僕、トイール・フォレットは調査兵団に入団してまだ一年。新兵とそうでない境界線という微妙な時期にいる。
それでも壁外調査に出れば毎回3割の兵を失うと言われるここで一年生き残ってきたのだから、駐屯兵などに比べれば悪運は強い方だと思っている。
そんな僕が所属する班に少し変わった先輩がいる。
彼の名はカイル・ロード。ブラウンの短髪に青い瞳。170はない小柄な男だが、20とまだ若い青年ながらも5年の間調査兵団に務めるベテランでもある。
4年で6割が、新兵なら3割が死亡すると言われるここにおいてその年数だけでも賞賛されるべきもの。
特にぺーぺーの新米などには多大な羨望と尊敬の念をもたれてもおかしくはない…はずなのだが。
どうにも、彼の評判はあまり良くないように思えた。
曰く、生きるために自分の事しか考えていない。仲間を容易く見捨てる。加えて二年ほど前に訓練中、他の兵士が立体機動でミスをしそれに巻き込まれ怪我。以降二度の遠征に参加できなかったそうだ。
これについてはミスした方も何やってるんだと言いたくなるが、それでも回避することはできたはずだと噂に詳しい誰かは言っていた。
命惜しさにわざと怪我をしたのでは、とまで言われているらしい。
入団して初めて聞いたときは少しだけ嫌悪感を抱きつつも、真にうけることはなかった。
確かに場合によっては仲間を見捨てる決断をしなければいけない時もあるだろうし、死にたくないという気持ちも人として当たり前のことだ。
だけどそんなひとかけらの同情も本人を前にした時に消え去った。
「おー新兵か。まあなんだ…てきとーにがんばれよー」
軽かった。
その緩みきった言葉と表情に兵士としての誇りの見る影もなかったのだ。
人類のために。巨人に打ち勝つために。
身を粉にし、辛い訓練を乗り越え尚壁外へと命をかけ進む調査兵団に憧れて来た。
人類最強の兵士、を筆頭に一人も零すことなく尊敬していたのに。
彼を目の前にして幻滅してしまったのだ。
いや正確に言えば彼個人に対してなのだけれど、それでもそんな人が所属できてしまう組織とは如何にと思ってしたまったのも事実だ。
多分そう思ったのは僕だけでなく同期皆だろう。へらへらとこちらをおちょくるような言葉遣いし、訓練においても揺るみきった顔が元に戻ることはない。
なるほど。これは確かに噂は真実かもしれない。
彼の態度と訓練を見て僕はその結論に至った。
本当に堕落した兵士だったのか、と。
「くそ…どうしたらもっと的確に削げるんだ…」
兵士たるもの訓練を怠ることは許されない。一瞬の鈍りが自分だけでなく仲間の命までも脅かすからだ。
巨人を模した張りぼてのうなじに一太刀入れた後、ワイヤーを巻き取りながら地面に降下。
その切り込み具合を見て大きなため息をつく。
訓練時代と比べれば良くはなってきているが、それでも実際巨人と戦った際にはおそらく百発百中では殺せない。
それでは意味がないのだ。
「やっぱり角度かな…」
「どうかしたの?」
突如振ってわいた声に驚き振り返る。そこには片口までの茶髪のショートカットを揺らす女性がいた。
ペトラ・ラル。
女性兵士でありながら巨人の討伐10、討伐補佐48と非常に優れた戦績をもつ人だ。
彼女を見るに、立体機動装置を身につけていることから同じく訓練中だったのだろう。
僕にとっては目標の一人であり、憧れている部分もあって何を発せばいいのかもうたじたじ。かろうじて伸び悩んでいるということを呟いてみた。
一瞬きょとんとしたペトラさんだが、次にはふわりと微笑んでいた。
「一回しか見てなかったから確信はないけど、右から旋回するとき前のめりになってるから、それがバランスを狂わせて威力を落としているのかも」
「そ、そうなんですか!?」
「さっきの一回を見た限りではの話よ」
自信はないかな、と肩をすくめるペトラさんだがそれでも初見でアドバイスできるなんて。
こんなすごい人がたくさんいる調査兵団はやっぱり別格なんだと思う。
僕の住んでた地域の駐屯兵は基本飲んだくればかりで、万が一巨人が襲って来たとき果たして迅速に動けるかと疑問に思ったのをよく覚えている。
