雷狼月山記   作:柳亭アンディー

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四 夜の酒場

リオレウスと戦った日の夜。

夕食はギルドの酒場でとることにした。酒場では酔ったハンターたちが雑談している。

「臭いし、うるさいし、落ち着かない。アベルの巣で食べたい……」

大好物の肉を前にしても、ジーナの顔は浮かなかった。

「我慢しろ。人間は集団で生活する生き物なんだから、こういう人が多い状況にも慣れておかないとな」

と言いつつも、おれも喧騒が好きというわけでもなく、普段は落ち着いた雰囲気の料亭で食事をとることが多い。ジーナを鍛える意味をこめて、あえてこの場所を選んだのだ。

「あ、アベル!その娘がジーナちゃん?」

おれは面倒な奴が出てきたなあと思った。

「初めまして、ジーナです」

「私はアベルの狩り仲間のフウカよ。よろしくね」

そいつは自己紹介をするなり、勝手に正面に座ってきた。私服のおれたちとは異なり、レウスX装備を着て、胸元と腹を恥ずかしげもなく出している。クエスト帰りなのだろう。

「アベルが女装癖あるっていう噂を聞いたから絶交しようと思ってたけど、ジーナちゃんのために服を買ってたのね」

「なんだその悪意に満ちた噂は」

「冗談よ。ところで、さっきからジーナちゃんに凄く睨まれてるんだけど……」

睨んでいるどころか、うなっている。手を出せば噛みつきそうな勢いだ。

「人付き合いが苦手な奴なんだ。まあ気にすんな」

「苦手、で収まるレベルなのかな。……ね、ねえジーナちゃん、私もしかして、お邪魔だった?」

「貴様が何を言っているのかよく分からない」

「そ、そう?ごめんね、私、誤解してた。ねえジーナちゃん。どうしてアベルのとこに来ることになったの?」

その質問はまずい。ジーナは無垢な口を開いた。

「交尾……」

「親の仕事の都合!!」

おれは食いかけの黄金米を撒き散らしながら叫んだ。

「うるさっ!ジーナちゃんに聞いているんじゃない、何であんたが答えんのよ、汚いし!」

「フウカ、お前はデリカシーに欠けるところあるよな?」

「うぐ……あんたに言われるのが癪だけど……ごめんね、ジーナちゃん。答えづらいことだったかな」

「そんなことはない。フウカ、私の方からも質問していいか?」

「もちろん!何でも訊いて?」

「胸をそこまで露出して大丈夫なのか?」

おれはオニマツタケのスープを噴き出しかけた。

「……乳首さえ見えなければ大体セーフなのよ。限度もあるけどね」

「なるほど。ではもう一ついいか?」

「う、うん」

「貴様はアベルより強いのか?」

それを聞いて、フウカは微笑んだ。ようやくまともなやり取りができてほっとしたのだろう。

「私も一応G級だし、ハンターとしては最上位にいると自負しているわ。でも、こいつには敵わないし、敵う奴も殆どいない。びっくりかもしれないけど」

ジーナはそれを聞いて嬉しそうな顔をした。おれも嬉しい。この女に褒められたのは初めてだ。

「ところで、じー級とは何だ?」

「クエストの階級のことよ。下から下位、上位、G級の三つに分かれてるの。G級のクエストは一番難しくて、ギルドに認められた優秀なハンターしか受注できないのよ」

「なるほど。アベルもそうなのか?」

「そうよ」

「では私は何級だ?」

「へ?えーと、ジーナちゃんの可愛さはG級かな?なんて」

何言ってんだこいつ。

「いや下位だ」

おれが訂正する。

「そ、そうだったのか……」

落胆するジーナ。

「ちょ、アベル、あんたどこに目ついてんのよ!?」

「そうじゃねーよ。こいつもハンターなんだよ。ジーナ、始めは全員下位だ。これからクエストをこなし、ハンターランクを上げて行けばG級になれる」

「そ、そうか!たくさん狩ればアベルに近付けるということだな!」

「えっ、ジーナちゃんハンターなの!?」

「そうだ。今日、登録した。クエストにも行ってきたぞ。私はアベルの足手まといにしかならなかったけどな……」

「こんなのと比べる方が間違ってるわよ。でもこの若さでハンターなんて、やっぱり希少ね」

「お前だってこのぐらいの歳に始めただろう?」

「まあ、そうだけど……あ、ジーナちゃんって何歳なの?」

「16歳だ」

「精神年齢がな!……あれ、意外に普通の年齢だった」

雷狼竜は長生きすると聞くから、どんな年齢を言ってもいいように付け加えたのだが、いらなかったようだ。

「あんたさっきから何なのよ。十六なんだー。もっと幼いかと思ってたわ。あ、私がハンター始めたのと同じ歳ね」

「フウカは何歳でじー級になったんだ?」

「私は十九でなったわ」

「三年もかかったのか……アベルは?」

「おれは十三でハンターを始めて、十五でG級になった」

「アベルですら二年か……」

「あ、あのねジーナちゃん、そもそもG級になること自体凄いことなのよ、自分で言うのもなんだけど」

「でも、私は一ヶ月でじー級になって、アベルに相応しい……」

やばい。おれは叫んだ。

「コノハー!酒がなくなったぞー!」

