では、どうぞ。
帰りたい。あの場所へ、あの頃へ帰りたい。
そう思ってしまうのは、いけないこと?
◇◇
社殿にある祈りの間。その部屋の中央で巫女の六花は太陽神へ祈りを捧げていた。
朝昼夕と1日に3回祈りを捧げるのが、太陽神の巫女である彼女の務めだ。居住まいを正し、雑念を頭から一掃する。頭の中がどこまでも広がる水面のように澄み渡る。
波1つ立たない彼女の頭の中に、突然石が飛び込んできた。波紋が生じ、心がざわつく。
……………イ……。
…エ……タ……………。
カ…………リ…………。
――――――――――――――――ッ!!!!!!!
「……今のは」
瞑想を邪魔された六花は、閉じていた眼を開き、端正な相貌を険しく歪ませた。
強大な魔物の産声を巫女である六花は感知したのだ。だがこの感じ、今まではなかった。
社殿という名を付けられたこの建物の内部は、常に清浄な空気に満ちている。そして悪しき物を遠ざける結界が張られている。だからこの場で邪念や黒い情念を感じることはまずない。深海棲艦の姫や鬼級だとしてもだ。
なのに、とてつもなく黒い情念を感じた。
その想いは純粋と言ってもいいが、そのあまりに強い想いは、たった1つの魂によるものではない。
六花は暗い女性の声を聞いたが、別の声も重なって聞こえた。大勢の老若男女の声が同じ調子で同じ言葉を吐き、合唱しているように1つの声になっていた。
恐らく幾つもの魂が混ざり合った黒い存在が、共通する思念の下、ある魂を核に深海棲艦として現世へ顕現しようとしている。
「さて、どうしましょうか…」
そう口にしながら、六花は円座から立ち上がった。別に何処に出現するのかわかったわけではない。特に対策もできないが、江李に警戒するよう伝えた方がいいだろう。
衣擦れの音を立てながら祈りの間の出入り口に向かっていた六花は、不意に天井を仰いだ。その表情は険しかったものから驚きと困惑が混ざりあっている物に変わっている。
「…何故ですか? 何故、誰にも申すなと」
その問いは誰に向けられたものなのか。声無き声に聞き返した六花は、見上げたまま佇む。
しかし、やがて六花は頭を下げた。
「……わかりました。仰せのままに」
不承不承だが六花は頷き、しずしずと先程まで座っていた円座の上に戻る。
円座に座り直しながら太陽神の巫女は考えた。
これもまた導きなのか。時間も歴史も異なる世界から来た魂への、ひいては未だ祖国へ帰る目処が立っていない自分達への。
迷い迷いて幾千里。上に太陽あり、下に海あり。迷いし時は、太陽の光が我らを導かん。道を定めし時は海の潮が我らを導かん。
けれど深海へ迷い込んだ魂は、太陽の導きも海の導きも得られない。
◇◇
提督執務室で江李は久しぶりに客を迎えていた。
前回同様突然押し掛けてきた客は、椅子に座る江李をずっと高い位置から見下ろしながら、にこやかに挨拶した。
「久しぶり、天倉提督」
「……ふぅ。えぇ、そうね萌愛大佐」
江李は息を吐いて緊張を解いた。客である萌愛は顔を膨らませて問いただす。
「なんでそんなに緊張してたの?」
「わざわざ理由を言う必要がある?」
前回の事などを考えれば、警戒して当然である。気を抜けば、いつ飛びかかってくるやら。
しかし萌愛も仕事モードに入ってるからか、変な呼び方ではなくなっている。江李をおもちゃにしてふざけようとする感じはない。
ただ当人も自覚があったのか、萌愛は深く追及せず本題に入る。
「さてと、じゃあ挨拶はこれまでにして、真面目にお仕事の話をしましょうか」
