艦これ~とあるイージス艦の物語~   作:ダイダロス

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お待たせしました。ダイダロスです。
今回は前回のあとがきで予告した通り、加賀さんが主役の番外編となります。
話の舞台は加賀がしんすいした直後から始まります。
なので今回ははぐろや金剛、提督などは一切出ません。あと初めて陽ノ下皇国が舞台になるので説明文が多いですがどうかご了承ください。
では、どうぞ。




番外編・とある航空母艦の物語

 陽ノ下皇国。2200年以上の歴史を誇る、由緒正しき国家だ。

 本島と3つの大島、多数の小島が北東から南西に向けて伸びている島国。神が在り魔が在り人が在る国。

 皇国の四方を囲む海は人々に恵みを与えると同時に人々に禍を成す。皇国の周辺海域では神代の頃から現れるとされる魔物が陽ノ下皇国の人々を脅かしていた。

 その名は深海棲艦。光すら届かない深海からやって来ると伝えられる、海の魔物である。

 そして深海棲艦と戦い、皇国の海を護ろうとする少女たちがいた。

その名は艦娘。深海棲艦と戦い、打ち倒すことができる数少ない存在だ。

 艦娘になれる者は少ない。伝承によると、神代では太陽神によって力を与えられた少女が神娘(かんむす)と呼ばれるように至ったが、現在では有望で能力があり、艦娘になれる身体へとする器高(きこう)の儀式を経た少女を太陽神に推して、太陽神より認められる事で艦娘となる。

 今また1人の少女が艦娘への階段を1つ昇ろうとしていた。

 

 

 ◇◇

 

 

 雲1つない快晴。風も穏やか。吉日を選び、神推式(しんすいしき)が行われようとしていた。この場にいるのは、神祇省巫女庁から派遣されてきた巫女とこれより艦娘へとなる少女の2人だけだ。

 場は清められ、四方を榊と注連縄によって区切り、神を迎えるためと悪しきものを退けるための結界が2人の周囲に築き上げられている。既に儀式の準備は整っていた。

「では、これより神推式(しんすいしき)を執り行います。…よろしいですね」

 儀式を執り行う巫女は確認するように目の前で正座している少女に問うた。

 少女は巫女服に出身を示す青い袴を纏い、生涯において大きな分岐点となる儀式を前に落ち着いた表情で頷いた。

「…はい、問題ありません」

 少女が無表情で答えるのを見た巫女は大幣(おおぬさ)を振りながら祝詞を荘厳に謳いあげる。

「かけまくもかしこき―――…」

 巫女が一言一言朗々と謳いあげるごとに、この場に太陽神の暖かくも苛烈な神気が満ちる。

 常人ならば気絶してしまう程の神気は神具で築き上げられた結界内で渦巻き、結界の外には蜃気楼が発生するほどだった。

 巫女が謳う祝詞が響き渡り、圧迫されるような濃密な気の中、少女は無表情のまま眼を閉じている。

 いよいよ儀式は最終節だけとなった。

「彼の乙女の海渡りのお許しを太陽神に(こいねが)い、魂鎮(たましず)めの儀、()さしめんと欲する声を(きこ)し召すものぞとを、かしこみかしこみ申す―――――!」

 巫女が最後の祝詞を言上し終える。

 あれほどまで荒れ狂うように渦巻いていた神気は消え、同時に結界の基礎となっていた神具がパタパタと倒れる。

 そして少女に変わった点はない。ただ佇まいだけが人のそれとは全く変わっている。

 儀式を執り行った巫女は深く息を吐いて言った。

「これにて、神推式は終了です。ご気分はいかがですか?」

「…はい、特に問題ありません」

 少女は儀式前と変わらない無表情で答える。

 巫女はそれを聞いて頷くと言った。

「では、これにて神推式を終えます。御身に太陽神の加護がありますことを」

「……ありがとうございます」

 

 

 ◇◇

 

 

 艦娘となった少女は自らの一族の本拠に帰り、一族の長が住む本邸にて報告を行った。

「無事、神推式は終わったようじゃな」

「はい、おばば様」

 しわくちゃになった老婆に少女は答える。

 老婆は傍らに置いていた巻物を手に取り、広げて見せた。それには墨で書かれた文字が踊っていた。

「其方へ贈られる艦娘のとしての名が決まった。加賀型戦艦加賀。それが御身のこれからの名だ」

 神代において神娘(かんむす)と謳われたように、艦娘となった者は人とは違う存在へと一時的に昇華される。

 艦娘となった少女は役目を返上するまで歳を取らない。だが戦うたびに霊力をほんの少しずつ失っていく。

 そして海退(かいたい)の儀式を経て艦娘は再び人へと成り下がり、そして人の生を全うする。

 だがその生は決して幸せなものにはなりえない。たかが数十年、さりとて数十年。残酷なまでに艦娘と周りの人間の時の経過に差がついてしまう。

 だが、それが艦娘の宿命というものだ。かつて深海棲艦への生贄(・・)として太陽神に捧げられた5人の娘が、神の思し召しにより艦娘となり皇国を照らした。

 人並みの幸せか、未来永劫に残る誉れか。

 誉れを選び、戦う事を決断した少女達がやがて戦いから身を引いて子を成し、時代が流れ代々艦娘になる少女を輩出する一族ができた。

 その1つが加賀の出身である青矢氏だ。

「……おばば様、やはり私は納得できません」

 我慢できない様子で老婆の傍らに控えていた女性が言う。

「このままでは我ら青矢(あおや)氏の伝統は」

「伝統と血脈、どちらが大事か!」

 青矢氏の長は一喝した。女性が怯んだ隙にさらに老婆はたたみかける。

「血が絶えれば伝統も失われる!ならば選ぶ道は1つしかなかろう!」

 かつて艦娘は主に弓矢と刀剣などで海の魔物、深海棲艦と戦っていた。青矢氏は弓矢だった。だが時代は変わった。

 四百年ほど昔、遥か彼方の西の国から船が漂流してきたことで、火薬で鉛弾を遠くに放つ武器が伝わった。

 海の上で戦う艦娘達にとってその武器が主流になることはなかったが、その武器は武士達の間で兵器の、そして(いくさ)の革命を引き起こした。

 艦娘を輩出する国分(こくぶん)氏の分家にあたり、艦娘の武器・防具を製造する一族、郡山(こおりやま)氏が後に鉄砲と呼称されるようになる武器の量産に成功。ある有力大名が中央に反逆した時、鉄砲を大量に装備した官軍は叛乱軍の騎馬隊をほとんど一方的に殲滅した。

