「人里の巫女が侵入した!」
「奴を止めろ!」
風を切る音が聞こえる。
私自身も森の中を駆けているのでそのせいもあるだろうが、こちらを追い立てる妖怪たちの速度によるものが大きいか。
「博麗神社の妖怪巫女よ! これより先に何用か!?」
流れる景色の中、茂みの向こうから声が響く。
こちらの速度に合わせた問いかけ。速い。
「人間を拾いにきた!」
「それは許されぬ! ここは我らの領分! 踏み込んだ人間たちは我らのものだ!」
「里の人間が少ないのよ! 悪いけどこちらで貰っていくわ!」
「人に与する愚か者がッ!」
会話が途切れ、黒い翼を生やした天狗が現れる。
鴉天狗。空を素早く駆け回る、非常に強い妖怪なのだとか。
確かに速度は厄介だ。こちらが手数で勝てるかどうかは怪しいほど。今も既に懐に入られ、鉄笏が胴を打ち据えようと振られている。
それでも負ける気はしない。
「“硬功”」
「ぐっ……!?」
気を一箇所に集め、肉体を堅める。それだけで鉄笏の一撃は硬質な音と共に停止した。
今相手が殴りつけた場所はどんな攻撃をも受け止める。向こうの手には鉄塊を殴りつけたような鈍い痛みが走っていることだろう。
「数人もらうだけよ! 悪く思わないで……ねッ!」
「ぐおっ!?」
襟元を掴み、移動速度を乗せたそのままに投げ放つ。
大樹の幹に叩きつけられた天狗はそのまま気を失い、私の後方で伸びたまま視界から失せていった。
「おのれ妖怪巫女!」
「里周りだけで大人しくしていればいいものを!」
しかし次から次へと新手が湧き出てくる。
私はそれを氣を用いて叩き落とし、時に殴り倒した。何体も何体も返り討ちにして、そのまま目的の場所へと走ってゆく。
終着点はわかっている。遠目の空に鴉天狗たちが旋回している場所が見えていた。
鳥は獲物を見下ろし旋回する。その中心こそが獲物の居場所だ。なんともわかりやすい。
「腑抜けの鴉天狗どもが! 寂れた村の巫女一人になんたる体たらくよ!」
「!」
十体ほどの鴉天狗を打ち払い、そろそろ難民がいると思しき場所まで来た辺りで、私の目の前に巨体の影が立ちはだかった。
筋骨隆々の大男だ。赤熱した肌には血管が浮かび、蒸気が見える。
なによりも特徴的なのは、怒りに満ちた凄みのある形相に、高く長く伸びた大きな鼻。
聞いたことがある。あの特徴ばかりの顔は間違えるはずもない。
「鼻高天狗か」
「いかにも我は鼻高天狗! 名乗りはいらぬ! 貴様のような木っ端巫女には名乗る必要もない!」
鼻高天狗は鉄下駄を履いた脚を大きく後ろに振りかぶった。
「ただ“天狗”その二文字の畏怖を体に刻め!」
「む」
疾い。真横を抜けようとした私の脇腹目掛け、身を捩った鼻高天狗の蹴りが迫る。
「ほう!?」
回避はできなかった。蹴りはまともに命中し、私は三本の若木を巻き込みながら吹き飛ばされてしまった。
それでも傷を負わなかったのは、硬功による防御が間に合ったからである。
「今ので破裂せんとはなんとも頑丈な蹴鞠だな! よもやそれが博麗の陰陽玉の力か!?」
「……声がうるさい」
木くずを払い除け、立ち上がる。
そのまま瞬時に通り抜けようとしたが、鼻高天狗は小回りがきくのか、道を封じるように位置取りを変えている。
出し抜くのは難しいか。……天狗連中は皆恐ろしいほど素早いな。村に攻め入ったら抵抗する間もなく全員殺されてしまうだろう。
「博麗の妖怪巫女よ! 早々に立ち去れィ!」
「断る」
「今の蹴りは温情だったとわからんのか?」
もたついている間に、私の周囲は鴉天狗たちによって固められていた。
こちらを警戒してか距離はある。しかし四方八方を塞がれ、どこへ行くにも何手かは要するだろう。その間に袋叩きされるのは目に見えている。
「たわけが。巫女が特別扱いされているからと、我らが手を下さぬとでも高をくくっているのか。なんという傲慢。その鼻をへし折ってやる」
「折れそうなのは貴方の鼻でしょ……」
