雷狼月山記   作:柳亭アンディー

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五章 灰色の慟哭
十七 ドンドルマの友


「よし、ジーナ。久しぶりに狩りにいくか」

 ジーナはぱっと目を輝かせたが、すぐに俯いた。

「……上位のナルガクルガが渓流に現れたとコノハから聞いた。アベルはそちらへ行くべきだろう。私はザコどもと下位のドスファンゴをぶち殺してくる」

「あはは、ザコだってミレイ」

「あんたのことよ」

 リクとミレイ。おれとフウカが遠征に行っている間、訓練所の指導を受けていたジーナの仲間だ。ジーナが二人とうまくやっていけているのか不安だったが、杞憂だったようだ。

「もう一週間経つけどさ。やっぱりミレイのその喋り方、違和感しかないんだよなあ」

 リクが言った。

「むしろ私は今までの喋り方に違和感を覚えていたがな。雌の分際で一人称がアベルと同じということが理解に苦しんだ。その喋り方でいいぞ、ミレイ」

「え、ああうん」

 女であることを隠していたミレイだが、ジーナの嗅覚の前に喋り方と外見の偽装は無意味だったらしい。ミレイはこれまで指摘されなかったことに、さぞかし安堵していることだろう。

「無駄話が過ぎたな。行くぞ二人とも」

「うん」

「行こうか」

 三人の下位ハンターたちはギルドから出て行った。

「あはははー! フラれてやんの!?」

 三人の姿が見えなくなってから、フウカが楽しそうに言った。

「やかましい」

 おれは木の椅子に座り込み、椀に入った水を仰いだ。

「それにしてもジーナちゃんがアベルや私以外のハンターと率先して狩りにいくなんて意外だったわね。成長できたってことなのかしら」

「ああ。それともう一つ。さっきジーナに言われたんだが、どうやらおれとの同居をやめて一人暮らしを始めたいらしい」

「それ、マジでフラれてるじゃない!」

 驚きが八、喜びが二の声だった。何故喜びが介入してくるのか、少し理解できないのだが。

「でも……それって成長と言えるのかしらね。ジンオウガは元々単独行動をする種でしょ? それにジーナちゃんプライド高いし、自立したいのならすぐにでも自立したいと言うはずなのだけれど、どうして今更なのかな。むしろ協調性を失ってきた、とも考えられない?」

「さあな。ミレイやリクへの対応を見る限り、協調性は上がっていると思うが」

「じゃあ、本当にアベルに愛想を尽かしたんじゃないの!? 一人暮らししたいってのは、貴方がいなくても私は一人でやっていけます、というジーナちゃんの意思表示であって!」

 おれは椀を倒し、水をぶちまけた。

「アベルさん、気をつけて下さい!」

「あ、すまんコノハ。拭いておくよ」

「いいです、私拭きますから」

「悪いな、ありがとう」

 コノハはおれのすぐ側でテーブルを拭き始めた。前屈みになっているので、背中から尻までのラインが着物ごしからくっきりと見えている。

「アベル、今日はナルガクルガよ。さっさと準備してきなさい」

 フウカが低い声で言った。

「いや、実を言うと最初からそのつもりで、しっかり準備してきている」

「断られることが前提だったということ?」

「ジーナの意思は関係ない。どのみち下位のクエストに行かせるはず予定だったということだ」

「私たちは私たちで、ジーナちゃんはジーナちゃんでやっていけるようになった……まあ、一応、アベルの目論見通りってことかしらね」

 そうだ。おれの目論見通り、ジーナはおれたちなしでも狩りに行けるようになった。いや、それだけではない。おれたちなしでも生きていける術を身につけたのだ。

 おれとフウカが火山へ遠征している間、ジーナを訓練所に預けた。しかしおれたちの狩りがあまりにも早く片付いてしまったため、おれたちが帰ってきてからも一週間、訓練所で鍛えてもらうことにした。その間ジーナが得たのは狩りの技術のみではない。礼節、対話、家事、知識。人が生きる上で必要となる能力だ。

 ジーナが洗濯をたたんで収納しだした時は仰天した。彼女は狩り以外のものに対しほとんど興味を示していなかったのだ。かつての彼女なら、たたみもせずにタンスに力ずくでねじこんでいたというのに。

 ジーナの成長。これは喜ばしいことだ。だが成長とは独立することでもあるから、少し寂しくもあった。これが娘が親離れする瞬間の親の気持ちなのかと、所帯を持ったこともない分際で感慨にふける。

 

 

