今回は本編です。
日常編と説明回ですね。またちょっと前後編にわけますがご理解を。
楽しんでいただければ幸いです。では、どうぞ。
平和の中で、他愛もない日常を繰り返す。
戦争の中で、他愛もない日常を求める。
だから彼女達は。「またあとで。」そう言って別れた。
◇
鼻の奥にツンとくる刺激臭の香りがして、金剛は目を開いた。
これは幾多の海戦の中で嗅いだことのある、硝煙の臭いだ。
しかし自分は既に寝ているはず。ということは、これは夢……?
波の音が聞こえて、視界が不規則に揺れたりすることからここはどこかの船の中らしい。
どこなのか詳しく知りたくて、周りを見渡そうとするが、体は動かないうえに何故か目が曇って周りのものが良く見えない。
「聞いたか?はぐろが…」
「あぁ、聞いた……」
「本当なのか…?イージス艦が、もう2隻………」
すぐ近くで男達が声を潜めて会話している。声のトーンも低く、張りがない。
日本語の会話が聞こえるということは、日本の船だと推測できるが。
その時、頭の中に何かが流れ込んできた。それまでの思考が全て脇に追いやられ、深く冷たい海の底に沈んでいくかのような暗く悲しい感情が胸の中を占めていく。
どうして?どうして?
貴女とまた話をしたかった。また会いたかった。
だから…。なのに……。またあとで、って言ったのに……!
どうして、戻って来てくれなかったの………!?
何?どういうことデスカ?夢現の金剛の思考が追いつく前に、スピーカーから緊迫した声が流れる。
『総員、対潜戦闘よーい!』
その途端周囲が騒がしくなる。警報と駆け足の音が鳴り響く。けたたましい音とともに、金剛の意識は次第に遠くなっていった。
「今のは…一体……?」
朝日がカーテンの隙間から部屋に差し込む。今日も良い天気のようだ。
だが金剛の顔は涙に濡れていた。
横須賀鎮守府。各鎮守府の中で最大規模を誇る鎮守府だ。また、最初に設置された日本海軍の鎮守府でもある。
ちなみに東京湾を護るように陣取るこの鎮守府は日本国海上防衛軍や在日米海軍の基地も隣接しており、東アジアでも有数の海軍基地で知られている。
しかし、鎮守府には色んな施設や建物があるが、一見軍事施設とは思えないような建物まで存在している。
横須賀鎮守府庁舎2号館。艦娘や建物の管理者など内部職員の間では〝社殿〟の名で通っている。木造平屋建ての建物で、外見が神社にある社殿に酷似してたり、切妻造の屋根の中央に鳥の飾りがあるなど軍事施設にある建物とは思えない。
書類ではその建物は横須賀鎮守府庁舎2号館となっているが、何故そのようにあだ名されているかと言うと、元々社殿という施設が日本海軍の原隊とでもいうべき組織に存在しているのだが、同じ役割の施設を
この建物は非常に重要で、内部には艦娘の傷を癒す部屋や仮想演習場、その他諸々の部屋があり、これが無ければ、鎮守府は成り立たないと言っても過言ではない。
「それで、彼女の容体は?」
「傷もないので、直に目を覚ますかと。気絶したのも、やはり何か精神的ショックが重なったからかと…」
「ふむ…」
2号館の応接室で会話する2人の女性。
1人はカチューシャに眼鏡を掛けた黒髪ロングの艦娘、大淀型軽巡大淀だ。その能力は主に戦闘ではなく事務で発揮される。
もう1人は社殿を住み込みで管理している、実家は由緒ある神官の家柄の巫女、
「きっと彼女がこちらに来たのも太陽神の思し召しでしょう」
「そうですね…」
湯気が上るお茶をズズッ、と飲みながら大淀は相槌を打った。
巫女である六花がそう言うのは口癖のようなものだし、適当に聞き流す。しかし、時には本当に神意である場合もあったりで、まぁとにかく油断ならないお方だ。
