修司」
「………?」
「次は、俺が勝つ」
「っ!!」
「だから、それまで………負けるなよ」
それだけを言い残してヘラクレスは消えていった。多くの偉業を成し遂げ、多くの伝説を打ち立てた男は新たに伝説を塗り替えた男に次の挑戦を叩き付けながら消えていった。
ヘラクレスが消えた場所、そこから後ろにはオケアノスを両断する巨大な谷が出来上がっていた。
天と地を穿ち、水平線まで続く谷を前に修司は呟く。
「………勝った、のか?」
あのヘラクレスに、あの大英雄に、正面から挑み、打ち勝てた。達成感に体が震える修司だが………もう、立つ事も限界だった。
力なく、地面へと仰向けに倒れ込む。相変わらず体は動かないが、不思議と心は満たされていた。嘗てない強敵、血と汗にまみれながら、修司は広がる青空に向けて手を伸ばし。
「───勝ったよ。王様」
満足そうに呟くとパタリと意識を手放すのだった。
限界を超えた限界を更に乗り越える極限の戦い。
これには英雄王もニッコリ。
次回、対決、魔神柱。
野暮な乱入に英雄王もニッコリ(怒り)
それでは次回もまた見てボッチノシ
Q.カルデアは今どうなってるの?
A.ヤッベェ騒ぎになってます。ちょっとしたお祭り騒ぎです(笑)
Q.もしもAチームがいたら?
A.AチームからZ戦士チームに改名してそう(笑)