 この事は皇国の歴史でとも言われているが閑話休題。 

 さて、上記のように鉄砲が伝来した頃はまだ艦娘は鉄砲を装備していなかった。海上で戦うのに鉄砲は全く向いていなかったからだ。だがある出来事がきっかけで艦娘達に火器が装備されるようになった。それを陽ノ下皇国の歴史も交えて語ろう。

 古代において皇国は姫皇(ひめすめらぎ)を頂点として政を行っていた。だが元々神々に対する祭祀の長という意味合いが強かった姫皇は、やがて大きな力を持った臣が現れた時あっさりと実権の殆どを奪われる。

 初めは貴族と呼ばれる者たちが朝廷と呼ばれる行政機関を、次は武士達が朝廷から半分独立して幕府と呼ばれる武士達の合議体制の機関を作った。

 だが有名無実となっても姫皇の血は途絶えなかった。途絶えれば、この国は終わってしまうからだ。太陽神に対し祭事を行うことを許されたのは姫皇の血を持つ女性だけ。

 神の加護を失えば、皇国の民草はあっという間に魔物に蹂躙されてしまう。

 だからこそ、海の彼方から新たなものが伝わり国内が荒れた時も姫皇の威光が失われることはなく、朝廷も幕府も名義上の最上位者を姫皇とした。

 それがこの国が亡国となることを結果的に防いだ。

 2151年に遥か西から巨大な船が皇国にやって来た。彼らはエイセプロン共和国から国交を結ぶためやってきたと言った。

 かつて鉄砲が伝わってきた場所も遥か西の地域だったため、皇国内で受け入れるかどうか激しく議論が交わされた結果、交流する場所を限定して国交を開くこととなった。

 エイセプロン共和国は衣服、食文化、建物の様式など陽ノ下皇国とは全く異なるものを見せ、ある者は

 その裏で皇国の植民地化することを陰ながら狙っていたエイセプロン共和国がある大名家にこっそり接触した。エイセプロンに唆されたある有力大名が彼の国の新式ライフル銃を大量に手に入れて朝廷・幕府に反旗を翻し、内乱を起こした。

 内乱は新兵器を大量に装備した大名家の勝利に終わり、それまで政治を取り仕切っていた朝廷も軍事を統制していた幕府も潰えた。そして大名家は姫皇を強引に担ぎ上げ、新政府を立ち上げた。

 この時点で多くの恨みを大名家は買っていたが、何処にもその家に逆らえる武力を持った勢力がいなかったために、クーデターとも言えるこの内戦は大名家の勝利となった。

 そして新政府は姫皇に関する制度を除き、新体制にエイセプロン共和国の体制を多く導入した。

 エイセプロン共和国で海軍は海棲の大型魔獣や対海賊を基本に考えられ、火砲を装備した蒸気機関の軍艦で構成された艦隊を保有している。ちなみに艦娘の中で戦艦や巡洋戦艦、巡洋艦など火砲を装備した艦娘の呼び方は全てエイセプロンから来ている。

 だが、陽ノ下皇国にはエイセプロンのような軍艦を造船する技術も工業力も維持する経済力もない。

 そこで艦娘に目が止まった。新政府は皇国が立派な軍艦を造船できるようになるまで艦娘を陽ノ下皇国海軍傘下に組み込む事を決定した。

 内戦が起こるまでは巫女寮という組織が艦娘の補助や艤装の整備、装備の開発などを行っていた。

 艦娘は軍艦という兵器の代わりではない。たった一度の生涯を犠牲にし、神より力を与えられた崇高な存在。身を粉にして深海棲艦と戦う戦乙女。

 創設以来巫女寮は彼女達の手となり足となり支えてきた。それが巫女寮の誉れだった。

 しかし新政府はその役目を奪おうとした。巫女寮の巫女頭(みこのかみ)以下職員全員が反対したが、独裁色の強く下手に動けば力に訴える新政府と首長に逆らえず、巫女寮は解体され苦汁を飲まされた。

 そして旧巫女寮から何人かが海軍に出向し、引き続き艦娘のサポートを行うが、巫女寮時代と比べて明らかに劣悪な環境だった。

 新政府は改革を押し進めていた。エイセプロン風の建築物や工場、衣服、ガス灯など多くの物をを導入した。だがそれにはたくさんのお金が、予算が必要だった。そのため予算減額の煽りを受けたのが艦娘だった。

 艦娘関連の予算は削られ、削った分はエイセプロンの設備導入に回された。

 大名はエイセプロンのライフルや大砲などを相当信頼していたらしく、深海棲艦もそれで撃滅できると信じていた。エイセプロンのような軍艦の建造を命じる一方で、艦娘にも蒸気機関や火砲を搭載するよう大名は命令した。

 だが、これまで軍艦建造のノウハウも大規模な艦隊の運用経験もない陽ノ下皇国が、いきなりエイセプロン共和国の真似をできる筈がなかった。皇国が深海棲艦に対抗できる軍艦を建造できるまで、そして大規模な海軍戦力を整備できるまで20年以上かかるなどと予想された。艦娘の艤装についても同じくだ。このまま無茶な計画を続けていれば大変な事態が起こってしまう。それを予測した旧巫女寮の職員が何度も意見を行った。だがその度に無視された。

 そして旧巫女寮の危惧は現実の物となった。

 皇暦2265年に深海棲艦が大挙して押し寄せてきた際、皇国海軍上層部の杜撰な作戦の結果大敗した挙句、大勢の艦娘が失われた。その中には青矢氏出身者も多数含まれていた。

 この事は旧巫女寮など艦娘関係者の逆鱗に触れた。そして他の者達も現体制に不安を覚えた。この国から艦娘がいなくなってしまうのではないかと。

 艦娘がいなくなることは、陽ノ下皇国から深海棲艦と戦える者はいなくなるということだ。島国である皇国の物流は陸運より海運の方が大きい。食卓に上がる物としては魚や貝、ワカメなど海産物がある。このように海は皇国にとって重要な役割を担っている。

 何より一部の内陸部を除いて常に深海棲艦の攻撃に晒される事になる。陰陽師がいても、神の加護があっても、唯一対抗できる者達が絶えてしまえば皇国は滅んでしまう。

 心ある者達が立ち上がった結果、再びクーデターが起こり、新政府を立ち上げた大名やその一族の者は処刑され、皇国海軍はトップが暗殺され、参謀などは閑職に追いやられた。

 またエイセプロン共和国も姫皇の威光や国同士の距離の関係、赴任する途中で皇国駐在大使を乗せた船が何度も沈んだことなどから直接的にも間接的にも支配体制を確立することができず、皇国植民地化を諦めることとなった。

