雷狼月山記   作:柳亭アンディー

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十八 望むもの

 静まりかえった店内に、シグルズが蕎麦湯をすする音だけが響いた。

「どうしたんだ、ジーナ」

 ジーナはアベルが見たことのない顔をしていた。

「そこの赤服の男。アベルから離れろ」

 ジーナはハンマーを握りしめ、じりじりと前進する。今にもシグルズに向かって振りかざしそうだった。

「落ち着け、ジーナ。何故こいつを敵とみなす。理由を説明してくれ」

「分からないのか!? そいつは危険だ。いつアベルを襲ってもおかしくない」

「何故危険と言える?」

「それは」

 ジーナは言葉を濁した。説明できない訳があるだろうか、上手く説明できないのだろうか。それとも説明しても納得してもらえないと思っているのだろうか。

「とにかく武器を降ろせ。ここは飯屋だ。戦う場所じゃない」

 おれは立ち上がり、シグルズの分も含めた代金をカウンターに置いた。

「とりあえず外に出よう。行くぞ、シグルズ」

「ああ」

 破壊された戸は無視。

 外へ出てからも、ジーナはハンマーをきつく握ったままだった。対し、シグルズは柔らかな微笑を湛えるのみ。フウカは温度の差を察したのか、救いを求めるようにおれの方を見た。やれやれ。

「ジーナ。お前はこいつが怖いんだろう?」

 ジーナは歯を食いしばりながら頷いた。

「勘がいいな。こいつ……シグルズはおれよりも強い。お前は自分より強い生物に遭ったことがほとんどないから、こいつが怖いんだろう」

「違う、そうじゃない。それもあるけど、そうじゃないんだ……!」

「ジーナちゃんと言ったね。君はアベルのことが好きなのかい?」

 シグルズが訊いた。ジーナは不意打ちをくらったような顔をした。

「それは……」

 そしてまた言葉を濁す。シグルズは笑う。

「アベルは幸せ者だな」

 そう言っておれの肩をぽんと叩く。ジーナの沈黙を肯定と受け取ったのか、単におれに気を遣っただけなのかは分からない。

「アベル。悪いが、明日のジンオウガは無しにしてくれ」

「どういう風の吹き回しだ? ジンオウガを狩りに来たんじゃなかったのかよ」

「一人で行きたいんだ。慣れているお前やフウカちゃんと一緒だと、おれの出る幕がなさそうでつまらないしな」

 シグルズはジーナを見た。

「ジーナちゃん、怖がらせてごめんな。おれは何もしないよ。君にも、アベルにも」

「……」

 シグルズは村の方へ歩き出した。

「どこに行くんだ?」

「ユクモ美人をナンパしに行くよ、一人でね。アベルが一緒だと、子猫ちゃんたちが嫉妬するから」

「恥ずかしいこと言ってないでさっさと行ってこい」

「ああ。またな」

 シグルズの背中が小さくなって行く。その大きさが素材玉ほどの大きさになってからようやく、ジーナはハンマーを下ろした。

「変わった人よね」

 フウカが言った。

「ジーナに何て言われて付いてきたんだ?」

「アベルが危ない奴といる。アベルが危ない、でも私だけでは勝てないから付いてきてくれって聞かなくてね……ほんと、幸せ者よね」

 フウカは楽しそうに笑った。

 

 

 

 家に着いてからは、ジーナの一人暮らしの準備をする。とはいえ物の多さは生活している長さに比例するもので、加えて引っ越し先が同じ建物の上の階とくれば、楽なものだ。引っ越し作業は夕飯前に終わった。

 フウカは手伝った礼をよこせとのたまい、おれが大切にとっておいたブレスワインを開けることを強要してきた。初めは了意しかねたが、飲みたい気分だったので呑むことにした。

