群像の物語   作:ねくら

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ねくらです
稚拙ですがお暇つぶしにでもどぞどぞ




第一幕 不運な男の話
01 遠征


 

 

 手綱を握る手が汗に濡れる。荒く吐き出された息が、自分の鼓膜にダイレクトに届く。気の遠くなるような恐怖と緊張と焦燥に駆られながら俺は必死に馬を走らせる。早く、早く。もっと前へ。

 

 乾いた大地に蹄(ひずめ)の跡を残しながら数十人の者たちが疾走する様はさぞ絵になるだろう。広大な空の下、目映い陽を全身に浴びながら地に咲く少々の花が風に揺られている。―――ほんの一瞬だけ。

 

 次の瞬間にその花は駆ける馬によってみるも無惨に踏みつぶされるだろう。当然だ。そんなことを考えている余裕など、そもそも地面を悠長に眺めるなど以ての外。何よりここは。

 

 

「止まるな走れ走れ!巨人が来るぞ!!」

 

 

 壁外なのだから。

 

 

 

 ずしんずしんと、派手な音をたてながら迷うことなくこちらへと迫ってくる巨人たち。

 こちらが10名ちょっとなのに対して向こうは7体。手に余る数といえるだろう。加えてここは平地。立体機動装置にはとても不向きな条件といえる。

 

 巨人が足を踏みならす度に腹の内側に重く響く振動が、俺たちの恐怖心を増長させる。

 俺の隣を並走する奴は、すでに目の焦点が定まっていないようだ。徐々にスピードも落ち始めている。

 

 

「くっ…このままではまずい」

 

 

 先頭を行く班長が苦渋をこぼす。半ば混乱しかけてはいるが、その言葉の意味は俺にだってわかる。この先には本隊がいるのだ。そこに合流すべく俺たちの班は走っているが、この巨人たちを引き連れて行けば余計な被害を出すことは明らかなのだ。

 

 つまり。

 

 ひゅっ、と喉が鳴った。俺の呼吸が、一段と速くなる。つまりだ、誰かがここで残りの巨人を引きつける殿(しんがり)をやらなければならないのだ。それはこの状況下において最も確実で必要不可欠なこと。

 

 心が折れそうになる。顔に絶望が浮かぶ。その役目を自分が担った後のことを想像し、急激な吐き気に襲われる。そんな役目は嫌だ、後ろの巨人共に向き合うのは恐い。何より、死にたくない。

 

 

「……足止めは俺がやる。ルーク!」

「はいっ」

「すまんが力を貸してくれ」

「…っ承知!」

 

 

 班長の問いかけに、先輩であるルークさんが声を振り絞る。それを聞き心の底からよかったと安堵する。そして同時に激しい自己嫌悪が俺を襲った。何がよかっただ何を安心しただ。

 

 少しでも自分が逃げられるとわかった瞬間これだ。本当に、ここまで卑怯者だとは思いもしなかった。

 

 

 …いやそんなのは嘘だ。俺はいつだって臆病で、卑怯で。幾度と巨人を目の前にして心が折れたことか。それでいて最後は貪欲にも生に執着するのだから、卑しいことこの上ない。自分が生き残るために、仲間が死ぬ確立が高まっても安堵という感情を持ってしまっている。

 

 駄目だ。今度こそは、俺だって。俺だって戦える兵士なのだ。

 

 

「班長!自分も、いきます…!」

「ならん!カイル、お前はこいつらを率いて本隊と合流しろ」

「しかしそれでは班長たちが」

「時間が惜しい!わかったなカイル!」

「了、解…」

 

 

 班長とルーク先輩が俺の返答と同時に、馬を反転させた。それを横目に班の先頭へと躍り出た俺は、決意のこもった班長たちの眼を見、その後ろへと視線を移す。

 

 そこには大きな絶望が存在していた。

 

 愉悦に浸ったような顔つきや、何かを悩むようにしかめっ面をした奴。どれも様々だが共通しているのは、矮小な人類へ等しく絶望を運んでくるということだけ。

 

 

「カウカ班、全力で走れ!」

 

 