そう思いながら、一旦湯飲みを置いて六花に質問した。
「ところで、彼女は何者かわかりましたか?彼女の艤装と一致する艦娘はいませんし、しかし向こうから来たとも思えないのですが……」
今のところ、羽黒は正体不明の艦娘として扱われていた。
現在愛宕型ミサイル護衛艦羽黒という艦娘の艤装は工廠に回して精査中だが、詳しい報告はまだの模様。
とんでもない技術の宝庫だ!と夕張や明石、技官が騒いでいたが。
六花は笑顔で顔を横に振った。
「いいえ。しかし、一つだけわかることが。彼女がこちらに来たのはやはり太陽神の思し召しでしょう」
またそれか。大淀は内心ため息をついた。巫女はいい人なのだが、重要なことを太陽神の思し召しだと言って煙に巻くところがある。何を隠しているやら。隠すということは、裏を返せば何か知っているということだ。
まぁ、隠しているということは危機的なものではないのだろうけど。いずれは聞き出さねばなるまい。
「ところで、朝食はもうお済みで?」
話題を変えるためか、それとも本当にふと思い出したことなのか、巫女がそう言った。
「えぇ。今頃は混んでるでしょうね」
朝早く起き、食堂が開いてから間もない頃に朝食を1人食べていた大淀は、喧騒を想像してそう返事した。
『いっただーきまーす!』
横須賀鎮守府の食堂は朝から賑わっていた。最大規模の鎮守府であるゆえに、艦娘も人も多く、飯時はいつも混雑する。艦娘や職員達は何とか取った場所に席を取って箸で食事をつついている。
今日の朝食の献立はご飯、豆腐とワカメとネギの味噌汁、卵焼き、海苔、梅干し、サバの味噌煮、ほうれん草のおひたし、浅漬けである。
その中でも白米を山のように丼に盛っているペアがいる。
第1航空戦隊に所属する正規空母の赤城と加賀だ。
「復帰おめでとうございます、赤城さん」
「ありがとう加賀さん。寝ていては美味しいご飯が食べられませんからね。」
そう言って赤城は白米を口いっぱいに頬張る。
その隣で鳳翔から注いでもらったお茶を飲んでいる隼鷹がニシシと笑いながら
「んじゃ、今夜は赤城の快気祝いも兼ねてパーッと」
「隼鷹、この前も飲みすぎて提督に怒られてたでしょ」
「飛鷹固いこと言うなってー」
険しい顔で窘める飛鷹に隼鷹はどこ吹く風と笑っている。
「寝ていると言えば…。昨日来た艦娘はまだ目を覚ましてないんでしょうか?」
全員分のお茶を注ぎ終えた鳳翔がふと思い出したかのように赤城に聞いた。
「もぐもぐ…そうですね、私が出る前はまだ寝ていましたね」
ごくんと口の中の物を胃の中に送り出してから赤城が答えた。
「な~、新入りが来たのなら歓迎会とかやらないの?」
「はぁ。まぁ、入渠明けにならいいんじゃない?」
「今のところはあり得ません」
机に頬杖を突きながら提案する隼鷹に飛鷹はため息を吐きながらもいつものことだと投げやりに首肯した。
しかし加賀が静かにその可能性を否定する。
「えぇ~何でさ?いいじゃん」
訳を追及してくる隼鷹に加賀は口を開こうとした時、食堂の一角で怒鳴り声が響いた。
「だから!加賀さんに聞いてって言ってるでしょ!」
「いいじゃん、曙が話してよ~」
「ウザい!」
何やら食堂の一角が喧しい。隼鷹達の注意もそちらに向く。加賀も自分の名前が聞こえたので、ちらりとそちらを見る。
そこには横鎮に所属している駆逐艦娘が集まっていた。より正確に言えば曙と潮を中心に集まっている。
主に言い合っているのは第7駆逐隊の曙と漣だ。潮は挙動不審にあわあわしている。あとはただ聞いているだけだ。
「昨日何があったか漣に聞かせてって言ってるだけじゃないの」
