東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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『ライオネル、お前に来客だ』

「うん?」

 

 大渓谷の塒で始祖大苔の編み物をしていると、サリエルの分身体からお呼びが掛かってきた。

 

 その姿は人には程遠く、言うなれば、宙に浮かぶ翼の生えた青っぽい手鏡といったところだろうか。

 サリエルが最近になって使い始めた、遠隔操作できるゴーレムのようなものである。

 

「私に来客か。神綺でなく私ということは、相手は神族ではないということか」

『ああ。名を(コウ)という。今彼女は、エソテリアで待っているぞ』

「おー」

 

 紅か。法界で骨の分社を守っている彼女が、今になって外に出てくるとは。一体何があったのだろうか。

 エソテリアは法界間近の魔界都市である。おそらく、紅はそこまで歩いていったのだろう。街に入り、サリエルに捕捉されたといったところか。

 

「ありがとう、サリエル。早速迎えにいくよ」

『うむ、そうしてやるといいだろう。本人も、出来る限り急いで欲しいようだったからな』

「ほほう、ふむふむ……」

 

 あの紅が人を急かすとは、珍しい。

 よほどの用事ということか。作業は中断し、すぐにでも伺うことにしよう。

 

 

 

「ほい」

 

 瞬間移動を発動。魔界の中央から一気に外側付近にまでやってきた。

 

「あ、しまった。持ってきてしまった」

 

 が、編み物まで一緒に連れて来てしまった。

 私の手元には、ほとんど完成品に近い虚無僧笠が所在なさ気に収まっている。

 

「うーむ……まぁ、いいか」

 

 このまま緻密な仕上げを施してもいいのだが、無駄に凝ってしまうと逆にその時代の雰囲気から逸脱してしまうやもしれぬ。

 これはこれで、完成品ということでも良いのかもしれない。

 

「せっかくだし、被っていくか」

 

 とりあえず虚無僧笠だけを被り、エソテリアの中心を目指して歩くのだった。

 

 

 

「お待ちしておりました、ライオネル様」

 

 エソテリアの最も大きな公園の中央に行くと、そこでは紅が待っていた。

 昼間だというのに閑散とした広場は、かつてはそこそこ人も多く、賑やかな憩いの場であった。

 しかし近年、エソテリアからは段々と人が減り、こうしただだっ広い場所の人気は低迷し続けている。

 今この時も、広場には紅以外の人影も見られなかった。

 

「やぁ、紅。法界での生活は身体に優しくないだろう。具合いはどうかな」

「全く問題ありません。あの地には母が眠っていますから」

 

 紅の姿は、お世辞にも綺麗とは言えない。

 ただでさえ元々粗末な格好だったのが、法界での砂煙にやられたのか、もはやボロ布を纏っているだけの状態である。最初の私の格好に、辛うじて半纏らしきものを足したような有様であった。

 

 ……確かに怪我は無いのかもしれないが、今や魔界も地上もそれなりの恥じらいを覚えている。

 昔はそれこそおっぱい丸出しの人魚や魔族も多かったが、そろそろ紅の格好も厳しいだろう。

 

「……やれやれ。紅、私もほとんど拘るものではないから、説得力に欠けるかもしれないが……君はもうちょっと、良い格好をするべきだと思うよ」

「はあ、良い格好……ですか」

 

 紅は首を傾げ、心底不思議そうな表情を作っている。

 

「こういうのは、大抵若い子の方が敏感であるべきなんだけどなぁ」

 

 原初の力を発動し、私の両手に簡素な服を生成する。

 輝きとともに現れたそれは、サイズこそぴったりで機能性にも優れているだろうが、丁寧に作った織物に敵うものではない。あくまで間に合わせの、インスタントな服である。

 

「ライオネル様、それは……?」

「これを着なさい。これからは、それなりに見た目を取り繕わなければならない時代がやってくるのだ。その服ならば、今のよりもずっと見栄えは良いだろう」

「あ、ありがとうございます」

 

 半ば押し付けるように服をやったが、紅の顔にはどこか困惑した様子が見て取れた。

 

