東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 顕界の境界を越え、私は久々の天界へとやってきた。

 引き連れていた竜も、サリエルも、ここには居ない。私一人での訪問である。

 

 現実の世界とは違った、どこか全体的に明るい、小島が幾重にも浮かんだ世界。

 天は見た目以上に高く広がっており、きっと際限はないのだろう。

 

 アマノが死後作り出したこの異空間は、彼女の意志を継ぐ者達によって管理されている。

 そう思うと、やはり嬉しくなるものだ。

 ここに住む者のほとんどが、私のことなど少しも知らないとしても。

 

「さて……じゃあ早速」

 

 以前は天界に入ってすぐに、サリエルが警告をしにやってきた。

 今回もまた、誰かが来る可能性は高いだろう。それはそれで話が速く進んで嬉しいのだが、門番に捕まった人間が王様に謁見するのは非常に面倒である。

 

 なので私は不滅の杖を掲げ、魔力を集めることにした。

 あまり効率の良い魔術とは言えず、発動までにタイムラグがあるので場面を選ばずに使えるわけでもないが、この魔術にしかできないことがある。

 

「“慧智の栞”」

 

 魔界を経由することのない空間転移。

 目的地や目的の人物の居場所がわからずとも、魔導書に仕込んだ目印が、自動的に私を導いてくれる。

 

 

 

 効率の悪い転移は無事に発動し、光に包まれた私の身体は大理石のような硬い床に降り立った。

 天界の外、顕界ではいくら発動しても転移しなかったけれど、同じ天界であれば正常に作用してくれるらしい。

 最悪の場合、つまり天界内でも転移魔術が使えなかった場合には、頑張って自力で探そうかと思っていたのだが、手間が省けて助かった。

 

「お、ちゃんとあった」

 

 辺りを見回せば、石造りの台の上にはしっかりと分厚い書物が安置されている。

 それは紛れも無く“慧智の書”だ。

 以前に私がサリエルと出会った時、書記を名乗るミトという天使が抱えていたものである。

 

 しかし、あるのは本のみだ。

 石造りの、おそらく神殿であろうここには“慧智の書”しかなく、人がいるような気配もない。

 

「留守かな」

 

 突然中に踏み込んでから、留守だのなんだので文句を言うつもりはさすがにないけど、できればちょっと話してすぐに帰りたかったから、誰か偉い人が居てくれれば良かったんだけどなぁ。

 

「ようやく来たか」

 

 と、私がこれからどうしようかと悩んでいると、丁度神殿の反対側の方から、真っ白な球体が現れた。

 

 なんだあれ。

 と目を凝らしてみると、どうやらそれは翼の集合体であるらしい。全身を翼で包みこんだ、百パーセント翼の生命体である。

 内部には人の形だったり鳥の形だったりといった本体があるかもしれないが、それは私からは確認できそうにない。

 

「ようこそ、ライオネル・ブラックモア」

「お邪魔してます」

 

 どう挨拶したらいいのかわからなくて、迷った挙句にこれである。

 間違ってはいないけど、もうちょっと良い挨拶なかったか、私。

 

 ……というか、この翼の人、私の事をフルネームで呼んだな。

 一応、月でサリエルと会った時には名乗っているけど、魔導書の名前を読み取った、という可能性も無くはない。

 

 なにせこの翼の人は、“慧智の書”があるこの場所に踏み入る事を許されているのだから。

 

「直接会うのは、これで二度目になる」

「二度目?」

「ミトと名乗った時の私を覚えているか」

「ああ、ミト」

 

 もちろん覚えている。私に物忘れなどというものはないのだ。

 でも名残もへったくれもないから、言われなきゃ絶対にわからなかった。

 

「名乗る名は多い……立場も、顔も、私は自らを自在に作り変える力を持っているからな。だが、ここではミトである以上に、メタトロンと呼ばれる事が多い」

「メタトロン。じゃあ、私もそう呼べば良いかな」

「ああ」

 

 ミト、じゃなくてメタトロンね。

 なるほど、彼がサリエルの上司であり、天界の頂点に君臨する天使長というわけか。

 

 そして、サリエルの堕天を決定づけた本人である、と。

 

「予想はつくが、来訪の理由を訊いておこうか」

「それより、突然私がやってきたことについて、何か文句とかは?」

「無い。お前の書物によって私やこの天界が成り立っている以上、一体何者がお前に文句などを言えようか」

「あ、それもサリエルから聞いてるんだ」

「私の解釈だ。奴の報告によるものではない」

 

 メタトロンは真っ白な球体のままふわふわと近付き、石壇の上の“慧智の書”に光を振りまいた。

 すると書物は浮かび上がり、ゆっくりと木の葉が落ちるような速度で、私の手元に舞い込んでくる。

 