「だから!昨日のことは話すなって加賀さんに言われてるの!」
曙は不機嫌そうにかき込むようにご飯を口に放り込みながら漣に言った。
「そんなに秘密にしなきゃならないの?」
「知らないわよ。そんなに聞きたきゃ加賀さんに聞きなさいって!」
曙の大声に、赤城達は怪訝そうに青い袴の艦娘を見る。
「加賀さん、どうしてそんなことを?」
「…少々イレギュラーなことがありまして、提督と相談したところ、許可あるまで口外しないようにと言われました」
「何があったんだよ?みんな無事帰ってきたよな?」
「…やはり例の艦娘と何か関係が?」
口々に軽空母の2人が問いただすが、加賀は白米を黙々と口に運ぶだけで答えない。
口を割らない加賀を見て、隼鷹と飛鷹はこうなったらどうやっても答えないなと早々に手を引く。
「ま、いつか話してくれるますよね」
にこりとほほ笑む赤城を見て、加賀はやや気まずそうに目を伏せた。
駆逐艦達がぎゃいぎゃい騒いでいるところに伊勢型姉妹が仲介に向かい、別の所では第3戦隊の金剛型4姉妹が固まって食事を摂っているところがやけに騒がしい。
いや、騒がしいのは次女の比叡ぐらいで三女の榛名はオロオロ、四女の霧島は静観、長女の金剛はボーっとしている。
漏れ伝わってくる比叡の言葉から、金剛が何か病気ではないかと思考が空回りどころか暴走しているらしい。
はぁ、と加賀はため息をついた。
もう10年以上も変わらない日常を再確認しながら。
正面玄関に〝日本海軍横須賀鎮守府司令部〟と達筆で書かれた表札が掛けられているレンガ造りの建物。横須賀鎮守府庁舎1号館。その2階の右奥に、横鎮の最高責任者である提督の執務室が存在する。
しかし、やや凝った意匠の提督の執務机に陣取っているのはどう見ても小学生、ぎりぎり中学一年生くらいに見える少女だ。
彼女の名前は
見た目からは想像もつかないが、実は今年で33歳を迎える。胸も小さく、背も低い上に童顔と、特殊な人種の人間なら喜びそうだが、本人は見た目と年の差で悩んでいる。しかし多分これ以上は成長しないだろうともう諦めと慣れの境地に入っている。
時間は午前9時。江李は朝食を済ませ、コーヒーを片手に報告書を読んでいた。
「おはようございます、提督」
「おはよう、大淀」
江李は一枚の紙に目を向けたまま、ノックをして入って来た大淀に素っ気なく挨拶を返した。
「来る前に社殿に寄って
「……そう」
江李は加賀が昨日のうちに提出してきた報告書を机の上に置いて深いため息を吐いた。彼女が目を覚まさないことにはどうしようもない。
昨日深海棲艦の迎撃に向かった第1艦隊は、空母航空隊に損害が少々出たが艦娘の被害はなし。おまけに艦娘を1人連れて帰還した。喜ぶべきことだが、連れ帰った艦娘と一致する特徴が行方不明の艦娘一覧に存在しない。
おまけに報告しにきた加賀が普段の彼女とは想像もつかないような空想を言い出す始末。
その時は信じられず、とりあえず余計な混乱を生まないよう加賀に口外を禁止する一方、報告書にまとめて後で提出するように命じたのだが、最初の報告と全く同じ内容が書かれている。
少々頑固な所もあるが、優秀な彼女が2度も夢想を報告するような愚を犯すとは思えない。
しかし、単艦で味方の航空支援もなく40機の敵航空隊を無傷で撃墜するなどやはり信じがたい。
現在彼女が身に着けていた艤装を工廠に回して解析させているが、演習でもさせて彼女の戦闘を見なければ納得しないだろうと結論を出していた。
そのためにも例の艦娘には早く目を覚ましてほしいものだが。
ジリリリーン、と内線の呼び出し音が鳴った。大淀が受話器を取って対応する。
