東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

385 / 625


 一応は姫扱いされている私と、宴の席とを隔てる薄い暗幕。

 この道具の名を、御簾と呼ぶらしい。

 

 ……私は今日から、この幕を“御簾様”と呼ぶことに決めた。

 ありがとう、御簾様。多分、数万年はその名を忘れません。

 

「輝夜、大丈夫かい!?」

「え、ええ……平気。私は平気よ、婆」

「輝夜ぁ……! 怪我はないか!? 何もっ……!」

「大丈夫だから、爺……少し、驚いただけ」

 

 そう、驚いただけ。私は何もされていない。

 多分……見られても、いない……はずよ。

 

 いや、見られてない。絶対にそう。そうであるべきだわ。

 そう思ってないと、怖すぎる……。

 だって……。

 

 ……あいつ……絶対、あの時月に来た……ライオネル・ブラックモアなんだもの……!

 

 

 

「どこに行った!? 警備は何をしておる!」

「毒があるとはまことのことか!?」

「牛が! 牛が一頭もいない!」

「どういうことだ! 何が起きたのじゃ!」

 

 宴は、終わったのだろう。

 人間の騒々しい声色には、既にそのような気が抜けていた。

 

 ……無理もないわね。

 突然、魔物のような恐ろしい面を付けた長身の男が乗り込み、大暴れしていったのだ。

 全員が尻尾巻いて逃げ出さない分、むしろマシな状況だと言えるかもしれない。

 

 それに……宴の主目的である、蓬莱の玉の枝。

 それが、あいつの口から……“自分の製作物である”と告げられたのだ。

 

 果てしなき冒険の末に手に入れたはずの秘宝が、人為的なものだった。

 それも、職人への報酬を踏み倒した上でのもの。

 

 ……藤原の地位は、しばらく地に落ちることでしょうね。

 ま、どうにも優秀な文官を抱えているようだし、真実はもみ消されるかもしれないけれど……私との縁談が解消されるなら、後はどうだって良いことだわ。

 

 地上の人間と結ばれる?

 冗談じゃない。月の民とも地上の民とも、褥を重ねるなんてまっぴらだわ。

 ……まぁ、さっきは……本物の蓬莱の枝を前にしてちょっとだけ焦ったけど。

 ここまで宴が総崩れになってしまえば、後はどうにでもできそうだわ。

 

 ……あの枝を、無償で手に入れることすらもね。

 

「車持殿」

「……! は、はい……」

 

 顔を赤くしたり青くしたりで忙しかった藤原は、簾越しの声に驚いたように反応した。

 まさか私から声をかけられるとは思っていなかったのだろう。

 実際、わざわざこのような奴を語らいたくはないけどね。けど、まだひとつだけ用が残っているのよ。

 

「此度の縁談。当然のことながら、なかったことにさせていただくわ」

「……は」

 

 当然の通達だ。要求ですらない。今回の宴は、誰もが私への侮辱であったと認識していることだろう。

 

「そして。――このふざけた枝は、頂いていきますから。贋作でも、手折れば退屈しのぎにはなるでしょうから」

「……っ……」

 

 藤原は何かを言いかけた。この期に及んで何の未練があるというのか……。

 本当、欲深いというか。穢れの多い男ね。

 

「……屋敷へ戻るぞっ! 牛車を出せ!」

「車持殿ッ……それが、牛が……全くおらず、牛車は……」

「……チッ!」

 

 その後、彼は散々部下やその場にいない石逗とやらを怒鳴り散らした後、徒歩で自らの根城へと帰っていった。

 おそらく、今回の宴による醜聞やらの処理に追われるのだろう。

 ……本当、どうでもいいことだけれど。

 

 

 

「それよりも……」

 

 藤原が残していった蓬莱の玉の枝を手に取り、眺める。

 表面を撫ぜ、灯りに翳し……そして、確信する。

 

「本物……」

 

 そう、本物なのだ。

 宴にいた者たちは、この枝を贋物であると疑っていない。

 用意させた藤原でさえ、信じ切っていることだろう。だからこそ、大人しく引き下がったし、こうして置き去りにしたわけだけど……。

 

 ……それでも、私にはわかる。

 この枝は紛れもなく蓬莱の玉の枝の実物であり……慣れ親しんできたものに相違ないのだと。

 

「輝夜……良いのかい? その枝は……確かに美しいが、結局……偽物なんじゃろう」

「そうね、爺。けれど……良いのよ。わざわざ捨てる必要はないから」

「ふむ……お前がそう言うなら、取り上げはしないが……」

 

 そして、この枝を作ったのは……あの石逗と名乗っていた男、ライオネル・ブラックモアなのだという。

 

 ……何故? 意味がわからない。

 でも、嘘だと思えない。あれは……あいつは、不気味すぎるから。

 何をするのか、あの大異変から何年も経った今でさえ、予想がつかないから。

 

「……永琳が来たら、隠居しなくちゃね」

「エイリン? 輝夜、エイリンとはなんだい?」

「ふふ、なんでもないのよ。爺」

「ふむ? そうか……しかし、まぁ元気を出すんだよ、輝夜。もっと良い殿方が、きっとすぐ見つかるさ」

 

 ……永琳。彼女と合流したら、速やかに身を隠さなくては。

 

 けど、それまでは……もう少しだけ、この若き老夫婦の娘役を務めるのも、良いかもね。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。