 その後は内乱が起こる前の体制に回帰する事も考えられたが、国内事情からそれは難しく、一部を除いて新政府は維持された。それは皇国海軍やエイセプロン共和国との関係もだ。

 海軍はともかく、エイセプロン共和国との関係が維持されたのは理由がある。

 一旦変わった時の流れ、変化の流れを再び変えるのは難しいことだ。艦娘の艤装も最初のクーデター以降変化の途にあった。クーデター後の混乱した状況で、艦娘の艤装を旧来のものに戻すということは混乱に拍車をかけると予測され、火砲や蒸気機関を搭載した新艤装がそのまま開発、使用されることになった。だが技術が育っていない皇国で独自開発は難しく、技術者の育成や技術を導入するためにエイセプロンとの関係は維持されることになった。

 その後火砲と蒸気機関を導入した艦娘は戦果をあげた。今までの艦娘達より遥かにだ。大勢の艦娘が喪われる原因を作った男が指示したものが、艦娘を強くすることになるとは何の皮肉だろうかと当時は噂になった。現在では加賀を含む戦艦8隻、巡洋戦艦8隻を中心とした艦隊計画を立案するなど火砲を搭載する艦娘の存在感は大きい。

 無能者を更迭して海軍の体制を入れ替えてからは2265年の悲劇のような艦娘の喪失はあまり起こらなくなったが、全くというわけではない。年に数人、艦娘が戦闘中に深海棲艦の攻撃で死亡、あるいは行方知れずになる。妖精の術式で艦娘の喪失を防げないか検討中らしいが、今のところ実用化まで時間がかかるとのことだ。

 問題はこの行方不明になる艦娘のほとんどが青矢氏のような弓矢を使う艦娘達だった。多くが不意を深海棲艦に突かれ、近接戦闘が苦手な彼女達は波間に消えたという。

 火砲を搭載した艦娘の台頭、一族の人間の減少、これらの背景により青矢氏は伝統を捨てて生き残りを計っていた。

「このままでは我ら青矢は終わりじゃ。それだけは避けなければならん」

「はっ…」

 2人のやり取りを膝の上の握り拳の震えを抑えながら加賀は無表情で見ていた。

 

 

 ◇◇

 

 

 加賀は修練場で弓を構えていた。キリキリと弓がしなる小さな音が静かな空間に大きく響いていた。

 海上で戦うことを意識し、上手にバランスを取らなければ立つこともできない不安定な台座の上。そこから弓矢を放つ。

 矢は真っ直ぐ的に向かわず、的から大きくずれて近くの壁に突き刺さった。

 狙いから大きく外れたのを見て、加賀は眉根を寄せる。残心を解き、不安定な台座から飛び降りた。

 再度的を確認するが、やはり矢は刺さっていない。加賀は悔しげに奥歯を噛み締めた。

 幼い頃から加賀は血の滲む思いで努力して技量を研磨してきた。母のような立派な弓艦(きゅうかん)となるために。

 加賀の母も艦娘だった。弓矢で深海棲艦と戦う弓艦で、当時の加賀の母を知る者は、数少ない弓艦の中でも彼女ほど見事な弓の腕を持つ艦娘はそういないと口を揃えて言うほどだった。

 加賀の父は海軍の下級将校だったが、艦娘だった頃の加賀の母に救われた時に一目惚れし、2人は結ばれた。

 その後加賀の母は海退して加賀を産んだが、加賀が5歳の頃に艦娘の不足から海軍の命令で再就役した。

 だが、一度海退された身で戦うことは難しく、若い艦娘達を庇って被弾し、そのまま行方不明になった。

 そして父も勤務先に移動中に深海棲艦に乗船していた船を沈められ、命を落とした。

 その事を加賀はいつだったか一族の人間が陰で噂していたのを聞いた。

 両親を亡くして以来、加賀はいつも面をつけたみたいに無表情になった。

 そして一族の者から弓を習うようになった。もちろん艦娘になるためだ。

 最初は両親の仇を討つために深海棲艦と戦う事を考えていた。

 だが何度弓を射っても中々的に当たらない。何故当たらないのか、母はどのように矢を射っていたのかを考えているうちに、加賀は矢を射っている時は母親を思い浮かべるようになった。

 母の事を考えながら弓を射っている内に、ある日突然矢が的に当たった。中心部から離れた、的の枠ギリギリの所だったが。

 それからは次第に復讐心は消え、ただ母のような弓艦になりたいと考えるようになった。弓では負ける者がいなかったと言われる母のように。

 無心に矢を放ち続け、ひたすらに弓を引き続けた。

 そうしている内に加賀は荒れる海でだって深海棲艦に中てられる自信があるほどに技量を磨いた。だが、動揺して的を外すほど自分はまだまだ未熟だったようだ。

 だが、それも今日で終わり。これ以上技量を磨きたいと思っても意味も時間もない。

 明日から戦艦となるために、砲術の知識や技能を身に付ける訓練に日々を費やさなければならない。

 (これ)しかなかった。弓しか自分にはなかった。そんな自分が果たして戦艦になったところでやれるだろうか…。

 加賀は弓を強く握りしめる。

 床が軋む音がした。音に反応して加賀がそちらを向く。

「珍しいですね。何か考え事でもしていましたか?姉さん」

 髪の毛を首の後ろで1つにまとめた少女が加賀に声をかけた。彼女は加賀型戦艦土佐。加賀と同じく青い袴を穿いている。血縁的には加賀と土佐は遠戚だが、艦娘としては姉と妹になる。そして幼い頃から共に弓術を修行した間柄だ。

 恥ずかしい所を妹に見られたと、加賀は素っ気なく答える。

「別に…」

「もう、愛想がないですね」

 クスクスと土佐は笑った。加賀とは違い感情が表に出やすく、よく笑う少女だった。

 無愛想で常に無表情の加賀と違い、土佐は笑顔を絶えず振りまいて愛想もいい。土佐には加賀より才能があったのか加賀以上に弓が上手い。加賀の贔屓目かもしれないが、同世代の中では一番弓術に長けているだろう。

