戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします!


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「明日確実に死ぬってわけじゃない。

 ただ、もういつ死んでもおかしくはないんだ、俺。

 だから今日は言葉を尽くしに来た。

 全部説明して、全部納得させて、ミクを泣かせないために」

 

 あの日、未来に自分の体のことを明かしたゼファーは、彼女の説得に言葉を尽くした。

 泣かせてはいけない。

 言いふらされてもいけない。

 そして諦めていないことを伝えて、彼女に希望を持たせなければならない。

 

 ゼファーが未来に秘密を明かすことにメリットはない。

 強いて言えば"隠し事をしない"という彼女との約束を守れる、それだけだ。

 ならば何故、彼は彼女にだけ、自分の体のことを明かしたのだろうか。

 それはこの日よりしばし後の、立花響の真実の言葉を思い浮かべれば、仮定は出来る。

 

――――

 

「あの繋がりは……あの繋がりは!

 偶然そうなったものなんかじゃなくて!

 弱音を吐きたいのに、思いっきり叫びたいのに、お行儀よくこらえてたゼっくんの心!

 誰でもいいからこの気持ちを聞いて欲しいって!

 誰でもいいからこの気持ちを受け止めて欲しいって! そう願った、君の祈りなんだ!」

 

――――

 

 未来に打ち明けた、ゼファーのその行動は……死の恐怖を前にした彼の、"誰かに打ち明けたかった"という、友に寄りかかりたいという気持ちから生まれたものだったのかもしれない。

 だから、後にゼファーは思うのだ。

 思ってしまうのだ。

 そんな弱さが自分の中にあったから、"こんなこと"になってしまったのでは、と。

 

「ねえ」

 

「ん?」

 

 ゼファーは未来を諭すことに成功していた。

 だが、それは彼女の納得を意味しない。

 

「ゼっくんは、どこにも行かないよね?」

 

 彼が彼女に"もう何も心配しなくても大丈夫"という安心を与えるなんてことは、どだい無理な話だ。

 "目を離すとどこかに行ってしまいそう"だと、ゼファーは未来にずっと思われていたのだから、その印象はちょっとやそっとでは揺らがない。

 ゼファーはあくまで、一時的に未来を落ち着かせたに過ぎない。

 

「どこにも……行ったりしないよね?」

 

 未来は不安そうに、そう言った。

 

「ああ、俺はどこにも行かないよ」

 

 ゼファーは、"絶対にそうする"という意志をもってその言葉を口にする。

 『絶対にそうなる』と確信していたからではない。

 『そうなるといいな』と願い、その願いを現実にしたかったからだ。

 ゆえに、その言葉に確信はあれど確証はない。

 

 その辺りの機微を、見抜けない未来ではなかった。

 

「友達だからな。未来が望むならずっとここにいる」

 

「……うん」

 

 友が望めばずっとここに居る。

 ならば……友が望めば、ここで死ねるのだろうか?

 未来はそんなことを思う。

 

 未来はそこで考えを打ち切ったが、もしも、ゼファーが友のためにならば死ねるなら。

 彼を殺す最適解は……"友に彼を殺させる"ことなのかもしれない。

 

「俺はこの場所が好きだし、死にたくない。そこは絶対に揺らがないって」

 

「ん、わかった」

 

 未来は戦うことで分かり合う者達、戦いの中に存在意義を見出だす友達を見ていた。

 戦って欲しくなんかない。

 なのに、戦わなければ守れなかったものがあり、戦ったからこそ分かり合えた人が居た。

 戦えない彼女は、そこに何を思ったのだろうか。

 その日、戦いの果てに命を削りすぎたゼファーを見て、彼女は何を思ったのだろうか。

 その日、彼女はどんな未来を恐れていたのだろうか。

 その日、彼女はどんな未来に進みたいと思っていたのだろうか。

 

 この日に、彼女は一つの決意を抱いた。

 

 何があっても、どんな時でも、自分だけは。彼を絶対に傷付けないようにしよう、と。

 

 優しい彼女は、この日彼を守り続ける誓いを立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三十六話:描いた未来を画架に掛ける 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小日向未来は、ゼファーに幾度と無く本質的な問いかけをぶつけ、何度もその心を震わせる想いをくれた。

 日常から戦場に出て来た響にとって、未来は一番身近にある帰りたい日常の象徴だろう。

 だが戦場の後に日常を知ったゼファーにとっては、守りたい日常の象徴だった。

 

――――

 

「ねえ」

「ゼっくんって、最後に泣いたの、いつ?」

 

「私、今のゼっくんが泣く姿は想像できない。

 ……私や響が、ゼっくんの前でひどい目にあっても、ゼっくんは泣けないでしょ?」

「悲しく思っても、泣けないでしょう?」

 

「ゼっくん、教えて。今何をしているの?

 それを『しなくちゃいけないこと』と思ってるだけで、本当はしたくないんじゃないの?

 それはもしかして危ないこと? ねえ、どうなの?」

「嫌なら、辞めちゃっていんじゃないの?