「私は、お前と再び出会える時を待っていた」

「私と」

「そうだ。天界の秩序が構築され、我々による管理と保全が盤石なものとなったその時から……ずっと」

 

 それはいつくらいの話か、私にはわからなかった。

 ただ、きっと最初にサリエルと出会った時よりも後だということはわかる。

 その後に長い時間をかけて天界が整備され、今に至ったということか。

 

「それで、もう本は不要になったから返すっていうこと?」

「その通りだ」

「ふむ」

 

 私は慧智の書を受け取り、表紙を開く。

 魔力を急激に吸い込み、術式に巻き込む懐かしい感覚が現れるが、著者である私を認識した書物はすぐにそのモードを取りやめて、平時の待機状態に回復する。

 その大人しい様子が珍しかったのか、メタトロンは“おお”と声を漏らした。

 

 ぱらぱらと飛び飛びにページをめくり、書物を進める。

 長い間、ずっと人に預けていたにも関わらず、総読者数は驚くほど少ないけれども、しっかりと奥の方まで読んでいるらしい。

 メタトロンが一人でこの“慧智の書”を抱え、高度な知性を長い間独占していた証である。

 だが、それが悪いことだとは思わない。彼がこの慧智をしっかりと抱きかかえていたからこそ、今の秩序に守られた天界が存在するのだから。

 

「おお、読破したんだ」

「途方も無い時間をかけたがな」

 

 まさか、魔導書を最後まで読み切っていたとは思わなかった。

 正直、“慧智の書”をはじめとする指南系のものは、最後まで読んでも高度な魔術が乗っているわけでもないし、全部読んだからって天才になれるというわけでもないので、メリットは小さいんだけど。

 ただ延々とクロスワードと魔法陣を解き続けるようなものなのに、よくもまぁ最後までやりきったものだ。

 

「……これと出会ったのは、私が地を這う穢れだった時代のことだ。読み始めた当初は終わらない苦しみに強く後悔したものだが、今ではその苦しみにさえ、感謝しているよ」

「いやいや」

 

 それが私の目論見だったのだから、礼を言われるようなことじゃない。

 私としては、この書を読んだ人からの感想を聞けて、むしろ大満足である。

 

「……ライオネル・ブラックモア、訊かせてもらってもいいか」

「うん? 良いよ」

 

 なんだろう。著者の気持ちでも聞きたいのかな。

 

「お前は一体何者だ」

「ああ……」

 

 そういう質問か。

 

「お前は魔界の民だと言ったな。その使いであると。それは真実なのか」

「あーうーん、魔界の民というか、うーん……」

「魔界の存在は我々にとって不明瞭なものだ。そこにどのような景色が広がっているのかは、私にはわからない……だがこの書物を見る限り、魔界はこの天界以上に発展した場所であることが伺える」

 

 魔導書は時間を掛けて作ったものだから、あまり魔界そのものとは関係ないんだけどね。

 

「だとしても、お前がただの魔界の使いであるとは、到底思えない。お前ほどの力を持った者が、この書物を広めた者が、単なる使いなどとは」

「……まぁ、そうだね。使いっていうのはあの時咄嗟についた嘘で、実はもうちょっと複雑な立場にいる」

「やはりか」

 

 メタトロンは自分の考えが当たっていたことに、小さく笑ったようだった。

 

「多分、私は魔界の中でも一番か二番目に偉いと思う」

「……」

 

 ていうか、実際二人しかおらんのですけど。

 魔界の最初は石造りの狭い空間だったし、神綺はその後生まれたから私が最初の存在であったことは間違いないんだけど、けどそのもう一人は神様だから、私よりも偉いと言えば偉い。

 魔界での私の立場を問われると、ちょっと困るのは本当のことであった。

 

「何者か……そうだなぁ、それでもあえて言うなら……私は“偉大な魔法使い”ってことになるのかな」

「偉大な魔法使い、か」

 

 神様は神綺だ。だから私は、魔法使いで良い。

 どうせ私のやっていることは、ほとんどが魔法なのだ。神を名乗ろうとは、さすがにおこがましいというものである。

 

 けど、だからこそ“魔法使い”だけは譲れない。

 世界で一番最初に生まれた魔法使い。それが、私なのだから。

 前世らしい人間だった頃は、ただのドケチな一般人だったとしてもね。

 

「なるほど。答えてくれてありがとう、偉大な魔法使いよ」

「うむうむ」

 

 おお、実際に言われるとすごく嬉しい。本当に偉くなった気分だ。いいなこれ。

 