そう言って萌愛は、脇に抱えていた鞄から書類を取り出し、江李に渡す。江李は渡された書類を読んで目を見開いた。
「……はっ? えっ、これって…!」
動揺する江李に萌愛は真面目な表情で言った。
「今日から一ヶ月後、アメリカから空母を含む艦隊が日本に来る。それで横須賀からもエスコートを出してほしいの」
一ヶ月後と言われ、江李はカレンダーを見た。今日から1ヶ月後は10月の半ばだ。その間に横須賀が大きな作戦を行う予定は、今のところない。しかし、いくらなんでもいきなりすぎる。
「……どうしてアメリカから艦隊が派遣されるのか、萌愛大佐、説明してくれるのよね」
江李は主に深海棲艦や書類を相手にしていたりするため、国内の事はともかく国際関係の事までは把握できていない。この事は他の鎮守府の提督達も同様だ。総司令部の役目は各鎮守府に対する指揮権だけではなく、各鎮守府の弱い部分をカバーする役割を負っている。
萌愛は真面目な様子で話し出す。
「大東亜戦争、あるいは太平洋戦争と呼ばれる戦争が終結してから今年で15年目なのは覚えているね? 節目という感じで米ソで軍事演習がここ最近活発化しているみたい。特にアメリカの方はね」
アメリカは戦争が終わった直後に、深海棲艦との戦いで甚大な被害を被ったため、各地でデモや暴動が起こったらしい。日本には勝ったのに、なぜ突然現れたよくわからない存在に負けるのか。特に深海棲艦との戦闘で息子や夫、父を亡くした家族たちの怒りは甚だしかった。
それから15年の月日が経った。深海棲艦やソ連に対抗できるのか、強いアメリカ軍というものを米政府は内外にアピールしたいのだろう。今回の空母派遣は、アメリカの極東における軍事的プレゼンスを高めるというのが総司令部の見解だ。
「未確認の情報だけど、ソ連が日本海に面する地域に移動式弾道ミサイル発射装置を移動させてるって情報もあるわ。今回の空母艦隊派遣は、アメリカのソ連に対する示威行為でもあるみたい」
何をつまらない物で米ソは張り合っているのか。
江李は呆れたあまり、ため息を吐いた。
「それで、空母はいつまで日本にいるの?」
「いや。派遣された艦隊はそのまま日本に駐留するんだって。在日米海軍の再建するんだとか」
それはまた大変な話だ。江李はおそるおそる萌愛に聞く。
「……米ソの関係はどうなってるの?」
「相変わらず難しいところだけど、今のところはどっちも牽制し合ってるだけで戦争にはならないよ。よほどの事が起きない限りね」
それを聞いた江李はホッと息を吐いた。
ただならぬ米ソの行動に、両国が戦争準備に入ったのかと江李の頭をよぎったのだ。この2つの大国間で戦争になれば、当然日本も巻き込まれる可能性が高い。
そして日本も攻撃を受けたら、艦娘も戦争に参加させられるかもしれない。江李達にとっては、何としても避けたい事態だった。
まぁそういった問題はひとまず脇に置いといて、江李は取り敢えず目の前の問題に集中する。
「けど、これ大丈夫なの? 大湊と合同でするにしても無理があるんじゃない?」
2つの鎮守府が合同で作戦を行うにしても、計画自体に無理があるように江李は感じた。
「その辺は私たちも意見したんだよ。でも決まったことだからって全部却下されちゃった」
おどけて話す萌愛に江李はため息をついた。全く、何が「されちゃった」だ。もう少し頑張ってほしい。
まぁ総司令部も日本政府に唯々諾々と従う訳ではないので、その総司令部が無理だったというのであれば、仕方ない。
