東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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丘の上にまで飛んだ綿毛

 

 花は、それほど好きではなかった。

 芽吹き、伸び、咲き、実り……そして萎れて、枯れる。

 彼ら彼女らは皆、とても短い命の輪の中にいる、か弱い存在だったから。

 

 私はその儚さがあまり好きではない。

 どちらかと言えば、嫌いですらあるのかもしれない。

 季節の移ろいと共に朽ちてゆく草花の姿を見るのはあまりにも陰気なもので、一時期は季節ごとに場所を変えながら、花の咲く場所を追うように歩き続けていたこともあった。

 けど、どれだけ内心で嫌っていようとも、花は私の力の源。

 花を司る魔族であった私は、花を利用しなければ地上で生きてゆくことなどできない。

 

 弱い草花。それらを操る弱小魔族。

 その時代の私を知る者は、今や私自身しかいない。

 

 幽香という名の魔族の始まりは、そんなありふれた物語の一つに過ぎなかった。

 

 

 

 片鱗。あるいは頭角を見せるのに、そう時間はかからなかった。

 というよりは、必要に駆られたというべきか。

 悠長な成長を待てるほど私の周りの環境は生ぬるくはなかったし、その先を見据えるのであれば、目先の脅威ばかりを危険視することもできない。

 

 強くなることは必然であり急務。生存こそが力の証明。

 弱者は存在しない。そう呼ばれるべき者は、死に、枯れ果てる存在でしかないからだ。

 

 私は平原の草花のように、命短き存在になりたくはない。

 強者によって安易に喰まれ、何者かの養分として消え去りたくはない。

 

 生きるためにはトゲがいる。踏まれても耐え忍ぶ頑強さがいる。

 必要だ。何もかも。様々なものが。

 

 ……だから、私は力を求め続けた。

 強者を倒すための力を。強者から実を守るための力を。

 鍛え、学び、修めなくてはならない。枯れるだけの草花にはなりたくなかったから。

 

 闘い、闘い、闘い、闘い……。

 

 勝負を挑み、逃げ、他者の技を真似、奪い、倒し、殺し……。

 

 

 

 気がつけば私は、誰も登れない小高い丘の上に立ち、多くの存在を見下ろす……絶対の強者へと上り詰めていた。

 

 

 

 “あの存在に触れてはいけない”。

 多少でも頭の回る者であれば、遠くの私を指さしてそう警告するようになっていた。

 

 “枯れない花の幽香”。

 いつからか呼ばれるようになった、私の異名だ。

 

 私が闘いと研鑽を繰り返す内に、世界の様相は少しずつ変化していたらしい。

 魔族は比較的慎重になり、神族は自らの領域に閉じこもり、無秩序な地上世界には見知らぬ生物が増えていたのだ。

 かつての戦乱の時代はとうに終わり、あの時から見れば平和な世界が訪れていた。

 

 私はそんな時代で、幾度も闘いを繰り返す戦闘狂として見られていたらしい。

 時が違えば評価も変わる。芽吹くときを間違えれば胡乱がられる。当然だ。

 

 気がつけば私の周囲からは様々なものが離れていた。

 私は孤立するしかなかった。

 

 

 

 ……孤立。孤独。孤高。

 しかし、だからどうしたというのだろう。

 

 わからない。きっとなにもない。だけど引っかかる。

 かつてはきっと、寂しいだとか、そのような感傷を覚えていたのかもしれない。

 

 でも、どうしようもなく強靭に鍛え上げられた私の心の外皮は、そんな状況に何も思うところはなかったし、感情を必要とはしなかった。

 

 闘いの外にいるならば、心はただ、凪いでいればいい。

 それこそが魂の保全に最も効果的であり、生存に適しているからだ。

 私が自身の生存に十分だと判断できる程度の根を伸ばしていられる限り、周囲の環境など興味を向ける必要はない。

 

 そう、生き残れればそれでいい。

 それが私の望みであり、唯一の志と呼べるものだったのだから……。

 

 

 

 

 

「……」

 