 その、辞められない理由があるなら……私も頑張って、何とかしようとしてみるから」

 

――――

 

「もう、私の友達に、ひどいことしないで……!」

「痛いのも、苦しいのも、悲しいのも、もう押し付けないで……!」

 

「あなたが」

「あなたの手が誰も抱きしめられないなら、私があなたを抱きしめるから、だから……!」

「戻って来て……あなたはもう、ひとりじゃないんだよ?」

 

「ね、ゼっくん、約束して。戦いのない場所に、ここに帰るって。

 どんなに遠くに行っても……必ず生きて、私と響の居る場所に帰って来るって。

 そうしたら、私も約束する。どんな時も、あなたを一人にしないって」

 

――――

 

 初めてナイトブレイザーになった時。

 未来はゼファーに自分を見直させる機会と、守ろうとする決意をくれた。

 彼がナイトブレイザーとなるための力を得たのは、未来を守るためだった。

 

――――

 

「笑ってくれればそれでいい?

 誰が笑ったの?

 誰の笑顔を守ってるの?

 貴方が守った笑顔って、どれ?」

 

「ゼっくんがあんなに傷付いて、私は笑えなかったよ?」

 

「あなたの言う『みんな』って、誰と誰と誰のこと?」

 

「私はゼっくんの笑顔が好きだから、ゼっくんが笑えなかったら、私も笑えないよ」

 

――――

 

 ひとたび力を失い、再びナイトブレイザーとして立ち上がった時。

 その時も、未来は彼に問いかけていた。

 同じだ。

 初めて聖剣の力を得た時も、再びその力を取り戻した時も、彼の隣には常に未来が居た。

 

 彼女の言葉は、時に彼に立ち上がるための力をくれた。

 彼女の言葉は、時に彼が自分を見直す機会をくれた。

 彼女の言葉は、時に彼の足を一ど止め、彼に何が正しいのかを考えさせた。

 

 小日向未来は、彼が生に執着する理由の一つ。

 彼が守ろうとしているものの象徴の一つ。

 自分を変えてくれたと、彼が感謝している者の一人。

 そして、それらの要素が無くとも大好きな、そんな友だった。

 

 未来があんなことになって、ゼファーは叫びたくて仕方がなかった。

 泣いてしまいそうな気持ちもあった。

 理性なんてかなぐり捨てて怒り狂いたかった。

 

 けれど、そうはしなかった。

 ここで自分までそんな風になってしまったら、皆が不安に呑まれてしまう事を知っていたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファー視点で、現状に至るまでの時系列を整理してみよう。

 彼は早朝に秋桜祭の準備に動き出し、その日の朝から祭りが始まる。

 祭りのさなか、昼にブランクイーゼルのメンバーを発見。

 そのままオーバーナイトブレイザーとの戦闘に移行。

 戦闘終了と同時に本部襲撃と未来の誘拐が発覚し、数時間かけて戦闘の後始末を終えた深夜に廃病院の調査を決行し、そこで小日向未来との戦闘に発展。

 廃病院のアジトで得られた情報を分析・検討し、人が集められたのがその二時間後の朝四時頃。

 

 今は、その早朝に本部に人が集められた形となっている。

 早く起こされたせいか、装者達は少し寝不足気味のようだ。

 装者以外の二課メンバーも、本部襲撃で人数が減っているのにローテを回しているせいで、見るからに疲労が取れていない。

 一見平気そうに見えるのはバカみたいに体力がある弦十郎くらいのものだ。

 

 24時間近く精力的に働き続け、オーバーナイトブレイザー戦と神獣鏡戦の連戦の後も全く休んでいないのに、全く疲れた様子を見せないゼファーがいっそ異様に見える。

 

 ゼファーと緒川が、今起きてきたばかりの装者を中心に、廃病院で得た情報を伝えていく。

 ブランクイーゼルのアジトの一つがあったこと。

 神獣鏡のこと。

 夢魔のこと。

 そして、小日向未来のこと。

 当然ながら、一番うろたえたのは立花響だった。

 

「嘘」

 

 未来を守るべき一般人と考えていた翼も、顔に苦渋の色を浮かべていた。

 未来と面白い出会い方をしていて、未来を友人と思っていたクリスも、歯が砕けそうなほど歯を食いしばっていた。

 けれど、そのどちらも響のうろたえぶりには及ばない。

 

 響と未来は、物心ついた時から一緒に居た幼馴染だ。

 二年前のライブ会場の惨劇から始まった迫害の中でも、未来はずっと響の味方だった。

 学校内と場所を限れば、一時期響の味方は未来しか居なかったとさえ言える。

 

 未来さえ居れば、響はどんな困難や悲しみも乗り越えられた。

 未来さえ居れば、響は何度だって立ち上がれた。

 未来さえ居れば、響は帰る場所である暖かい陽だまりを思い、頑張れた。

 その陽だまりが、今は失われてしまっている。

 

「落ち着け、ヒビキ」

 

「落ち着いてなんて居られない! 落ち着いてられるわけがないじゃない!」

 

「ヒビキ」

 

「人格の漂白って何!? 記憶の消去って何!? そんな、そんなのってッ……!」

 

「ヒビキッ!」

 

「っ」

 