「すごいや、ここの人たちは…」
「あなたもその一員でしょう」
「僕なんて、まだまだです。一人で巨人を討伐したこともないですし」
「確かに討伐できるに越したことはないけど、それに至るまでの過程だって大事よ。足の腱を断ち切ることで隙が生まれればそれを機に他の人がうなじを削げる。これだって立派な討伐だわ」
「そう、ですかね」
それでも僕は、少しでも早く多くの巨人を倒して人類のためになる働きをしたい。
訓練兵を卒業するとき。調査兵団に入団するとき。それらを強く願って心臓を捧げる敬礼をした。
その時の想いを曲げたくはない。
誇らしい調査兵団の一兵士でありたい。噂の彼とは違って。
「そういばペトラさんって、カイルさんと同期…でしたよね」
「ええ」
僕が突然彼のことを話題にしたのでペトラさんは少し驚いていた。彼女と、他にオルオさんとグンタさんという方がいるのだけど二人とも非常に優れた兵士として調査兵団ないし外でも有名だ。
噂の彼とはまさに月とすっぽん状態だと思う。
それとなくカイルさんは何故ああも兵士らしくないのかと直球に尋ねてみた。僕はあまり口が回る方でもないので、ここは正直に聞いてみる。
するとペトラさんは「ああ」と少し苦笑しつつも答えてくれた。
「確かに彼は兵士には向いてないかもしれないわね」
「……いつもへらへらしているし、訓練中も手を抜いているようだし。たとえ長生きできるとしても、あんな誇りを忘れ去ってしまったかのような兵士にはなりたくないです」
「ふふ。率直な意見というわけね」
だってそうではないか。この間なんて、こっそり隠れてお酒を飲もうとしていたのを目撃した。
まあそれは眼鏡をかけた女性の分隊長に見つかり、説教くらう形で未遂となったが。
それにしても勤務中にお酒を煽るなど何事だろう。これにはさすがに呆れのため息がでたもんだ。
そういえば、彼の噂の中にはこんな話もあった。それは巨人の討伐、および討伐補佐の数について。
彼についてはペトラさんたちのように明確に討伐数などが知られていない。これは得てして妙なのだ。
5年も調査兵団にいればそれぐらい話題としてのぼってもおかしくはないはず。
本人だって人類の敵である巨人を倒せば有頂天に自慢したくもなるだろう。
しかしそんな様子はまったくない。
単純に、まともに巨人と戦ったことがないのではと言う者もいるが、いくらなんでもそれはないと思う。
どんなに堕落した兵士だったとしても彼は遠征に出て、しっかりと生き残っている。この時点である程度の実力はあると僕は推測している。
現に一部を除いて班長や分隊長たちは彼の態度を黙認している節がある。
つまり彼の実力はよくわからないのだ。
彼が壁外遠征に出た回数は怪我の療養とかで意外と少ないらしく、一年前に入った僕に至っては彼が巨人と戦っているところを見た事が無い。
まあ、班所か隊が同じにならないというのもあるのだろうけど。
同期によると、ひたすら討伐の補佐に徹底しているだけと聞く。
加えて彼の所属する班は索敵も兼ねる事が多く、毎回壊滅的被害を受ける事も少なくない。生き残るのも一人二人という状況が多いらしくその時の詳細を語る人はほとんどいないに等しい。
高確立で生き残ってはいるが、一体どのように乗り越えているのか。
やはり仲間を盾にでも使ってるんじゃないか。様々な憶測が飛び交い、そして冒頭の噂にもどるのだ。
「カイルはどうしようもない恐がりだから」
「恐がり?」
「そう。とっても臆病で、小心者で慎重なのよ」
「臆病……」
人づてに聞く噂とは違い同期であるペトラさんが言うと、リアリティがある分重く感じた。
同期にも軽蔑されるあの人は一体どんなメンタルを持っているんだろうか。とても気になる。
半ば予想していた返しだった僕だが、次のペトラさんの言葉に思わず顔をあげていた。
「だけどいざという時は頼りになる人よ。本当にどうしようもなく優しいの」
優しい。それは、どういった意味での優しいだろうか。人を慰めるとかそういうことなのか?
