東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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「ふむ」

 

 月の丘陵を超え、大きな月の海にやってきた。

 ここを超えた先に月の都があるのだろう。遠方を見やれば、そこに結界で隠された痕跡が窺える。

 いくつかの条件付けがされているようだが、あの形式の術であればそのまま進んでも問題はないだろう。

 ちょっと組み替えてやれば、逆に私の魔法にもなる。

 

 そのまま正面から乗り込んでやろう。

 そう思い、宙に浮きながら海を渡ろうとした私だったのだが。

 

「……またか」

 

 私の行く手の海面から、大きな両刃剣が生えてきた。

 暗い海から上に向かって飛び出すように現れたその剣は、明らかに神族のものであろう強い強化の魔力が込められているようだ。水面に絶え間なく波紋を発生させ、空気さえもビリビリと刺激しているように見える。

 

 距離にして20メートル。

 そのまま何食わぬ顔で素通りしてもよかったが、神族がお出ましなのであればそれでも構わない。

 

 どうせこの月から逃げることはできないのだ。急ぐ必要はないだろう。

 地球に向けて自力で飛行する以外には、ここから脱出する方法は皆無だ。

 もちろんその単純な逃げ方も許すつもりはない。

 

『敵の居ない地へ越すなど、退屈なものだと思っていたが……いやはや、みすぼらしくも長生きとはしてみるものだ』

 

 海面より突き出た剣の上に、一人の神族が舞い降りる。

 簡素な白い衣をはためかせたその男は、剣の切っ先の上にピタリと片足をつけると、そのまま自然な動作で胡座を組んだ。

 

 目線は、宙に浮かんでいる私とほぼ同じ。

 しかし男のどこか見下すような目つきは、今の私には少々気に障った。

 

「月の都の神族だな」

「いかにも。我こそは都の軍神、武御雷(タケミカヅチ)である」

 

 男が名乗り出ると同時に、周囲からバチバチと音を立てて大勢の神族が現れた。

 透明だった空中から、雷光を身に纏っての実体化。魔法は感知できなかったので、おそらくそれは科学的な透明化だったのだろう。“迂回反射”に近い技術を彼らも持っているようだ。

 

 そして、タケミカヅチ。さすがの私でもこの名前くらいはチラリと耳にしたことはある。

 タケミカヅチといえば日本神話に出てくるような神様だ。それだけは知ってる。どんな神様かは知らないが。

 

「さて、見ての通りこれから始まるは一対多、大勢に無勢の戦なわけだが……」

「私に勝てると思っているのか」

 

 武御雷を中心に据えた神族の軍勢を眺め、私は内心でせせら笑った。

 数にして二十人。手に剣を持つ者もあれば、槍を持つ者もいる。後ろには弓を構えた者もいるようだ。

 誰もが殺気立った表情をしており、今すぐにでも私を害したいという気迫が伝わってくる。

 

 先程までの戦いぶりで伝わらなかったのだろうか?

 私の、魔法使いとしての実力が。

 

「いいや、思っていない」

 

 しかし、武御雷は笑顔のまま否定した。

 水面から突き出た剣を指の合間に挟み、そのまま流れるような動きで手の中に収め、構えてみせる。

 

 その武人として完成された立ち姿に、負け戦に臨むような負の感情は感じられない。

 

「俺は術や呪いはよく知らん。機械や粒子とやらもな。だが、お前の強さは理解できる。まともにぶつかったところで、到底敵わないということも」

 

 ……なるほど。

 殺気立っているのは、そういうことか。

 

 タケミカヅチの軍勢は、負けを、死を覚悟してここにいる。

 彼らは皆、自らが生き残れるとは思っていない。だから純粋に100%の殺気を私にぶつけることができるのだろう。

 

「だが、こんなに派手な負け戦は、長く生きようともそうは巡っちゃこねえ。感謝するぜ、ライオネル・ブラックモアとやらよ」

「……ふむ」

 

 負ける闘いと知っていて、尚も立ち向かうか。

 まだサムライはこの世にいないが、なかなかサムライらしい生き方じゃないか。

 

 賞賛するよ。

 そういう生き様はとても好感が持てる。

 もっと言葉を交わせば、きっと気が合って、更に仲良くなれるかもしれない。

 

「貴様らが、月に手を出してさえいなければな……!」

「!」

 

 だが、些事だ。

 私の全身から溢れ出る禍々しい感情を帯びた魔力は、その程度のことで収まるはずがない。

 

「私は戦などに興味はない。私は魔法を冒涜する貴様らを叩き潰しに来ただけなのだからな」

 

 “不蝕不滅”。足元の海水を手元に引き寄せ、氷の杖を生成する。

 杖を基軸に“魔力の収奪”。ここまでに奪ってきた魔力も全て使用し、周囲一帯の魔力を私の周囲へと引き込んでゆく。

 

 敵がどうかは知らないことだ。

 口上や合図とともに闘うつもりなど私にはない。

 

 魔法使いの闘いは、相手と向き合う前から既に始まっているのだ。

 

「それもそうだな。俺も似たようなものだ。本来ならば尋常に、と言いたいところだが――」

 

