ログ・ホライズン ~高笑いするおーるらうんだーな神祇官~ 作:となりのせとろ
アカツキは死んだ。その知らせを聞き千菜が大神殿に到着したときには既にひと悶着起きた雰囲気だった。アカツキを取り囲むようにしてリーゼ、ヘンリエッタ、ナズナ、そしてレイネシアと知らせを聞いて駆けつけた面々だろう。それぞれが思い思いの表情を浮かべて立っている。
「とりあえずは館の方へ向かいましょう。話はそれからです。
最終的には殺人鬼を終わらせる、にしろそれ以前にはっきりとさせなければならないことがあります。今のままでは纏まるものも纏まりません。
わたしにも、やらなければならないことがあります」
「そのやらなくちゃいけないこと、私にも手伝わせて欲しいな、リーゼちゃん」
「お?千菜~、おかえり~」
ナズナがなんとも場の空気にそぐわない間の抜けた声で千菜を迎え、ヘンリエッタは長らくギルドホームを離れていたギルメンの姿を見てホッと安心した表情を浮かべた。リーゼは彼女の兄と同じような唐突な唐突の登場にも表情を崩すことはしなかった。
千菜がその場にいる全員をじっくりと観察することでアカツキとレイネシアが申し訳なさそうに視線を伏せる。なにか後ろめたいことでもあるのかと思う程度には千菜も察しはつけた。
「わたしもさ、兄さんが帰ってくる前にきちんとさせておきたいんだ。だからさ、アカツキもレイネシアも一緒にどう?目を逸らさなくてもいいように一緒に頑張ろうよ」
千菜はアカツキとレイネシアのふたりにそう語りかけた。彼女たちがどういう経緯でこんな顔をしているかなんてこと千菜は知りはしない。千菜は千菜でやってきたことがあった、事が現在どのように動いているのかはわからない。
それを全て把握するのはお世辞にも自分にはできないだろう。そういう手合いはシロエや奏、目の前にいるリーゼやヘンリエッタ、ついさっき別れたばかりのクインの専門だ。
千菜は彼らがここぞの切り札として盤上で必殺として切れるように備えることしかできないのだ。自分にできないことはわかっている。だからこそ自分にできることを最大に。
アカツキもレイネシアも誰であってもそれは変わらない。今は下を向いてしまっているかもしれないけれど、彼女たちの力が必要になるときが必ずくる。ほっておくわけにはいかないから、だから千菜は手を差し出す。
◇◆◇◆
殺人鬼エンバート=ネルレスはエンバート=ネルレスあってそうではない。その存在はネルレス以外の存在に蝕まれている、正確にはルグリウスという<古来種>の成れの果て、かつて討つべき存在だった悪鬼へ落ちた英雄に憑かれている。
きっかけはネルレスが手に入れた一本の刀だった。刀の名は<霧刀 白魔丸>アキバでも名の通った鍛冶屋アメノマで購入した<冒険者>が使うような大地人であるネルレスが持つには破格の性能を誇る一本だった。ただひとつ、エッゾの英雄の呪いを帯びていなければ。
ルグリウスの愛刀という側面を宿していたその刀を抜くとネルレスの精神はルグリウスのそれに侵食されていく、悪霊と化した化物の侵食。だがそれはネルレスに途方もない高揚感と全能感を与えるのだった。故に手放せない。力を失うのが惜しい。惜しくて怖い。
ここでひとつ注釈を入れるとするならば、ルグリウスの愛刀というのはあくまでゲーム時代のフレーバーテキスト上だけでの話である、本来フレーバーテキストになにかしらの力やましてや呪いなんてものはなく文字通りただの香り付けの意味合いしかなかったのだろう。
だが、今は違う。<大災害>が起きて世界が変質した。
――<大災害>はまだ、続いている。
<動力甲冑>という絶対の力を持ちながら衛士としてのプライドと供贄一族の掟をもって律し続けてきた彼の箍が外れるのはそう時間のかかることではなかった。普段から心の片隅に燻っていた不満の火種、アキバの平和を何百年と守り続けた衛士という栄誉ある仕事。
しかしアキバの<冒険者>はそれに感謝をすることもなくのうのうとまるで自分たちだけがアキバを平和に保っていると履き違えているかのように暮らしている。それは本来なら目に見えて燃え上がるような火種ではなかったが、ルグリウスの与える古来種としての侵食がネルレスが種火を燃え上がらせた。
結果出来上がったのがアキバの街を震撼させる殺人鬼。