「それだけに失敗は許されない。天倉提督、貴女には苦労を掛けるが、どうか役目を全うしていただきたい、と総司令部の茶々元帥からのありがたいお言葉だよ」
しれっとプレッシャーを掛けてくる茶々元帥に、思わず江李はイラっとなった。
「了解しました、…って元帥にお伝えして。大佐」
了解しましたの後に、クソジジイと江李が心の中で悪口を言っている事がわかっているのか、萌愛は苦笑いを浮かべていた。
しかし苦笑いを引っ込めると、萌愛はうってかわって明るい声で江李に聞いた。
「ところで江李たん、お別れのハグは」
「しないわよ!」
仕事モードから平常運転に戻った萌愛に、江李は吠えた。
◇◇
萌愛が江李の元を訪問してから2週間後。あと数日も経てばカレンダーがまた1枚薄くなる。あと数ヵ月でカレンダーも代替りしてしまうが、横須賀鎮守府は特に変わらない日々を送っていた。
仮想演習室では今日も変わらず数人の艦娘が訓練を行っている。
「左対空戦闘、主砲撃ちぃ方ぁ始めー」
はぐろがトリガーを引き、主砲から3回連続して夢弾の砲弾が発射される。高度なシステムによって弾道を計算された砲弾は、はぐろに接近していた3機の仮想標的機全てに命中し、撃墜した。
その様子を近くで見学していた艦娘達はパチパチと小さく拍手をした。
駆逐艦から戦艦に至るまで横須賀の艦娘は実験艦から砲術のコツという物を教わりたいと思っているが、本人曰く、装備されている高度なシステムに依存しているだけだと言って何も話さない。
実験艦だから機密事項なのかもしれないと事情を知る金剛以外の戦艦や重巡、軽巡達は推察して引き下がったが、駆逐艦はこうして彼女の砲撃訓練を見学しているのだ。
「平沼さん、すっかり元気になったわよね」
「良かったのです」
はぐろの砲撃訓練を見学しながら雷と電がホッとした様子で話している。加賀や赤城達の助力もあって、色々と誤解が解けた彼女達も明るさを取り戻している。
「しかし、曙はどうしたんでしょうか? 平沼さんが原因ではないのなら、一体…」
「さぁー。あの娘はもうちょっと素直になってくれてもいいと思うんだけどね」
陽炎が頭の後ろで手を組みながら不知火に相槌を打った。
実験艦が明るさを取り戻し、6駆や秋月も調子を取り戻した。だが曙だけが以前変わらない。普段は何か覇気が足りないままだ。
「やはり気になりますね。今度ドッキリでもしかけて反応を確認してみますか? そうすれば感情に任せて暴露するかもしれません」
「………後が面倒だから止めなさい」
大人しそうな顔してる癖に好奇心の塊である不知火は、たまに突飛なことを言う。陽炎が初めてその事を知った時は、驚いたものだ。不知火も見学してるのだから実験的装備の事は十分知っているだろうに、実際に戦ってみないと全てわかったとは言えないと言い張って、演習したいとはぐろに何度も
そんな事を話していると、はぐろが砲撃を中止して埠頭に向かおうとしていた。
「あれ? 平沼さん、何処に行くのです?」
電が声をかけた。この後はぐろは水上目標に対する砲撃訓練を行う予定だったはずだったと陽炎達も記憶している。
呼び止められたはぐろは振り返って電に返事した。
「監視室から連絡があって。今すぐ訓練を中止して執務室に来なさいって」
「平沼さんを訓練中にわざわざ呼び出すなんて、何かあったのかしら?」
「さぁ…」
はぐろも雷と同じことを思ったらしく怪訝そうだったが、駆逐艦達に手を振ると埠頭の方に向かっていった。
