東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 吸血鬼フランドールと老魔法使いベイジの交流は日照のない夜間に行われる。

 燭台の仄かな灯りに照らされながらの魔法学習。両者にとって灯りは決して必要なものではなかったが、ベイジが暗視魔法を使わずにやり取りできるという点で便利なものであった。

 もちろん、魔法使いにかかれば照明用の灯りなど問題にもならないことではあるのだが。

 

「属性魔法ね……興味深い。特に火属性、良いね。特に効率が良い気がするわ」

「ほほ。妖魔からの称賛は珍しい。大抵は我々の生む炎など、気にも留められないのだが」

「能力に頼りすぎてる凡愚だとそんなもんでしょ。必要に駆られてなのかもしれないけど、人間はしっかり学んでいるから偉いね」

 

 通常、妖怪は魔法を学ばない。

 妖怪は己の存在力を人からの恐怖などによって賄っているため、己を誇示する“能力”に特に力を置きがちであるためだ。

 その比重は人間の生息圏の拡大に伴い、病的と言っても良いほど偏っていると言っても良い。

 

 その点、フランドールは己の能力にこれっぽっちも執着しておらず、人間の扱う魔法について高く評価する異端だ。

 ベイジも長く生きてはいるが、彼女のような妖魔はほとんどお目にかかったことがない。

 

「でも属性の切り替えを極端にできないのは不満かな。慣れればできるんだろうけど、周りの環境に左右されがちだし」

「そこは宿命というもの。魔法使いならばまず場を整えるべし。水がなければ水辺で、土がなければ野原で。属性魔法はその場に適した術の選択が必要不可欠だからの」

 

 ベイジが燭台の火に指を寄せ、爪の先に炎を灯す。

 火属性を喰らいながら少しずつ火勢を増すそれは、まさに属性魔法のわかりやすい見本のようであった。

 

「しかし、フランドール嬢のエンチャントの使い勝手の良さを思えば歯がゆさもわからないではない。魔法をそのまま保存し咄嗟に起動できる取り回しの良さは、費用はともあれ実に魅力的だ」

「でしょう? いちいち詠唱をする必要もないからね。ゆくゆくは大魔法を魔石に包括して使いたいと思っているのよ」

「ほお、それは夢のある話。しかし大魔法ともなると……なかなか、厳しいだろうなぁ」

「まあね」

 

 二人は既に互いの魔法技術を交換し合い、互いの基礎部分だけ共有できている状態にある。

 既に気は許している。ように見えるだろうが、実際はまだ互いの核心には触れていなかった。

 

 ベイジの方は属性魔法における莫大な火力を持つ大魔法を秘匿しているし、フランドールの方もエンチャントの基礎理論と小型系に絞っていた。

 互いに悪用されれば立場を脅かしかねない魔法秘術だ。相手を隙を突いて殺す予定は無かったが、不用意に腹を見せないのも一つの社交ではあるのだ。

 

 もちろん、フランドールは彼に“握手”の魔法については欠片も教えていないし、匂わせることもしていない。

 出会った当初は超高度魔法のエンチャントのヒントになればとベイジの知識量に期待していた部分もあったのだが、彼との会話を続けていくうちにその期待があまりに過剰であることに気づいてからは、彼とのやり取りで“握手”を持ち出す予定は無くなっている。

 ベイジは優秀な魔法使いだ。それでも尚、“握手”の話はできないのである。

 

 

 

「最近、あの魔法使いに入れ込んでるみたいね。フランドール、いつからそんなに人間が好きになったのかしら」

「……」

 

 フランドールは議論の余地もない的はずれなからかわれ方をされると、無言で面倒くさそうに睨む癖があった。

 

「ゴホン。……三日に一度はあのベイジとかいうやつの元を訪れているそうじゃない。これまで引きこもりっぱなしだった貴女にしては、随分とまめじゃないの?」

「……それだけの価値がある話し合いをしてるだけだよ。お姉さまには魔法のことなんて何もわからないだろうから、面倒くさいし詳しい説明はしないけど」

「回りくどい言い方はやめようか。フラン、あの魔法使いに入れ込むのはやめなさい」

「何故?」

「あの魔法使いは人の世界に愛想を尽かせた世捨て人だなんて言っていたけれど、とんでもない。あれはまだまだ人の世に未練を残した、立派な“人間”だよ」

 