「それじゃ、ジーナの一人暮らし開始を祝って乾杯!」

「かんぱーい!」

 ここ数日、クエスト以外の時間は彼女達と過ごしている。二人は元々相性が良さそうだったが、日増しに親密になっているように見えた。今日も、フウカはジーナに無理やり引っ張られてきたにもかかわらず、文句の一つ言わずついてきて、引っ越しの手伝いまでしてくれた。

「どうした、ジーナ。乾杯しようぜ」

 一気に煽る大人組をよそに、ジーナはブレスワインの透明な赤色に目を落としたままだ。

「一人暮らしを始めるとは、めでたいことなのか?」

「別に、一人暮らしを始めること自体はそれほどめでたいことでもないな。ジーナが自分の意思でやろうと決めたことが、達成されたことがめでたいんだ。多分」

「……そういうものなのか」

 ジーナもこつんと杯を合わせた。

「……私のやりたいこと、か」

「ねえ、ジーナちゃんはどうして一人で暮らそうと思ったの? 私の記憶が確かならさ、ジーナちゃんはアベルと、その……一緒にいたいんじゃないの?」

 おれの口から訊くのは憚られることをフウカは訊いた。

「それは……」

 一日を通して、こうまで歯切れの悪いジーナは珍しかった。「一人暮らしをしたい」と告げた時も同じ感じだった。おれは悟った。嬉しいような、寂しいような気分が押し寄せてきた。誤魔化すように、酒を飲み干す。

「ジーナ、お前は自分から要求した約束を、自分から反故しようとしていることを勿体なく思っているのかもしれない」

「モッタイ……なく?」

「だが気にすることはない。お前が人間として満足に生活できるようになること、人間として強くなること。それがおれの望みだ。後者はまだ果たされていないが、これから先どうとでもなる。前者については、一人暮らしができれば……及第点ってところだ」

「……そうか」

 ジーナはそれきり何も言わなかった。

 元々はジンオウガだった少女は、空になった杯を両手でそっと置いた。

「お花を摘みに行ってくる」

 ジーナが出て行った後、フウカが詰め寄ってきた。当然ながら、息は酒を帯びている。

「ジーナちゃんの一人暮らしを始める理由、結局話してくれなかったけど、アベルは気づいているみたいねえ」

 言え、と目が言っている。

「予想に過ぎないがな」

「じゃー話してよ」

「考え方も人間になったってことなんだろう」

「確かに、最近のジーナちゃんは人間らしいわよねえ。常識も身について、おかしなことを言うこともなくなってきた。……まさかお花を摘みに行くなんて表現を使うようになるとはね……それで、人間らしくなったことと、アベルの元を離れることに、どういう関係が?」

「普通の人間なら、好きでもない男と同棲などしないだろ」

「つまり、愛想を尽かしたと。……それ本気で言ってるの?」

 午前中のお前は本気で笑っているように見えたが……。

「他に何かあるのか?」

「ちゃんと考えなさいよ! ジーナちゃんの気持ちになってね!」

「まあ……自立心の表れってやつかな? 親元を離れて一人で生きてみたいと思うのは、ジンオウガも人間も変わらな……」

「はー。分かってない。ぜーんぜん、分かってない!」

 フウカは酒を注ぎ足した。そして煽る。

「人間特有の感情の一つに、恥じらいがあるわ。まさにそれよ。人間の心を持ったジーナちゃんは、好きな人に、自分の血で汚れた布団を見られたことが恥ずかしくて……」

「分かってないのはお前だろ! つーか飲み過ぎだ!」

 

 

 泥酔したフウカを部屋に送還した後、挨拶だけでもしようとジーナの部屋に立ち寄ることにした。ジーナは寝間着である襦袢姿で、壁を背もたれに、読書しているところだった。初めはつまらんと言って投げ捨てていた本を、自発的に読むまでになるとは……成長したものだ。

