後ろ盾のない者は襲われる。
これは世界の真理である。
人権宣言も何も人権という言葉すら無い時代だ。
“なにか持ってそうな独りのよそ者”というだけでカモに見えてしまうのも無理はないのかもしれないが、襲われる側としてはあまり良いものではない。
こんな中でルイズやアリスは旅をしていたというのだから凄いものだ。
そしてこの世相を嫌って魔都に一時逗留するという決断をするのも無理もないことだと思う。
「魔法使いメルラン。あるいはマーリンの居場所が知りたいんだ」
「し、知らない……」
こうして普通の村人から普通の盗賊にジョブチェンジした人たちに対して魔法でお尋ねするのも何度目かわかったものではない。
やはりもう少し都会に出なければ意味もないか。
「“浮遊”、“航行”」
聞き込み場所が駄目とわかれば速やかに移動だ。
尋ねて飛んでの繰り返しである。中にはマーリンの逸話だけ知っているという者もいたが、居場所までは知らないしほぼ偉人か空想上の存在だと思われているフシがある。
それもこれも、このご時世では既に魔法というものが人の身近な部分から離れつつあることが原因だ。
異端審問と魔女狩り。そんな世相ともなれば誰もが魔法について触れたがらないのも当然と言えるだろう。
現実、ある程度熟練した魔法使いならともかく、まだまだ魔力を知覚しただけの見習い魔法使い程度では世間の弾圧に耐えることなど不可能だ。
そうして人々の中から魔法は忘れ去られ、錆びついてゆく。
魔法使いへの迫害には、そんな狙いもあるのかもしれない。
優秀過ぎる個を潰し、平均的な民によって組織を運営する。そんな方向に社会が動くことも、まあわからないでもないが。
自浄作用を起こそうとして収拾がつかなくなっているように見えるのは気のせいではないだろう。
「ああ、多分ここだな」
上空を軽く亜音速で飛んでいると、地上に奇妙な建築群を発見した。
一見すると実用性の薄い、花壇を掲げただけの小さな石塔だ。高さは一般的な家屋の二階分くらいはあるだろうか。太さは二メートルほどの円筒状だ。
異色なのは、その頂点に大輪の花が幾つも咲いていることだろうか。
石塔を幹とするならば、花は枝葉のように四方に咲き乱れ、白や桃色の花弁をそよ風に揺らしている。
花の種類はわからない。だが魔法によって調整された品種であろうことは間違いないだろう。
その石塔の花から滲み出る魔力は、どう見ても強い呪いがかけられているようだったから。
「効果は催眠か。随分と広範囲だ」
石塔の花から溢れる甘い香りは風に乗り、遠くまで流れている。
暗示の効果は“香りから遠くへ離れろ”といったところか。香りの薄い場所ではまず認識能力が削られ、香りが強くなる場所に踏み込めば一気に強い暗示がかかり、元いた場所へと返されるようだ。
上空から見ていると、そういった暗示によって道を引き返している虚ろな表情の人間がちらほらといる。
驚くべきは石塔の花の数だろう。
上から見渡す限り、およそ五十メートルほどの間隔で一本が建てられており、そこから溢れる呪いの香りといえばもう凄まじいことになっている。
一本でも十分な人避けの仕掛けが、何重にも構えられ人を拒む。
かなり高空を飛んでいる私にまで香りは届いているのだから、その徹底した人嫌いといったら生半可なものではない。呪いもこの強度であれば妖魔の類にも作用するだろう。
だが人は嫌いでも、相手はできるだけ生かして返してやろうとする程度には、良心もあるということか。
「メルラン。自分だけの理想郷を作るつもりかい」
“眺望遠”で遠くを見渡せば、遥か向こう側にはぽっかりと石塔群のない空間が存在する。
町がまるまる一つ入りそうなほど広大な土地。
そこは実際に町であり、いや、むしろ国でさえあるのだろう。
城と、小山と、川と、田畑と、滝と、池と、集落と……。
花の石塔によって周囲から隔絶されたそこは、メルランが自身で生み出した一つのビオトープなのかもしれない。
ともすればそれは日本にある幻想郷に近いものだったのかもしれないが……。
「……作ることは、できなかったのか」
遠目から見ても、その人造の国には人っ子一人いないようであった。
町並みは美しく、その技術水準は見るからにこの時代のものを上回っているように見えた。
もちろん現代的な町というわけではないが、目に見える古びた看板であったり、煉瓦であったり、水車であったり、石畳であったり。そういった細々とした部分から見える技術が、明らに今よりも上だったのだ。
それでもこの町に人はいない。
護岸整備された川辺にも。石レンガで組まれた三階建ての建物が密集する都会らしき場所にも。
見事な水量を見せる噴水の広場にも。
小山の上に立つ城の、その豪奢な城門の前にも、警備の姿は見えなかった。
「静かな国だ。……ああ、どこか懐かしいな」
だがここは、かつて人が暮らしていたのだろう。
今でこそ無人の国であったが、畑だったものの後にはいくらかの麦だったものの面影があるし、様々な場所に生活感の名残は感じられる。
ここにはかつて人がいたのだ。そして、ここからは人がいなくなったのだ。
誰も守らない城門を潜り、僅かに埃被った廊下を進む。
途中で緩慢な動きで起動し始めた警備ゴーレムには優しく不活性化の魔法によって沈黙させ、城の最奥へと向かう。
この国で未だに強い魔力が存在する場所。
地脈から魔力を集め、それによって魔法機関を動かし……きっと、何らかの研究を行っているであろう魔法使いのいる場所へと、進んでゆく。
私は人の気配のする部屋の前に立ち、扉をノックした。
「ああ……どうぞ」
気だるそうな女性の声が聞こえた。
「そう。貴方が来たの。フフッ……まだ誰からも言われてないでしょうから、言っておかなければならないでしょうね? ……ようこそ。この世で最も素晴らしい国、アヴァロンへ……フフフッ……」
部屋の中にいたのは、メルランであった。
以前のように自嘲と皮肉を込めた笑みを浮かべる、幼い白髪の少女。
しかし今の彼女はかつて見た時よりもずっとやつれ、弱々しくなっている。
「……座れば。お茶くらいは出してあげましょう」
「ありがとう」
ラボには他に誰もいない。
いや、彼女が言うところのこの国“アヴァロン”には、きっと彼女しかいないようであった。