「姉さんは美人なんですから、笑ったらとても素敵なのに」

「……」

 お世辞なのか、それとも本心なのかよくわからず、加賀は黙って聞いていた。

 そもそも何故土佐が自分のことを慕うのか加賀にはわからない。

 愛想もない。口数も少ない。厳しく接したことはあっても、特に優しくした覚えはない。

 こんな人間といてもつまらないだろうに、何故この娘は小さい頃から自分の後ろをついてくるんだろう。

 そんな事を加賀が考えていると、土佐が外の木々を眺めながら言った。

「もうすぐ桜が咲きますね」

「……それが何?」

 桜なんて毎年咲く。特別気にかけることでもないと、加賀は思っていた。

 だが土佐の反応は違った。

「あれ?覚えてませんか?ちょうど桜が咲く頃に私たちは会ったんですよ」

 土佐にそう言われて加賀は記憶を辿る。だが幼少期の加賀の記憶の殆どは弓術の修練ばかりで、土佐も加賀と似たようなものだと思っている。

 加賀が首をひねっていると土佐が喋り出す。

「今からもう10年くらい前ですね」

 土佐はまだ小さく弓矢にも触っていなかった。けど将来のために見学くらいしてみようと思って修練場に行った時だった。

「今よりも小さくて可愛いらしかった姉さんが、子ども用の練習道具で的を狙ってたんですよ」

 自分とさほど年の変わらない少女が一心不乱に的を狙う。

 覚えたての射法で、精一杯弦を引き絞り矢を放つ。

 大人から見れば微笑ましく思うか、幼くして戦う事を決めた事を憐れむかのどちらかだろう。

 けど幼い土佐が思ったのはどちらでもなかった。

 土佐は胸に手を当て、当時の事に想いを馳せながら言う。

「姉さんが弓を引く姿は本当に綺麗でした」

「な、何を…言ってるの……」

 加賀はほんのりと顔を赤らめた。

 そんな昔の事を今さら言われても、加賀には恥ずかしさ以外感じる物がない。

 そんな加賀を見た土佐はふふふと微笑みながらからかうように言った。

「あ、姉さん照れてる」

「照れていません」

 そっぽを向いて加賀は道具を片付ける。そんな姉を愛おしく思いつつ、見慣れた後ろ姿に土佐は話しかける。

「そういえば、もうすぐ華盛頓(かせいとん)の日ですね」

「………そういえばそうね」

 華盛頓(かせいとん)。桜が満開の頃に行われる皇国軍の行事だ。春の訪れを祝い、華を目で楽しむのだ。

「要は花見よね…」

「いいじゃないですか。桜、綺麗ですよ」

「別に私はいいわ。桜ならその辺でも見られるし、毎年咲くから今回行かなくてもいいわ」

 加賀としてはそんなことをしているより修練しておきたい。何しろ自分には才能がない。そんな行事に参加する暇があるなら、砲術の勉強でもしておく方がいいと加賀は思う。

「むむ…。あ、そう言えば城氏の人達も華盛頓に来るみたいですよ。彼女達も巡洋戦艦として就役すると聞きました。彼女達と会ってお話しましょうよ」

 何としてでも加賀と一緒に行きたい土佐はどこから耳にしたのか、その事を加賀に伝えた。

 (じょう)氏は加賀達青矢氏と同じくらい歴史があり、弓矢を用いて深海棲艦と戦う艦娘を多く輩出した一族だ。他にも龍堂(りゅうどう)氏、鳥羽氏出身者などが弓矢を使う。

 しかし城氏も青矢氏同様時代の潮流には逆らえず、火砲を使うようになったと聞いた。

 余談だが、鳥羽氏出身の艦娘には弓矢を用いた新装備の開発を行っている者がいるらしいが、まだ試験評価中とのことだ。

 そして城氏には加賀と土佐の知り合いが2人いた。歳も近く、何度か弓術競技会で会った事がある。

「そう、なの?」

 その知らせは加賀にとって吉報でも凶報でもあった。

 彼女達と共に戦える。それは嬉しいことだ。だが巡洋戦艦になるということは弓を辞めるということだ。

 自分たちだけでなく彼女達まで弓を諦める事になるとは…。

 一つの時代の終わりを感じ、加賀は寂寥感を抱かずにはいられなかった。

「どうかしたんですか?姉さん」

「……貴女は何も感じないの?今まで弓艦になるため修行を積んできたのに」

 土佐もまた、加賀と同じように幼少期から現在に至るまで弓術の修練に費やしてきた。それなのに何も思うところがないのかと、加賀は土佐に質問した。

「う~ん…、まぁちょっと寂しいっていうのはありますけど。でも、私は姉さんといることが一番ですから。姉さんと一緒にいられるなら何も問題ありません!」

 そう言って土佐は笑顔で加賀に抱きついた。

 誰も見ている人間はいないが、気恥ずかしくなった加賀は土佐を引っぺがそうとする。

「ちょ、離れなさい」

「いいじゃないですかー。小さい頃は時々やってたじゃないですか」

「それは昔の話でしょう!いいから離れなさい!」

「いやですー」

 全くこの娘は…。

 どうあっても土佐は離れようとせず、仕方なく加賀は妹が満足するまで抱き着かれていることにした。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 太陽神の思し召しか、空は雲1つない快晴だ。絶好の華盛頓日和だと言えよう。桜の木の下では行事に参加する人々が談笑している。

 加賀達の他にも大勢の艦娘や海軍軍人、巫女庁の役人などが集まる。行事ということもあって艦娘は艤装を身に付けず、軍人も儀礼用の制服だ。といっても、今日この場に集った艦娘のほとんど全員の艤装が完成していない。艤装も完成して初めて正式に艦娘として就役することになる。そのため艤装が完成するまでは正式には艦娘ではないのだが。

 閑話休題。

 先述した通り、この行事に参加している艦娘のほとんどが就役前だ。一族同士ならともかく、他家とは本拠地が離れていれば交流はないかほとんどだ。

 しかし深海棲艦と戦っていくうえで連携は重要。なので今回の行事は艦娘達の親睦会も兼ねていた。

 加賀型戦艦姉妹は桜の花びらが舞う中を歩いていた。華盛頓の会場となったこの地は古くから桜の名所の1つとして知られ、山奥に過ぎず人の交通からもそう遠くはない。近くには川が流れ、船に揺られながら桜を楽しむこともできる。

「大勢人がいますねー」

 いろんな所に敷物や長椅子が設置され、お握りや色とりどりのおかずが詰められた重箱が並べられている。

 軍人は酒を飲みながら楽しそうに大声をあげ、艦娘は(かしま)しく笑いながら話している。

「はぁ…。やっぱり来ない方が良かったかしら…」

 楽しそうな雰囲気の土佐に対して加賀はやや憂鬱そうだ。

「あぁ、姉さんって人混み苦手ですもんね」

「あまりこういう場に出たことないから苦手なだけよ」

 休日はもちろん取るが、それでもほとんど毎日加賀は弓の稽古に日々の時間を費やしている。そのため一族の人間以外にほとんど人付き合いはなく、この場に集まった艦娘達のこともほとんど知らない。