受話器の向こうの相手と二言三言話すと、受話器を元の場所に置いて大淀は江李に言った。
「提督、彼女が目を覚ましたとのことです。」
「そう。じゃあ、加賀と金剛も呼んできて。彼女と話したことのあるのは2人だけだから」
見知らぬ人間ばかりいるよりちょっとだけでも見知った顔がいるほうがいいだろう。
「わかりました」
大淀は了解して、執務室から出ていく。
パタンと扉が閉まる音を聞いて、江李はふと窓の向こうに広がる青空を見上げた。
「はぁ。……いつまでこんな日常が続くのかしらね?」
あれから良くも悪くも15年が経った。未だ帰還の目処も戦いの終わりも見通しが立っていない。
深海棲艦との戦いの長期化は、戦争が終わってすぐだったこの国の復興を圧迫している。
どうにかして終着点を見つけなければ、やがて何もかも破綻してしまうだろう。
空はこんなに青いのに、江李の心は灰色模様だった。
「ん?」
窓に縁どられた青い空を、何かが横切って行った。
窓をかすめるように飛んで行ったのは、黒い鳥だった。
鳥の羽ばたく音を聞いたような気がして、はぐろは目を開いた。
「ここは…?」
何か柔らかいものが掛けられているのに気づいて、起き上がると柔らかで清潔感のある布団が掛けられていた。
ぼんやりと周りを見ると、部屋一面に畳が敷かれた和風の部屋だ。
部屋がとても暖かい。春の陽気のような暖かさだ。空気自体が身体を包み込んでじんわりと温めてくれる。
ここはどこだろうか?
「お目覚めですね」
突然掛けられた声にハッとしてはぐろがそちらを向くと、黒い髪を蓄えて巫女の衣装を身に纏った女性が静々とはぐろの近くに歩み寄って来た。
巫女の女性は両手を畳に突いてはぐろに恭しくお辞儀をした。
「初めまして。
「あ、あの……。私が見えるんですか?」
はぐろの乗組員に艦魂を見ることのできる人は今までいなかったため、人間と今まで言葉を交わしたことのないはぐろは思わず質問していた。
「はい。大変お美しゅうございます」
「は、はぁ…」
やけに恭しく返答する女性に曖昧な返事をしながらはぐろは改めて部屋を見回した。
どこをどう見ても、はぐろの艦内にこんな場所はない。それに、やはり今のはぐろには霊体ではなく肉の体がある。
一体自分はどうなっているのか、誰か説明できる人はいないのか。
「羽黒様。お目覚めになり次第、横須賀鎮守府の最高責任者である天倉提督よりお話をされたいとのことです」
提督?確か将官以上の海軍軍人がそう呼ばれるような…。
そのような人物から直々にとは、よほど重要な話か…。ひょっとしたら、自分がこうなった理由を知ってるかも…?いや、さすがにないか…。たぶん、事情聴取あたりだろう。正体不明の艦が武器使って暴れたら、そりゃ事情聴取に来るか…。それに、この世界のことについて聞く機会にもなるだろう。
気を失う前までのやりとりで、どうにもこの世界は今まではぐろのいた
「わかりました。もう大丈夫なので、提督とお話させてもらえませんか?」
「承りました」
はぐろは六花の補助を得ながら着せ替えられていた寝間着から海自の白い制服に着替える。
しかし、艦魂の頃は最初から最後までずっと同じ海自の制服を着用しており、はぐろはこの姿になるまで特に衣服とは無縁だった。初めて着替えと言うものを体験したが、用途に合わせていちいち着替えなければならないとは、なかなか難儀なものだという印象が残った。
そして、ソファが1組と小さな机のある質素な応接室に案内された。
「では、こちらで提督がいらっしゃるのをお待ちください。貴女に太陽神の加護があらんことを」
そう言って六花は応接室から出て行った。
…ひょっとしてあれが別れの挨拶なのだろうか?