「よう。……少し早いが、もう寝るか? フウカも寝ただろうし」

「ああ。今日からはもう、勝手にアベルの布団に入ったりもしない」

「ははは、やっと認めたな」

「アベル。キスしないか」

「はは……え?」

 ばさりと、ページがめくれたまま本が落ちる。二色刷りの表紙。おれが本棚の裏に隠していた官能小説だった。すっくと、ジーナが立ち上がる。一歩、二歩と、歩み寄る。

 唇が重なるその瞬間まで、おれは彼女のはだけた襦袢からのぞく眩い肌に目を奪われていた。

 雷に打たれたような感覚。つい先週にも味わったが、それともまた異なる感覚。唇から伝わる、官能的な刺激に身を投じたくなる本能。だめだ、身を委ねてはいけない。ジーナの肩を掴む。

「ジーナ、こういうことは……」

 ジーナはおれの首の後ろに手を回し、もう一度キスをした。

「お、おい!」

 先ほどよりも力を入れて引き離す。

「……ああ……だめだな、これは……」

 口の端から垂れる涎も拭かずに、彼女はそう言った。いつもの凛々しさからはほど遠い、惚けた顔だった。

「だめって……?」

「私は寝る……おやすみなさい」

 ジーナはもぞもぞと布団に潜り込んだ。流れるような銀色の髪だけを外に出して。

 フウカの時も思ったが、もう少し話し合う時間を設けても良いのではないか。……いや、時間があったからと言って話がまとまるとも思えない。答えはおれの中にしかなくて、探し出せるのはきっとおれだけなのだから。そしておれはそれを探そうとすることさえも躊躇していたのだから。      

「そのまま、寝てろよ」

 おれはジーナの部屋を後にした。

 

 

 

 自室に向かい、装備BOXからシルバーソルZ一式を取り出す。G級リオレウス希少種の素材から作られるその防具は、殺意を振りまくような銀色をしていた。おれはそれを身につけながら、ジーナが初めて家に来た時のことを思い出す。

 「やっと見つけたぞニンゲン! 私と交尾しろ!」

 「いつアベルが私を殺しに来るかと、つい警戒してしまう」

 「アベル。キスしないか」

 部屋内で想像のジーナを動かしているうちに着替え終えた。全身鏡に映る自分が懐かしいのは、懐かしんでいたからだろうか。彼女に出会ってからそう日は経っていないというのに。

 おれは愛用のガンランス、エンデ・デアヴェルトを担ぎ上げた。外に出る。無駄足になるといいのだが。

 

 

 

 集会所はまだ明るく、時折喧騒が漏れてきていた。山の上には三日月が浮かんでいる。がちゃがちゃと金属がこすれ合う音を鳴らしながら、月の下へ足を踏み出す。暗い森に、小さな橙色の光が揺れている。遠いから小さいのだ。静かに、かつ素早くそれを追う。山道に入る。藪をかき分ける。ガンランスだとこういう時が苦しい。大きいし、重い。歩きやすいとは言えない道を、そうやって三十分ほど歩いた。村の明かりは遠ざかり、とうとう消えた。風がうなり、山の木々がざわめく。

 追いついた。

「どうしてついてきた?」

 大剣を背にかけたシグルズが言った。ランタンの光を浴びて、ギルドバード装備がより鮮烈な赤色を出していた。

「ジーナに分かって、おれが分からないとでも思ったのか?」

「さすがだな。やっぱりお前は、おれが唯一認めるハンターだ」

 シグルズのランタンが地面に落ち、破片が飛び散った。

「……やはり、黒龍装備の影響か?」

 モンスター大全最後の項目に、疑問符として記された伝説の龍。それは御伽噺の世界にしかいないと誰もが信じて疑わなかった。けれどおれや、シグルズは違う。一度この目に刻みつけたものを、どうして御伽噺と言えようか。

「そうとも言えるし、そうでないとも言える。黒龍はただ、おれの本能を呼び覚ましただけだ」

 シグルズが振り返る。彼の眼には、邪悪な炎が宿っていた。

 


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