 このような催しに慣れていないせいか、加賀は賑やかさが少し煩わしく思った。

 2人が歩き回っているのは人を探しているからだ。きっと彼女たちもこの会場のどこかにいると目をあちらこちらに向けながら。

 そしてようやく加賀と土佐が見知った顔を見つけた時、相手も2人に気づいたようで笑顔を浮かべている。

 2人と2人は互いに歩み寄って言葉を交わした。

 2人の城氏の艦娘の内、女性としては珍しく髪が短い方が先に口を開いた。

「お久しぶりです」

「えぇ」

「こんにちはー」

 加賀は言葉少なに返事をする。土佐は勿論笑顔で。

 初めて会う艦娘なら愛想がないと思ったかもしれないが、加賀が口下手であることを知っている短髪の艦娘は笑みを深くしてさらに言う。

「でも艦娘となってから会うのは初めてですね。天城型巡洋戦艦天城です」

「妹の赤城です。よろしくお願いします」

 髪が長い妹、赤城が姉の天城に続いて加賀と土佐に挨拶した。

 4人は艦娘になる以前、弓術競技会で遭遇しており、その時に挨拶を交わしているが、その時に名乗った名前と今の名前は当然異なる。だから改めて艦娘となった少女たちは自己紹介した。

「加賀型戦艦加賀です」

「妹の土佐です。よろしくお願いします」

 一通りやるべき事を終えると、世間話に話題は移る。

 最近の周りはどんな感じだとかどこから聞いてきたのか艦娘や海軍の将校、各鎮守府の噂話。

 そしてある程度話題が尽きると感慨深そうに天城が言った。

「しかしまさか私が巡洋戦艦として就役するとは、想像してませんでした」

「…貴女はどう思っているのですか?その事を」

 加賀が4つめのお握りを取ろうとして中断し、その代わりに天城に質問した。加賀がこの行事に参加したのはそれを聞きたかったというのもある。

「……仕方のないことです。これも時代の流れですから」

 運命を受け入れた、しかしやや曇った表情で5つめのお握りを頬張りながら天城は答えた。

「そんな簡単に割り切れるものなのですか…?」

 母の死後、幼い頃より弓と共に成長してきた加賀には弓のない生活など考えられない。いまだ戦艦になる事への踏ん切りがつかない加賀は、天城がいくらなんでも酷薄すぎるのではないかと思った。

 加賀が納得のいっていない事を察したのか、天城は重ねて説明する。

「いずれ私達も戦いに赴きます。ですが、その時に仲間の足を引っ張るようでは私達がいる意味はありません。……今までの行いが無駄になった事は、残念ですが」

 既に覚悟を決めた、そんな様子で天城は加賀に言った。

 それを聞いた加賀は、まるで自分が子供のわがままを言っているようでなんとなくばつが悪くなった。

「そういえば国分氏の方はいらっしゃらないのですね」

 お握りを6つほど腹に納めた赤城が周りを見回しながら言った。

 国分氏は青矢氏や城氏と違い、河伯氏などと同じく刀や槍を用いて戦ってきた一族だ。だが、数百年前に分家の郡山氏から鉄砲を数丁譲り受けて以来長年に渡り火器を艦娘が装備できないか研究していた。

 加賀や土佐達より先に長門型戦艦として就役しており、既に訓練中との事だった。とはいえ彼女達も新人の艦娘であることに変わりはなく、この行事も親睦会のようなものなのだから彼女達も顔を出すだろうと赤城は考えていたようだが。

 食べていた5つめのお握りを飲み込んで土佐が言った。

「んっぐ。聞いたところによると、鳥羽氏や河伯氏の方達とこの近くの川の下流にある海で慣熟訓練中らしいですよ。終わったら船で近くの川を遡上してこちらに来るそうです」

「艦娘なのに船に乗って此方に来るのですね、ふふふ」

 実は艦娘は海を征くことはできるが、川は征くことができない。赤城が言ったのは艦娘や関係者でよく使われる冗談の1つだ。まぁ仕方のないことだが、

 そのあと4人は桜を見ながら食事をした。あまりにも食べるので他の艦娘や軍人から非常に驚いている視線を向けられた。

 あらかた腹を満たし、喉が渇いた加賀はお茶を飲む。1口飲んで息を吐いた。

「ふぅ……」

 加賀は深海棲艦との戦いの前に妹や友といられる事に安らぎを覚えていた。できる事なら、こんな時間がずっと過ごせればいいと思うほどに。

 その時、この場に似合わない悲鳴が響き渡った。

「キャーーー!」

 悲鳴が聞こえてきた方を加賀達が見ると、鮮血を流して倒れている艦娘の前に身体を黒い毛で覆われた魔物が屹立していた。

 その魔物は熊に似ていて背丈は3mを軽く越えている。長い爪のある腕を広げ、魔物は咆哮した。

 さざ波のように動揺と悲鳴が広がっていった。艦娘も軍人も、この場にいる者は突然現れた魔物から逃げようと走り惑う。

「魔物!?どうしてここに?!」

 赤城が怯えた様子で叫んだ。

 この国には海に深海棲艦と呼ばれる魔物がいるが、陸にも獣や鳥、虫などに姿かたちがよく似た魔物がおり、時々人里に降りてきて人々を襲う事がある。通常これらを相手にするのは陸軍や陰陽師だが、艦娘でも倒せないことはない。

 しかし魔物は滅多に昼間に現れない。それに1匹2匹だったり群れで行動する種ならまだしも異なる種がこうして大勢やってくるのは前代未聞だ。

 しかし加賀達にゆっくり考えている暇はない。艦娘でも倒せるとはいえ、この場に艤装を身に着けている艦娘は1人もいない。

「姉さん、どうしましょう!?」

「…土佐、落ち着いて。ともかく逃げましょう。今の私たちには艤装がないんですから」

 加賀の言う通り、艤装のない艦娘は丸腰の軍人達とあまり変わらない。せめて弓矢があればと加賀は思わずにはいられなかった。

 魔物は一体だけではないらしく、獣のような鳴き声が至るところから聞こえてくる。魔物が暴れているせいか、桜の花びらが大量に舞った。

 阿鼻叫喚となった会場を背に加賀達が逃げようと駆け出したところ、虎より大きな狼に似た魔物が横合いからいきなり天城を襲った。

「あっ………えっ……?」

 人の指より太く大きな牙が天城の胸に突き刺さり、柔肌に食い込む。赤い液体がみるみるうちに溢れ出て着物を汚した。

「……い、嫌ーーーーーーーーーーーー!!!??」

 赤城が絶叫した。加賀と土佐も色を失う。

 天城が息も絶え絶えに妹に手を伸ばしながら言う。

「赤城……。逃げて…」

「姉さん!」

 魔物に喰らいつかれた天城のもとに向かおうとする赤城の腕を加賀が掴んだ。

「放して!放してください!このままだと姉さんが!!」

「貴女が行っても死ぬだけです!」

 ピクンと赤城の肩が跳ねた。

 加賀としても知り合いである天城を見捨てたくはない。しかし加賀達が艦娘だとしても弓矢も艤装もない。助けられる術や戦う術があるならまだしも、策もない、戦うこともできない加賀達が行ったところで死ぬだけだ。