 大きな荷台に乗せられて、ナルガクルガの屍体が集会所の裏手まで運ばれてきた。ハンターや村人たちがこぞって見にくる。その中に、明らかに異質な人物がいた。

「お前か? シグルズ」

「ようアベル。元気そうでなによりだ」

 男は赤いテンガロンハットのつばを上げた。

「まさかお前に女ができるだなんてなあ。しかも黒髪ロングの典型的ユクモ美人ときた。ドンドルマに戻りたくないのもわかるぜ」

「こいつはユクモ村専属ハンターのフウカだ。おれの女ではない」

「あ……どうも、フウカです」

 誰にでも強気なあのフウカがぎこちなく対応している。

「こんにちは、フウカちゃん。おれはシグルズ。アベルの親友だ。こんな格好だけど気を張らなくていいよ。ギルドナイトはもうやめたから」

 赤い布地を基調としたギルドナイト装備は、防具と呼ぶにはいささか格調高かった。背負っている大剣は、主に鉱石で造られた無機質なものだ。

「なら何で着てるんだ。みんな怖がってるぞ」

 一帯は多くのハンターでごった返していたが、シグルズの周りには誰も寄りついていなかった。

「自分が強いと思っていきがっているハンターたちも、この装備を見ただけで縮み上がる。それが気持ちよくてな!」

 フウカが露骨に嫌な顔をした。

「フウカ、こいつも多分本気で言っているわけじゃない。一応おれも親友だと思っている奴だから、信頼してほしい」

「……貴方がそう言うなら」

 ギルドナイト。ギルドに認められた専属ハンターのことだ。おれやフウカも専属だが、ユクモのような小さなギルドにはない。ギルドナイトはドンドルマのような大都市にのみに置かれている、専属ハンターの上位の役職だ。彼らの仕事はハンター業に限らず、規定を犯したハンターを取り締まる等、ギルドの安全と秩序を保つ役割がある。彼らに求められる技量はかなりのものであり、ただ腕が立つからと言ってなれるものではない。そのためシグルズが着ているギルドナイト専用の装備は、人々からの畏怖と尊敬の対象であった。

「この村の専属ハンターはお前ら二人だけのようだが……お前ら本当に何もないのか?」

「何かあったが何もないよ。お前こそどうなんだ。ミアは元気か?」

「今年で五歳になるんだが、可愛くて仕方ないよ。この間なんて、雷が怖いと言って、おれの布団に潜り込んできてな」

 おれは乾いた笑いを上げた。

「シグルズ、昼は食ったか?」

「まだだ」

「よかったら三人で食わないか?」

「ああ、喜んで」

「私は遠慮しておくわ。アベルはこっちにきてからドンドルマの友達と会うのは初めてでしょ? 久しぶりに色々話してきたら?」

「そうか……」

 別に気を使わなくていいぞ、という言葉が出てきそうになったが、やはりシグルズへの警戒を解くことが難しいのだろう。元々人見知りな性格だし、無理に付き合わせるのも悪い。

「じゃあ、二人で話してくるよ」

「気を使わせちゃってごめんね。フウカちゃん、今度はアベルを置いて二人きりでご飯しよう!」

 フウカは軽く会釈して去った行った。

「あれだけの美人に好意を持たれてもなびかないなんて、相変わらずの消極さだな。もしかして受付嬢か?」

「お前の冗談は時々的を射るからやめろ」

「いやいや、今のは本当にそうだと思っていたぞ。やっぱりコノハちゃん?」

「確かにコノハちゃんはG級の可愛さだが、こんな話をしに来たわけじゃないだろう?」

「なんだ、重要な話じゃないか。まあ、それは置いておいて腹が減ったな。飯にするぞ。アベルの行きつけがいいな!」

「分かった分かった。だがその前に着替えよう。お前の格好は人目を引きすぎる」

 

 

 シグルズが着替えを持ってきていないなどとぬかしたので、服を貸しに部屋まで連れてきてやった。

「なんだ、意外に整然としているな。そして女物の服があるときた。フウカちゃんとコノハちゃんを差し置いてアベルのハートをゲッツした娘がいるとは、これ如何に」

 ジーナの衣類を重ねたままタンスの外に置きっ放しにしていたのは迂闊だった。

「決めた、私これ着る!」

 ジーナのワンピースを広げて踊る大の男を見て、ため息をつく。こんなのが親友とは。

「実はその服の娘な、ジンオウガなんだ」

 シグルズのステップが止まった。

「それは言葉の通りの意味か?」

「ああ。ジーナと名付けた。」

「経緯は?」

「二週間ほど前だ。下位のジンオウガを狩猟しに行ったが、逃げられた。その晩、この部屋に人間の姿となって戻ってきた。その理由は、自分より強いおれと交尾して、子孫を残したいとのことだ。もちろん断った。だが人間にあるべき知識が足りないから、住まわせて面倒をみてやっている」