 暴走する響に、ゼファーはわざと大声を出し、その剣幕で響を我に返らせる。

 そして間髪入れず、響を落ち着かせるために必要な話を、結論から切り出した。

 

「落ち着け。そしてまず俺の話を聞け。

 結論から言えば、ウェル博士が未来に施した処置は元に戻せる」

 

「! 本当ッ!?」

 

「嘘言ってどうすんだ。

 あの未来を元に戻せなかったら……俺も流石に、こんなに落ち着いてねえよ」

 

 成程、道理だ。

 立花響の次に、あるいは立花響と同じくらいに、ゼファーは未来のことを想っている。

 彼の未来に対する友情は周知の事実だろう。

 そんな彼が気丈に振る舞っているからこそ、精神的なショックが大きい響以外のこの場の皆は、うろたえないよう自らを戒められているのだろう。

 

「皆さんにもちゃんとお話しします。まず、夢魔は脳を物理的には傷付けません」

 

「電気信号だけで出来た生命体だから?」

 

「そうです」

 

 あおいの問いに答えつつ、ゼファーは話を続ける。

 

「夢魔の干渉はあくまで脳内の電気信号の操作……

 脳の細胞が破壊されたわけでないのなら、まだ戻しようはあります。

 未来がさらわれてから24時間も経っていない今なら、まだ取り返しは付くはずです」

 

「戻すって、君がかい?」

 

「俺にしか出来ません。だから、俺がやります」

 

 土場はゼファーの体調を心配するが、今ここに集まっている誰よりも力強い様子と語調で話すゼファーを見て、杞憂かとその心配を胸の奥に押し込めた。

 

「脳の記憶が消されたというのなら、どこに記憶が残っているってんだ?」

 

 天戸がそう問えば、ゼファーは己が胸を拳で叩き、断言する。

 

「ここに、ですよ」

 

 それは、もう心を脳に依存しないゼファーだからこそ、魂に記憶をもたせ悠久の時を生き永らえてきたフィーネを知る彼だからこそ、説得力を乗せられた言葉だった。

 

「聖遺物で想いは消せません。心は消せません。それは絶対に、絶対です」

 

「……そういうもんか」

 

 甲斐名が納得したように呟けば、皆が彼と心を同じくする。

 

「神獣鏡と夢魔の組み合わせは最悪です。

 シンフォギアである以上、通常兵器では倒せない。

 神獣鏡の特性上、あらゆる聖遺物の天敵となる。

 夢魔のバックアップにより、未来は今史上最強の装者と言っても過言ではない。

 その戦力は、グラムザンバーとマリア・カデンツァヴナ・イヴのそれと同等でしょう」

 

「なんだって!?」

 

 朔也の叫びと同時に、皆が一様に驚いた表情を浮かべる。

 小日向未来がさらわれ洗脳され、敵に回ったことに悲壮感を抱いていた者は居た。

 けれど、"勝てないかもしれない"と思っていた者は、ほとんど居なかったのだ。

 夢魔によりゼファーを超える戦闘技能のインストールをなされ、大抵のシンフォギアに対し抜群に相性が良い聖遺物を持つ未来は、今や最凶のシンフォギア装者であるというのに。

 

「夢魔は人間の意志、在り方、歌い方すら一から構築します。

 昨日まで一般人だったミクを、俺やツバサと生身で渡り合える戦闘者に。

 LiNKERを使っても適合者にはなれないミクの歌声を、適合者になれる歌声に。

 脳への干渉で思考を改竄し、ミクという存在を根本に変えてしまうのです」

 

 現代を生きる人間には、そこまでされた未来を元に戻す方法など、何も思いつくまい。

 だがアガートラームには、夢魔のことも含む先史の時代の情報が細かに記されていた。

 ゆえに、まだ希望は残されている。

 

「今のミクを止めるには三つの方法があります。

 一つは、俺達が負荷を考えず全力で命懸けの飽和攻撃を仕掛けること。

 ミクの処理限界を超えることです。

 一つは、長く長く攻撃を仕掛け続け、夢魔に無理させられている脳を処理落ちさせること。

 ミクの脳を負荷で壊すことです。

 ですがこの二つでは、ミクの頭に後遺症が残りかねない。

 なので俺は三つ目の手……"ミクの心"に直接干渉し、その心と記憶を励起させたいと思います」

 

 ゼファーは響の方を見る。

 

「この作戦の要は、俺とヒビキです」

 

「え……私?」

 

 ゼファーは驚く響をよそに、身振り手振りを加えて分かりやすく説明を始める。

 

「まず、なんとかして俺がミクに接近。

 俺の肉体から精神を切り離し、彼女の精神の中にダイブします」

 

「精神を切り離す!?」

 

 翼が驚くのも当然だ。

 精神を切り離して他人の精神にダイブするなど、サラッと言っていいものではない。

 だが今のゼファーにとっては、容易なことだった。

 今の彼に"肉体と精神の結合"など、有って無いようなものなのだから。

 

「そして彼女の精神に巣食う夢魔を俺が討伐。

 ミクの心を引き上げて、そこでヒビキがミクの心に言葉で訴えかければ……」

 