変わった人だったなぁと思いながら、はぐろはひとまず提督が来るのを待った。
六花しか誰もいない社殿の廊下で、彼女は謳うように呟いた。
「太陽神の使いが導きし山の名を司りし霊魂……。これもまた、太陽神のお導き也」
出羽に
果たして彼女はこの世界で如何様な
不謹慎とは思いつつも含み笑いを浮かべながら、六花は江李達に連絡すべく事務室へと静かに歩いて行った。
鎮守府の某所。
午前中のまだ柔らかな夏の日差しが降り注ぐ中、大きな日傘を立ててその下で朝食後のティータイムに興じている金剛型4姉妹の姿があった。艦娘達だって休憩は必要だ。晩夏の心地よい朝の風が吹き抜けていく。
しかし、金剛はティーカップの紅茶の水面に映る自分の顔を見ながら、どこか上の空でぼぉっとしている。
あの夢は何だったのデスカネー…?
長姉がそんな具合なので、今回のお茶会はどこか暗い。特に比叡は落ち着かない様子でそわそわしている。
「(お姉さま……。あぁ、お姉さまの太陽のような笑顔が失われて…。この比叡はどうすれば……。やはりここはこの比叡が茶菓子でも作ってお姉さまを笑顔に…!)」
比叡が心の中で暴走しているのを余所に榛名が心配そうに声を掛けた。
「お姉さま?どうしたのですか?やはり比叡姉さまのおっしゃる通り、具合でも悪いのですか?」
「
「ただ?」
霧島が先を促すように言った。比叡もゴクリと固唾を飲んで、金剛の言葉を待つ。
「
金剛は笑顔を作ってそう言った。それを見て、納得のいっていない顔で互いに見合う妹達。
あの夢が何なのか、金剛にもうまく言えない。
ただ、あの夢で感じた悲しみの感情が今も胸を塞いでいる。それだけだ。
そこに大淀と加賀が艤装を外した状態で現れた。
「金剛さん、例の艦娘が目を覚ましました。ちょと来てください」
「えぇっ!?今はお姉さまとの大事なお茶会をしているところなんですよ!?」
比叡が愕然と抗議する。そんなの後にしてくれと言わんばかりの様子だが、金剛はいつもの淑女ぶりはどこへやら。紅茶を一気に飲み干してすっくと立ちあがった。
「了解デース。
えぇぇ!?と残念そうに絶叫する比叡を後に残して金剛は2人と去っていった。
(…………………子供?)
神殿内部の応接室に案内されたはぐろは困惑していた。しばらくソファーに座って待っていて、やって来たのが気絶する前に会った茶髪の女性。見知らぬ眼鏡の女性とサイドポニーの凛とした雰囲気の女性。そして、海軍の白い軍装を身に纏った少女だった。
まさか…ねぇ…。提督が、まさかこんな小さな子供なはずがないだろう。
だが、はぐろの予想は悪い意味で裏切られ、軍服の少女がはぐろの対面に座り、後は少女の背後の壁際に並んだ。
「初めまして、日本海軍横須賀鎮守府最高責任者。天倉江李少将です。」
「こ、こちらこそ。日本国海上自衛隊護衛艦隊第4護衛隊群第4護衛隊あたご型ミサイル護衛艦はぐろです」
表面上は何とか取り繕ったはぐろだが、内心はかなり動揺していた。
海軍少将…。海上自衛隊では海将補に相当する階級だ。しかし、こんな少女が将官など到底ありえないような…。
やはり何かの冗談ではないだろうか?