 シグルズは真剣な顔つきになった。普段はおどけているが、ギルドナイトになれるほどの知力と戦闘力を備えた男だ。おれよりも強い。

「ジーナちゃんは可愛いのか?」

「それはもう。この間なんて、嵐が怖いとか言って、おれの布団に潜り込んできてな」

「ほほう、誰との子なんだ?」

「おれは独身だ。それとジーナは小さいが十六だ」

「そうか。ところで、アベルよ。アオキノコと薬草を調合することで回復薬ができる。では、回復薬からアオキノコと薬草を取り出すことはできると思うか?」

 いきなり何を言い出すのだろう。シグルズにしては強引な話題の転換だ。

「完全な形で取り出すのは無理だろう。成分という面ならできるかも知れんが」

「そうだ。アオキノコも薬草も、調合をした時点でそれがそれでなくなる。分離できたとしても、完全に元通りになることはない」

 シグルズはワンピースをたたんで、元の場所に置いた。

「そもそも、回復薬から素材を取り出す理由がない。回復薬は回復薬として、完成された物なのだから」

「まあ、事情があれば不完全でも分離していいと思うけどな。だがさっきも言った通り、分離方法なぞ知らん」

「回復薬作りすぎて深刻なアオキノコ不足だ。秘薬つくれねえ」

「わかった、わかった。売ってやる」

「いや、くれよ。親友だろ!?」

 

 

 昼食はおれの行きつけの蕎麦屋でとることにした。ドンドルマにはない食べ物だから、ちょうどいいと思ったのだ。初めて見る料理を前に、シグルズは子供のように目を輝かせた。

「フォークはないのか?」

 しかし蕎麦は箸で食べる物だということをすっかり忘れていた。

「安心しろ。おれはプロだ。箸の扱いのプロであると同時に、扱いを教えるプロでもある」

「めんどい。アベル、あーんして、あーん」

「すみません、フォークください」

 

 

 蕎麦湯を飲みながら、シグルズが切り出した。

「さて、おれは有給を利用してこちらに来たわけだが、早速ユクモを満喫できて満足している。蕎麦、いとうまし」

 ドンドルマは専属ハンターの数が多いから、ユクモ村よりも長距離移動の融通が利く。一週間ぐらいは居られるだろう。

「で、本当のところは何しにきたんだ?」

 旅行なら家族で来るはずだ。

「ジンオウガを狩ってみたくてな」

 シグルズはにやりと笑った。彼はおしゃべりで、虚偽か真実かもわからない多様な話をしてくるが、その身の内の欲望は至って単純だ。

「あと、ついでにお前を連れ戻してこいと言われた。モテモテだな。多分ドンドルマに戻ってきたら一番モテるんじゃないか?」

「あのむさい連中にモテるよりも、ユクモ美人に囲まれてる方が幸せなんでね」

「羨ましい奴だよ。で、だ。どうやらここ最近ジンオウガの数が増えているらしいな。G級の目撃情報もあったとか」

「明日行くか。フウカと三人で」

「楽しみだ。来る途中で屍体が運ばれているのを見たが、下位と言えど逞しく、そして美しかった。あれが躍動する姿を想像すると、心躍る」

「待て。ハンターの中に、ハンター装備のハンマー使いの少女がいなかったか?」

「いたよ。輝くような銀髪に、瑠璃色の瞳をしていた。そう、まるでジンオウガの持つ美しさを、そのまま人間の少女に与えたような……まさか」

「ジーナだ」

 ジンオウガは討伐対象にはなかったはずだ。しかしここ最近狩場が不安定になる日が続いていたし、今日も例外ではなかった。

「ジーナちゃんは、ハンターをしていたのか」

「おれの所へ来てからすぐにやりたいと言い出した。姿形が変わっても闘争本能は変わらないらしい」

「残り二人の実力は?」

「あいつらは始めて少し経つが、二人でアオアシラが精一杯だ」

「なるほど。それにしても、ジーナちゃんは同族を殺すことを厭わないのか?」

「全く。むしろ誇りに思っているらしい」

「まあ、モンスターだからな。それでは、よく手懐けられたものだな」

「ちゃんと生活できたら交尾させてやると言ったら従順になった」

「いいなあ……明日行くジンオウガも擬人化しないだろうか……いや、G級だとババアの可能性が有力……しかし、あれだけの美少女になるなら……」

「……なあ、マジでジンオウガが人間になったって信じているのか?」

 始めは冗談に乗っているものだと思っていた。しかしそれにしては長すぎる。シグルズは聡い。冗談でないとすれば、何か知っているはずだ。

「親友の話は真面目に聞いてやるのが親友としての努めってね……」

 その時、出入り口の方で激しい音がした。見ると、戸が前に倒れていた。外にはハンマーを構えたハンター装備の少女と、レウスX装備の女がいた。

「アベルから離れろ!」

 ジーナの瑠璃色の瞳は、明確な敵意を持ってシグルズを捉えていた。


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