エンデヴィナで戦闘が繰り広げられている。
一人は靈威。博麗神社の巫女。
もう一人はエリス。サリエルの部下である。なかなか優秀な悪魔だが、靈威の繰り出す陰陽玉を前にやや苦戦している模様。
私は空中に振りまいた靄にその光景を映しつつ、手元の小さな歯車にヤスリをかけている。
好きな物は主に魔道具な私であるが、こうした機械細工だって嫌いなわけではない。もちろん電子的な精密機器も。多少は。
だが、こと精密機器に関しては急ぐ必要はない。
私がたった一人分の頭を創意工夫に費やして努力せずとも、人類は勝手に0と1の細工物に凝り始めるのだから。
あるいは私が今こうして手ヤスリをかけている歯車でさえ、完全な上位互換を量産することさえ成し遂げてしまえるだろう。
それこそが人類という群れの強さであり恐ろしさ。
だが、今エンデヴィナで戦っている靈威の強さはまた違う。
時に術を、時に体術を繰り出す彼女は、人の道の果てにある強さを手にしたわけではない。彼女が持つ人間としての強みなど、あくまで先天的な霊力くらいのものだろう。
それ以外は人類が顧みることのない魔の道に由来するものばかり。やがて千年もすれば忘れられ、無意識のうちに切り捨てられるであろう可能性だ。
靈威はその道を突き進んでいるのだ。
やがて途絶える人の道を。
「幻想郷では、彼女のような存在が生きてゆけるのだろうか」
幻想郷。八雲紫ほか賢者たちによって創造されつつある、半異界の郷。
そこでは無数の妖魔と人が暮らしている。
取り囲む結界の完成予想図と、八雲紫が取りなしている“バランス”。
そこから導き出される答えは、幻想郷がひとつの箱庭となりつつあるという事実。
今はまだ局所的に妖魔と退魔の入り乱れる激戦区でしかないが、これが調停され隔離されればどうなるか。そう思い描いてみると、幻想郷という名は実にピッタリだ。
ふーむ……幻想郷、幻想郷ね……。
……是非とも魔法使いたちにも入植してほしいものだ。
むしろ人間が全員魔法使いになっても良いのではないか?
今度幻想郷の賢者一同に意見書でも送ってみようか。ふむふむ……。
『人が悪役を担っている間に、お前は覗き見か』
「おや」
私が妄想を膨らませていると、すぐ側に青い手鏡が舞い降りてきた。
翼の生えた青い手鏡。サリエルの分身体のひとつであり、連絡役に特化したものである。
「幽玄魔眼は撃破されたようだね。闘いは見ていたよ」
『不甲斐ないと言ってくれるな。これでも私は油断せずに相手をしたのだ』
「もちろんわかっているよ。讃えるべきは靈威だね」
『……あれが、たった十数年ばかり生きただけの人間なのか』
「驚いたかい。サリエルはあまり人間に関わってこなかっただろう。今からでも遅くはない。関わってみるのも、そう悪くはないと思うよ」
靄の中の映像では、鬼気迫る表情の靈威がエリスを追い詰めつつある。
もちろんエリスだって素人ではない。悪魔の中では上位に君臨する存在だし、魔法知識においては大会で好成績を残せるほどですらある。
『……エリスも弱くないはずだが、相性が悪い』
「うむ。こうして見ると、霊力も馬鹿にしたものではないなぁ。苦労して構築した術がああも雑に砕かれるのを見ると、同じ魔法使いとしては遣る瀬無くなってしまう」
『何より恐るべしは、近接戦闘だな。人間だからと下に見れば、霊力を込めた一撃を差し込まれる。これでは全く心が休まらん』
「人間の霊力は神族や魔族にとっては致命的だからね。一発でも貰えばなかなか痛いだろう」
雑な言い方をすれば、霊力とは“めちゃくちゃ強い無属性攻撃”のようなものだ。
人間特有の信仰や迷信が神族と魔族に強く影響するように、人間の放つ霊力は彼らの特効ともなり得るのだ。
靈威が近接戦を習ったのは紅の影響がほとんどだろう。その紅も、自分にできることを教えたまでであろうし、靈威にとって一番のものを与えたつもりはないはず。
しかし結果としてその指導は最善であった。
術は相手の攻撃に対する壁や牽制に留め、火力を己の体術と陰陽玉に偏重させる。これこそ最も理想的な人間巫女としての戦闘スタイルに違いない。
「話してみてどうだった? 靈威は」
『……真面目な子供だったよ。偏屈で、頑固で。幼い、普通の子だ』
「そうか。それは良かった」
『偏屈で頑固だが?』
「人間、そのくらい自分があったほうが良いものさ。何もないよりはずっと魅力的だよ」
少なくとも、紅が私にしていた子育て相談のいくつかは解決を見たのかも知れぬ。
あるいは、この魔界行脚の中で靈威自身が成長したのか。
「おっと、サリエル。どうやら決着の時が来たようだ」
『……やれやれ』
映像の中で、エリスはいよいよ攻め手を失った。
術による攻撃が陰陽玉に防がれ、何度も繰り出される接近戦により傷を負い、ステッキさえ破壊されてしまった。
そうしてエリスが取った最後の手段が、小さなコウモリとなって避けに徹する遅滞戦法である。
人間相手なら一発でも魔弾を浴びせることができればいいと攻撃の出力は絞りつつ、高機動なコウモリとして縦横無尽に飛び回るという、実に悪魔らしい狡っ辛い戦法だ。これにはさすがのサリエルも苦笑い。
だが靈威だって負けてはいない。
というより、日常的にはそういった半動物形態の妖怪と切った張ったをしている経験が多い彼女にとって、コウモリの姿で逃げられても大した苦労にはならなかったようである。
靈威は陰陽玉を蹴っ飛ばして見事エリスを撃墜し、人形態に戻ったところを大幣でしばいて決着と相成った。
「いやぁ、まさかエリスをノーミスで突破するとは思わなんだ」
『……今一度、エリスを叩き直してやらなければならんようだな』
「ははは。まあ、私のわがままにつきあってもらったようなものだから。お手柔らかにしてあげてね」
『わかっているさ』
手鏡の奥から準備するような衣擦れの音が聞こえる。
どうやらサリエルの本体が動き出すようだ。
「さて。これからまたサリエルの出番だね」
『ああ。……堕ちたる神殿で客人を出迎えるなど、滅多に無いことだ』
「程々に手加減しつつ、全力で迎え撃ってあげておくれ」
『難しい注文だな』
サリエルは笑っている。気が進まないというわけではなさそうだ。
『せいぜい、教えてくるとするよ。神族の力がどれほどのものかということを。魔界土産にな』