疑惑の眼を向けられている天倉江李海軍少将閣下ははぐろが考えていることに予想がつき、不機嫌な顔で大きく咳払いした。
「オホン!…さて、海上自衛隊やミサイル護衛艦など貴女に聞きたいことはありますが、貴女も我々に聞きたいことがあるのではないですか?」
「……そうですね。私の知る日本には海軍というものは存在しません。本当にここは日本なのですか?もし、そうなら何故海軍というものがあるのか、貴女方は何者なのか、そして日本は何と戦っているのですか?」
軍というものができたからには、戦う相手がいるはずだ。自衛隊が創られたのも、結局世界のパワーバランスで日本の手でどうにか身を守らなければいけない事情ができて今に至るからだ。
「ふぅん…貴女は日本がある世界から来たのね。なるほどね…。じゃあ、私たちのほうから色々と説明させてもらおうかしら。」
「まず最初に、ここは日本という国で間違いないわ。……けど艦娘を含めて私たち日本海軍に所属する者の殆どはこの国の、いえこの世界の人間じゃない。別の世界の
へ?別の世界?陽ノ下皇国?
そんな国聞いたこともない。いや、別の世界なら納得…できるのかな?
「我が皇国海軍は創設以来、陽ノ下周辺に跳梁する深海棲艦と戦ってきたわ。そして彼女達は我が
江李は顔を背後に立っている3人に向けた。つられるようにはぐろもそちらに顔を向ける。
1人を除いて笑顔をはぐろに向ける女性達。見た目は普通の少女と変わりはない。だが、先日はぐろは見ている。海上を己が足で渡る少女の姿を。
一体どうして彼女たちはそんなことができるのか、もう少し詳しいことを聞きたかったが、はぐろが質問する前に江李は話を進める。
「今、日本もまた、深海棲艦の脅威に晒されている」
深海棲艦というのは何だろう?どこか特定の国と戦争しているのではないということだろうか。
「深海棲艦というのは…?」
「ん?貴女の世界には存在しないのかしら?まぁ要点だけを言えば、古代から陽ノ下の周辺海域に存在していたと言われる魔物とも、ある地域では海の神の使いとも考えられている連中よ。尤も、私達にとっては、倒すべき敵よ」
魔物?神の使い?敵?
いや、それを言ったら
困惑するはぐろを余所に、江李は話を続ける。
「私たちの暦で皇暦2304年7月13日。我々
1945年8月13日…。はぐろの知る歴史では日本が無条件降伏を受諾する直前にこの世界に来た、と…。
だが、日本には日本海軍という組織は存在しない。もし、この世界がはぐろの知る世界に繋がるなら、はぐろは日本海軍や深海棲艦について、こんごう達など先輩から何かしら聞いて知ってるはずだ。
だがはぐろは知らない。何かが違う……。神妙な顔で話を聞きながらはぐろは、その違和感について考えていた。
「その後私達は何とか合流できた士官・技術者・艦娘達と合流して今後の方針を検討している時に、この世界に深海棲艦が出現したという噂を聞いて、この国の政府に私たちの存在を明らかにし、解体間近だった帝国海軍の施設や名称などを受け継ぎ、日本海軍として深海棲艦と戦う日々を15年間送っているというわけ。あと一応言っておくけど、
なるほど…。うーん、1945年から15年後ということは今年は1960年。どうやら自分はタイムスリップしたようだが、単純にタイムスリップしたというわけでもないらしい。
仮にただのタイムスリップだけだったら、日本海軍や深海棲艦などが存在するはずがないからだ。
つまり、はぐろが元いた世界に酷似したこの世界に別世界から深海棲艦や彼女達がやって来て、そして自分はこの世界の1960年にタイムスリップした上で形体変化したということなのだろうか。
