魔女と魔女の邂逅
「今日も暇ねー、アリストテレスー」
「にゃー」
ヨーロッパの片田舎に、小さな庵がある。
そこは人が何人か住むのが精一杯なくらいの大きさで、周囲には他の民家らしきものもなく、閑散としていた。
せいぜい獣道を踏み固めた程度の道が街道に向かって蛇行している程度で、人が暮らしてゆくには随分と不便なように見える。
「お客さんこないわねー」
「にゃー」
しかし、その点においては問題がない。
何故ならばこの民家は、人らしい生活をせずとも生きてゆける者が住み着いているのだから。
「最後にお客さんが来たの、いつだったかしらねー」
「んにゃー」
エレン・ふわふわ頭・オーレウス。
オーレウスの子孫にしてマーカスの姪である彼女は、玄関先で暇そうに座り込んでいた。
それもそのはず。
彼女が居を構えているこの場所は僻地の中の僻地である。
近隣の住民が通ることさえもまばらな道の、そこから更に外れた獣道の先にある怪しい店など、誰も近寄ろうなどと思わないのが普通だ。
「あー、でもちょっと前に、王宮から使者のおじさんが来てたわねー」
「にゃにゃ」
「若い兵士さんの方が良かったのにねえ……」
「にゃー」
少し、というより何ヶ月か前になるのだが、王宮からの使者が店を訪れたのが、最後の来客らしい来客だろうか。
使者は国の重鎮であり、それなりの地位を持つ男であったのだが、エレンには国から覚えめでたくあろうという気概など欠片もなかったし、その男というのが結構な年かさだったのもあって、嬉しい客ではなかった。
それに、その際に渡された報酬や感謝状というのも、ちょっとした物忘れによって内容を忘れていたため、達成感や満足感なども得られない。
よくわからないおじさんからよくわからないお金をもらった、というのがエレンの認識であった。
ちなみに、エレン自身はすっかりと忘れているのだが、以前彼女は王宮まで赴いて、城にかけられた不浄の呪いを解くという、そこそこな仕事を果たしていた。
呪いを解いて小鬼を追い出し、国全体を覆いこんでいた倦怠感を払拭したのである。
これは魔法使いとしてはなかなかの偉業だったのだが、肝心の本人が覚えていない上に、当時もそこまで国からの感謝に興味がなかったので、今現在暖炉の上で埃をかぶっている感謝状が朽ちてしまえば、きっと誰の記憶からも消えてしまう歴史なのだろう。
「にゃ」
「ん? どうしたのアリストテレス。……ん、お客さん?」
「にゃっにゃっ」
使い魔の猫、アリストテレスは主たるエレンにしか伝わらない声で“そうだよ”と返事した。
どうやら彼は、茂みの奥から近づきつつある人の気配を察知したようだ。
そして主に先んじて茂みへと飛び込み、客を迎えに行く。
今代のエレンの使い魔は、そこそこ真面目な性格であるらしい。
「そろそろこの庵からも出るつもりだったし、これが最後のお客さんになるのかしらねえー」
エレンはそんなやる気のない独り言を漏らしながら、ぼんやりと空を眺める。
空模様は快晴とはいかず、昼なのにどんよりと薄暗い。若い男の顔を見るまでは、やる気の出ない一日になりそうだ。
「にゃ」
「おかえりー。あら、これから来るの。やっぱりお客さんだったんだ」
先に戻ってきたのは、猫のアリストテレスだった。
どうやら来客に害意はなさそうだとのことである。
エレンとしても、若い男であっても面倒事を起こしそうな輩は好きではないので良いことだった。
「にゃー」
「魔法使い。へー、そうなんだ、珍しい……」
「にゃにゃ、にゃー」
「名乗ったの? なんていう人?」
「にゃ……」
「んー? アリスト……?」
一人と一匹が話し込んでいると、茂みの奥から小さな人影が現れた。
「アリスよ、アリス。アリス・マーガトロイド」
人形のような青の可愛らしい服に、フリルのついた赤いヘアバンド。
この時代では珍しい、よく手入れされた金のショート。
人形遣いのアリス・マーガトロイドが、エレンを訪ねてやってきたのだった。
「なんだか、ややこしい名前ねえ。うちのアリストテレスと被っちゃう」
「猫と一緒にしないでくれる……」
「あはは、ごめんなさーい。お客さんよね? せっかくだし、中へどうぞー」
「……良いの? 見ず知らずの相手に……けれど、ありがとう。さすがにここまで来るの、大変だったから」
男でないためにエレンの反応はちょっとだけ淡白なものであったが、それでも来客に冷たく当たるようなことはない。
遠路はるばるやってきたアリスは、どうにか庵の中で休憩することが叶ったのであった。