ログ・ホライズン ~高笑いするおーるらうんだーな神祇官~   作:となりのせとろ

71 / 74
第六十二話 君と共に歩くのは永久の道

 月の光は綺麗だった。

 その光は太陽の光を月面が反射しているだけの所詮は偽物の光でしかないのだけれど、奏はその偽物の光に何度も救われてきた。見上げる度に形を変える月は涙を溜める目を隠すために見上げ、その光を見ているうちに涙はいつのまにか消えている。隣にいる泣かせた張本人たちにはバレていたのかもしれないが。

 

 白亜の大理石が淡い月の光を反射するテラスで奏は月夜を見上げる。

 夜はとっくの昔に深けている。殺人鬼を止め、ルグリウスを解放し、奏儚百恵()にも勝利した。そして百恵も奏も自身の強さと弱さに対して罰を受けた。

 この一夜で随分と色々変わってしまった、立場も関係も。しばらくは大きな変化が続くだろう、それだけの事をした。

 しばらくすれば地平線の向こうから太陽が昇り始めるだろう。それだというのに不思議と眠気の方はなかった。これからのことが不安なわけではないがそれでも今夜の出来事で熱に浮かされているのかもしれない。否、まだこの夜にやっておかないといけないことがあるのかもしれない。

 

「奏」

 

 名前を呼ばれた。透き通るようなするりと溶け込んでしまうような声。奏が振り向いて視線の先に立っていたのは自身の羽織る羽織と同じくらい紅い外套を羽織る黒髪の少女。

 

「クイン、いいのか?レイドの祝勝会なんじゃないのか?」

「話があるっていったのは奏じゃないか、それに今回の一番の功労者がいないのに祝勝会なんて変な話じゃない?」

 

 以前のような自身に溢れ満ちたような口調はなりをひそめているがだからといって奏はそこに違和感を感じることはなかった。むしろ今の方が懐にすとんとおちる、以前の話し方がおかしかったわけではない。けれど今の話し方を聞いてしまうともう前の口調に違和感を感じてしまうかもしれなかった。

 

「女の子だらけのパジャマパーティーに男の俺がどう参加しろってんだ、どうせ参加してもすぐにどこかにふけこむのがオチだ」

「奏は知らない女の子にはセクハラしないもんな」

「まるで俺が知り合いの女の子にはセクハラしてるみたいな言い方はやめてくれ」

 

「え?自覚ないの?」

「ごめんなさい」

 

 目のハイライトを消しながら首を傾げながら聞いてくるクインに恐怖を覚え反射的に謝ってる奏。そのまま蛇に睨まれた蛙のように身動ぎひとつもせず隣へと歩いてくるクインを見つめている奏がおかしかったのか感情ひとつ感じさせなかった表情を崩してはにかむクイン。

 

「ふふっ、冗談だよ。ただするんだったらわたしだけにしておいた方がいい、ミノリちゃんは優しいから許してくれてるかもしれないけどいつか愛想をつかされるよ」

 

「いや、最近のミノリはなんだか俺をいいように操るコツを掴んできてるから無問題な気がする」

「師匠の尊厳というか年上の尊厳としていいのか、それ…?」

 

 多分そういうのは割と前からかなぐり捨てている気がするよ、そんな風に奏は冷え切って触れるのも戸惑う手すりに背中を預ける。体重を預けてただ上を向いて星が瞬く空を見上げる。

 

「姉ちゃんへのコンプレックスの裏返しだったんだよ。トウヤとミノリから見た俺が姉ちゃんと同じように自分よりもずっと上の存在だなんて思って欲しくなかったから特別扱いしてたんだと思う、たぶん」

 

 だから、特にミノリのことを猫可愛がりしていた。姉という存在が既に奏にとってはコンプレックスだったから。もちろんただ純粋にミノリが可愛くてしょうがなかったのもあるだろう、奏という男だから絶対に。

 

「百恵さんはどうなったの?」

 

「あのあと、とりあえず<D.D.D>で身柄を引き取ることになったよ。細かいことは<円卓>の方で裁決がとられるだろうさ」

 

 あのあとしばらくは奏は百恵をおぶって街を歩いて回った。どこか行き先を持っていたわけではなくただ気の向くまま歩いて回って色んな話をした。流石に疲れ果てたのか、いや百恵が気力で持たせていたのが尽きたのだろう、途中で奏の背中で静かに寝息をたて始めた。

 リーゼは律儀に奏たちを待っていたらしく第一声に「遅いですっ」と奏に苦言を呈しはしたけれども次には「お疲れ様でした」と奏に頭を下げた。そんなリーゼに礼を言って奏は百恵を<D.D.D>へと預けた。

 とりあえず百恵の身柄は丁重に扱われるようだ。マイクロフトが百恵にかけた呪いのせいで百恵が弱りきっているためであるのが一番の理由ではあるが。

 

「ただ、マイクロフトさんがかけた呪いの重度がどれくらいのものかがまだイマイチはっきりしないんだ。ステータス情報だけでもいくつもバッドステータスが重なってるのはわかるんだけど、それ以外にもテキストになってないところにも悪影響が出てる」

 

 美しかった金髪も真っ白になり果てた。<エルダーテイル>の頃のアバターをモデルに大きな変質を起こさない身体で髪の毛一本も残さず灰のように真っ白になるほどの変質だ。自身の肉体を無理やり強制回復させ身体を変質させてしまった奏からしてみてもその深刻さを重く見ざる負えなかった。