「やっこさんは目を覚ます、ってわけか」

 

 "わかりやすい"と言わんばかりに、クリスがニッと笑う。

 要は、ゼファーを未来の内側に送り出し、敵を倒し、響が動いて未来を救う。

 やることは普段とそう変わらないのだ。ただ、戦場が未来の心の中であるというだけのこと。

 

「これはミクと一番繋がりの深いヒビキにしか出来ないことなんだ。……できるか?」

 

「……それしかミクを助けられないなら、やる! やってみせる! 成功させてみせる!」

 

 ゼファーの言葉に、響は力強い返事と首肯を返した。

 少しだけ、彼はホッとする。

 悩みの中にあっても、人を助けるためと思えばまっすぐに飛んで行けるのが響の長所だ。

 今の響の頭の中は、未来を助けることでいっぱいになっているのだろう。

 

 そのため、ゼファーの体のことは一旦後回しにされているに違いない。

 彼はそれに、ホッとしたのだ。

 自分のことで響が苦悩しているという嫌な現状が解消され、上手くやればここからうやむやにできるかもしれないと、自分のことで響が苦悩している現状を無くせるかもしれないと。

 そんな一抹の安堵を一旦脇に置き、ゼファーは仲間に語りかけることを続ける。

 

「そして今回の作戦の中で、おそらく一番苦労するのが、ツバサとクリスだ」

 

「む」

「ん? なんでだ?」

 

「ミクの精神の中にダイブしてる間、俺の体は精神の入ってない空っぽの器だ。

 馬力のあるヒビキに守ってもらうつもりでいるが、そこからが本番になる。

 動けない俺。俺の体を抱えて逃げるヒビキ。

 この二人のお荷物を守りながら、二人はミクと神獣鏡と戦わないといけない」

 

「成程、理解した。私達はハンデ付きの戦闘を強いられるわけだ」

 

「やれやれ、めんどくっせえ感じだな。まー任せとけ。きっちりやり遂げてみせるさ」

 

 これで戦闘担当の役割分担は終了。

 本部が襲撃された以上、これから先ちょっとやそっとで弦十郎が本部を離れることはできないだろう。チーム・ワイルドアームズの四人で、小日向未来救出作戦は決行される。

 

「シンジさん」

 

「はい」

 

 続き、ゼファーに促され緒川が皆の前に進み出る。

 

「クリスさんが仕込んだ発信機で判明した空母の位置と、廃病院の間の区画を見張りました。

 この区間で人が移動した様子はまだありません。

 ゼファー君のARMもまだ何か感じてはいないとのこと。

 僕らと未来さんの遭遇戦闘からまだ二時間……彼女はまだ、あの廃病院に居るようです」

 

 ゼファーと未来が戦闘を行ってから、まだ二時間ほどしか経っていない。

 ゆえに、こんな早朝に寝不足覚悟で装者達を叩き起こしたのだ。

 今ならば、未来が別所に移動する前に確保することができるかもしれない。

 なのだが流石に、これだけ連戦が続けばゼファーを心配する者も出て来る。

 クリスはゼファーのピンピンした様子を見ながらも、懐疑的な言葉を投げかけていた。

 

「ゼファー、お前寝なくて大丈夫なのか?」

 

「問題ないな。昔からあんまり寝ない奴だったろ、俺」

 

「……そういやあたしより早く寝たたことも、あたしより遅く起きたこともなかったな……」

 

 ゼファーは平然としていて、疲れも迷いも感じさせない。

 こういう様子の人間が先頭に立っていると、後に続く者は皆安心してその後に付いて行ける。

 クリスもゼファーの得意技がやせ我慢なことはよく知っているが、今はゼファーの力がなければ未来を救えないことも分かっていて、少しの不安を押し込んで黙り込む。

 

「さあ、行こう。皆」

 

 これより先、彼らは何より先んじて、ブランクイーゼルに囚われた少女を助け出しに走る。

 

「奪われたら、取り返すんだ! 友も、平和も、日常もッ!」

 

 ゼファーの掛け声に、皆が強い返事を返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マリアは怒っていた。

 未来の雰囲気は、セレナのそれとどこか似通っていたところがある。

 ゼファーも、マリアも、それを感じていた。

 顔も人種も人柄も年頃も全く一致しない。けれど、纏う雰囲気がどこか似ていた。

 

 だからこそ、一般人の未来に最悪な洗脳を施し、ブランクイーゼルの武力として組み込むとウェルが通信を飛ばしてきた時、マリアは激怒した。

 

「マム! マムはどこ!?」

 

 ウェルの独断行動は、もはやマリアの許容限界を超えている。

 

「騒がしいですね、マリア」

 

「マム! 状況を把握していないとは言わせないわよ!」

 

「Dr.ウェルのことですか」

 

「あれは……あれはいくらなんでも、ないでしょう!?

 あれはあいつの悪辣な趣味よ! それだけなのよ!?」

 

「さて、本当にそうでしょうか」

 

「……? マム、どういうこと?」

 

「彼の趣味、という部分は否定しませんが」

 

 好き勝手外道な行為を繰り返すウェルに激昂するマリアとは対象敵に、ナスターシャは平然としている。

 彼女は何も言わないという形で、事実上ウェルの行動を黙認しているようなものだ。

 何故なのだろうか?

