『────生意気なんだよお前!』
『親無しが逆らってんじゃねぇよ』
───それは、まだワシ等がまだ院で世話になっていた頃、親に捨てられたという理由で近所の悪ガキ共に絡まれ、謂われない悪意をぶつけられ、それに反発する様に喧嘩を続けていた毎日。
悔しかった。情けなかった。降り掛かる理不尽に抗えず、ただ踏みにじられるしか出来ない自分に、いつもワシの後で泣く親友を禄に守ってやれなかった自分に……。
そして───。
『もう、私はフーちゃんが知ってる私じゃない。邪魔しないで』
変わってしまった親友を、止めてやれなかった自分の無力に……腹が立って仕方がない。
そんな自分を変えたい。変わりたい。けれど、どんなに強く願っても、何もない私にはそんな機会すらない。
でも、それでもと思ってしまう。大切なモノを取り零さないように、少しでも守れる様にと……。
手を伸ばして、願わずにはいられない。それがこのワシ、フーカ=レヴェントンの心からの────。
◇
「………知らない天井じゃ」
フーカ=レヴェントンの目に最初に映ったのは、見知らぬ天井だった。木材で出来ており、何処かお洒落な雰囲気の空間、これまで自分が使っていた寝室とは全く違う風景にフーカは戸惑いながら起き上がる。
モダンな空気、広すぎず狭すぎず、人が居心地良くなるのに最適とも言える間取り。天井同様、やはり木材で作られたその部屋は、やはりフーカの記憶には無いモノだった。
「ここは……一体、確かワシは……」
昨夜の出来事を思い出そうと頭を唸らせるフーカだが、扉の向こうから漂ってくる鼻孔を擽る匂いにその思考は中断される。良い匂いだ。暖かく、優しい匂い、その甘美な匂いに刺激され、フーカの腹部から小さな音が漏れる。
男勝りな性格の彼女でも流石に腹の音が鳴った事に恥ずかしさを覚えたのか、その頬を僅かに紅潮させて腹部を両手で押さえ付ける。けれど、どんなに力強く抑えても彼女の腹の虫は収まる事はなく、寧ろ抑え込むにつれて腹の音は強く響いてしまう。
「うぅ……ここ暫く食べてなかった弊害がまさかここで現れるとは」
だが、何時までもここにいるわけにもいかない。自分がここで寝ていたという事は、自分をこの部屋に連れて来て誰かが寝かせてくれたのだろう。頬や手足の汚れは落ちているが、服を脱がされた形跡はない。恐らくは人の良い御仁が自分を助けてくれたのだろう。
その御仁に礼を言って、汚してしまったベッドの弁償を約束してからここを後にするべきだ。そう考えて決意したフーカは扉を開いて廊下に出る。
やはりというべきか、通路もやはり木材で作られており、自分のいた部屋は二階に位置していたらしい。というか、部屋にあった窓を見て確認すれば良いのに何故そうしなかったのか、自分が思っていた以上に焦っていたことに気付いたフーカは深呼吸して、改めて突き当たりにある階段を伝って一階へ降りていく。
一階に降りた彼女が目にしたのは幾つもの四角いテーブルと椅子、そしてカウンターテーブル、その空間の空気と充満する匂いにフーカはここが喫茶店の類いなのだと思い至り……。
「おや、もう目が覚めたんだね。身体の方はもう大丈夫かい?」
「え? あ、はい」
カウンターテーブルの向かい側で佇むエプロン姿の男性が、フーカの姿を見て歩み寄ってきた。人当たりの良さそうな雰囲気、その顔付きと人柄から、この店の主で自分を助けてくれた人なのだと察したフーカは佇まいを正し、深々と頭を下げた。
「あ、あの。自分はフーカ=レヴェントンと言います。この度はその、ご迷惑を御掛けして申し訳ありませんでした。それと、ベッドを貸してくれてありがとうございます」
「あぁ、これはどうもご丁寧に。若いのにしっかりしてるね」
「き、恐縮です」
「さて、起きたのなら好都合だ。今賄いの食事が出来るから食べてってよ。今の時間帯はお客さん来ないし、ゆっくりできるよ」
「い、いえそんな! これ以上厄介になる訳には……それにこれからワシは仕事───」
そこまで言って、これまでの経緯の全てを思い出したフーカは我に返り、表情を強張らせる。彼女が今何を考えているのか察したエプロンの男は、取り敢えず席に座るよう促した。
「実はその事について話があってね、取り敢えず座ろうか」
「………はい」
意気消沈、すっかり元気を無くしたフーカはガックリと音が聞こえてきそうな程に肩を落とし、トボトボと捨て猫の如く足を進めて、フラフラと席に付いた。
テーブルカウンターに座るフーカを見ると、男は厨房の奥へ姿を消す。そして数分と経たずに戻ってきた彼の手には二つの皿、白い皿には透明なスープが注がれており、その皿の隣にある小皿にはフワフワで美味しそうなパンが添えられていた。
テーブルに置かれたスプーンを手に一口啜る。瞬間、口の中に様々な味が広がってフーカの身体に染み渡っていった。美味い。身体だけでなく心にまで染み渡りそうなスープにフーカの頬は弛みきってしまう。その様子に満足気に頷く男は、隣のパンを浸して食べてごらんと勧めてくる。
言われるがままにパンを一つ取り出し、スープに浸して食べる。するとどうだろう、パンに染みたスープが別の味となってボロボロのフーカの身体を満たしていくではないか。あっさりとしたスープがパンの中に仕込まれたバターを溶かし、濃厚な味わいとなってフーカの食欲を満たしていく。