「平沼さん行っちゃったわね」
「むぅ…。また逃げられてしまいましたか。今度こそは逃がすつもりはなかったのに」
「あんたまだ諦めてなかったの?」
呆れた様子の陽炎に、不知火は無表情だが、親しい者にはやや興奮している事がわかる声で語る。
「別にあの人に勝ちたい訳ではありません。ただ何事も体験してみたいのです」
「はぁー…。平沼さんに迷惑掛けるんじゃないわよ」
「わかってます」
やれやれ、と陽炎は肩をすくませた。
◇◇
「失礼します」
はぐろが江李の執務室に入ると、中には5人の艦娘が集まっていた。
正規空母加賀と赤城。戦艦金剛。軽巡洋艦神通と大淀。中々に豪華な面子だ。
そしてイージス護衛艦の自分まで集めて何が始まるというのか。
「揃ったわね」
はぐろが加賀の隣に立ったのを見計らって、江李が話し出す。
「皆を集めたのは他でもないわ。今日から17日後、空母を含むアメリカの艦隊が横須賀に来る。そして、その護衛を私たち横須賀と大湊、それと海上防衛軍が共同で行うことになったわ。合流地点は、ミッドウェー諸島のサンド島から東に100kmの海上よ」
「アメリカの艦隊の護衛、ですか?」
そう聞き返したのははぐろだ。加賀達は大なり小なり嫌そうに表情を歪める。この命令がどこから出されたのかわかったからだ。
赤城が表情を曇らせて言う。
「しかし、大丈夫なのですか? 横須賀からミッドウェーまではとても距離が離れています。門を使っても護衛をするには少々無理があるのではないですか?」
ミッドウェー諸島は日本から約4100km離れている。
9年前に日本海軍が行ったAL/MI作戦では、攻略作戦であったために門を使って簡単に行き来できた。しかし、護衛任務であるならば護衛部隊は付きっ切りで護衛対象と行動を共にしなければならない。
海上防衛軍の駆逐艦が巡航速度で横須賀からミッドウェーまで行くとしたら、天候などにもよるが片道5日ぐらい掛かる。
その間艦娘が米海軍の軍艦を付かず離れず護衛するのは、諸々の事情により不可能だ。
「……私も同意見よ。総司令部もね。でも私たちは居候の身。どこかで折り合いはつけないといけない…」
ため息が室内で木霊した。はぐろはきょとんと浮かない顔の面々を見回している。なんだか自分だけが仲間外れに遭っているようで不安そうだ。
ため息を吐いていても仕方ないとばかりに、大淀が理知的な声で作戦の概要を説明し始めた。
「今回は海上防衛軍との共同作戦になります。海上防衛軍第一駆逐戦隊の春風と玉雪、第七駆逐戦隊の山雪と朝雪が支援してくれます」
大淀がそう説明した。海上防衛軍が駆逐艦を4隻も出すとは、日本政府の力の入り具合がわかる。
「横須賀からは3つ部隊を出します。先遣の偵察艦隊と第1陣の護衛隊。この2つは17日後、門を使って、直接ミッドウェーまで行っていただきます。第2陣の護衛隊は、第1陣が米艦隊と合流してから半日経つまでに交代できるよう、第一駆逐戦隊と共に横須賀を発つ予定です。現時点で第2陣は今日から12日後に海上防衛軍の駆逐艦達と横須賀を出発する予定です」
金剛が勢いよく手を挙げて質問した。
「Hey! ドウシテ最初から海上防衛軍の駆逐艦と行動を共にしないのデスカー?」
金剛の質問に大淀が答えた。
「中東の情勢が悪化した影響で、燃料の備蓄にあまり余裕がないとの事です。米艦隊の補給艦から給油を受けるということも検討されたんですが、海上防衛軍と米海軍の間で一度も連携を行ったことがないため見送られました」