 

「彼の行動を合理性だけだと判断するも、趣味嗜好だけで判断するも、あなたの勝手ですが……

 その先に、真実はありませんよ。そうしている内は、あなたが彼を理解することはありません」

 

 マリアとゼファー。

 かつて、自分にとって一番大切だった少女(セレナ)を、同じ少女を失った二人だからこそ分かるものがあった。伝わるものがあった。離れていても繋がる共感があった。

 マリアには、ゼファーが今どれだけの激情を抱えているのか、痛いほど分かる。

 だからこそこんなにも激昂している。

 ナスターシャはそれを分かっているのだ。

 

 そうやって他人に共感し、情が移ってしまう人間では、痛みを与えるのと引き換えに世界を救うことなんかできやしないのに。

 

「マリア。神獣鏡が戦力に加わるのは喜ばしいことです。

 加え、『凶祓い』のデータも取れるでしょう。

 二課との関連をこじつけて偽装すれば、世論が敵に回ることもありません。

 今回の一件は、現段階では我々には利益しかないのではありませんか?」

 

「だけど……!」

 

「まだ、その手を汚すことに怯えているのですか?」

 

「……ッ」

 

 ゼファーが空母で捕まっていた時、マリアはゼファーに会いに行く勇気を振り絞れなかった。

 彼女はゼファーに合わせる顔がなかった。顔を合わせようとしなかった。

 彼女にとってのゼファーは、セレナにトドメを刺したアガートラームという仇。

 そして同時に、自分達を守るために殺されたゼファー本人でもある。

 セレナもゼファーも守りたくて、けれど守れなかったあの日、マリアは何を思ったのだろうか。

 

 あの戦場で、セレナはゼファーを想いながら死に、ゼファーはセレナを想いながら死んだ。

 セレナの姉として、彼女はそこに感謝も、嫉妬も覚えていた。

 妹を看取ってくれたことに感謝を、妹に最期に思われていたことに嫉妬を。

 その時からずっと、マリアがゼファーに向ける感情は二律背反だ。

 彼はその後からゼファーであると同時に、アガートラームでもあったのだから。

 

 彼女だけが、空母でゼファーに会おうとはしなかった。

 彼女だけは、ゼファーに合わせる顔がないと思っていた。

 彼女だけは、顔を合わせれば彼に自分が謝ってしまう気がしていた。

 世界中の人間に武器を向けるため、自分に課した心の強さが、崩れてしまいそうだった。

 

 だからリディアンの屋上で出会った時、冷静さを失って、建前までも失って、つい熱くなり本音で語ってしまったのだろう。

 

 マリア・カデンツァヴナ・イヴはそういう女性だ。

 根本的な部分で、打算を理由に人の情を捨てられない。利のために優しさを捨てられない。

 未来の一件でもまた、彼女の本質は顔を覗かせてしまっている。

 強がりの仮面が、剥がれかけてしまっている。

 

「覚悟を決めなさい、マリア」

 

 ナスターシャは、マリアに対し不安を抱いていた。

 マリアは米国トップアーティストとしての知名度と、ブランクイーゼルの大人世代と子世代両方から支持されていたことから、象徴的にブランクイーゼルの先頭に立っている。

 世界への宣戦布告をマリアが行ったこと、グラムザンバーを彼女が受け継いだこと。

 その辺りも相まって、マリアは組織のトップではないが、組織の先頭に立っている。

 二課で言えば、弦十郎の位置にナスターシャ、ゼファーの位置にマリアが居るようなものだ。

 

 だからこそ、マリアに不安定になってもらっては困るのだ。

 先頭に立っている者が不安になると、その不安は組織全体に伝搬してしまう。

 無理にでも気丈に振る舞ってもらわなければ、組織の土台が揺らぎかねない。

 

「目的のためにあらゆる犠牲と痛みを許容できないのなら、あなたには何も出来ません」

 

 ナスターシャは強い言葉をぶつけ、せめて世界が救われるまで、優しいマリアが貼り付けた虚勢が崩れないようにと、そう願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四人を乗せたクリスの大型ミサイルが、発射される。

 

「ラインオン・ナイトブレイザー、イチイバル!」

「コンビネーション・アーツ!」

「「 ジェノサイドサーカスッ! 」」

 

 単独でも音速の三倍という馬鹿げた速度のそれは、ネガティブフレアによる空気抵抗の軽減と、アクセラレイター五倍速の時間加速を受け、神速に至り廃病院へと飛んで行く。

 

「! 早いな……全員戦闘態勢!」

 

 だがそこで、早くも迎撃の光が放たれる。

 "直感"でゼファー達の奇襲を読んだ未来が廃病院屋上に立ち、四人に光をぶっ放したのだ。

 ミラーデバイスによる多角攻撃『混沌』でもない。

 扇のアームドギアを使った光撃『閃光』でもない。

 武器を扇状から更に広げ、円ではなく輪の形に変形させ、体と直結させて撃ち出す極大砲撃。

 『流星』だ。

 