江李から聞いた情報を整理し、はぐろはそう結論付けた。
「今までの説明で何かわからなかったことはあるかしら?」
うーん…と腕組みしながら考え込むはぐろに、何か質問は?と江李は聞いた。聞かれたはぐろは、ならばと質問した。
「えっと。…貴女方は元の世界に戻らないんですか?」
「残念だけど、この世界に来て以降手がかりは皆無。技官達が何とかしようと頑張ってくれてるけど、進展はほぼなしと言ったところね」
じゃあ、仮に今この状態で元の世界に戻ろうとしても無理なわけか。
希望的観測がないわけではなかったが、それでも打ち砕かれると残念な気持ちになる。
「それで?貴女のことも話してもらおうかしら。具体的に言えば、貴女の所属している海上自衛隊やら貴女自身について」
さぁ説明しろという眼差しを受けて、はぐろは咳払いを一つして口を開いた。
「はい。私の知る日本には、国土防衛を担う組織に自衛隊というものがあります。自衛隊の中でも海を担当するのが私たち海上自衛隊です」
「…つまり、軍隊ということ?」
「まぁそのようなものです」
江李の質問をされたのが本職の自衛官だとしたらもう少し込み入った説明があるかもしれないが、話すとだいぶ長くなるし、生憎人間社会の複雑な構造や政治をこんごう達ほどはぐろは理解していないため、かなり適当というか簡単な説明で終わらせた。
「そして私は海上自衛隊に所属している護衛艦――大型水上戦闘艦艇の1隻、あたご型ミサイル護衛艦はぐろを依り代とする艦魂です」
「……え?どういうことかしら?艦娘じゃないの?」
いまいちピンと来なかった江李がはぐろに聞いた。
「いえ、違います。本来は2022年に竣工した基準排水量7700トンクラスのミサイル護衛艦で、私自身は霊体で肉体はなかったんですけど…気がついたらこんな姿に…」
はぁ…とはぐろはため息をついた。
正直違和感というものが拭え去れない。例えるなら男子が朝起きたら女子になっちゃった、みたいなものだ。できることなら元の
何とか彼女なりに理解しようとして難しい顔で考えていた江李は、やがて口を開いた。
「…つまり本来貴女は羽黒という軍艦に憑りついた霊魂ってこと?」
「そういう言い方はやめてもらえませんか?軍艦じゃなくて自衛艦ですし」
艦魂は別段、海上自衛隊の誰かを呪うためとかに自衛艦に憑りついてるわけではないし。第一、憑りついたのではなく、命名された瞬間から自衛艦に宿っているので、憑りついているという表現もやめてほしい。
「そう、ごめんなさい。ところで、2022年に竣工って本当?7700トン級ということは巡洋艦かしら?」
単純にミサイル護衛艦という艦種がわからなかったことと、純粋に興味から江李はそう当たりを付けるが、
「ええ、西暦2022年に竣工しましたよ。それと私はミサイル護衛艦で巡洋艦ではないです。んー、他国の基準に照らせば、…ミサイル駆逐艦ですかねえ」
「ぶっ!駆逐艦!?」
江李は思わず噴き出して聞き返した。金剛と大淀も目を丸くしている。加賀もやや動揺している様子。
そんな大きな駆逐艦なんているのか?それは立派な巡洋艦じゃないのか?と江李は思うが、きっとミサイルという兵器を満載するために駆逐艦もでかくなったんだろう。そう思うことにした。
しかし、2022年竣工ということは、この世界を基準にしても約60年以上先の技術の塊というわけだ。
単艦で40機を撃墜したのも、その技術の賜物だろう。それにしても軍艦に憑りついた霊魂が実体化して、艦娘のようになるのか?