だとすれば。
「ペトラさんにだけとか?」
「違う違う。そういう優しいとかじゃないのよ」
ではどういう優しいなのか。判断することができず、頭の中で逡巡する。
困惑する俺を表情から察したのか、ペトラさんは僕の肩をぽんぽんと叩いた。
「いずれわかるわ」
本当にそんな時が来るのだろろうか。
しばらくして、第三十二回目の壁外調査が行われることとなった。これで僕にとっては三度目の遠征となる。
皆思い思いの表情を浮かべ、重い扉が開くのを待っている。この時の空気が僕の中では一番緊張する。
調査によって解明されることがあるかもしれないという希望と、しかし巨人の領域である死の世界に足を踏み入れることへの恐怖。これらを考えるからこそこの場の空気は重い。
そんな中前方の方で眼鏡の分隊長が騒いでいるけれど、あの人は出立前はいつもあんな感じだからもう慣れっこだ。
今回も、生きて帰れますように。
少しでも多くの巨人を殺せますように。
「恐えーな…ちくしょう」
隣から聞こえてくる呟き。言っている事はその通りと頷きたくなるが、その声色や表情から本当に恐いと思っているのかと問いただしたくなるものだった。
そう、今回の調査で僕は初めて噂の彼カイル・ロードと同じ班になった。
他にも俺の同期であったり、今年入って来た新兵も何人かいる。新兵が多いのについては、僕たちが索敵担当からはずれているために巨人と出会う確立が低いからというものだった。
まあそれでもただ低いというだけで、出会ってしまえば戦うしかない。
でなければ生き残れないのだから。
壁外へと出て小一時間。今の所巨人の影も見当たらず、隊は順調に進んでいた。
いつどの方角から何体でやってくるかわからない状況の中、常に警戒をしていたため少なからず気力を消耗していた僕は息抜きもかけ仲間の顔色を伺う。
同期で中の良い赤毛のダフネと目が合い手を振られる。あちらも大分心に余裕ができているようだ。
油断すんなよ、という思いを込めてこめかみの横で人差し指をぐるぐると回せば彼は肩を竦めて視線を外した。
ちなみに今のは訓練兵時代に彼とよくやっていたジェスチャーだ。頭の回転を止めず、絶えず冷静にという意味合いがある。
次に班長を見てみる。彼は8年この兵団に務めるベテランで技術も人望もあり、時期分隊長もそう遠くはないと言われているほどだ。
新兵も疲弊はしているがなんとか平常を保っている。初の壁外調査にしてはかなりタフといえるだろう。今年は中々に根性ある奴が多いもんだと感心しながら視界に入ったそれに思わず息をのんだ。
カイル・ロード。ブラウンの髪をなびかせるその人の顔から、表情という表情が消えていたのだ。
まるで刃のように鋭く研ぎすまされた深淵の横顔に、このような顔もするのだと僅かばかり畏怖を覚えた瞬間だった。
「止まるなああああ!!」
絶叫といわんばかりの叱咤する声を聞き、反射で馬を走らせる。冷や汗が手にこびりつき手綱を上手く握れない。
僕たちは平原を馬で駆けていた。本隊に合流するためである。というのも、事は数刻前に遡るのだが。
小屋の立っている場所を拠点とし、しばしの休憩を挟んでいたときのことだった。辺りを警戒をしていた兵士から巨人襲来の報があり、間もなく巨人たちがやってきたのだ。
急いでその場を離れはしたが数秒間に合わず。隊になだれ込んで来た巨人によって僕たちの班は本隊とはぐれ、平野を駆けることに。その際追って来ていた巨人たちの足止めをすると班長並びに先輩のルークさんが僕たちから離れていった。
しかし上手く巨人たちから逃れはしたが、別のやつが木陰に潜んでおり新兵の一人がやられてしまった。
これが現状である。
ほんの一瞬前に見た新兵少女の目が網膜に焼き付いて離れない。銷魂がつき、絶念したまま生気を失った瞳がまるでどこまでも続く穴蔵を見ているような錯覚さえ起こさせた。
あれに飲み込まれたら…それが、僕の最期。
独白して沈鬱が僕を襲う。確かに前の調査でも人が死ぬことろは見た。悲しいことではあるけれど、慣れたのではと思っていた自分がいたのも事実。
それが実際はどうだ。不意打ちで新兵が死に、その事にすっかり体がすくみ上がってしまっている。
新兵たちもひどく狼狽しているが、彼らに声をかけてやる余裕も僕にはない。
そうしている内に事態はさらに最悪の展開へと進んでいた。後ろから巨人たちが現れたのだ。
なんで、どうして。これでは班長たちが命を張って殿を務めてくれたのも無駄になってしまうではないか。
なんでだ、なんでだよ!どうしてお前ら巨人はここに、今このタイミングでやってくるんだ!!
