東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 山の暮らしは過酷だ。

 人の手が入った低山であれ、それが信仰の神力に満ちた霊山であったとしてもなお、自然の脅威は人に厳しい。

 

 飲み水。食料。足場の悪さ。問題はいくらでもつきまとう。

 私もかつてはたまに……同僚に誘われて酔狂な山登りに付き合うこともあったのだが、あれは現代の歩きやすい靴をもってしてもなかなか大変な運動だった。

 身体が人よりも幾分か頑丈であったのが幸いした。もし虚弱な体質だったら、途中で断念していたかもしれない。

 

「おはようございます。今日も一日頑張りましょう」

「尼君。え、ええ、もちろんです」

 

 その点、この時代の老人たちは皆元気だ。

 健康を顧みていないともいうのだろう。些細なことは気にしないし、現代人からしてみれば平気で無茶なことを、まぁ細々としたものではあるのだが、よくやらかしている。

 それでも彼らは自分の身体が鋼でもできているかのように超然と振る舞うし、そんな環境下で育ったためか自然に対して最低限の危機意識は持っている。

 

 正直に言おう。文明的というよりは、野生みたいなものだ。

 人と呼ぶにはあまりにもワイルドすぎる。

 

「やぶやぶー」

 

 ほとんど腰の曲がりかけた白蓮でさえ、質の悪い鉈を片手に藪を払って作業している。

 使えそうなものは背中の籠に突っ込んで、食べられそうな草や実は腰の袋に放り込む。

 その姿はつい最近向こうの山で見た山姥妖怪とほとんど変わらない。

 逆に、そんな猛々しい姿でいなければ、この信貴山では生きていけないのだ。

 

「あら? 石塚様、どうされました?」

「ああ、いやね。白蓮は随分てきぱきと仕事をこなすなと思って」

「まあ。それを言うなら石塚様の扱う魔法、ですか? それによるお仕事もかなりのものだと思いますが……」

「魔法は魔法さ。魔法が至上なのは当たり前のことだとも。肉体労働だけでこうも動けるのは、すごいと思ったわけさ」

 

 別に隠すものではないので、私も何度か皆の前で魔法を披露している。

 寺が困った時などは私が魔法でちょちょいのちょいとやったりするわけだ。

 木製の柔らかな柄に金属の刃物が沈み込んで取れなくなった時などは、引っこ抜いてやったりするとやたらと大げさに褒め称えられたものである。ジャムの瓶と同じレベルで褒められるのはさすがに複雑ではあったが。

 

「うーん……私はこういった暮らしに慣れているので、自分のすごさはよくわかりませんねぇ……」

 

 けどまぁ普通は貴女ぐらいの人が、両手足をいっぱいに使って低木をベリベリと圧し折って薪にするのって、あんまり見ないんだけどね。

 

「やはり世間からすれば、命蓮のような法術や石塚様のような魔法こそ、真に尊ばれるのではないでしょうか?」

「ふむ……白蓮も魔法に興味がある?」

「ええ、もちろん多少は憧れはあります。便利でしょうし、そういった力や技術こそ世には必要だとも思いはするのですが……とはいえ、私は昔に命蓮の手ほどきを数年ほど受けていましたが、全く駄目だったのですけどね」

 

 白蓮は笑いながら棕櫚の繊維をこそぎ取り、懐に入れる。

 

「しかし、悟りの道は何も法力を持つ者だけに拓かれているわけでもないでしょうし。地道に徳を積むことこそ、人に生まれたがゆえの責務なのではないでしょうか」

「ふむ」

 

 悟り。徳。ねえ。

 

「私はそのへんのところは、なんとも」

「ふふ。では、私どもと共に修行してゆきましょう」

「修行か。この歳でやるようになるとは」

「歳など関係ありませんよ。積み重ねるからこそなのです」

 

 そう言ってのける白蓮は、年齢を感じさせない笑顔で汗を拭っていた。

 

 

 

 白蓮が山に加わってからというもの、朝護孫子寺の毎日はより良く充実している。

 たまーにお母さん目線の小うるさい言葉やおせっかいが飛んだりもするが、それによって寺は綺麗になり、人もだんだんと増えているようであった。

 特に、これまで命蓮一人では回しきれていなかった相談事に対応できる人物として白蓮が加わったのが大きいだろう。

 彼女は山の下に住む住民からの要望や話をよく聞き、親身になって応え続けていた。

 もちろん命蓮だって今まで可能な限り近隣住民の悩みを聞き、遠隔法力で魔除けやら何やらをこなしていたのだが、それでも一人にできることには限界があったのだ。

 

 彼自身は白蓮が来たことに関して“わざわざこんなとこまで”だとかぶつぶつ文句を垂れていたが、きっと様々な面で悪くは思っていないだろう。

 今では悪態も鳴りを潜め、そそっかしい姉ちゃんを気遣うシスコンの弟がそこにいるだけである。

 

「おうい姉上! 整備の行き届いていない斜面に入るんじゃないよ!」

「はーい!」

 

 やれやれ。

 こんな過酷で貧しい環境だというのに、どうしてこうも人間は元気いっぱいなのやら。

 

 


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