 ベイジがまだ人に執着している。

 ……とは、フランドールから見た限りでは思えなかった。

 とはいえフランドールは自分が人や一般的な妖魔の心の機微に疎い方であることは自覚している。把握できていない常日頃の感情の波は多いだろう。

 だとしても、これまで話していく内に得られたベイジの所感といえば“魔法バカ”という評価は揺るぎないのだが。

 

「きっとフランといる時はボロを出していないだけなんでしょう。けどね、他の時間帯ではなかなか無様なものよ」

「見てきたかのような言い方をするね」

「もちろん見てきたのよ。曇天の時に、日除け布を被ってまでね」

 

 レミリアは歯を出して笑っている。

 最近見ることのなかった、“自分しか知らないことを武器に勝ち誇っている表情”だった。

 

「ベイジは日中、森の外で人と会っている。ギリギリ私の支配権の外だけど……そこで、戦に追われた難民たちに施しを与えているみたいなの」

「……はぁ、あの魔法使いが? 施し?」

 

 フランドールの中でベイジといえば、厳格というか、無機質な魔法使いであった。

 話すことはほぼ魔法。己の楽しみも生き方も、全ては魔法に帰結する。……そう考えているに違いないと、フランドールは見立てていたのだ。

 

 それが人間の難民に施しをするとなれば、人物像はひっくり返る。

 レミリアの見聞きしたものが信じられないわけではなかったが、フランドールはそんなベイジの姿を想像できなかった。

 あくまで彼を“自分の同類”だと考えていたが故に。

 

「ふーん……で、どうするの? 人間に与するとなると不都合があるでしょ」

「ええもちろん。こちらとしても人間にのびのびと暮らされたら周辺地域に示しがつかないからね。それをうちの領内に棲むヤツが養っているともなれば、まあ。無視するわけにはいかないものだ」

 

 吸血鬼は人間に敵対する種族だ。

 その敵対関係によって己の存在力を確立している部分も大きい。今回の件がそんな部分に干渉するのは間違いない。

 フランドールとしても、無意味に己の力が削がれることは歓迎できなかった。

 

「でもフラン、貴女はベイジと仲がいい。だからどうしたものかと思ってね」

「へえ、私に遠慮してるの、お姉さま」

「私は魔法のことに関しては何もわからないからね。始末していいならさっさとするけど、駄目かどうかフランの話を聞いてからにしようと思っていたのよ」

「私の判断待ちだったんだ? じゃあね、答えは……まぁ当たり前だけど」

 

 フランドールは読んでいた本を閉じた。

 

「ベイジは邪魔だから、消えてもらおうよ」

「……随分あっさり決断するのね」

「まあね。よく意見交換はするけど、それだけだし」

 

 フランドールに友人はいない。

 家族と呼べる存在に対しても強い愛着はない。

 ただ彼女の内にあるものは論理的な打算。他者との関わりはその累積を評価するものでしかなかった。

 

 だからフランドールにとって数ヶ月話し込んでいたベイジも同じ。

 魔法の話をするだけの存在。

 居なくなったほうがいいのであれば、居なくしてやったほうが良い。それだけの存在なのである。

 

「……吸血鬼らしい決断よ。素晴らしいわ」

 

 妖怪としては模範的だ。

 しかしレミリアにとって、そんなフランドールの気質は悩みのタネでもある。

 

 姉としては、もっと他者との関わりに価値を感じてもらいたいところであるのだが。

 

「んー、でもあいつを殺すのはお姉さまでも難しいと思う。もし殺すのなら、私がやってあげようか?」

「……貴女に殺せるの? フラン」

「いや向こうの手の内はだいたいわかってるし。私が負けるわけないでしょ。あ、けどベイジが“邪魔じゃ無さそう”だったら殺さないでそのまま生かしておくからね。この前出された宿題、答え聞かなきゃわからないんだ。自分でやってたら無駄に時間かけちゃいそうだし」

 

 情報はある程度吸い上げた。だから今はもう価値が低い。

 フランドールの中で、他者の価値は常に変動しつつある。

 

 もしも無価値でリスクだけをもたらす存在が目の前にいたならば、フランドールはそれを躊躇なく踏み潰してみせるだろう。

 

 その精神性だけは、レミリアが認めるほどに悪魔的であった。

 


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