《《           》》

《 歪鏡・シェンショウジン 》

《《           》》

 

 紡がれる歌が戦場に満ち、光の攻撃が彼らに迫る。

 光速でないことだけが救いだったが、天羽々斬の移動速度よりも遥かに速い弾速で、神獣鏡の光撃がゼファー達に迫り来る。

 彼らはそれを、跳躍で回避した。

 光に飲み込まれたクリスのミサイルには大量の爆薬が詰まっていた……が、神獣鏡の破魔の光にその力を消されたことで、爆発すらしないままに消える。

 

「行け、ゼファーッ!」

 

 そこで、未来が更なる手を打って来る前に、チーム・ワイルドアームズは勝負をかけた。

 

 クリスが叫び、まずゼファーを乗せる用のミサイルを発射する。

 続き翼がレイザーシルエットを発動、フィーネ戦で使った千ノ落涙と天ノ逆鱗の合わせ技『千ノ逆鱗』を、今日まで重ねてきた訓練の成果として結実させ、解き放つ。

 一瞬遅れてクリスはエネルギーリフレクターを展開、ゼファーに纏わせる。

 響はゼファーと共にミサイルに相乗りし、彼に随伴した。

 

 結果、ゼファーはミサイルの速度で飛翔しながら、翼の剣・クリスのリフレクター・響の調和の力に守られて、未来へと一気に接近していく。

 

「ゆけ、ゼファー! 友を、今度こそは守れ!」

 

 翼が奏を思い返しながら、友を助けるために飛ぶゼファーの背中へと叫ぶ。

 未来は構わず歌いながら、アームドギアからミラーデバイスを射出した。

 

「ゼっくん!」

 

 そこでゼファーの直感が、続いて響の声が、只事ではない危機を叫ぶ。

 

「……冗談だろ、おい!」

 

 32のミラーデバイスが、"増えている"。

 それが鏡面効果を利用した分身だと瞬時に気付けたのは、ゼファーが一度彼女と戦ったことがあったからだろう。

 性能を維持したままミラーデバイスはその数を四倍に跳ね上げ、総数128へと至る。

 そしてその一つ一つから、聖遺物殺しの光が放たれた。

 

 20のミラーデバイスは未来の側から、直線的に。

 108のミラーデバイスはゼファー達を取り囲むように、多角的に。

 信じられない数の光を、信じられない殺傷力で当ててくる。

 

「ヒビキ、もっとくっつけ! ……死ぬぞッ!」

 

「う、うん!」

 

 翼の超巨大剣を無数に重ねた防御が、熱湯に放り込まれた氷のように溶けていく。

 ビームやレーザーに属する光撃に対し極めて相性のいいクリスのエネルギーリフレクターが、その役目を果たしながらも光に溶かされていく。

 圧倒的な質量? そんなもの、この凶祓いの光の前には何の意味も成さない。

 光の光撃に対する相性の良さ? そんなものが、この聖遺物殺しに勝てる道理はない。

 

 翼の剣は時間稼ぎの盾となり、クリスのビームリフレクターは破魔の光を偏向してゼファー達を守るも、次々と消されていってしまう。

 

「消されて……たまるかぁぁぁぁッ!!」

 

 そこで響は、敵のエネルギーを吸い上げ弱らせ、中和して消す力を発する。

 響の力は神獣鏡が放つ力にも通じるようで、その光を片っ端から減衰させていった。

 クリスのリフレクターが光を弾き、響の力がそれを補助して、弾ききれなかった光を翼の剣が物理的に防ぐ壁となる。

 だが、それももう限界だ。

 

 未来を目の前にして、装者三人がかりの防壁はとうとう突破されてしまう。

 響を庇って、その光の全てをゼファーは体で受け止めた。

 

「ぐッ……あッ……あああああああああああッ!!」

 

「ゼっくん!」

 

 三人の装者による防御を超えてきた光はほんの少量であり、前回の戦いでゼファーがくらったものと比べればその威力に雲泥の差がある。

 それでも、ゼファーにとっては天敵の一撃だ。

 残り少ない命が、少しづつ削られていく。

 

「う……ぐ……あ……! ま、け、る、かッ……!」

 

 アガートラームは、皆の想いを束ねて力に変える聖遺物。

 彼の想いもまた、アガートラームは力に変える。

 次々と想いが形を変えた力は神獣鏡によって消されるものの、神獣鏡は力に変わっていく想いまでは消せず、ゼファーはしぶとく消されないよう足掻き続ける。

 

 神獣鏡は聖遺物の力を消せる。けれど、聖遺物から発せられる想いまでは消せていない。

 想いが、消えるものか。

 想いが、消されるものか。

 想いを、消せるものか。

 ゼファー・ウィンチェスターが、こんなにも未来を思っているのだから、尚更に。

 

 彼を殺しているのが未来の力なら、彼を生かしているのは未来への想いだった。

 

「ゼっくん! あと少し! 頑張って!」

 