 班長の喚叫に俺は全力で馬の腹を蹴った。無駄にしてはいけない。振り返るな。アンカーを射出する音が後ろでに聞こえたが、それを無視してひたすら駆ける。あの数の巨人たちを相手にすればまず高い確立で、死に至るだろう。それを理解していないはずがない。

 

 ……今は、どうすることもできない。カウカ班は新兵が多い。ここまで来るのに何人も班の仲間が死んでいる。故に残っているのは新兵やまだ経験則の少ない兵士ばかり。

 

 既に戦意喪失している彼らだ。まともな戦闘ができるとは到底思えない。巨人の餌になってしまうのは目に見えて明らかである。

 

 それを防ぐためにも班長たちは残ったのだ。そして俺は班を任された。

 

 仲間を、残していくのだ。ならばせめて、班長に託されたこの任は何がなんでもやり通さなければならない。

 

 

ふと、並走する少女に目を向ける。恐怖に染まった顔。止まぬ歯ぎしり。

 

 

「落ち着け、新兵」

 

 

 なんとか手綱だけは手を離さずにいた少女は、俺に顔を向けた。その恐怖一色の瞳には何度も覚えがある。巨人に追われた仲間、死の間際の仲間。どれも抗えぬ絶望に打ち拉がれた末の、諦めの目。

 

 きっと俺も今、同じような目をしているんだろうな。

 

 

「本隊は近い。急いで救援を呼べば、班長たちも間に合うかもしれない」

 

 

 そう。班長たちは危険に満ちた調査兵団に8年も所属する大ベテランだ。5年も生き残ればいい方とも言われている厳しい任務において、その経歴は凄まじい。

 

 きっと…、間に合う。そう希望的観測を持たなければ…。たとえ確立が低かろうがなんだろうが。

 

 

「止まるな。走れ新兵」

「は、はい…!」

 

 

 そうだ。本隊に合流すれば精鋭がたくさんいる。人類最強の兵士と呼ばれる男だっているのだ。全員でかかれば7体の巨人を殺すことだってできるかもしれないのだ。諦めるにはまだ早い。

 

 走れ走れ。一刻も早くこの広く平坦な地を駆け救援を。

 

 これ以上仲間を犠牲にするな。負け犬から、臆病者から、卑怯者から今こそ抜け出て一端の兵士になるんだ。新兵が多いこの場で最も経験豊富なのは俺だけ。大した力も実力も無いが、それでも。気持ちだけでも鼓舞させ走り続けなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、ただの勘。

 

 肌に吹き付ける疾走の風とは違う、冷たいものが俺の背中を撫ぜた。そして次の瞬間。大きい木の影から4メートル級の巨人が飛び出してきたのだ。四つん這いのまま突進してきたそれに、慌てて手綱を引き方向転換する。

 

 どうにか回避には成功したが隣を並走していた少女が、いない。

 

 まさか…!

 

 新兵がひぃっ、と声をもらしながら見つめるそこには、巨人の手の下でこちらを呆然と見ている新兵少女の姿。その瞳には既に生気はなかった。

 

 飛びかかった時に叩き潰したのだろうか、胴体を引きちぎられた少女を軽々掴む巨人はその大きな口をぐぱりと開く。

 

 元々そういう顔なのか、それとも獲物の前だからなのか。至極嬉しそうな笑みを浮かべるそいつに頭の割れそうな激しい怒りが込み上げる。それと同時に確かな恐怖。

 

 これから始まるだろう蹂躙に、えも言えぬ感情が足を、手を、体を、頭を支配していく。

 

 やめろ、やめろやめろ!仲間をこれ以上、これ以上…。

 

 

「止まるなああああ!!」

 

 

 俺の大声に虚をつかれた新兵はしかし、すぐに馬を走らせる。少女を咀嚼する巨人を尻目に皆が皆ひたすら進む。

 

 あまりの衝撃に、うわ言を吐く新兵も出ているが今は走ってもらうしかない。

 

 壁外で止まることはつまり死を表す。ここで止まられた日にはどうすることもできない。人一人を引きずって行くにはあまりにも惨くい世界なのだ。

 

 だから、止まるな。耐えろ皆。

 

 だが俺は本当の意味でわかっていなかった。この世界はいつでも残酷で、無慈悲で。俺たちみたいなちっぽけな意思なんて容易く飲み込んでしまものだということを。

 