次に神通が挙手をした。
「大湊はどのように?」
「大湊は第七駆逐戦隊と共に出発し、第2陣の横須賀護衛隊と作戦を行う予定です」
つまり最初に直接護衛に就くのは最大1個艦隊6名だけ。普段の船団護衛も6名の艦娘で足りているので、特に問題はないだろうが。
「あのー。ところで、私が呼ばれた理由は?」
はぐろが手を挙げて質問した。
はぐろが偽名で過ごす事になっているのは、アメリカや日本政府に未来から来た存在であることを悟られないためだ。横須賀にいる在日米軍が艦娘を監視している事は承知している。だから滅多に出撃も遠征もしない。なのにアメリカの艦隊の護衛に就くのか。
もうひとつ。横須賀鎮守府の懐事情が結構ギリギリらしい事もはぐろは知っている。データリンクの装置やミサイルの試作などで、例年以上に予算が使用されているとのことだ。
1発のミサイルのコストが高いはぐろを出すと、予算は加速的になくなっていく。例えはぐろの主砲の弾薬にかかる予算は重巡洋艦と変わらないとしても、ミサイルを使用しない状況が起こらないとは限らない。
以上の事から、はぐろは敢えてこの場に呼ばれた理由を質問した。
途端に江李の表情が険しくなった。腕を立て、手を組む。
「平沼…。私としても、本末転倒のような話だと思う。でも、組織全体を維持していくために、これは必要な事だと思う。全のために一を犠牲にするという訳じゃない。打てる手を打たなければならない。これはそういう話だと思ってほしい」
江李は重々しい口調で、やけに遠回しに言う。
恐らく作戦に参加して貰いたいのだろうが、江李が自分に何をさせるつもりなのか、はぐろはわからない。
だが、江李は言いづらそうに、口を開いたり閉じたりを繰り返している。
どうしたのだろう。何をさせたいのだろう。
はぐろは直接的な戦闘以外で自分にしかできないことを考え、思い付いた事を発言する。
「ひょっとして、作戦に参加して私の電探でミッドウェー周辺の索敵をしろ、ということですか?」
「……えぇ、そういう事よ」
察しのいいはぐろに江李は少々疲れた声で返事した。
「待ってください提督。平沼の装備はほぼ全てが機密に指定されていると記憶しています。彼女を作戦に参加させて大丈夫なのですか?」
加賀が江李に食って掛かる。余所の組織に、はぐろが戦闘する所を見られる
江李に異議を申し立てる加賀を、神通は少し意外そうに見ていた。
前回の埠頭での交流で、加賀はだいぶはぐろに甘くなっている。それが瑞鶴にとっては面白くない様子だが。
江李は淡々とはぐろと加賀に説明する。
「…偵察艦隊の役目は、あくまで偵察よ。護衛や戦闘に参加しろという訳じゃないわ」
「ですが…」
その回答に加賀は納得していない様子だったが、苦虫を噛み潰したような表情で押し黙った。この作戦が失敗すればどうなるか、江李の雰囲気からなんとなく察したのだ。
江李も矛盾した命令だということはわかっている。だが、総司令部の茶々元帥がわざわざプレッシャーをかけてきたとなると、この作戦に失敗は許されない。
もし失敗したら横須賀だけでなく、日本海軍全体の責任を問われるかもしれない。そうした場合、日本政府は喜々として日本海軍の指揮系統に介入してくるだろう。それは江李達にとって喜ばしい事ではない。
だからこそ、できるだけ不安要素を排除して万全を期したい。そのために、単艦で高い索敵性能を誇るはぐろを投入する。それが今回限りの最善手だと判断した。