「はぁ~~~」
皿の全てを食べきる頃にはすっかり蕩けきったメシの顔をするフーカに、男はお粗末さまでしたと皿を下げる。これまで食べた事の無い味に舌鼓を打つフーカ、しかし何時までも呆けている訳にもいかない。皿を片付けていく男に対し姿勢を正して話を聞こうとするフーカ、男はそんな覚悟を決めた彼女に、一つ一つ、昨晩起きた出来事を語りだした。
結論を言えば、フーカは仕事をクビにされ、無職になってしまった。度重なる喧嘩を起こし、遂に面倒を見切れなくなった仕事先の雇い主が、彼女の荷物とこれまでの働きに見合う給料を手に、ここまで届けてきたのだ。
顔を出さなかったのは、フーカの顔を見たら怒鳴ってしまうかもしれないという雇い主の意向と、出来れば目が覚めるまで寝かせてやってほしいという店主の気持ちによるもの、もう別れは済ませてしまったらしい話の流れ、せめてこれまで掛けた迷惑の謝罪と世話になった礼を言いたかっただけに、この話をされたフーカの表情は暗かった。
その後も、今回の騒ぎの元凶となったチームとの乱闘の件も男から話を聞かされるが、再び気落ちするフーカの耳には入っておらず、暗くなる一方のフーカに男はうーんと頭を悩ませた。
そんな時、男の頭に一つの名案が浮かび上がる。
「ねぇフーカちゃん。もし行くところが無いのなら一つ提案があるんだけど」
「え?」
「フーカちゃん、ウチで働いてみない? 勿論給料は払うよ」
「そ、それは願ったり叶ったりですけど……い、良いんですか?」
「勿論、フーカちゃんなら大歓迎さ」
「で、でも……」
「寝床も保証するし、賄いの料理もその都度出すよ?」
「宜しくお願いします!」
捨てる神あれば拾う神あり、この日フーカ=レヴェントンは無職になり、そして喫茶店のウェイトレスとなった。
喫茶シラカワ。首都クラナガンにひっそりとある喫茶店、そこに一人の看板娘が誕生した。
「あ、そうだった。自己紹介がまだだったね。俺はシュウジ=シラカワ、この店の店長をしている」
「は、はい。ワシ……じゃなくて、自分はフーカ=レヴェントンと言います。宜しくお願いします」
明るくなったフーカにウンウンと頷くシュウジ、取り敢えず今日はエプロンをして簡単な接客をする事から始めようと、二階に上がるシュウジにフーカも付いていく。
そこで初めてフーカは違和感を覚えた。自分の新しい雇い主となったシュウジの声、どこかで聞いた気がする。はて、何処だったか?
そしてシュウジという名も何処かで聞いた事がある。この違和感は一体なんなのか、考えてみても思い出せないという事は別に対したことではないのだろう。そう自分に言い聞かせ、フーカはシュウジの後を追った。
◇
────フロンティアジム。数多くの有名格闘競技選手を輩出した名門ジム、その地下トレーニング室でサンドバッグを揺らし、剛腕を奮う一人の少女がいた。
「ラストよリンネ、フィニッシュ!」
「はぁっ!」
ドゴンッと、大きな音を立ててサンドバッグが縦に揺れる。リンネと呼ばれた少女は息を荒くさせ、長い銀髪を揺らし、膝を手について満身創痍でいた。
しかし、そんな状態になっても、彼女の瞳に宿る炎は微塵も翳りを見せていない。その事を良しとし、少しばかりの休憩を言い付けたトレーナーの女性は笑みを浮かべながら、リンネの隣に座り込んだ。
「お疲れ様でしたリンネ、今日のメニューは終了よ」
「お疲れ……様、でした」
途切れ途切れでもキチンと挨拶を返すリンネ、しかしその言葉とは裏腹に、彼女の口調はどこか暗かった。
「リンネ、貴方は才能がある。それも半端なモノではなく万人が羨む絶対的な才能が。努力を惜しまずその才能を極限にまで開花させれば、あなたはもっともっと強くなるわ。それこそ、誰も貴方に勝てなくなるくらい」
リンネという少女には天賦の才があった。これ迄の女性が見てきた中で、どの選手よりも強く輝く才能がこの少女には秘められていた。それも自惚れや贔屓ではなく、純然たる事実として。
その才能を開花させるのが自分であることに、リンネのコーチであるジル=ストーラは確かな喜びを感じていた。
「それは、本当ですか?」
「えぇ、貴方ならきっとその頂点に立てるわ」
「じゃあ、あの人にも勝てるようになりますか?」
「…………」
リンネの口にした“あの人”それを聞いたジルは押し黙り……。
「勿論よ」
一瞬の間を開けて肯定した。それを横目で見ていたリンネは立ちあがり、ジルに一礼するとシャワー室へと向かう。恐らくは自分の嘘を見破ったのだろう、悪いことをしたなと、ジルは頭を掻いて己の失敗を反省した。
リンネは天才だ。それは誰もが認め、誰よりもジルが認めている。しかし、それでも“あの男”と比べると、その自信が少しばかり曇ってしまう。
────嘗て、DSAA総合魔法戦・格闘競技のU25にて無敗を誇る王者がいた。流星の如く現れ、チャンピオンになるや即座に引退を表明し、表舞台から姿を消した幻の選手。
U25
Q.この世界の主人公はどんな立ち位置なの?
A.リカルド=マルチネス的なポジション。
Q.どうして格闘競技選手になったの?
A.ボッチ「み、店を出すためのお金が欲しくて……」
それでは次回もまた見てボッチノシ