東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 巫女の朝は早い。

 いや違う。朝も夜も無い。

 

 この里は既に滅びに片足を突っ込んでいる。

 力ある男や退魔師とやらはほとんどが死に絶え、周囲は人間よりも強く、人間を糧とする妖魔の生息地である。

 

 ……ならば土地を棄てて逃げるべきではないのか。

 そう問いかけもしたのだが、不思議なことに人々は皆顔を横に振る。

 

 我々には、他に居場所は無いのだという。

 

 ……頑なな人たちである。

 

 私も他人のことを言えたものではないけどね。

 

 

 

 幸い、里を取り囲む妖魔らは現状、奇妙な小康状態にあるらしい。

 なので私が巫女に赴任してからといえば、襲いかかってくるのは漏れ出したようにやってくる弱小の妖魔のみ。

 野犬であったり、烏や鼠、貂であったり。動物から魔に変じたものが多かった。

 

「せいッ」

 

 顎を蹴り上げられた痩せた犬が、血反吐を撒き散らしながら宙を飛ぶ。

 既に正気を失った魔獣であったが、その血は赤く、確かに動物の頃の名残を残しているようだった。

 

「すごい……」

「ありがとうございます、紅さま」

 

 その犬は村の周辺に出没していたはぐれ妖魔で、野良仕事をこなしている人間たちを遠目に窺うことが多かったのだという。

 しかし日に日に犬の距離は縮まり、ついに人間たちが弱い獲物だと判断したのか、昨夜は民家に押し入ろうと鎧戸に体当たりをするなど、凶暴性を発露した。

 襲撃は朝には止んだ。幸いにして家を堅く戸締まりしていた家族らに怪我はなかったが、眠れぬ夜を過ごしたことは言うまでもない。

 

 今の私は、その妖魔を倒したところである。

 

「他に気配もありませんし、一体だけだったのでしょう。さ、仕事は終わりです。二人とも、家に戻りなさい。まだ明るいのだから、仕事があるのでしょう」

「はい……」

「どうお礼したらいいものか……」

「巫女の務めを果たしているだけですよ。さ、あなたがたも帰って仕事に励みなさい。中天にぼんやりしていられるほど人間は逞しいのですか」

 

 そう言って急かしてやると、彼らは慌てて自分たちの仕事場に戻っていった。

 

 ……彼らがわざわざ討伐に同行したのは、退魔の技術を学びたいという考えがあったのだという。

 しかし私は退魔のなんたるかなど知らないし、そもそも陰陽玉も必要ない。使い慣れた四肢さえあれば、弱小の妖魔を倒すなど造作も無いことだ。

 巫女らしいやり方ではないのだろうが、人を害する妖魔を退けることが務めならばこれでも構わないのだろう。

 

「しかし、随分と派手に動かれていらっしゃる。あまり強い力で人に肩入れしすぎても、均衡を崩すきっかけにもなり得ますぞ」

「おや」

 

 近くの小川から、嗄れた声が聞こえてきた。

 ずるずると浅瀬より這い出てきたのは、一匹の大きな亀。

 それは年老いた海亀のようだったが、どこか温和な表情と、何よりも人の言語を解する知性からして、ただの亀ではないようだ。

 

「はじめまして、新たなる博麗の巫女様。儂は玄爺と呼ばれている者です」

「ええ、どうもはじめまして。私は紅。巫女……らしいですね。実感はそれほどないのですが」

「ほっほっほ、なにを仰る。昼夜を問わず村を守っておられる貴女は、かつてこの地にいた退魔師の誰よりも精力的ですぞ」

 

 玄爺と名乗る亀は優しげな目で私を見つめている。

 

「……ふうむ。貴女は儂を警戒せんのですな」

「ええ、まあ。私にとっては里の人間よりもあなたの方が近い存在ですからね。何よりも、母に対する僅かな敬愛の心も感じられますし」

「……なるほど。さすがは巫女様。人ならざる者であっても、その素質ありと認められるだけのことはある」

 

 玄爺は何かに納得するように目を細め、微笑むような顔を作った。

 

 

 

 里に帰る道すがら、玄爺はふわふわと宙に浮きながら私についてきた。

 いつもは神社の近くにある池でひっそりと暮らしているらしく、時々川や沢まで足を運んでいるのだとか。

 

「普段はそう動くこともないのですが……村の状況も、芳しいものではありませぬ故。見回りの意味もあり、近頃は頻繁に動いておるのです。水辺は特に、人には御しきれぬ強い妖怪に溢れておりますから」

「里に居着いて、長いのですね」

「ええそれはもう。とはいえ、村もそう長い歴史のあるものでもありませんが……その中でも今は、特に危うい。近辺に出没する妖怪達の均衡が保たれているのは奇跡のようです」

 

 この玄爺は人間に肩入れする仙亀と呼ばれる種族なのだとか。

 私の勘でしかないけれど、きっと彼は信用できる相手だろう。

 

「巫女様。先程も言いましたが、この村を囲む妖怪たちの勢力は今、危うい均衡の下に成り立っています。それはきっと、妖怪を取り纏める立場の者たちの思惑でもあるのでしょう」

「人間を襲わないことが、妖怪達の思惑……ですか」

「ええ。村の退魔師の多くが死んだ後のことですが……荒くれ者の妖怪たちが大勢集められました。儂は妖怪たちがついに動き出すのかと思ったのですが、どうやら連中は弱りきった村に攻め入るのではなく、逆にその隙を突いてなのか、別の場所に攻め込んだようでして……どうやらそこでこっぴどい返り討ちに遭ったのだとか」

 

 それだけ聞くと間抜けに聞こえるのですが……。

 

「それをきっかけに、勢力図は大きく変わりました。荒くれ者は鎮まり、今は理性ある穏健派が台頭している。すげ替えられた頭や手足は多く、それぞれの方針も様変わりしたようなのです。まるで妖怪たちはそのために、無謀な争いに挑んだかのように」

「つまり玄爺は、今の状態が人間たちにとって都合が良いのだから、荒らし回るべきではないと。そう言いたいのですか」

「ええ。何者かの掌の上で踊るようで、心地の良い平穏とは言えませぬが」

「そうですか。私は、そんな平穏も良いと思いますけどね」

「ほう?」

 

 作られた平穏。操作された勢力図。

 それが上手く回っているのならば、何よりではないか。

 

 まあ、それが神の手によるものではなく、他の何者かの主導であるという一点が、好みじゃないんだけど。

 

「けど、そういうことならわかりました。これまで通り巫女として人を襲う妖魔を倒していきますが、積極的な交戦は避けることにします」

「ええ、それがよろしい」

「ところで私からも、玄爺。お聞きしたいことがあるのですが」

「ふむ? なんでございましょう?」

 

 私は手の中にある小さな陰陽玉を眺めつつ、堪えきれないため息を吐き出した。

 

「……私のこの巫女としての務め、あとどれほど続くのでしょう?」

「……そればかりは、この儂にも、なんとも……」

 

 次代の巫女が生まれるまでの期間限定として始まったこの務め。

 既に半年経つが、まだまだ代替わりする気配はない。

 

 うーん、一年や二年は覚悟しているけど……十年や百年ともなると少し億劫だ。

 これは次代の巫女をのんびりと待つより、私自ら育てた方が早いのかしら。

 

 ……里でやることは少ないし、考えてみましょうかね。

 


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