 響は全力で光を減衰させながら、数秒の光の照射を乗り切ったゼファーを叱咤する。

 だがそこで、また防御を抜けた数秒の光の照射が、ゼファーを襲った。

 もはや声にすらならなった悲鳴を、耳を塞ぎたくなる声色で、彼は上げる。

 

「―――ッ!」

 

 ぶちん、と意識が切れて、彼は失神し心の中から浮かび上がってくる声と対話を始める。

 

『死ぬのが怖いって思ってるくせに、そんなに簡単に命を投げ出すんだ?』

 

(簡単とか言ってくれるなよ。何が何でも死にたくないって、今でも思ってる)

 

 ほんの一瞬で、彼の脳内に無数の言葉が行き交う。

 

(昔さ、大切なものがほとんど無かったから……

 漠然と死にたくないって、そんな思いだけで死んで逃げるのをやめてたんだ。

 大切な人ができたらさ、それを守るために死ねないって思ってさ。

 全部失ったら……漠然と理由もなく死にたくないって思う方法……忘れちゃってさ)

 

 日本に来てすぐの頃、ゼファーは全てを失った心持ちだった。

 

(その時、未来達と出会ったんだ。また、死ねないって思えた)

 

『守りたいものになったんだな』

 

 けれどこの国で、また新たに大切なもの、守りたいと思えるものと出会った。

 

(日常の幸せが、俺に当たり前の"死にたくない"をくれたんだ。

 ここに居たいって、ここで生きていたいって思ったんだ

 だから……俺はいつ死んでもおかしくないその体で、生きていられたんだ)

 

『そうだな。お前が死にたくないと思う理由は、お前にしか守れないものがあるからだ』

 

(今では、ミクのためなら死んでもいいって、そう思えるくらいに大切なんだ)

 

『お前は死にたくないとか言うくせに、自分の命より大切な奴が何人も居るな』

 

 頭の中に湧く声との自問自答のような会話を終え、ゼファーは一瞬の失神から復帰する。

 

(だから……死ねない! ここで……俺がミクの手で死ねば、ミクが傷付く!

 ミクとの約束が果たせなくなる! だから! ここで、こんな場所で、死ねるかッ!)

 

 そして、未来の目の前にまで辿り着く。

 

「ミクッ!」

 

 ゼファーが踏み込む。

 未来が神獣鏡の光を纏わせたアームドギア、畳んだ扇子のような武器を振りかざす。

 

「行って、ゼっくん!」

 

 すかさず響が未来の懐に飛び込んで、畳まれた扇子の様なその武器には触れないように、未来の手を取って逸らし、ゼファーを破魔の物理攻撃から守る。

 その隙にゼファーは、未来の心に手を伸ばすように、彼女のその胸に触れる。

 

「お前を、俺の友達を、君の笑顔を―――取り戻す! アクセスッ!」

 

 そして、彼女の心の奥底へと、アクセスした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 未来の心にダイブして、ゼファーは彼女の心に降り立つ。

 精神世界の地面――地面と言うべきなのか――に足をつけ、彼は周囲を見渡した。

 

「ここは……?」

 

 当然ながら、人の精神に入るなんてことは彼も初体験だ。

 他人の心に入ったことのないゼファーに未来の心の中なんて想像できるわけもなく、彼の予測では心の中はごちゃっとしていて、かつ汚れた部位がある、といった程度のものだった。

 しかし、その予想はいい意味で裏切られる。

 

「ミクとヒビキの実家がある場所……いや、なんか町並みが違う……?」

 

 そこは、小日向家や立花家がある地の近所、のように見えた。

 見慣れた町並みであるものの、見慣れない建物が多い。

 見慣れた建物も何故か幾分新しい印象を受けるし、気持ち全体的に前時代的な街になっている、といった印象を受ける。

 そして、誰一人として通行人が居なかった。『人の気配はあるというのに』。

 普段人がごった返している大通りですら人は見当たらず、空っぽの街に人の営みの気配だけは広がっているという、ほんのりと怖くなる光景。

 "人の気配"といったものを再現しているのに、"人そのもの"は再現していない、そんな光景。

 そこで、ゼファーにかかる声があった。

 

「ここは、私の記憶の中の町」

 

「!」

 

「私の思う日常、平和、友達の帰りを待つ陽だまりの場所」

 

「未来……」

 

「いらっしゃい、ゼっくん。私としては恥ずかしいからあんまり見て欲しくないんだけどね」

 

 彼が背後からの声にばっと振り向けば、そこには小日向未来が居た。

 リディアンの制服を着て、眩し過ぎず暗くもない陽だまりのような微笑みを浮かべている。

 けれど少しだけ、照れくさそうだ。

 付き合いの長いゼファーから見ても、いつもの彼女のように見えた。

 

「無事だったのか?」

 

「無事といえば無事、無事じゃないといえば無事じゃないよ」

 

「……まあ、それもそうだよな」

 

 夢魔に脳を操られているとはいえ、その精神も魂も、傷付けられてはいないということか。

 こうして心の中の未来と会話ができることは僥倖であったが、それだけだ。

 未来が無事だったと後腐れなく喜ぶには、彼は彼女を呪縛から解き放たなければならない。

 