だが周りの懸念を余所に、はぐろは笑顔で言う。
「了解です、司令。私に任せてください」
それを見て、江李は心苦しそうな表情になった。加賀もため息でも吐きそうな感じだ。
「それで、編制はどのように?」
赤城が空気を見計らって大淀に質問した。大淀はそれを待っていたかのように、スラスラと淀みなく答える。
「今回の作戦では先に述べたように、偵察艦隊と2つの護衛部隊を編制します。第1陣の護衛隊を第1護衛艦隊、第2陣を第2護衛艦隊と呼称します。偵察艦隊の編制は平沼さん、神通さん、潮さん、曙さんの4名です」
「曙さんをですか?」
聞き返した神通に大淀が怪訝そうに聞いた。
「…何か問題が?」
「…いえ、なんでも」
「…では、続けます。第1護衛艦隊は加賀さんを旗艦として、金剛さんと瑞鶴さん、妙高さん、朧さん、漣さんです。第2護衛艦隊は赤城さんを旗艦に鳳翔さん、陽炎さん、不知火さん、霞さん、霰さんとなります」
「鳳翔さんも一緒なんですか?」
嬉しそうに赤城が聞いた。加賀が少し羨ましそうに相方を見る。
赤城や加賀にとって鳳翔は恩人で偉大な先輩だ。昔はよく一緒に出撃していたが、翔鶴型や雲龍型、飛鷹型など後輩が大勢就役すると鳳翔は第一線から退いた。だから、今回の作戦で鳳翔と一緒に出撃できる事が赤城はとても嬉しかった。
しかし、加賀や金剛は少し気になる事があったようで、顔を見合わせている。
だが2人が何かを話すより先に江李が言った。
「以上で今回の説明は全部よ。詳しい事はまた次回説明するわ。それじゃ、今日は解散」
説明は終わりだ、と江李は両手でパンと軽く鳴らした。
少し気になる事はあるが作戦の説明は一先ず終わったようなので、大淀以外の艦娘達は執務室から出ていった。
扉が完全に閉まり、足音が遠ざかると大淀が重い口を開いた。
「……提督、本当に平沼さんを参加させるのですか?」
江李の眉がピクン、と動いた。
だが、確かに今回の作戦ではぐろが参加する意味があるか微妙なところだ。
はぐろがピケット艦の役割を担うのは、たった半日程度だ。第1護衛艦隊と交替した後、日本まで護衛してくる第2護衛艦隊と比べれば、作戦参加期間はとても短い。
第1護衛艦隊も正規空母2人、高速戦艦と重巡洋艦が1人ずつ、護衛というより打撃戦力という方が正しい。なのに、はぐろまでも出す必要があるというのか。参加させる意味があるのか。
江李は大淀の質問をそう受け取った。
「ミッドウェーは日本からも遠いわ。中間棲姫があの島を支配した時、私達は数ヵ月以上の間、何も気づかなかった」
そして、ミッドウェー諸島周辺海域を支配する深海棲艦の勢力がとても大きな物になって、ようやく日本海軍は気付いた。
哨戒も簡単にはできない遠方の海域。何が潜んでいるのかわからない。
だからもしもの場合に備えて、ミッドウェー諸島周辺海域に限り、警戒レベルを最大に引き上げる。
連合艦隊は出せないが、派遣する艦隊は航空戦、砲雷撃戦、対潜水艦戦闘…。あらゆる事態に対処できるように編制した。
とはいえ、その事は今まで散々打ち合わせてきたのだから大淀もわかっているはず。なぜ今さらそんな事を聞くのかと江李が大淀のほうを見ると、彼女は珍しく困惑していた。
「いえ、そういうことではなく…」
「何?」
「…なんでもありません。失礼します」
江李に一礼して、大淀も執務室から出た。
大淀は少し歩くと、浮かない顔で近くの壁に
(何故、私はあんなことを聞いたのでしょうか…?)
