「ああもうっ」
フランドールは癇癪を起こし、砂のヒヒイロカネに当たり散らした。
ヒヒイロカネは高熱によって赤っぽく光っていたが、多少尖った角の部分に変形が見られるだけで、熔ける様子はない。
ヒヒイロカネ、またの名をオリハルコンの鋳造。それを試そうと思ったのだが、どうにも上手くいかない。
「ただ熔かすだけならできるはずなのに……」
フランドールはここ最近、このヒヒイロカネの加工に執心していた。
目的は赤銅色の箱の素材であるヒヒイロカネを一度溶かして、新たな一個のインゴットとして活用することだ。
彼女の研究している“握手”のエンチャント化には、魔法を封じるための神代の魔法金属が必要不可欠である。
そこで、栞が納められていたヒヒイロカネの小箱を熔かして魔法金属として再利用できないものかと考えたのが始まりだった。
しかしここで問題だったのが、ナハテラによって強固に刻み込まれた小箱そのものの堅牢さである。元々吸血鬼が力尽くでも開封できなかったように、小箱は非常に高い頑丈さを誇っている。開封だけであればフランドールの手によってどうにか叶ったが、これを鋳熔かすとなるとハードルは更に高くなった。
「これ絶対お父様のせいじゃん……再利用させてよ……」
屋敷の古い文献には様々な魔法物質に纏わる書物があり、オリハルコンの記述は少ないながらもそこに掲載されている。
しかし書物に記されている融点と、現物としてある小箱の融点が明らかに合っていない。
温度そのものを更に上げても、魔圧を高めてもほとんど効果は見られない。辛うじて小箱の角に変形が生まれた程度である。どう考えてもナハテラの仕掛けた保存魔法が作用しているに違いなかった。
「……ふう」
しかし、どの道この作業は望み薄なものである。
仮に小箱を完全に熔かし、ナハテラの術式を破壊しまっさらなインゴットに出来たとしても、その程度の量のヒヒイロカネでエンチャント化に耐えうるかが怪しいのだ。
実際にエンチャント化させるには、もっと大容量の魔法金属が必要になる可能性は高い。そもそも分の悪い賭けだったのだ。勝負さえできなかったが。
「落ち着こう。オリハルコンは……一旦止め」
テーブルの上に突っ伏し、気だるそうに息を吐く。
フランドールがベイジとの交流を絶って、数ヶ月が経過している。
こうして一人で研究に勤しむ日々に戻ってきて思うのは、やはり自分は一人での活動に向いているという再確認だろう。
姉のレミリアなどはそんなフランドールを複雑そうに見ていたが、生まれ持った性分はそう簡単には変えられない。
フランドールは今、苦悩しつつも確かに満たされているのだ。
「……やっぱり、直接霊魂に転記すべきか……」
フランドールの中に“握手”をエンチャント化するプランはいくつかあるが、その中で最も現実的なプランのひとつが、自身の霊魂への直接転写である。
これは魔石などを使わず自分の霊魂を依り代とするために材料が必要ないというメリットがある。他にも他者に悪用されない、比較的大容量を扱えるなど、やるだけであれば第一候補に持ってきても良いだけの聞こえが良い要素が揃っている。
だが大きすぎるデメリットとして、霊魂への転写は何が起こるかがわからないという事がある。
この転写は自身の霊魂を大きく歪める行為であり、いわば“自身に新しい能力”を付与するようなものだ。妖魔にとって能力とは、己の存在と切っても切れないものである場合が多い。それと同列に魔法をエンチャントするともなれば、どれほどの苦痛や衝撃が来るかわかったものではない。
いや、単純な痛みであればまだ幸せなのだろう。問題は転写によって魂の形が大きく損なわれ、“そもそも自分自身を保てるか”という話にすらなってくる。
例えば吸血鬼である自分が上書きされて吸血鬼足り得る要素を失った時、果たしてそれはフランドール・スカーレットのままでいられるのだろうか。
転写した瞬間、自分という存在が消え、正体不明の誰かに置き換わる。そんな可能性も、決して低くは無いのである。
デメリットは明らかに大きい。普通はやらない行為だ。事実、ナハテラもそんな真似はしない。
だが、もはや“握手”のエンチャント化には己の霊魂を使う他に手段は無いようにも思えてならなかった。
それは堪え性のないフランドールの焦りが生む性急な結論であったが、彼女自身は冷静に己と向き合うことを苦手としていた。
「……やろうかな」
尋常な方法では通常発動さえままならない大魔法。
それを手中に納めたい。瞬間発動し、己のものにしてしまいたい。
フランドールの中にあるそんな欲望は、日に日に火勢を増し、堪えきれない奔流となりつつあった。
どうせ神代級の魔石なんて大量に手に入ることはない。
ならさっさと実行に移したほうが楽だ。
「よし、やろう」
自分の中で結論を出したら、後は早かった。
フランドールの明晰な頭脳は瞬時に自己エンチャント化のための最適解を導き出そうとする。
「栞の魔法陣の体積が問題だな……平面ならまだしも、立体、それもかなりのサイズだし……転写には大幅に場所を取るのは間違いない」
霊魂学は、魔法とは大きく異る分野だ。
しかし悪魔はその種族そのものが己の魂に“契約の呪い”を持つ特殊な魔族。
ある意味で他の神族のような種族よりも、霊魂に纏わる魔法に関しては詳しかった。
「……私の魂の、どこらへんを捨てようか」
転写には危険が伴う。その危険は主に、己の存在が消える部分にかかっている。
逆に言えば切り捨てを許容できる部分が広くあれば、より上書きの影響を少なく済ませることが可能になる。
フランドールは考える。
自分の魂にとって必要のない部分はどこか。
真っ先に思い浮かぶのは能力だ。フランドールは自身の能力を全く使わない。魔法こそが自分の能力と考えている部分もあるせいだろう。それは大きく削減できるはずだ。
吸血鬼としての性質も煩らわしい部分は多いのだが、ここは削れない。人間が人間であることを至上とするように、吸血鬼が吸血鬼であることを捨てることはできないのだ。なるべく根幹部分には触りたくないのが本音である。
「でも、足りるか……これ……」
だとしても、栞に納められた魔法は巨大すぎる。部分的にはフランドールの根幹部位にまで侵食し、己を蝕むこともあるだろう。
だが元々ハイリスクを承知で挑むエンチャント化だ。フランドールにとっては今更気にすることではなかった。
「挑戦は一度きり、失敗はできない。……設備は整えないと駄目だな。保険もかけておかないと」
それでも万全に。己の持てる技術を注ぎ込み、全力で挑みたい。
ナハテラでも成し得なかった偉業を達成するため、フランドールは本気だった。