 

「きょ、巨人だ!!」

 

 

 後ろからの絶叫に振り向く。そして後悔した。ああ、見なければよかったと。どうして自分は今このタイミングで後ろを振り返ってしまったのだろうか。

 地響きと共に追いかけてくるのは5体の巨人。内二体は10メートル級だ。刹那俺は思う。この世界には神もクソもいないもんだと。これでは班長たちの決死の決断が無駄になってしまう。…いや、まだ死ぬと決まったわけでは。

 ない、とはさすがに言い切れなかった。何故なら現実的に考えて死ぬ確立の方が圧倒的に高いそれは変わらない事実。そして、今の俺たちの現状もまた。完全に詰みだ。

 

 思わず自嘲がこぼれてしまう。

 

 

「し、しに、死にたくない!!」

「母さん…父さん…」

「いやあああああああああああ」

 

 

 まだまだ若く、未来のある彼ら新兵と一緒に俺は今日ここで死ぬんだろうか。

 

 思えば俺の人生は不幸の連続だった。特に調査兵団に入ってからはその頻度が増した気がする。

 最初の壁外遠征では所属しいた班は俺を除いて全滅。訓練中にはミスした奴の巻き添えくって病院行き。以後二回の遠征に参加できず。そして今回の予想外の数の巨人たち。

 

 

 人の人生なんざこんなものだ。

 

 

 何故、どうして。最初の遠征の時に死んでおかなかったのか。両の足を無くした仲間が必死に助けを乞うその手を掴まずに、自分の命を優先してしまった外道な自分。

 

 明らかに冷静をかいていた先輩が目の前で捻り潰され、それを止められなかった自分。

 突撃の合図に尻込みしてしまった臆病な自分。

 

 どれもこれも後悔ばかりで。不幸不幸と逃げ続ける自分がどうしようもなく嫌でたまらなくて。だけどそれに立ち向かおうともしない自分にもっと腹がたって。

 

 そのツケ、なのかな。

 

 

「もう、駄目だ…」

 

 

 新兵が諦めの言葉を紡ぐ。それは、いつも俺が誰にいうでもなく独白する言葉だった。班長と先輩の横顔を思い出す。彼らは、あの絶望に向かいながらも己を奮い立たせ俺たちに行けと言った。

 

 己の命を賭して。

 

 

「トイール。このまま真っ直ぐ南へ向かえ」

「……は?」

「このままいけば本隊は近い」

「カイルさんは…先輩はどうするんですか。なぜ、剣を」

 

 

 俺のやろうとしていることを悟りながらも、確認のように尋ねてくる。

 

 その目にははっきりと自分たちを一人にしないでくれ、見放さないでくれと懇願しているかのようだ。

 

 その気持ちは充分わかる。俺も何度も何度もそういった場面に出くわした。……今回は奇しくもいつもとは逆の対場となってしまったが。

 

 

「俺は時間を稼ぐ」

「しかし…!」

「行け!」

「カイルさ」

 

 

 もう巨人との距離がそう無い。トイールの返答を聞かず俺は馬を旋回させた。

 

 動揺はあるが、比較的冷静に見えたトイールなら大丈夫だろう。

 

 縮まっていく距離に純粋に怖じ気づきながら、巨人のすね辺りにアンカーを射出する。羽根車が回転しワイヤーが巻き上げられ、一気に巨人へと接近する。

 

 地面すれすれを滑るように抜け、素早く引き抜き一瞬落ちつつも再びアンカーを巨人の臀部(でんぶ)に突き刺す。途中激しく腕を振ってきたのでそれをガスの噴出で回避しかろうじてやり過ごした。

 

 怯むな、止まるな!

 

 うなじへ刺さったアンカーが急速に俺を引き上げ体が宙を舞う。浮き上がりの際体にワイヤーが巻き付いたが、好都合だ。巻き上げと共に体に回転がかけられ視界が回る。だが急所であるうなじをとばすには持ってこいの乗算威力だ。

 

 

「死ね」

 

 

 自分でも驚くほどに低い声だった。

 確かな手応えが伝わり壮快な音と、吹き上がる血飛沫をあげ俺は両の剣を振り抜いた。

 

 


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