「……? どうしたの、紅」

「い、いえ。その……ライオネル様のように、その……それを被らなければいけないのでしょうか?」

「……これは気にしなくて良いよ、うん。大丈夫、こういう変なものではないから、うん」

 

 紅に服の必要性を説いたものの、私自身もまだまだである。

 お互いファッションセンスを磨いていこうな、紅よ。

 

 

 

「亀がやってきた、か」

「ええ。それまでには無かったことなので、驚きました」

 

 エソテリアの静かな街中を、紅と横並びに歩きながら話を聞いている。

 法界から出てきてまで彼女が伝えたかった話というのは、どうやらその法界に見知らぬ魔族が現れたことが原因のようだ。

 

 ヒキ。突如法界に出現した、巨大な亀の魔族。

 それは、地上に生きる人間達が操る“仙術”によって法界へと送り込まれたのだそうな。

 

「ふむ。仙術か」

「仙術とは一体何なのでしょう。ライオネル様であれば、ご存知ではないかと……」

「ああ、もちろん知っているとも。術と名のつくもので、私が知らぬものはない」

 

 いや、さすがにそれは言い過ぎではあるが……。

 しかし、この世の全ての術は元を辿れば魔力を用いた技である。

 少し考えればどのような術であろうとも魔法で再現することは可能だし、大抵のものは既に私が考案し書に記している。

 

「仙術は、地獄に所属する神族達からの問い合わせが多かった術の一つだね。属性魔法に近い部分もあるけれど、半分近くは使用者の霊魂から編み出す魔力に依存する……貴女達で言うところの、能力に近いものだ」

「……魔法なのですか?」

「いや、仙術に関しては魔法ではなく、能力に近い分類に決まったよ。もちろん魔法で再現できないこともないのだが、魔法と呼ぶにはあまりにも雑味が多い」

 

 地獄は魂が穢れ続けることを善しとしないため、神族や魔族以外の生物達の延命に対して強い警戒感を抱いている。

 延命の手法によっては、直接人間たちの元に刺客を送り込むこともあるそうだ。

 

 しかし、魔法による延命は寛容だ。特に刺客を送るなどの制限はかけられていない。

 これは私がゴネにゴネたのでそうなっている。魔法による延命を許さないなど、逆にこの私が許していないからだ。

 

 魔界がそういった声明を出した途端、様々な場所や組織から沢山の質問や確認が嵐のようにやってきたことは記憶に新しい。

 あの文書や書簡の嵐は、まるで魔界に敵襲でもやってきたのではないかというほどの勢いだった……。

 

 とはいえ、まぁそのような激しい反応からもわかる通り、あらゆる延命術が許されてしまうのは、穢れの増加率にも大きく関わってしまう。

 なので、術と呼べるような技術であっても、地獄からの接収の対象となるものも残されることになった。

 

 つまるところ、周囲や大気から属性の魔素を特殊な方法で取り込むことによって霊魂を保つ“仙術”の延命法は、魔法ではない。

 魔法ではないので、仙術使いは地獄の標的なのである。

 

「魔法ではないけれど、調べたり取り決めは詳しくやったからね、私も内情にはそこそこ詳しいよ」

「……ヒキを法界へと送り込んだ術も、ご存知なのですね」

「いかにも」

 

 私は深く頷いて、紅に向き直った。

 

「使われた術は間違いなく“法界降縛”だろう。これはかつて私が“生命の書”に記した術に非常によく似た……生物を封印するための封印魔法の冗長なアレンジだ」

「封印、魔法……」

 

 生物でも、物体でも、どんなものでも構わない。

 臨界魔力と独特な魔力パターンによって開かれる魔界への門は、あらゆるものを魔界の、しかも“法界”へと落とし込むだろう。

 法界は地上にとってのあらゆる危難を受け入れる場所だ。

 今回ヒキを対象に発動したこの術も、きっと同じ理由で発動されたものなのであろう。

 