そこにもはや正しさはない。彼が抱えていた叶うならば叶えられ間違いを正して欲しいという願いもいまや邪悪なそれへと成り果てた。
愚かしいと断ずることは簡単だ。
自身が何かを行動を起こすこともなく燻り続けた結果の末の末路、だがこうなることを予期できたかと問われれば誰であろうとそんなことはないだろう。星のめぐり合わせが悪かった。魔が差してしまったと言ってもいいかもしれない。取り返しはもうつきやしないし後戻りなどもってのほかだが。
こうしてかつての誇り高い名も知れぬ勇士は最低の悪鬼へ堕ちていく。小さな
◇◆◇◆
「リーゼちゃんから伝えられた<D.D.D>で把握している<口伝>は八つ、そしてわたしが使える<口伝>とわたしの個人的に知っている<口伝>を合わせれば十三。
アカツキ、あなたには十三の業の詳細を伝えれる。でも勘違いしないで、これは中身を知ったところで再現できるものなんかじゃないの、一朝一夕で身につくはずのないものをあなたは今から身につけなきゃいけない」
「では、どうすればいい?」
アカツキは近づくと自分よりもずっと背が高く見上げなければ視線を合わせることもできない友人に問いを投げる。
あのあと、アカツキとレイネシアはしこたま怒られた。それはもう散々に。普段は滅多に厳しい言葉をアカツキに使わないヘンリエッタさえもが『周囲を馬鹿にしてはいませんか?シロエ様だけに頼っていればいいなんてことはもうできないんじゃないですか?』と辛辣な言葉を投げかけ、館に行く前にふたりに優しく微笑みかけた千菜さえも甘い言葉は口にしなかった。
アカツキとレイネシアの見通しの甘さをその場にいたほとんどの人間が叱りつけた。口を挟まなかったのはアカツキをそそのかした張本人であるエルノとただ黙って見守る姿勢を貫いたクインだけだったろう。言い逃れのしようはなくアカツキとレイネシアはお然りを受け入れ、周囲の人間は甘やかすことなくふたりを叱りつけふたりの願いを聞き入れて殺人鬼を止めるために動きだしている。
作戦の決行まであまり猶予はない。事件の早期決着は事件の犯人が大地人という特性上、隠蔽はできなくとも多くのアキバの住人たちと大地人との関係の決裂を避けることのため必要なことなのだ。
そのためにレイネシア姫の下に茶会の名目で集まっていた乙女たちが一丸となりレイドチームとしてリーゼ、ヘンリエッタを筆頭に四方八方関係各所を駆けずり回っている。
しかしアカツキはその点事務面での仕事はめっぽうダメなわけであり、殺人鬼との戦闘に有効打を持つためにもこうして千菜と向かい合い<口伝>の習得に挑もうとしているのだった。
「<口伝>はただの技術の応用、発想の転換なのよ。わたしたちが生きる上で当たり前にしてきたことをするだけなの、だから特別なものを求めちゃ駄目。<口伝>はただできることを突き詰めていく過程で形になる副産物、道なりの途中で手に入れたものが<口伝>になるわけね。あー、なんて言ったらいいのかな?<口伝>そのものを目指しちゃ駄目っていうのかな?感覚的には」
「???」
「難しいよね、口で説明するにはどうにも容量を得にくいんだよ<口伝>って。実際に身に付いてみればするっと落ち着くんだけど。
まぁ、とりあえずはアカツキにできることを一から確認してみようか。頼んでたもの持ってきた?」
「ああ、確かに言われたものは持ってきたが…、今更こんなものが役に立つのか?」
アカツキが胸元まで両手で掲げるのは十数枚の紙の束。ところどころインクが滲んでおりあまり目新しいものには見えない。それはまだミノリやトウヤのレベルが20にも満たない初心者だった頃、初めて彼ら双子が奏に師事を受けた時に共にいたアカツキも受け取った教本だった。中には作成を手伝った几帳面そうなシロエの字とアカツキ自身で補足を入れた字が連なっている。
「大事大事、むしろそれが今一番修行に必要なものだよ。自分になにが出来てなにが出来ないのか、なにが得意でなにが苦手なのか。自分を知らなきゃ
それじゃ、さっそく修行第一段階。それに<追跡者>の特技も含めて自分が使える特技を書き足してね、できるだけ詳しく自分んにできるかぎりでいいから」
千菜が
「アカツキさん、どうだい?調子は」