 加賀達にはこれから先、皇国を護るために深海棲艦と戦っていく重大な役目がある。

 そのためには恥を忍んで生き残り、友を見捨てたと(そし)られても、今この場で無駄死にだけは決してできない。

 加賀にとっても天城を見捨てることは苦渋の決断だった。

(ごめんなさい……)

 早く、と加賀は腕を引っ張り動かない赤城を急かして安全な所に避難しようとする。

 だがそこにいつの間にか熊の魔物が立ちふさがり、その長大な爪を加賀と赤城に向けて振りかぶった。

「危ない!」

 土佐が叫んだ。だが突然の事に2人は身動きできない。

 棒立ちの加賀は目を瞑った。何かがぶつかってきた。加賀は赤城と縺れ合いながら地面に転がる。

 何が起こったのかわからず混乱しながら加賀が顔を上げた時、目に入ったのは。

「と……さ…?」

 呆然と加賀が呟いた。土佐の背後では熊の魔物が腕を横に振った状態で仁王立ちしていた。

 土佐はふらふらと歩き、ドサリと加賀の腕の中に倒れ込んだ。

「土佐……?土佐!」

 加賀は必死に大声で呼びかける。赤城は土佐の背中に3本の赤黒い線が斜めに走っているのを見た。傷は深いようでじわじわと染みが広がっていく。

「土佐、しっかりしなさい!」

 加賀の呼びかけが聞こえたのか、土佐はうっすらと目を開けた。

「あぁ、姉さん。…無事、で」

 ごふっ、と土佐は血を吐いた。唇から血の混じった唾液が垂れる。

 何が無事なものか。土佐は死にそうだと言うのに。小言の1つか2つ言いたいだが、加賀の口は凍ってしまったかのように声が出ない。

 妹が傷を負った事に衝撃を受けた加賀は抱き上げた態勢のまま動きを止めていた。

 どうしたら血を止められるか頭が回らず、加賀は動揺したまま土佐の顔を見つめている。

 低い唸り声が聞こえた。熊の魔物が牙をむき出しに、足音を重く響かせながらゆっくりと加賀達に近づいてくる。

 前だけでなく後ろからも唸り声が聞こえてきた。振り返れば口元を赤黒くして血の臭いを振り撒く狼の魔物が近づいてきていた。それを見た赤城が呆然と地面に膝を着く。

 前方の熊、後方の狼。逃げられないと悟った加賀は、これ以上は傷つけさせないと目を瞑って土佐を抱きしめる。

 その時空を何かが翔けた。羽ばたく音に混じって炸裂音が聞こえた。熊の魔物は何かが当たったかのように後ずさる。

 一体何が?目を見開く加賀の前に奇妙なものが飛び込んできた。

 虫の羽音を響かせながら飛ぶ鳥。だがその鳥は全く羽ばたいていない。

 加賀は陰陽師の式神かと思ったが、式神にしては妙に小さい。以前陰陽師が魔物退治をする所を偶然見たことがあるが、その時は目の前の魔物と同じくらいの大きさだった。

 翼の形も妙で、鳥というより羽虫というべきかもしれない。とにかく突如として現れた虫のような鳥は魔物に攻撃を仕掛ける。鳥のようなもの達から投下された礫のような物が熊の魔物にぶつかって爆発する。

 狼の魔物はこの場に乱入してきた者を警戒し、唸りながら後退る。

 熊の魔物は負傷しながら太い腕を振り回して追い払おうとするが、鳥のようなものは小さくすばしっこいため振り払えない。次々と押し寄せる鳥の群れの波状攻撃を受け、次第に抵抗する力を失い熊の魔物の息の根が止まった。

 狼の魔物にも鳥の群れが数度攻撃し、怯んだ狼の魔物は背を向けて逃げていった。

「倒した……」

 ピクリともしなくなった熊の魔物を見て赤城がポツリと呟いた。

 加賀は目を見開いたまま空を駆ける無機質な鳥を目に焼き付ける。

 その時だった。

「大丈夫ですか!?」

 弓と盾のような板を左腕につけた女性が加賀達のもとに駆け付けてきた。彼女の他に剣や薙刀を持った姉妹が魔物を切り払っていたり、大きな主砲を装備した長門型姉妹らしき艦娘達がその大火力で魔物達を一掃していた。

「貴女は…?」

「航空母艦鳳翔と申します。訓練が終わって直接こちらに来たのですが、これは一体…?」

 鳳翔は加賀に説明するが、加賀が抱える少女を見てあっと息を呑む。

 土佐の着ている服が赤黒くなっていくのとは反対に、土佐の顔は血の気を失って白くなっていく。

 目に涙を溜めながら加賀は懇願する。

「鳳翔さん、この子を…土佐を助けてください!」

「……すみません。私には、どうしようも…」

 道具もなく、深い傷を治療できるほど技術も知識もない鳳翔には土佐を救うことはできない。

 何より土佐は血を失いすぎた。生命の水である血をここまで失ってしまえば、医者が到着する前に息絶えてしまうだろう。

「そんな…」

 加賀は絶句した。幼い頃に母も父も亡くした。また自分は身近な者を失うのか。

 深い絶望の闇に囚われそうになった時、か細い声が加賀を現実へと引き戻した。

「…さん」

 涙を流しながら加賀は緩慢に下を向く。

 口から血を垂らしながら土佐が喋っていた。

「…らって、……さい」

 何を言っているのか、よく聞こえない。

 加賀は懸命に言葉を紡ぐ土佐の口の近くまで耳を近づけた。

「最期に、…姉さん、の…笑顔…見たぃ…」

 か細く声を震わせ、ようやく土佐はそう言った。

 ようやく聞き取れた土佐の願い。可愛い妹の末期の願いを叶えてあげようと加賀は顔の筋肉に力を入れ、必死に笑顔を作ろうとする。

 だが、ボロボロと落ちる涙がどうしても止まらない。笑顔なんてできない。

 でも下手くそな加賀の笑顔を見て、土佐は微笑み返した。

「うん…。やっ…り、き…れ……」

 土佐は満足そうに小さく頷きながら目を細めると、そのまま目を閉じた。

 鼓動が、息が止まる。

「土佐?…土佐っ!!うっ………うぅぅううぅ…」

 加賀は土佐を何度も揺り動かすが、もう二度と土佐が目を開くことはなかった。

 嗚咽をあげながら加賀は土佐の体を一層強く抱きしめた。暖かさも何も感じられない。

 加賀は可愛い妹の喪失を受け入れられず慟哭する。天に向かって泣き叫ぶ。健気に自分の後ろをついて歩く土佐が、もう笑いかけてくれることがない。桜吹雪の下で加賀は世界の不条理だと嘆き、喚いた。