「紅、貴女には残念な話かもしれないが……私には、法界からヒキを取り払う……というようなことはできない」

「……それは、法界がそのような役割を持った場所だから、ですか」

「いかにもその通り。正しく発動された大魔法。役割を全うした法界。それを無かったことにするようなことなど、私にはできない」

 

 アマノが眠る場所とはいえ、これは自然な流れなのだ。

 法界は地上の災厄を受け入れる。その考え方に変わりはない。

 

「地上に生きる人々が、それを災厄と見なし法界へと送り込むのであれば……私はその魔法使い達の努力を讃え、受け入れるつもりだよ」

「……なるほど」

 

 紅は瞑目し、しばらく何かを考えるように沈黙した後、恭しく拱手した。

 

「……ライオネル様がそう仰るのであれば、そのようにされるのが良いのでしょう。しかし、ライオネル様。私から一つ、聞いていただきたいことがあるのです」

「ああ、聞こう」

「アマノの……母のためのこの骨を、安置できる場所を……見つけていただきたいのです」

「……骨を?」

 

 紅は困ったような顔で、申し訳無さそうに頷いた。

 

「法界の役割は理解しました。納得もできます。あの地が魔族の穢れによって薄まることも……受け入れましょう。ですが……外界からやってきた者の手によって、万が一にもあの竜骨が壊されるようなことがあっては……私には、それが耐えられないのです」

「ふむ……」

 

 人間は法界を開く術を手に入れた。

 これからも法界を利用した封印魔法は使われるだろう。

 紅はそれによって生じるかもしれない事故を気にしているようだった。

 

「どうか、この骨だけでも。丁重に扱ってはいただけないでしょうか?」

 

 ……彼女は長い間、竜骨を守り続けてきた。

 それは彼女にとって自らの遺骸でもあり、神聖なるアマノの一部でもある。

 当然、今更ぞんざいに扱うことも、捨てることもできないだろう。私にも、彼女の気持ちはよく理解できた。私だって、他人事ではないのだから。

 

「……わかった。骨に関しては私に任せてくれ」

「! ありがとうございます!」

 

 とりあえず引き受けるだけの返事であったが、紅はそれはとても嬉しそうに頭を下げた。

 

「しかし、紅よ。そうなると貴女が祀るものがなくなってしまうのではないか」

「……問題はありません。法界に揺蕩う母の気配が掻き消えるまでは、彼の地はいつまでも、私の中では聖地ですから」

「ふむ。そう言ってもらえて、きっとアマノも喜んでいるよ」

「……ふふ」

 

 竜の守護者は、死しても尚ずっと守護者であるらしい。

 パンゲアの分裂と共に終焉したかに思われた信仰は、どうやら今もこの地球で、密かに息づいているようだった。

 

 

 

『ライオネル、いるか?』

 

 なんてことをしんみりと考えていると、再びサリエルの手鏡がやってきた。

 突然降って湧いた大きな羽根つき手鏡に、紅は少しだけ驚いたようである。

 

「なんだいサリエル。紅とは合流したけれども……」

『ああ、わかっている。今度は別件だ』

「続けざまだね。一体何がどうしたの」

『以前、お前が言っていただろう。小悪魔を見つけたならば、声をかけて欲しいとな』

 

 ああ、そういえばサリエルに頼んだことがあるな。

 あの時は夢幻姉妹を追い掛けていたんだっけ。

 

「……と、いうことは」

『ああ。小悪魔が契約を終え、地球から魔都へ帰ってきたのだが……すまんな。説明が難しい。お前が直に行って、なんとかしてくれないか?』

 

 サリエルの声色からは、どこか疲れたような……そんな気配を感じる。

 要領の得ないサリエルの報告に、私と紅は顔を見合わせた。

 

「……紅、小悪魔ちゃんだっていうから……とりあえず一緒に来る?」

「そう、ですね。ええ、お願いできれば、是非」

 

 なんだか奇妙なタイミングではあるが、元となった魔族とそこから生み出された悪魔である。

 紅と小悪魔は親子のようでもあり、姉妹のようでもある。その繋がりが、こうした偶然のめぐり合わせを呼んだのかもしれない。

 

 


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