声をかけられた。その声には直接話したことはないが幾度かの聞き覚えがある。アカツキが顔をあげるとそこには紅い
普段は闘志というか強気な自信というかそういったものを彼女は目に灯していて並々ならぬ気迫を感じたのだが今の彼女はそういったものを感じなかった。だが、だからといって今の彼女が駄目かというとアカツキにはそうは思えなかった。以前の強さのようなものは感じない、けれどそれと同等かそれ以上の雰囲気を彼女は放っていた。
「今ちょうど書き終えたところで。えっと、確か探偵のクイン、さん」
「クインでいいよ。今回は
少しだけ気圧されてしまう。彼女とはさして話したことがあるわけでもないのでどうしても慣れない相手との会話は無愛想な風になってしまう。そんなアカツキの態度に嫌な顔のひとつももせずクインは自分から歩み寄ってくれた。
「わかった。じゃあ、クインで。クインはわたしになにか用か?」
「うん、アカツキさんが千菜から聞いた<口伝>は戦闘系のものばかりだろうから、それ以外の<口伝>のことも教えてあげようかなと思ってね。手を出して」
アカツキは言われた通りに手を差し出す。差し出された手をクインは両手でぎゅっと握り締める。握手のつもりだろうか。
「いち、にい、さん、…」
クインはアカツキの手を握り締めたまま目をつむり数を数え始め、そのまま三十まで数えていった。その間アカツキは彼女に話かけることもできず流されるまま握られた手を見つめ続けて彼女の不思議な行動が終わるのを待つほかなかった。
「<マナ・チャネリング>」
クインの口からシロエもよく使う呪文の名前が嘆かれる。アカツキのMPが無断に徴収されクインのMPと混ざり再分配される、今のクインが発する清められた冷水のような雰囲気を匂わせるMPをアカツキは感じる。
その気配に触れているだけでアカツキの心の中にあった隠しきれない不安感や焦りも沈静化されていくようで、MPを大量に持っていかれるような貧血にも似た感覚を差し引いたとしてそれはとても心地の良い感覚だった。
「わたしの<口伝>は誰かと共に歩くための<口伝>。探偵だからね、ワトソン役がいないとどうにも締まらない。だけど残念ながらわたしは寂しがり屋だ。こうして確かな繋がりを確認する手段がないと不安でしょうがない」
<君と共に歩くは永久の道>、クインはそう語った。自身と対象の感覚を共有する<口伝>。その共有は最大で五感全てを共有することもできるため、自身がその場に居ない場所での会話も聞くことや匂い、視界に映るものも見ることができる諜報能力に圧倒的なアドバンテージを得ることができる探偵らしい優秀な<口伝>だ。
「ただし、共有するためにはいくつもの準備がいる。ひとつ、感覚を共有する相手に直接触れること。触れた時間に比例して感覚を共有できる時間は長くなる。ふたつ、<マナ・チャネリング>により精神面においても接触すること。つまり味方にしか使用はできない。みっつ、発動は念話による擬似接続をきっかけとする。
まあ、このうえなくめんどくさい上にここまでやるほど近しい相手がいることが前提条件になる」
ふっとアカツキに満たされていた充足感が消える。クインが<口伝>を解いたのだろう。
「<口伝>ってのはこんな風になにかの応用でしかないの、なにか特別な力を使ってるわけでもなんでもない。ただ、その人が成し遂げたい、求めている願いを目指す途中で手に入ったものなだけ。
覚えておいて<口伝>が特別なんじゃなくてその延長線上にあるものが特別なの」
シロエは
濡羽は自分の居場所を作るための手段として
そして、奏は……。
他の<口伝>の使い手たちも皆<口伝>ではなくその先に本人が自覚していようとしていまいと望みを持っている。それがちっぽけだろうが大望であろうが問わずにだ。だから<口伝>の使い手たちは口を揃えてこう語る。
『<口伝>なんてものはくだらない。そんなものは望むものじゃない』
アカツキが見てきたのは<口伝>そのもの、だから手に入らなかった。
羽ばたくべきは雑居の乱立する地の上ではなくはるか空の彼方。そこに
<口伝>の解釈は自己解釈です。ただ便利だからって理由で<口伝>を身に付けるリアリストも多分いると思います。
願いうんぬんはロマンチストなクインの捉え方として。千菜は違う考え方かもしれません。百恵は<口伝>=自身の体現ですし。