 私が周囲に魔力を引き込む最中、背後の海面が爆発した。

 激しい飛沫と、迫り来る大きな気配。

 

「こちらも軍を預かる身。卑怯だとは言ってくれるなよ」

 

 首だけを横に向けて背後を見やると、既にすぐそこには一人の大男が迫っていた。

 身長4メートルはあろうか。そんな巨人のような大男が、その大柄にさえ合わないほどの巨大な白く輝く奇妙な手袋でもって、私の全身を握りつぶそうとしている。

 

「やれ、手力雄(タヂカラヲ)

「言われなくとも」

 

 尋常な闘いと思わせておいての、奇襲。

 なるほど確かに斬新だ。

 

「なっ……!?」

「何故そんな正攻法が通じると思ったのか。原始魔獣の姿が脳裏に蘇ってきたぞ」

 

 私の細身を握りつぶそうとした巨大な白い手は、私の一歩手前で半透明の力場によって阻まれた。

 

 血の書上級防御魔法“隔壁”。

 圧縮し重ねあわせた六十枚の結界と対抗魔法を織り合わせた、個人単位であれば最高峰の盾。

 あらゆる攻撃や衝撃を想定した、地球内規模であれば確実に防ぎきることが可能な防御魔法だ。

 

 力任せなあの大男とあの大きな手袋にどんな自信があったのかは知らないが、神族のスケールでこの防御を突破することは絶対にできない。

 

「ファイバーが……効果を発揮しないッ……!?」

 

 不可解な力場を前に、尚も巨大な腕をこちらへ近づけようとするが、殴りつけようとも平手にしようとも、その手がこちらに届くことはない。

 “隔壁”の防御は絶対だ。巨大隕石の桁外れな魔力による干渉を受けた場合は怪しいところだが。

 

「“水切り”」

「――!」

 

 芸の無い奇襲に感謝を込めて、水魔法を発動。

 虹色の書中級水魔法単体攻撃系。

 

「うっ……!?」

「手力雄様っ!」

 

 辺りの海水面が一気に3メートル近く減少し、戦場にさらなる高低差が発生する。

 だがこの魔法はただ水面を低くするだけのものではない。水位が変化するのはただの副次的な作用に過ぎない。

 

 この魔法によって減少した水は、全て一人の標的を傷つけるためだけに放たれる。

 高密度に圧縮された何本もの水流は鋭利な刃のように噴き出して、狙った対象をズタズタに引き裂くのだ。

 

 私の背後で立ち上った白い煙のような水柱は、それそのものが鋭い破壊のエネルギー。

 あの中にいては、人間などであれば一片の形も残らないことだろう。

 

「う……こんな……馬鹿な……」

 

 が、流石は神族。この大男が単体で頑丈ということもあるのだろうが、全身に深い切り傷を負っただけでまだまだ原形を保っている。

 巨大な手袋に至っては全くの無傷だ。

 やはり簡単な魔法程度では、神族を沈静化するには難しいらしい。

 

「あらゆる方向より全員でかかれ! 術に注意せよッ!」

 

 これで奇襲役のこいつが惨めに死ねば、もうちょっと敵の勢いも削げたのだろうが……まぁ、どうせ同じことをするのだ。どっちでもいいことか。

 

「呪術程度で防げると思うなよ!」

「貴様はここで、殺してでも食い止める!」

「手力雄様の仇ッ!」

 

 やかましい有象無象が水面や空気を蹴りながら、おそらくは音に類する速度で私に迫る。

 

 私の身体は音ほど早くは動けない。反射神経もそれほどあるわけではない。

 

 だが、既に待機させた魔法を発動させるには、光が瞬くまでもないほんの一瞬さえあれば充分だ。

 

「“離岩竜(りがんりゅう)”」

 

 月の海の水底から私の足元を通り、夥しい量の土砂が溢れ、高く高く噴き昇る。

 私に接敵しようと試みた神族の何人かは、強い魔力を帯びた土石流に抵抗することもできず巻き込まれ、土砂の間欠泉に打ち上げられた。

 

 もちろん私は噴き上がる土砂の中心で悠々と浮き続けている。

 自らの魔法に巻き込まれるようなヘマは取っていない。

 

「なんだ、あれは……」

「落ち着け。ただ岩や石ころを操っているだけに過ぎん! 怯まず続け!」

 

 良い威勢だ。

 しかしこの魔法が発動した以上、貴様ら神族は私に近づくことは出来ない。

 

「“離岩竜”、こいつらを最大限、私に近づけるな」

 

 私が魔法に声をかけると、吹き上がり続ける岩と石と砂の柱が、突如意志を持ったようにぐにゃりとねじ曲がった。

 大きな岩が骨組みとなり、小さな石が細部を埋め、更に細かな砂が造形を整える。

 

「な……」

「……穢れを生み出した……!」 

 

 出来上がったのは、何十メートルもの長さを持つ巨大な骨だけの蛇。

 石のみで構成されていることもあって、その姿はまさに動く化石だ。

 

「やれ」

 

 巨大な骨の蛇“離岩竜”は甲高い声で咆哮を上げると、まずは長く強靭な尾部によって、私の周囲の神族を吹き飛ばした。

 

 


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