 目が覚めると、焦げ臭い香りが鼻腔をついた。

 植物を焦がしたもの。何らかの実。いいえ。これは……。

 

「根か、何か……」

「正解だ。タンポポコーヒーを作ってみたくてね」

 

 水底めいた低い声の方に首を向けると、そこには細身の……ライオネルが、何らかの作業をしている最中だったらしい。

 

「こ、こは……」

 

 そして、私は今ベッドの上にいる。

 寝台だ。そう、以前から使っている、馴染み深いもの。

 ブックシェルフに持ち込んだ、よく眠れる寝具。

 

 私はどうしてここに寝て……いや、それより……。

 

「……死んだと、思っていたけれど」

 

 眼の前に迫る白熱の星。

 避ける・避けないの反射に近い躊躇を真っ先に断ち切るほどの広範囲魔法。

 

 ……“旭日砲”と呼ばれていたかしら。

 寸前に、色々と策を弄したような記憶はある。けれど何をしたのかは覚えていないし、生きていられる自信など欠片もなかったのだけれど。

 そもそも、腕や脚を失ったはず。……今でこそ、どうしてか綺麗に生え揃っているけれど。

 

「要因には様々なものがある。まず、私が物質を依代としたものではなく、魔素によって構成された擬似的な杖を媒体に“旭日砲”を発動したため、各種素子が少なく威力貢献しなかったことがひとつ」

 

 カラカラと、鍋か何かで固い粒を炒るような軽妙な音が聞こえる。

 

「そして幽香、君が咄嗟の判断で周囲から襲い来る熱素と燃素の波を遮断し、延焼によるダメージを効率的に防いだことがもうひとつ」

 

 彼が振り返り、私のすぐそばにあったテーブルの上に、小さなカップを置いた。

 

「最後に、貴女がとてつもなく頑丈であったことが3つ目だ」

「……あなたが、助けたのね」

「助けるとも。あれだけ素晴らしい闘いをした後に反省会や討論を行わないなんて、ありえない」

 

 何がありえないのやら。

 私は色々と思う気持ちがあったけれど、それよりはまず呆れ、カップを手に取った。

 

 カップの中は黒く熱い液体で満たされており、湯気からはどこか焦げ臭い、それでいて芳醇な香りが漂っている。

 根を煎じたものだろう。そう悪いものでもないはずだ。

 私はそれを一口だけ飲み、埃っぽい口の中をすすいでから、飲み干した。

 

「……ほぅ」

 

 温かい。

 心が落ち着く。

 思わず、残りもこくこくと飲んでしまう。

 

「出来は悪くないだろう。私も結構これを作っているからね。丁度いい炒り加減は、弁えているのだ」

「そう」

 

 遠くに視線をやれば、どうやらここはブックシェルフの中であるらしかった。

 

 ご丁寧なことだ。

 私はあの丸焼けになった後、再びブックシェルフへと担ぎ込まれたのだろう。

 

 ……負けて、跡形も残らず消え、死ぬかと思ったけれど。

 まだ生きているのね、私。

 

「……ねえ、ライオネル・ブラックモア」

「うん?」

 

 図書館街の広場では、モノクルをかけた魔人たちがお互いに情報交換を楽しんでいる。

 悪魔は無愛想に通りを歩くも、しかし目線は手元の本の中身を追っている。

 

 いつもと変わらない、平穏なブックシェルフ。

 どこにでもある魔界の景色。

 

「おかわり、頂戴よ」

「ああ、おかわり? もちろんだとも」

「ん」

 

 再びカップに熱い飲み物が満たされ、香りが立ち込めてくる。

 

 長らく必要とすらもしていなかった、嗜好品の……優しい芳香だ。

 

「ありがとう」

「うむ」

「でもね、ライオネル」

「うん?」

 

 もう一口飲んでみればほろ苦く、けれど美味しい。

 

「私、負けたままは好きではないから。またいつか……必ず、闘いを挑ませてもらうわよ」

「……素晴らしいね。歓迎だ。いつでも、楽しみに待っているよ」

 

 

 

 


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