「雌になりたいんだ」

問題発言はなんとか妨げられた。

「そして交尾をしたい」

「酒酒酒酒ーーーー!」

危なかった。まさか続きがあるとは。というかむしろ後者が問題発言だ。油断は禁物だな。

「あんたさっきから声でかすぎよ!何なの!?女の子と同居できてテンション上がってるの!?そもそもあんた酒飲んでないじゃない!」

「うるさいなあ」

「どっちが!そういやあんた、昨日ジンオウガを倒し損ねてたけど、そのジンオウガ、まだ見つかってないそうじゃない!凶暴化してたらどうすんのよ!」

「すまん。出てきたらちゃんと狩るから許して」

「すまんで済んだらハンターいらないわよ。ほんと、しっかりしてよね!」

「うい」

「舐めてるわね、あんた」

はたから見れば舐めていても、内心ではジーナが口を滑らせないか不安だった。倒し損ねたジンオウガとはまさに彼女のことなのだから。

現にジーナは視線をあらぬ方へ外し、もじもじと体を揺すらせている。モンスターには嘘という概念がなかったのだから、うまく隠せずに挙動が不審になっているのだろう。

いや、しかしよく考えて見たら、ジーナの正体を暴露しても冗談にしか思われないか?フウカのことだ。ついに現実と創作の区別がつかなくなったかとおれを笑い飛ばすだけで済むだろう。なら、さほど気をやむ必要もないか。

その時、ジーナが跳ねるように立ち上がった。

「どうしたの?ジーナちゃん」

「どうしたジーナ」

「おしっこ」

単に尿を堪えていただけだったようだ。額に脂汗がにじんでいる。

「行ってこいよ。トイレはあっちだぞ」

「無理だ」

まだ一人でできる自信がないのだろうか?

「じゃあおれと行こうか?」

「おい変態」

「アベル、そうじゃない。もうトイレまで我慢できない」

「へ?」

「あっ……」

ジーナは両手でぎゅっと股を押さえつけた。

「待て、まだ出すな!」

「あっ……あっ……」

じゅわっ。水が下着を貫通する音が響いたかと思うと、ハーフパンツの裾から出でて、脚をつたってこぼれ落ちた。

「お酒お持ちしましたー。え、ジーナさん、わ、わわ!?」

酒を運んで来たコノハがジーナの足元を見て頓狂な声を出した。

「も……漏らしてしまった……ジンオウガともあろう私が……うう……」

ジーナの顔は真っ赤になっていた。おれはどうすることもできず、ただその場に立ち尽くした。

やはり排泄の感覚もジンオウガの時と異なるのだろう。もう少しジーナの様子に気を配っておくべきだったか……。

滴り落ちる雫が、ジーナの足元にできた水溜りを虚しく鳴らし続けていた。

 

 

ギルド側の入口から、ジーナとフウカが部屋に入ってきた。

「お風呂に入れて来たわよ」

「わざわざありがとうな、フウカ」

「いいわよ、これくらい」

俯いていたジーナはおずおずとおれを見上げた。

「……ゴメン、アベル……」

「大丈夫だ」

「私は部屋に戻るわね。そうそう、明日、ジーナちゃんとクエストに行く約束したから、あんたも来るのよ。おやすみ!」

「ああ、おやすみ」

フウカは自室へ帰って行った。女の子には優しいんだな。その優しさをもう少しおれに向けてくれれば良いのだが。

ジーナはばたりと倒れるようにして、布団に飛び込んだ。枕に顔をうずめ、足をじたばたさせている。叫んでいるが、何を言っているか聞き取れない。

おれは尋ねた。

「フウカと何か話したのか?」

「……クエストに行く約束をした」

「アオアシラか?」

「うん……。それと、ゴメン……私がジンオウガってこと、話した」

「そうか。まあ、別にいいさ。それで、奴はどんな反応をしてた?」

「そうなんだ、って言って、私の頭を撫でた。屈辱だ。私は完全に格下と見られている……」

おれは笑った。フウカからすれば、おもらしの言い訳にしか聞こえなかっただろう。

「わ、笑うなよ!」

「ははは……しかしどうしてトイレに行きたいと言わなかったんだ?」

ジーナはほんの少しだけ、枕から顔を浮かせた。

「……言えなかった。言うと、フウカに見下される気がした。アベルに見下される気がした。それでもやっぱり言おうとしたけど、声が出なかった」

「恥ずかしかったんだな」

「恥ずかしかった……これが、恥ずかしい、か。恥ずかしかったことを認めるのも、恥ずかしいな」

「そうだな」

「教えてくれ、アベル。この恥ずかしいのは、どうしたら収まる?」

「難しいな……。最善なのは、忘れることだ」

「むりだ。まだお尻が温かい感じがする」

「時間が経てば自然に忘れるさ。それができないなら、気を紛らわすようなことをする、とか」

「……交尾をしたら忘れられる気がする」

おれは言葉を失って、乾いた笑いを上げることしかできなかった。

「な、なんてな。あはは。ジョーダンってやつだ。まだ早い、な。アベル」

「はは……そうだな。じゃ、おれはもう寝る。おやすみ」

「おやすみアベル。明日も、頼む……ね」

おれは布団に潜り込んで、しばらく息を止めた。


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