東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 ある朝のことであった。

 

「うわー! 靈威! 大変なことになったわ!」

 

 スパパパパーンと襖が開け放たれ、紅がそう叫んだのであった。

 およそ夜明け前のことである。

 

「こ、紅さん……大変とは、何事ですか……?」

 

 寝起きでまだ瞼も重かった靈威だが、突然の大声に眠気も吹き飛んでしまった。

 いつも冷静沈着な紅が声を張り上げること自体珍しい。ただならぬ予感を覚えるのも無理はない。

 

「魔界が……あーそうじゃなくて! あれ! 拝殿の前に来なさい! それと身支度を整えてくるように! 大変なことになったからね!」

 

 紅はどこかちぐはぐな物言いを一方的に吐き出すと、そのまま走り去ってしまった。

 大変なことになった割に身支度は整えろという。奇妙な言動だが靈威はひとまず疑問を先送りにして、言いつけ通りに常の身支度から始めることにした。

 

 

 

「お待たせしました」

「あ、きた。……良く来てくれたわ!」

 

 靈威がそこそこ急いで巫女の支度を整えて拝殿前にやってくると、そこには武術の型を確認していたらしい紅が思いの外暇そうに待っていた。

 彼女の前には一枚の木製の看板が立てかけられている。地面は石畳のままであったので、靈威は一瞬その立て看板が石畳を貫いていたのかと驚きかけたが、よく見れば支柱は石の上に乗っているだけらしい。奇妙なバランスで看板だけがその場に直立しているのだった。

 

「紅さん、この看板は一体……?」

「よくぞ聞いてくれました……靈威、これは異変です! あ、違う……えっと……そうだ。靈威! 看板を読んでみなさい!」

「は、はあ」

 

 靈威は様子のおかしい紅が気にかかったが、言われるがままに看板を読んでみた。

 そこには非常に整った文字でこう書かれている。

 

 “博麗の巫女よ。この立て看板は決して動かすことの叶わぬ呪われし立て看板である。この立て看板の呪いを解呪したければ鍾乳洞の奥深くにあるゲートを潜り、魔界へと来るが良い。待ち構える数多くの苦難を乗り越え、この私、死の天使サリエルを倒せたならば看板を撤去してやろう。”

 

 どうやらそれは犯行声明文のようなものであるらしかった。

 立て看板がどかせなくなる呪い。靈威は総明な頭脳でその脅威をじっくりと考えてみたが、答えが出ない。邪魔と言えば邪魔だが、脅威かと言われると微妙なところである。

 

「ああ! 大変なことになりましたね靈威!」

「えっ!? あ、はい……? そう……ですね……?」

「この博麗神社の拝殿前にこのような立て看板が立ち尽くしたままでは邪魔なことこの上ありません! 困りましたね靈威!」

「……本当にどかせないのでしょうか……」

 

 靈威はためしに看板の支柱を持ってみた。

 動かない。びくともしない。霊力を込めて引き抜こうとも、まるで石畳より遥か下の大地と深く接続されているかのような、不動の手応えがあるばかりであった。

 

「せッ!」

「うわっ」

 

 ならば霊力を込めた蹴撃をと繰り出してみれば、看板は一瞬だけ砕け散ったものの、すぐさま時間を巻き戻したかのように綺麗な状態へと回帰する。

 

「……これなら!」

 

 次に陰陽玉を投げてぶつけてみたが、これも効果はない。

 看板にはよほど強力な呪いがかけてあるのだろう。とても、ただ突っ立っているだけの嫌がらせじみた真似に使うような呪いではない。

 

 それから数分ほど靈威は試行錯誤を重ねたが、立て看板には少しの変化も及ぼせなかった。

 

「……本当に、撤去できないんですね……」

「靈威、これは異変です!」

「はい、異変ですね……」

「魔界がこの博麗神社に、ひいては巫女である貴女に挑戦状を叩きつけてきたのです! 靈威、覚悟なさい。貴女はこれから、魔界で待ち構えている恐ろしく強力な魔族や神族たちと闘うことになるのですから……」

「……あの、紅さん。なんだか紅さん、今日は朝から様子がおかしくないでしょうか……?」

「待って、最後まで言わせて。……ここの裏山の鍾乳洞には、ゲートと呼ばれる異界への扉が存在します。貴女の敵はゲートをくぐり抜けた先に存在するでしょう……」

 

 紅は時折自分の手のひらをチラチラ見ながら喋っていた。

 

「もはや村の妖怪退治にかまけている場合ではありません! さあ行きなさい靈威! 幻想郷の未来を守るためにっ……!」

「……」

「……わかった?」

「え……あ……はい。……つまり、その鍾乳洞から魔界という場所へ行けばいいのですか?」

「そうよ」

「……わかりました」

 

 まるでTRPGの導入でもしているかの如くトントン拍子に話が進み、靈威の目的が決まった。

 

 敵は魔界の奥に潜む死の天使サリエル。

 ただ看板が邪魔なのでどけてもらうだけのことではあるのだが、実際に自分ではどうしようもできないくらいには邪魔なのも事実なので、いまいち危機感のない異変ではあるものの、靈威は魔界へ赴く決心を固めた。

 

「けど靈威。向こうに行っても決して礼儀だけは失することのないように」

「え?」

「あとお腹が空いたり体力に限界を覚えたらすぐに引き返して帰ってきなさいね。特に夕餉の時間までには戻らないと駄目よ」

「……でも異変が……」

「それはそれです。今回の異変は……そう、じっくりと腰を据えて挑むべきなのです。それほど大変なのですから」

「は、はあ……わかりました……」

 

 こうして、幻想郷には特に大きな影響の出ない異変が始まった。

 

 後に、現世への侵略を企てる魔界と博麗の巫女の長きに渡る死闘として語り継がれることになるとかならないとか。

 

 

 

 

「紅、何よあのカスみたいな演技」

「駄目でしたか隠岐奈」

「私の中の芸事を司る部分があとほんの少しだけでも大きかったら怒りで憤死してたかもしれないわ」

「ふーむ?」

 


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