「し、しに、死にたくない!!」
「母さん…父さん…」
「いやあああああああああああ」
新兵たちの悲鳴が聞こえる。それを聞いて僕の手綱を握る手が緩まった。
ああ、そうか。結局僕はこれっぽちの人間だったのだ。出立前は巨人をどう殺すか、何体殺せるか。まるで子供がヒーローに憧れるように妄想したというのに。
現実、直面してればこの有様。今この瞬間にも手綱から両手を離して止まってしまいたいと思っている。
そんな自分がひどく情けなかった。
「トイール」
限りなく極限状態の中であったからなのか。その声はとてもよく僕の鼓膜に響いた。
跳ねるように視線を動かせば、前方を見据えるカイル・ロードがいた。彼はちらりと僕に目だけをやる。
どうして彼はこんなにも冷静でいられるのか。その涼しそうな表情からは焦りの一つも見えやしない。
壁内にいるときはいつもへらへらしていて、だらしのない人だと思っていたのに。
今ここにいる彼は本当にあのカイル・ロードと同一人物なのだろうか。
「このまま真っ直ぐ南へ向かえ」
「……は?」
「このままいけば本隊は近い」
言いながら彼は両の剣をその手に抜いた。まさかと僕は息をつめる。
冗談…だろう?だって相手は5体だ。一人でなんて無謀もいい所。確実に生きては帰れない。
しかしこの場において誰かがやらなければいけないこともわかっていた。
それでも口は動いてしまう。
もしここで彼が巨人に立ち向かいやられてしまったら、誰がここにいる皆を先導する。
新兵が多い中、カイル・ロード以外には僕とダフネくらいしかいない。
無理だ。できない。軽蔑しきっていた相手にすがるのも情けない話だが、それでも皆の命を預かり先導するなんてこととてもではないができそうになかった。
「カイルさんは…先輩はどうするんですか。なぜ、剣を」
「俺は時間を稼ぐ」
「しかし…!」
やめてくれ。あんたは堕落した兵士で、だらしなくて、臆病な人のはずだ。
そんな彼が命を懸けようとしているのに、対する僕は心のどこかでほっと息をついている。こんなの、まるで僕のほうが卑怯者で弱虫みたいではないか。
「行け!」
「カイルさ」
しかし彼が振り返ることはなく。馬を旋回させたカイル・ロードは巨人へと突っ込んでいってしまう。
その後ろ姿を見て、ようやく僕も冷静を取り戻しつつあった。
死にたくない。こんな訳の分からない理不尽な世界で無様に死んでしまうなんて、絶対に嫌だ。
命を預かるような責任なんて持てないが、今はとにかくこの場を離脱しなければならない。
僕たちがいつまでもいては、カイルさんも巨人と戦うという選択しかできなくなる。
そう思い立つといくらか気分はましになってきた。
「行くぞ皆、絶対に止まるなよ」
「お、おい…トイール」
僕の横に馬をつけた友人のダフネが引きつった顔をしながら、視線だけで促してきた。
こんな時になんだと思いながらも、そちらへ目をやれば想像を越える出来事が起こっていた。
激しく腕を振る巨人をかいくぐり、うなじ後方へと躍り出たカイル・ロードが体にワイヤーを巻き付けながら凄まじい勢いで回転。うなじを吹き飛ばしていた。
なんだ、今の動きは。
それは思わず自分の目を疑ってしまうほどだった。速すぎて何をどうしたのか理解が追いつかなかった。
瞬時の状況判断、アンカーの絶妙なコントロール、ガスの使いどころ、空中での激しい動きでも体勢を保てる驚異的なバランス力。
遠くからでもそれは一目瞭然だった。
訓練では見た事の無い、彼の姿が確かにそこにあった。
瞬く間に二体目、三体目と倒して行くカイル・ロードに僕だけでなく皆が呆然としていた。
表情はよく見えないが、あれは恐怖や緊張といった類を持っていてはできない動きだろう。
「これが…噂の彼…なのか?」
「俺たちはとんでもない思い違いをしてたみたい、だな」
これはもしかしなくても、この巨人たちを一掃できるのではないか。そうなれば、戦って疲労するカイル・ロードを支援しながら帰隊するのも可能だ。
そう思考した瞬間、高い場所から聞こえた言葉にはっと顔をあげる。
声を発したのはカイル・ロードその人で。出立してからの無表情さ、巨人に挑んでいく勇猛さ、相手を翻弄しながら確実仕留める頼もしさ。
それらとは似ても似つかない振り絞られた声だった。
そして悟る。
「行くんだ!」
決して彼は恐くないわけではないのだと。
むしろその反対で、今彼の心は様々な雑念に押しつぶされそうになっているのだろう。
それでも殿を名乗り出た。僕たちを、助けるために。
思えば班長たちが足止めをすると言ったときも彼は志願していたじゃないか。
そのとき僕も同じくやりますと声高らかに言えただろうか。
答えはノーだ。僕にはそんな度胸も勇気も無かった。それはカイル・ロードも同じだったのかもしれない。
それでも彼は志願していた。
そして今、一人で戦っている。
本当にどうしようもなく優しいの…。ペトラさんの言葉が頭の中で反芻する。
どう優しいのかはっきりとはわからないままだけど。
いざというときには頼りになる人。それは大いに頷けた。
彼は確かに臆病なのだろう。しかし同時に、決断するという僕には到底できない事をやってのけることができる。
「本隊と合流する!止まるな!!」
僕は、噂の彼…カイル・ロードに敬意を表する。
長くなってしまった。
ぺーぺーな作者故中身もぺーぺー