東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 なんとなく、戯れに悟りとやらに挑戦してみることにした。

 つまるところ、仏門をノックしてお邪魔しますしてみたということである。

 

 “お前何しとるんだ”と夜中に人目を忍んで現れたクベーラがものすごく複雑そうな顔で聞いてきたが、まぁ実際なんとなくとしか言いようが無い。

 これもまたひとつの、時代の風を感じるためのレクリエーションのようなものだ。

 現代でも寺に行ってあぐら掛いて肩をバチーンて叩かれるあの禅っぽいのがあったしね。

 もちろん私に信仰心などはないし、誤って信仰心を生み出さないよう常日頃から気をつけているので、そのあたりのことは問題ない。

 さあ、今日も一日頑張ろう。

 

 

 

「しかしそれでもその珍妙な姿はそのままなのだな」

 

 包帯とローブ、そして狛犬の仮面をつけた私の姿を無関心に眺めつつ、命蓮はついさっき私が掃き掃除をしたばかりの場所に抜き取った鼻毛をフッと飛ばしていた。個人的に徳マイナス1ポイントである。

 

「私の顔を知ってるだろう。命蓮は理解があるからさほど気にしていないがね、やはり大多数の人にとっては化物にしか映らないのだよ。そうなると面倒なのだ」

「ほう。しかし、ならばわざわざ正式に修行に加わらねば良いだけの話ではないか? 今までは客人として扱ってきたからこそ楽だったが、正直扱いに困ってるぞ」

「だろうね。ま、その点もよろしくやっておくれよ。寺の手伝いは一人前以上を担っているんだ、文句もあるまい」

「仕事を多く熟せるものが偉いというわけでもないのだがな。ま、こっちとしちゃ助かるのだが」

 

 普通なら“不心得者!”とか“天罰!”とかなんとか言われそうなものであるが、命蓮はさほど見た目に拘らない坊さんだ。そのおかげもあって、私は私なりのスタイルを許され、ここで趣味のようなお坊さん体験をさせてもらっている。

 寺にいる他の多くの坊さんからも“長いこといるしお世話にもなっているし”みたいな感じで、なあなあと受け入れられている感じだ。

 

「しかし、なんでまた今更修行など始めたのか。いや、出会ったときには誘いもしたがね。お前さんなら、こんな辺鄙な寺でなくとも、陰陽寮の生臭共を押しのけて余りあるだろうに」

「陰陽寮ね。あそこは駄目だ、大して興味がそそられない」

 

 ちょっとだけ様子を見に行ったこともあったが、いかんね。

 形式張った魔法を否定するわけではないが、あれではただ因習に従っているだけのお祭りみたいなものだ。

 

「そうか。しかし陰陽寮でなくとも、野にはまだまだ、お前さんの求める魔法使いとやらがいるだろう。修験者も巫女も、そう珍しくはないと聞くぞ。そいつらを探してはいかがか」

「ははは、まぁそれもありかもしれないね」

「……石塚殿」

 

 僅かに低くなった彼の声に、私は竹箒を動かす手を止めた。

 

「なんだろう」

「……私はな、石塚殿。こう見えて、(ひじり)と呼ばれている。聖命蓮というやつだ」

「ああ、立派なものだよ」

「人はそう呼ぶ。そして私自身もまた、それを誇りに思っている。……私はな、仏の導きを信じているのさ。こう見えても、未だにな?」

「ふむ……」

 

 やれやれ。参ったな。

 

「わかるとも、石塚殿。お主は優しい人間だ。しかし、それはできない。……生きて、死ぬ。そして次の生へ。あるいは、涅槃へ。……それが私の信ずるところなのだ」

 

 命蓮が小さく咳をして、口元を抑えた掌をゆっくりと開く。

 

 ――そこには咳に絡んでいた痰と、僅かな血の色が見えた。

 

「悪いな。私は魔法使いとやらにはなれん」

 

 命蓮は書き損じた半紙でそれを拭い、ニカリと微笑んだ。

 皺の寄った、否応なく年を感じさせる笑みだった。

 

「……それが病を治し、不老を得るものだとしてもかい?」

「試してみたがね、護法の効かぬ病であらば、それが私の天命なのだろうよ。いい歳だものなぁ……はて、今は数え何歳だったかな」

「たかだか五十代で何を言ってるんだ」

「これこれ、欲深いぞ石塚殿。五十も生きれば、十分に長いじゃないか」

 

 ああ、そうか。五十は長いのか。この時代では。

 ……そんな、簡単な手術でどうにでもできる病であっても、貴方はそれを受け入れるというのか。

 

「……命蓮。この瓶の水を一口飲んでみるつもりはないかな」

 

 私は影の中から一個の小さな瓶を取り出して、彼に見せた。

 僅かに黄色みがかった水晶瓶の水薬。効能は私だけが知っている。

 

「遠慮しておく。歳を取ると、新しいものに疎くなるからな」

「……そうか。確かに、そうかもしれないね」

 

 だが、それも断られた。

 薬はいらぬと。少なくとも、私の力を頼ることはしたくないと。

 

 ……命蓮の決意は、それだけ固いということだ。

 

「悪く思ってくれるな、石塚殿。これが私の道なのだ。同じ仏の道を志す者として、受け入れてほしい」

「……死に急ぐ事が仏の道かは、疑問があるのだが」

「ふっ。ならば、私の身体に良い粥でも作っていただけるかな。姉上の作る味も親しみ深く良いものだが、お前さんの作る粥もなんというか洗練されていて、時折味を思い出すことがあるのだ。きっと振る舞えば、他の者も喜ぶだろう。もちろん、具材にはあまり魔の気配のないものが好みだ」

「やれやれ。強情だ……わかったよ、命蓮。これ以上貴方を魔道に誘うことはしない」

「すまんな」

「粥は作ろう。せっかくだ、薬膳で少しでも足掻かせてやるさ」

「ハハッ、いやぁ、楽しみだ」

 

 季節は秋。

 全て自然の材料で作るとなると、材料集めには少しだけ苦労しそうだ。

 

 山の遠方では、鹿が落ち葉を踏み締め、残り少ない草を競うように食んでいる。

 明るい今のうちに採りに向かったほうが、面倒は無いだろう。

 

「……ところで、命蓮」

「む」

「襟元に赤い染みがついているが、それはいいのかな」

「ああ……」

 

 命蓮は自分の衲に血がついているのに気づき、それにつばをつけ、先程の書き損じから炭を押し付けて黒く変えた。

 

「これで目立たないか?」

「隠すのか」

「……そうしてもらえるとありがたい。私がくたばりそうだと伝わると、遠方から面倒な連中が挨拶に押し寄せそうだからな」

「……貴方がそう言うなら、構わないが」

「頼むよ」

 

 命蓮はそんなときでも、冗談めかすように薄く笑っている。

 それは誰にも裏側を悟らせないような、完璧な理性による仮面だった。

 

 


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