 どうしてこんなにいい子が…。

 加賀は救援部隊が駆けつけるまで獣が吠えているように泣き叫んだ。

 人目も憚らず鼻水を垂らして号泣する加賀を見て、鳳翔は沈痛な表情で目を伏せた。

 赤城も暗い表情で俯いている。

 後に華盛頓の悲劇と呼ばれるこの事件で土佐や天城をはじめ、多くの艦娘や軍人の命が失われた。この事件は、多くの艦娘や関係者に影響を与えることになる。

 

 

 ◇◇

 

 

 華盛頓の悲劇から数か月が経った。すでに桜は華が散って、葉桜になっていた。

 事件の原因となった、大量の魔物が襲来した理由はわかっておらず、就役前の艦娘が大勢集まったのが原因なのではないかと推測されるが、未だ定かではない。

 事件の影響で加賀を含めた一部の艦娘の就役は遅れていた。というのも事前に海軍の作成した計画では戦艦8人、巡洋戦艦8人を中心にした戦力を以て深海棲艦と戦っていく方針だった。しかし華盛頓の悲劇で加賀と赤城、長門型を除く12人の戦艦、巡洋戦艦が就役を前に死亡か復帰不能な重傷を負い、他にも戦艦を補助して戦う巡洋艦や駆逐艦などにも多数の死傷者が出ていた。

 おかげで上層部は責任問題の擦り付け合い、計画の見直しに追われ、華盛頓の悲劇で無事だった艦娘の就役が遅れていた。

 しかしそのお陰で加賀は心の整理を行える時間があった。だが、数か月の時が経っても未だ加賀は立ち直れてはいなかった。

 加賀は修練場で弓を引いていた。暇という事もあるが無為に過ごしていると、桜の下で息絶えた妹の事ばかりを考えてしまうのもあった。

 的を狙い定め、矢を放つ。だが、矢は的に当たらない。何度射っても、何度射っても的に当たらない。かすりもしない。訓練用の特別な台座に乗ってもいないのに。

「くっ…この!」

 己の腑甲斐無い為体(ていたらく)に、加賀は歯噛みする。自分に苛立ち、感情のままに思わず弓を床に叩きつけそうになった。

 その時不意に土佐が言った言葉が甦る。

『姉さんが弓を引く姿は本当に綺麗でした』

 今自分は何をしようとしたのか?加賀は弓を叩きつける寸前のまま固まる。そしてゆっくりと震えながら弓を顔の前に持ってくる。

 両手に持つ弓を眺めながら加賀は辛そうな顔で言った。

「ごめんなさい、土佐…。私は……もう、弓を引けない…」

 その時、足音がした。それまで人の気配などなかったのに誰かがここに入ってきた。ハッとなって加賀は顔を上げる。

「…お久しぶりですね」

「鳳翔、さん」

 華盛頓の日、加賀と赤城の命を救った艦娘がいた。航空母艦鳳翔。彼女は柔和な微笑みを浮かべながら場内に入ってくる。

 思いがけない来客を追い返さずに、加賀は硬い声で問いただした。

「何か、御用ですか?」

 加賀と違い、鳳翔は既に就役している。こんな所で油を売っている暇はないはずだが。

 あまり歓迎していない加賀に臆さず、鳳翔は話しかける。

「通りかかったら矢を射る音が聞こえたので、お邪魔しました」

「はぁ……」

 加賀は生返事をした。

 鳥羽氏が居を構えている場所は、青矢氏が住んでいる地より離れている。ただ通りがかったという訳ではないだろう。

「どうですか?最近は」

「………」

 加賀は無言だった。命を救われたとはいえ、たった一度会っただけの相手にそんな事を話す義理はないと思ったし、話すのが得意という訳でもなかった。

「加賀さん、弓は楽しいですか?」

「え?」

 楽しい?戦う術として磨いて来たものが楽しいか、だと?

 加賀にとって弓とはそういう認識だった。深海棲艦と戦うために、そして母のような弓艦になるため弓術を磨いた。目標を達成するための手段だったはずだ。

 だがどうしてか、加賀は弓に対する感情が、思いが定まらない。楽しくなどないと否定できない。

「私も幼い頃から弓を引いてきました。弓から離れたくなくて、弓を諦めたくなくて。新たな可能性に賭けて、航空母艦になりました」

 加賀の戸惑いを気にせず鳳翔は己の身の上を語った。その上で問いかけた。

「加賀さん。貴女にとって弓とは何ですか?そして貴女自身はどうしたいのですか?」

「え?」

 聞き返す加賀に鳳翔は優しく微笑みながら言った。

「迷っているのでしょう?…いや、自分のしたい事は別にあるが、それをできないから運命を受け入れようとしている。それでも心のどこかで諦めたくないと思っている。違いますか?」

 何故そんな事がわかるのか、それを聞きたくなった。だが口下手な自覚のある加賀はどう聞けばいいかわからず、口を開いては閉じてを繰り返した。

 そんな加賀を見て、鳳翔はもう一度同じ質問をした。

「加賀さん。貴女はどうしたいですか?」

「私は……」

 どうしたい?私は一体何をしたい?私の願望、それは…。

 自分自身に問いかけながら加賀はぎゅっと目を閉じる。そのまま心の奥底に潜っていく。

 思い浮かべるのは土佐と共に弓術を磨いた、苦しくもやりがいに満ちた穏やかな日々。友と競いあった弓術競技会。

 そして土佐があの日言った言葉。

『姉さんが弓を引く姿は本当に綺麗でした』

 それが思い浮かんだ時、加賀の心は定まった。

 そして加賀が再び目を開いた時、まず目に入ったのは弓術の修練で使う的だった。

 何を思ったのか、加賀は無言で矢を取り弓を構えた。堂々と弓を構えて的を狙う目は鋭く、まるで猛禽のようだ。

 加賀は集中力を最大まで高め、緊張の糸が切れてしまう寸前まで己を追い詰める。

 加賀が矢竹を掴んでいた指を離す。音が風を切った。

 一瞬の後、矢は見事に的のど真ん中に突き刺さっていた。

「当たった……」

 思わず加賀は呟いた。この数ヶ月、どんなに射っても当たらなかった矢が的の中央に刺さっている。

「お見事です。加賀さん」

 心からの賛辞を鳳翔は加賀に送った。

 心が抜け、弓を放ったままの体勢だった加賀は鳳翔に向き直る。

「鳳翔さん。……ありがとうございます」

 お辞儀をした加賀は真っ直ぐに鳳翔を見つめた。

「それと、1つお願いがあります」

 そのお願いを聞いた鳳翔は一瞬驚いた顔をした後、優しく微笑んだ。そのお願いこそが、鳳翔が今日この場に訪れた目的だったからだ。

 