「じゃあ、この“慧智の書”は返してもらうとして……本当に私に返しても良いの? 別にこっちに置いても良いんだけど」

「構わない。もはや何者がその書物を読もうとも、天界の地位は揺るがないものとなっている。お前に返したいのは、形としてのけじめ……私の望みだ」

「……ふむ」

 

 別に、この智慧の書物自体はもうどこに行ってもいい。

 誰が智慧をつけても大丈夫なようになっている、と。

 

「わかった。なら、この本は魔界の書庫に納めておくよ」

「ああ」

 

 となると、“慧智の書”はお役御免ってことか。

 わざわざ世界を彷徨わせておく意味もないし、いたずらに生き物の命を奪うだけの呪いの道具になっても後味が悪いだけだ。

 役目を終えた本として、魔界に帰ってもらうことにしよう。

 

「……他にいらない本はあるかな? あるなら一緒に魔界へ持って帰るけど」

「……本はあるが、まだ返却はできない。だがライオネル、持ち主であるお前が望むのであれば……」

「ああいやいや、使うなら良い。読んでていいから」

 

 さっさと回収したいわけではないのだ。読んでくれるなら、どうぞ好きなだけ読んでいてほしい。

 

「ライオネル、それについても聞きたいのだが……魔導書は一体何冊存在するのだ」

「ああ、魔導書の数かぁ」

「私は黎明期に天使団を率いて、書物の捜索のために長きにわたって旅を続けてきたが……見つかったものは六冊だった」

「えっ、六冊だけ?」

 

 うそん、もっと集めてるかと思ってた。

 “血”、“涙”、“骸”の三書は別にしても、全部で十冊もあるから、時間さえあればコンプリートできると思うんだけど。

 

「だけ、か……まだまだ、私の知らない脅威は残っているということか……」

 

 メタトロンは純白の羽毛の向こう側で、憂鬱そうな表情を浮かべているのかもしれない。

 彼の声は、疲労感に満ちていた。

 

 

 

 

「……魔界は安全であり、通行しても問題はない場所である、と」

「そう。ここのみんながどう思っているのかは、詳しくは知らないけど……そこまで危ない所でもないから、暇な時は来てみなよ」

 

 私は神殿から見渡せる天界の眩い景色を眺めながら、メタトロンに魔界についての説明を行った。

 これが、私が天界へやってきた第一の目的。魔界へのお誘いである。

 

 せっかく魔界に無数の名所を作ってやったのだ。それには天界の景色に対抗するという意味も強いので、彼らに来てもらわないことには作った意味がないというもの。

 そのためには、まず魔界が安全であるということ。来ても帰れるということ。

 穢れはいるけど、襲われるようなことはないということ。

 いろいろな角度から説明し、メタトロンを説得しにかかっている最中だった。

 

「……考えておこう。一応、興味を持っている連中には、声をかけてみるが」

「おお、ありがとう、ありがとう」

 

 天界のトップであるメタトロンが進んで動いてくれるなら、これほど効果的なことはない。

 一度魔界に来れば、その良さもみんなに伝わるはずだ。

 あとは口コミで広まって、一躍観光名所になったり、それが高じて移民なんかが出てきたり……。

 そう考えるだけで、今から楽しみでしょうがない。

 天界の観光客をお出迎えする曲を、また神綺と一緒に練習しなくちゃいけないな。

 

「あ、それと……」

「まだ何かあるのか」

 

 そうだ、魔界へのお誘いの他にも、聞いておかなくてはならないことがあるんだった。

 

「ヤゴコロ、っていう人は……元気にしてる?」

「……」

 

 私がそれとなく訊ねてみると、メタトロンは翼の動きの一切を止め、沈黙した。

 

「……ライオネルよ」

「う、うん?」

 

 あれ、なんだろう。メタトロンの声が心なしか怖いんだけど。

 

「奴に伝えておけ……“それだから堕天に処したのだ”と」

「……はい」

「全く……」

 

 サリエル、ごめん。なんか、すぐにバレちゃったよ。

 聞いた相手が悪かったのかもしれないね。本当にごめん。

 

「……そうか、サリエルはまだ生きているのか」

「え?」

「一応、伝えてやってもらえるか。“お前よりはずっと立派でいる”とな」

「……なんだか厳しいね?」

「当然だろう」

「まぁ、そうか」

 

 堕天使サリエル。天使長メタトロン。

 両者は袂を別った仲ではあるけれど、サリエルは未だに天界を想っているし、メタトロンもまだ、サリエルのことを気にかけているようだ。

 なら、仲直りでもなんでもして戻ればいいのに……と思うのは、私が他人だからなのだろうか。

 

 ともあれ、訊くことは訊いたし、言うことは言った。

 天界への訪問、これにて完了である。

 

 

 

 ……さて、あとはサリエルだが……。

 

 


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