まぁいいか。そのようなことばかり話していても話が先に進まない。
「まぁいいです。……それで貴女のことだけど、日本海軍の所属になってもらえないかしら」
「え?」
江李の言葉にはぐろはきょとんとした。
江李は腕組みをしながら険しい顔ではぐろに言った。
「詳細な情報は規制してるけど、既に貴女のことはこの鎮守府全体に知れ渡ってる。もう隠し通すということは無理なの。遅かれ早かれ、外部にも漏れるでしょうね」
最も懸念すべきはアメリカだ。この世界に転移してきた陽ノ下皇国海軍の立場と所属がまだ明確ではなかった初期の頃、アメリカは必死に艦娘を取り込もうとしていた。陽ノ下皇国海軍が日本海軍として活動することとなった今でも裏で動いているらしく、今も時々艦娘の技術を教えろと言ってくると江李は聞いている。
もし、はぐろのことを知ったら連中がどう動くか…。
「と言う訳で、貴女はこれから日本海軍の所属になってほしいんだけど」
はぐろの身の安全の為にも。
こくこくと頷くはぐろに改めて江李はそう言った。
「私は船であり兵器です。船の
はぐろは至極当然のようにそう言った。
それを聞いた江李は眉を顰め、不機嫌そうに聞いた。
「ふーん。なら沈めと言われたら、貴女は沈むの?アメリカが貴女の身柄を引き取ると言ってきたら?」
「それは……。できることなら、そうはなりたくないです。動ける限り、海を渡りたいと思うのは私たちの本能です。それに、私は日本国民の莫大な血税によって建造されました。
それが決定だというなら、はぐろは、艦魂は受け入れるしかない。艦魂は存在しても何も言わない。
だって、艦を動かすのは人間だから。速度を決め、舵を取るのも。艦魂はただ
そう思っていると、江李は姿勢を崩し、頬杖を突いて笑みを浮かべながら言った。
「じゃあ、最初からそう言いなさい」
「へ?」
「貴女は今、物言わぬ兵器じゃないわ。こうして言葉を交わせる。なら、言いたいことちゃんと言いなさい」
江李の言葉をポカンと聞いていたはぐろは、やがて一つの考えに至った。
そうか…。今の私は物言わぬ存在とは見られないのか。
内心でこれは大変なことだと苦笑しながらはぐろは頷いた。
「……はい。わかりました」
「それと、貴女の艦名は一応偽名にした方がいいかもね」
正直に彼女の由来を公表した際、少なからぬ混乱が起きそうだ。未来技術を狙ってハゲワシが集まって啄みにくるだろう。しばらくの間は鎮守府内でもある程度情報規制を行うほうがいいかもしれない。
どんな名前がいいかと江李に聞かれたが、はぐろは何かに名前を付けることはしたことがないため、突然言われても何も浮かばない。
困った様子のはぐろを見て、代わりに江李が考えることにした。
「そうね。できれば、海防(海上防衛軍)の軍艦とも被ってないようなのがいいわね。………じゃあ
平沼……。ふむ、悪くない名前だ。
しきりに頷き、特に異存はない様子のはぐろを見て、江李ははぐろを指差して言った。
「〝平沼型特殊兵装実験艦1番艦平沼〟。それが今日からしばらくの間の貴女の名前よ」
今回ちょっと小ネタと伏線をばら撒いたので、解説も含めて説明します。
まず、深海棲艦と日本海軍が舞台の世界とは違う別の世界から来たという設定ですが、そもそもいきなり深海棲艦と艦娘という常識じゃない存在が今の世界に突然現れるかなと考えて、じゃ別の世界から来たという設定にするかという感じになりました。
艦娘達が元いた世界では深海棲艦はストパンのネウロイみたいな存在ですかね。尤も、陽ノ下皇国周辺でしか深海棲艦は本格的な活動をしていませんが。ま、この話はおいおい語るとして。
次に。
羽黒山や出羽神社について知ってる方はイメージしやすいでしょうが、蜂子皇子という方が三本足の烏に導かれ、やがて出羽三山を開いたと言います。
三本足の烏がヤタガラスだという確証はないですが、まぁそういう説もあるので、文中で六花が独り言を呟いていたのはそんな感じです、はい。説明下手ですみません…。
最後に、はぐろの偽名ですが、元ネタはあります。
それは戦艦ヒラヌマです。太平洋戦争初期に、フィリピンでB-17が撃墜されて、戦意が落ちないように米軍がでっち上げた架空の日本の戦艦の名前がヒラヌマらしいです。
次回は、工廠や演習や訓練の様子などを描写したいと思います。
今月は期末やレポートがあるので更新は無理かもですが。
次回横須賀鎮守府・後編よろしくお願いします。
では。