 

「そのおかげでといったら皮肉な話だけど先に罰を受けてるようなものだからこの街から追い出されることはない、と思う」

 

 不幸中の幸いというべきか、怪我の功名というのだろうか。呪いをかけられたことで、先んじて罰を受け不本意な、言ってしまえば都合の悪い罰は受けずに済みそうである。散々に駈けずりまわってやっと見つけた姉と喧嘩して仲直りした途端に、さようなら、というのは奏としてもしたくなかった。

 

「そっか、よかったな。ま、わたしたちもそう人のことを心配してる暇はないんだけどね」

「ごめんな、俺のせいみたいなもんだ」

「いいよ、<モルグ街>(ウチ)はもともとただの変わり者ばかりのアパートメントみたいなものだった。仕事だって回されてきた最低限のものしかしていない。<円卓>から外されても<円卓>は機能するさ」

 

 形式上では<モルグ街の安楽椅子>は円卓に席を残し続けるだろう、ただ信用は失ってしまった、捜査機関として一番に大事にするべき信用が失墜した。依頼する側からしてみれば個人ならともかくギルドという枠組みでは依頼をすることに躊躇をおぼえる状態になってしまっただろう。<円卓>としてはおおぴらに使うわけにはいかなくなるだろう。ようはクインたちからすれば食い扶持が潰れたわけだ。

 

「あーあ、これでわたしも路頭に迷うことになるのかなぁ。誰か責任とってくれないかなぁ」

 

 じっと奏の顔を下から覗き込むような姿勢で見つめるクイン。ふたりの視線がお互いの眼で絡み合う。

 いつのまにか心地いい程度に吹いていた髪を揺らすそよ風はやんでいてテラスから見える地平線の先は少しずつ飲み込むような黒から群青へと変わろうとしていた。

 

「ヒメ、俺は今から最低なことを言うから我慢出来なかったら思いっきり殴ってくれ」

「どうしたの?」

 

 クインは表情を変えなかった。この先に望まぬ結末があるかもしれない中で変わらずに真っ直ぐに奏の眼を見返しただ静かに全部、教えて欲しいとそう答えた。

 

「俺は、カナミのことが大好きだった、初めて人をあれだけ好きになれた。カナミのためならなんだってできると思えるくらい。

 でも、いい加減諦めないといけないと思った。あいつにはあいつの幸せがあって俺なんかがその幸せに割り込んで、あいつの優しさに甘える権利はもう俺にはないから、散々俺はあいつの優しさに甘えさせてもらったから」

 

 初めて恋焦がれて、誰よりも好きな人で、どうしようもなく手の届かない高嶺の花だった。諦めなくちゃいけないとわかっていたけれど、ずっと見つめていたかった。

 でもそれも終わらせた。

 

「終わらせたんだ、この気持ちにも終わりをつけさせた。

 でもさ、ヒメに好きって言ってもらって、嬉しくて暖かい気持ちになって愛おしいと感じたけれど、それと同時に俺は俺が信用できなかった。ただ、自分が傷ついた傷をヒメで埋めようとしてるだけなんじゃないかって、ただ一方的にヒメの好意を受け取るだけでなにも返すことをしないんじゃないかって思った。散々自分の都合のいい世界だけを見てきた俺がヒメを傷つけることをしてしまうんじゃないかと思った。

 結局俺はいままでの人生自分しか愛してこなかった。人の愛し方なんてわかっちゃいない」

 

 だんだんと空は群青から赤へと変わっていく。しんみりと冷たい冷気だけを放っていた大理石の床もその明かりに照らされて白へと変わっていく。

 

「それでも、俺はヒメのことが好きなんだ。こんな俺でも、それでも好きだと言ってくれるか?」

 

 光が地平線からこぼれ出す。赤かった空も青さが澄み渡っていき雲の白が映えるように浮かんだ。黎明は終りを告げようとしていた、夜が明けて日が昇るようとしていた。光に照らされた奏の顔は真っ赤に染まっている。

 

「ほんとに、さいていだ」

 

 クインが奏の胸ぐらを強く掴んだ。ぐいっと着物の衿を引き込み奏の顔を引き付ける。

 僅かな自己嫌悪と後悔に浸りながら顔に来るであろう衝撃に身構えようと目をつむった奏に次の瞬間、顔に触れたのは小さな柔らかな感触だけだった。

 触れられたのは殴りやすい頬ではなくて唇、触れられるときには甘い柑橘系の匂いが香り、小さな柔らかいなにかが一瞬だけ奏の唇に触れて離れた。掴まれていた衿も離されてトトっとステップを刻むようにクインは離れてしまう。

 

「えへへ、わたしも八枝のこと大好き」

 

 細く白い人差し指で唇をなでるような仕草をとりながら開けた距離を自分で詰めて呆然とする奏の顔の前まで自分の顔を近づけるクイン。昇る太陽に負けないくらいに顔を真っ赤に染めながらクインはいっぱいいっぱいに満開の笑顔を咲かせてそう答えた。

 

 夜は明けて日は昇る。登ってくる朝焼けの光はきらきらと輝きながらも暖かでそれに照らされるひとつの影を優しく包み込む。これから先の未来にきっと幸福がありますようにそう囁くようにやんでいたはずの風が優しく吹いた。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。