「至天金剛棒。この一撃を先程の蹴りと同じにすると、痛い目を見るぞ」
鼻高天狗は背中から金属の塊とも言うべき長棒を取り出し、構えた。
棘も刃もない純粋な棒。しかしそれだけに頑強な造りだ。確かにあれで殴られるのは恐ろしい。
「投降しなさい!」
「諦めて立ち去れ! 妖怪巫女!」
「さっきはよくもやってくれたな……!」
状況は悪そうだ。少なくとも良くはない。
取り囲んだ雑兵たちもうるさく罵倒してくる。
「我ら山の妖怪にも幾つか面倒な掟を押し付けられている。里にいる人間を食ってはならぬと言いつけられているが、巫女もそうだとは言われていない」
「私を食うと?」
「食ってやろう! 挽肉にしてな!」
鉄棒が振り下ろされ、頭に叩きつけられる。
大地がひび割れ、身体は膝まで陥没する。
「ぬ、ぅ……!?」
けどそれだけ。鉄棒は私の頭を叩いたが、割ることはなかった。
硬功も一瞬、一点にくるとわかっていればその硬度は飛躍的に増す。
頭から足元までの線を意識して硬質化すれば、身体が潰れることもない。
……あ、でも駄目だ。ちょっと痛い。額から血が流れてきた……少し調子に乗りすぎてしまった。
「なぜ、これは陰陽玉の力では……!」
「陰陽玉の力などではない。これは魔族たる私自身の力」
私は塔の番人の化身。竜の末裔。この程度でやられるようでは、魔族で満ちた古代の世界を生き残ってはこれなかった。
ああ、でも不甲斐ない。それでも今の私は錆付き、鈍っている。
思い出さなければ。骨を運び、守っていたあの時の本能を。
「そこをどけ。食われたいのか」
目より放つ。竜の氣を。
「ひっ」
「うわっ」
鼻高天狗は一瞬だけ身を竦めた。
それよりも顕著なのは周囲を取り巻いている鴉天狗たちで、彼女らは一様に戦意を失ったように武器を取り落している。
白狼天狗はその様子に戸惑っていた。
「貴様……ただの妖怪では……ないな……!?」
種族による差はある。しかし威圧は誰に対しても有効だった。鼻高天狗も動けずにいるらしい。
良かった。これが効くならば話が早い。
「名乗ってあげる。私の名は
「ああ……ああ、覚えてやろう……! そして次相まみえた時は決して許さぬ……! 我が名は、」
「貴方の名前はどうでもいい」
氣を纏わせた拳が鼻高天狗の顔を打ち据え、吹っ飛ばす。
殴った感触からして鼻を折ったであろう彼は何度か岩地を転げ回ると、そのまま伸びて動かなくなった。
「これでおあいこにしてあげる」
さっきの一発は痛かった。これはその御礼だ。
「さあ、どきなさい。それとも殴られたいのか、道案内をしたいのか」
鼻高天狗はそこそこ立場が上の天狗だったのか、周りの天狗らが一斉に襲いかかってくる様子もない。
じりじりと距離を取って様子見をしているだけだ。速さでは敵わないのでできれば退いてほしいんだけど……。
「……はぁ、わかりましたよ。これ以上我々が血を流しては沽券に関わります。道案内しますので、大人しくしていてもらえますか?」
しばらくの沈黙の後、一人の鴉天狗の女が木の枝から舞い降り、こちらに歩み寄ってきた。
手には葉団扇が握られている。妖術を得意とする鴉天狗だろうか。
「そう警戒しないでくださいよ。向こうにいる人間を引き渡すにしても、そのまま行ったらどうせまた揉め事が起こるでしょう? 私が渡りをつけてあげますから、これ以上暴れるのはよしてください」
「ちょ、ちょっと
「上らしい上がやられてるんだからこっちで判断するしかないでしょ。私に任せなさい。……それで、どうします? 紅さんでしたっけ。ひとまずはそれで良いですか?」
「はい。揉め事にならないのであれば、それで」
「助かります。じゃ、こちらへどうぞ。……他の皆は、周囲の警戒を頼みます。介抱も。いいわね?」
話が穏便に、早く済むのであればそれが一番だ。
私は警戒はしつつも、構えを解いて鴉天狗の彼女の案内に従うことにした。