江李がはぐろを作戦に参加させるのかどうか、とても迷っていたのを大淀は知っている。今さら聞くのは野暮だとは思ったが、それでも聞かずにはいられなかった。
以前、明石達が行っている対艦ミサイルの試作の進捗状況がまとめられた報告書を読みながら、江李が呟いていた。
〝本来はぐろは陽ノ下皇国海軍所属じゃない。なのに私ははぐろを都合のいいように利用している。それは日米政府が行うかもしれない事と何が違うんだろう〟
はぐろと最初に話した時、江李がどう思ったのか、今となってはわからない。ただ、先程の説明ではぐろに遠慮していたのは、江李が無意識の内に抱える罪悪感からではないのかと大淀は思った。
もしも、はぐろが日本海軍を自分の野望や欲望のために利用するために接触したなら、きっと江李は意味のない罪悪感は抱かなかっただろう。己の目的を叶えるために、互いに利用しあう。日本政府と陽ノ下皇国海軍のように。
けど彼女は良くも悪くも純粋だった。まるで空に浮かぶ太陽のように。
大淀はため息をついて、窓の向こうに広がる空を見上げた。今日は少し雲が多かった。
◇◇
あっという間に1960年の9月が終わって、10月に暦が変わった。横須賀の雰囲気は日に日に緊張感が増していった。明日はいよいよ海上防衛軍の第一駆逐戦隊が横須賀から出港する日だ。同部隊に第2護衛艦隊に選抜された艦娘達が便乗し、ミッドウェー方面に向かう予定だ。
それから5日後に偵察艦隊と第1護衛艦隊もミッドウェー諸島近海に向かう。
日本海軍横須賀鎮守府も海上防衛軍横須賀基地も在日米海軍横須賀基地もあわただしくなる雰囲気の中、潮はある艦娘を探していた。
野菜が入った籠を抱えて通りがかった鳳翔が、潮に声を掛けた。
「あら、潮さん。何か探し物?」
「あ、鳳翔さん。いえ、曙ちゃんとちょっとお話がしたいなって」
潮は困った様子で話す。
もうすぐ作戦なのに、曙はまだ何か調子が良くなさそうなのだ。だから潮は何かできることはないか話を聞こうとして、曙に逃げられてしまった。
諦めの悪い潮は、今度こそ曙を捕まえて話をしようと思うのだが、なかなか見つからない。
籠を抱え直して、記憶を辿った鳳翔は言う。
「曙さんなら、ついさっき4号館の近くで見ましたよ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
潮は鳳翔にお辞儀をして、すぐに4号館の方に走っていく。
鳳翔は潮を見送った後、食堂の方に向かった。明日から長期の作戦に臨むのだ。一緒に出撃する艦娘のために、何か手製の食べ物を作りたい。何を作るか頭の中に色んな料理を思い浮かべながら鳳翔は歩き始めた。
一方、潮は鳳翔に教えられた通り、4号館の近くを重点的に探していた。
4号館の裏手に回った潮は、そこで長い髪をサイドテールに結った艦娘を見つけた。
「あ、いた!」
「ゲ…」
声に反応して振り返った曙は、潮を見た途端に嫌そうな表情をした。
「あの、曙ちゃん?」
「…何よ?」
ぶっきらぼうに聞き返してくる曙に、おずおずと潮は言った。
「最近曙ちゃん様子が変ですけど…。何があったのか教えてくれませんか…?」
「は? なんであんたに教えなきゃならないわけ?」
怖い顔をして曙はつっけんどんに言う。
時々仲間にもきつく当たることもあるが、どうにもいつもと違うと潮は感じた。触れられることを拒み、自分の殻に閉じこもっているような気がするのだ。
けど、もうすぐ大きな作戦があるのだ。
「だ、だって。もうすぐ平沼さん達と一緒の作戦じゃないですか。それなのに曙ちゃんは…」
「あんたはあの実験艦のこと信用できると思ってるわけ?」
一瞬、潮は何を言われたのか理解できなかった。
「え? 曙ちゃん、何を言ってるんですか…?」
「……別に、なんでもないわよ」
聞き返すと、気まずそうに曙はそっぽを向いた。曙が歩み寄って聞く。
「あんなにいい人なのに、どうしてそんな事を言うんですか?」
「うるさい!」
曙は吐き捨てて、どこかに走っていく。
「待ってください!」
潮は追いかけた。
建物の角を右に曲がった曙に潮も続く。
「あれ?」
角を曲がった先に、曙の姿はなかった。潮が角を曲がるまでのわずかな時間で遠くに行けるとは思わない。たぶんまだ近くにいるはずだ。