 

 ◇◇

 

 

「本気なのかい?加賀や…」

「はい、本気です」

 青矢氏の屋敷で、一族の長老と加賀は2人きりで面会していた。

 加賀は今後のことで老婆に直訴していた。

 その内容を聞いた老婆は渋面で加賀に聞き返す。

「今更戦艦から航空母艦とやらに艦種変更しろというのか?そんな事をしていたらいつ就役できるかわからんぞ。それに、そのような訳のわからないものになるよりも、戦艦のほうがまだましだと思うがの」

 不貞腐れたように老婆は言った。

 加賀の要求とは、鳳翔の協力の下、航空母艦として就役するという事だ。だが、老婆としてはこのまま戦艦として就役してほしかった。

 数ヶ月前、数少ない青矢氏の人間がまた1人逝った。

 それも老婆よりずっと若い少女だ。若者に先立たれ一族の先行きがいっそう不安になり、老婆は憔悴していた。

 そこへ何を考えているのか加賀が自身の改装案を持ってきた。これで心労が増えたのは言うまでもない。

「承知しております。ですが、私には才能がありません。しかし私には幼き頃より培った弓があります。航空母艦は弓を使います。ですから私は戦艦になるより、航空母艦になる方がよろしいかと」

 土佐を喪ったあの日、加賀は確かに見た。貧弱に見える装備が熊の魔物を屠り、結果的に狼の魔物を撃退したのを。

 一つの可能性に加賀は賭けた。不器用な自分にとって唯一の可能性に、あの悲劇で土佐を失った代わりに見つけた可能性に。

 何より弓を捨てる事などどうしても加賀にはできなかった。

 加賀は迷いのない決意を秘めた瞳で老婆を見つめた。その眼差しに貫かれた老婆は思わず目を背ける。

「……よかろう。お主は少し頑固じゃからな。お主がそうと決めたなら、儂の言うことさえ聞かぬ」

 ため息をついて長老は加賀の願いを聞き入れた。

「ありがとうございます」

 加賀は両手を畳の上について深く頭を下げた。

 

 

 ◇◇

 

 

 うだるような暑い日差しの中、加賀は青矢氏の墓所に立っていた。

 艦娘の死に場所は海と決まっている。だが海退されて天寿を全うするか、あるいは神推(しんすい)の後、就役する前に不慮の事故で死亡した場合はこうして埋葬される。

 加賀の両親はここにはいない。2人の遺品と母の艦名、父の名前が刻まれた墓所があるのみだ。

 その隣に人に戻らず艦娘のまま亡くなった少女が埋葬されていた。本当なら土佐の親族の近くに埋葬されるのだが、老婆が気を利かせたらしい。

 土佐と刻まれた墓と両親の墓の前で加賀は語りかけるように言う。

「母様、父様、土佐…。私、航空母艦になります。残念だけど、母様のような弓艦になる夢は叶えられないわ。でも……これでようやく、踏ん切りがつきました」

 そう。加賀が今日墓参りに来たのは、この事を報告するためだ。

「土佐…。私は貴女のように笑うことはできないわ。とてもじゃないけど、私には一生真似できない」

 死の間際まで笑顔を見せた土佐。あの笑顔がもう夢の中でしか見れないことがとても哀しく、寂しい。

 寂しいが、それでも前に進まなければならない。今まで自分はすっぱり弓を諦めることができなかった。土佐を喪ってからはその弓すら引けなくなった。

 でも今は違う。何のために前へ進むのか。その答えは得たと、今の加賀は思う。

「だから、私は母様のような弓艦にはなれないけど、最高の航空母艦になります。そして誰かが笑顔を失わないために戦うわ。土佐のような人を出さないために。誰かが泣かなくて済むように…」

 そう加賀は両親の、そして妹の墓前で誓う。

 とはいっても、艤装が完成して戦えるようになるまでしばらく待たなければならない。その間加賀は鳥羽氏の元で世話になることになった。加賀と同じように姉妹艦を喪った赤城も一緒だとの事だった。

 そして明日の朝には鳥羽氏の本拠地へ旅立たなければならない。だから今日墓参りに来たのは、家族へしばしの別れを告げるためだった。

 加賀はあるものを懐から取り出した。亡くなるまで土佐が身につけていた髪留め、つまり彼女の形見だ。

 加賀は一旦髪を解いて墓石の前に自分が使っていたものを置くと、土佐の髪留めで改めて髪を頭の左側で結った。

「これ、もらっていくわ。それじゃあ、またね…」

 加賀は別れの言葉を残して去っていった。

 その上で葉桜がゆらゆらと風に合わせて揺れ動いていた。

 

 

 




どうも皆さん、初めましてお久しぶりです。今回は加賀さんが神推(進水)するお話でした。艦娘の加賀がどんな感じに誕生したかを当作品の世界観に沿って考えたところこんな風になりました。
いかがでしたか?良ければ感想お願いします。
護衛艦「かが」が進水して1か月が経って旬は過ぎたかもしれませんが、まだ間に合いますよね?(焦り)
護衛艦かがといえば、大穴狙って当作品の24DDHは「あわじ」にしましたが、見事に外れました。護衛艦かがは前に作ったプロットにないんでどうしようかと思案中です。

さて本文を最後まで読んでわかっている方はいると思いますが、今回の話は八八艦隊計画、ワシントン(華盛頓)海軍軍縮条約、関東大震災をモチーフに書いてみました。
土佐は史実とだいぶ違いますが、もし史実通りにやったら嫌なお話になりそうなので、こんな感じでご勘弁を。

次回は本編に戻りますが、今回の話が好評だったら番外編の続きも考えたいと思います。
遅筆で申し訳ないですが、どうか次回もよろしくお願いします。

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