「曙ちゃん! どこに行ったんですか? 曙ちゃん!?」
潮は曙を呼びながら段ボールの脇を通りすぎた。
しかし、近くを見回してもどこにも見当たらない。まさか、あの一瞬で別のところに行ってしまったのだろうか。
曙は近くにいないと判断した潮は別の場所に探しに行く。
パタパタとやや駆け足で潮が移動していくと、段ボール箱が突然動いた。中から曙が這い出てくる。
「全く、潮は」
お節介を焼く潮に、少しばかりうんざりしながら曙は頭を掻いた。別に気にしなくてもいいのに。しかし自分が何も話さない事も原因の1つであるため、曙は呆れるだけにしておく。
遠くで自分を呼ぶ潮の声から離れながら、曙はある名前を呟いた。
「あたご型ミサイル護衛艦3番艦はぐろ…」
最近は夢の事ですっかり忘れていたが、あの実験艦は怪しいと曙は思っている。
装備は確かに凄い。だが曙はしっかりと覚えている。あの実験艦と名乗った女が、最初は別の名を名乗ったことを。
その場にいたのに潮は忘れているようだが、曙は装備の事よりも名前の方が印象的だった。羽黒と同じだからではない、愛宕型と名乗ったからでもない。
ただ何故か妙に名前が、曙の記憶に残ったのだ。
嘘吐きで泣き虫な奴をホイホイ信用するわけにはいかない。他人がどう言おうが、絶対に。
それに、夢を見るようになってから、あの女の事をたまに考えると胸が締め付けられるような気持ちになる。
話したこともない。名前を交わしたこともない。なのに、たまに遠くから見ると寂しさと苛立ちが募る。
曙は何も知らない。けど、曙は実験艦のことが嫌いだ。
へらへらしてて、泣き虫でまだ若い癖に、勝手に覚悟を決めて。
曙の心中で感情が渦を巻く。どうしてこんな感情が湧いてくるのかも、曙はよくわからないままだった。
これ以上周りに心配をさせるわけにはいかない。しかし、どうすればいいのだろうか。曙はそう考えて、ふと潮の言葉を思い出した。
「あいつと出撃か…」
ならその時に問い詰めればいいかもしれない。何故偽名を名乗っているのか、この気持ちが何なのか。
曙はそう決心した。
◇◇
帰りたい。帰りたい。帰りたい。
どこへ? 私達が生まれた場所へだ。
なぜ? そんなのは知らないさ。
どうやって? それを知っていればここにはいないよ。
生まれた場所がどんな所かだって? ……あれ、どんなところだったっけ?
………………………わからない。
わからない帰リタイ帰リタイ知らない帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ覚えてない帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイなんで帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ誰か帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ助けて帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ帰リタイ!!!
帰リ、タい………――。
どんな所か自分達は忘れてしまったけど、そこはきっと、私達を温かく迎えてくれるはずだから。
だから帰ろう、―――あの場所へ。
今回はまだ準備段階。次回こそはいよいよミッドウェーへ向かいます。もちろん戦闘ありです。
執筆の過程で設定を確認するために読み直すと、毎回かなり書き方が変わったな…。と思います。
あの頃と比べて読みやすいのか、面白くなっているのか、これでいいのかと悩みながら書いてます。
何かありましたら、感想へ。
ではまた。
設定・ネタ解説
・山雪型駆逐艦
終戦後、深海棲艦と戦うために大量建造された海上防衛軍の駆逐艦。松型から発展した。
1960年の時点では旧式化しつつあるが、数の上では海上防衛軍の主力。
今回の話に登場したのは山雪、朝雪、玉雪の三隻。
・春風型駆逐艦
戦後建造された国産の駆逐艦。1957年にネームシップが就役したばかりで、今のところ数はそれほど多くない。
今回の話に登場したのは春風。
・ダンボール
何故かその辺に置いてあった段ボール箱。
世界一のステルス装備、らしい。ひょっとしたら原作ゲームの初期の家具である段ボール箱の中にも…?