「未来、お前を操ってる……ええっと、これじゃ分かりにくいか。

 お前の頭の中に入ってきてる、異物みたいなのがどこかにあるのを感じないか?」

 

「感じるよ。今、上から降ってきてる」

 

「は?」

 

 それはどういうことか、と、ゼファーが問おうとしたその瞬間。

 地面に突如大きな影が見えた。

 それが見えた瞬間に、ゼファーは未来を抱えて遮二無二横に跳んだ。

 落下してきた謎の影。粉砕されるコンクリートの地面。巻き上げられる無数の瓦礫。

 自分よりも一回り重く大きな何かが落ちてきたことを耳で確認し、ゼファーはそれを視認する。

 

 そして、『それ』の外見に吐き気を催した。

 

「……うっ、げ、ぇっ……なんっ、だッ……あれ……!?」

 

 『それ』は、あらゆる汚らしい色を集めた結果出来た、歪な黒だった。

 『それ』は、泥と吐瀉物と排泄物を集めて捏ね繰り回した、そんな形をしていた。

 『それ』は、どんなものでも比肩すらできない、吐き気をもたらす悪臭を放っていた。

 『それ』は、聞いただけでそれに憎しみを抱くほど、醜悪な呻き声を上げていた。

 『それ』は、誰が見ても口を揃えて"悪"と呼ぶであろうものだった。

 

「あれが、私の中に巣食っている異物!」

 

「あれが!? ……成程、あれくらい醜悪なら納得だ。あれが『夢魔』なんだな」

 

「あれを倒さないと、私は、私に戻れないの!」

 

「なら、話は早い」

 

 近付くどころか、見ているだけでも正気を失ってしまいそうな醜さだ。

 ゼファーは未来を地面に降ろし、いつかのように背中に庇い、叫んだ。

 

「アクセスッ!」

 

 しかし、キーワードにアガートラームは応じず、肉体は全く変化しない。

 

「……あれ? ……あ」

 

 ゼファーが致命的な隙を晒した瞬間、ぐちゃりぬちゃりと黒い泥塊は這うように迫り来る。

 とりあえず未来から引き離さなければと、彼は走って立ち位置を変えつつ立ち回り始めた。

 

(ここじゃアクセス出来ないんだ!

 今、俺の精神と魂はアガートラームの体と切り離されている……!)

 

 いくら普段アガートラームを精神の奥の内的宇宙から取り出しているとはいえ、肉体をナイトブレイザーにした後に、それと切り離された精神がナイトブレイザーになれるわけがない。

 今ここにある彼の精神は、人の精神をコピーした、人のものでしかないのだから当然だ。

 彼は飛びかかってくる汚泥塊をかわすため、跳躍を重ねる。

 

「ぐっ!?」

 

 ゼファーにかわされた突撃が地面を砕き、コンクリの破片と黒い泥の飛沫を撒き散らす。

 その一滴が腕にかかった時、ゼファーは腕がもげるかと思うほどの激痛を感じた。

 すぐさま精神体の一部として構成されていた上着を脱ぎ捨て、腕の泥を拭って捨てる。

 

(こいつ、は……!?)

 

 猛毒、なんて生易しいものではない。

 よく見て観察してみれば、接触はほんの一瞬であったのに、腕の肉が黒々と汚染されている。

 気分も今の一瞬で相当に悪くなっていた。視界までもがブレている始末だ。

 投げ捨てた上着はほんの一滴の泥に今では食いつくされ、面影も残っていない。

 肌に触れれば骨まで溶かす。気分が悪くなるのはおそらく猛毒。物を食らって増殖もする。

 地球に存在するありとあらゆる毒物劇物を混ぜてもこうはならないだろう。

 

 醜悪さに相応の、凶悪な性能の泥だった。

 

「ミク! 離れてろ!」

 

「う、うん」

 

 未来に被害を及ぼさせないために囮を買って出たのはいいが、敵は恐ろしいスピードとパワー。

 中型ノイズクラスのスペックはある上、この猛毒。

 ……異臭がするということは、この汚泥は気化もしているということ。

 精神体とはいえ、呼吸すらも悪手だ。短期決戦でどうにかするしか無い。

 素手で殴るわけにもいかないので、ゼファーはその辺のこぶし大の石を拾って構える。

 

「■■■■」

 

「え?」

 

 しかし予想に反し、黒い化物は襲っては来なかった。

 耳にするだけで嘔吐しそうなほどに醜悪な声を上げ、何故か背を向け去っていく。

 割れ目も隙間もない路面のコンクリートに染み込むように、化物は地面の下へと消えて行った。

 

「……なんだ? どうなってんだ?」

 

「記憶に潜行されちゃったみたい。怪我は大丈夫? ゼっくん」

 

「ミク」

 

 いつの間にか、ゼファーの隣には未来が居た。

 傷一つなく、埃や汚れ一つなく、青年はホッと息をつく。

 彼女を守れていなければ、本当に彼はここで少なからず気に病んでいたかもしれない。

 

「ああ、このぐらいなら問題ないぞ。それより、記憶に潜行されたってのは……?」

 

「あの『いやなもの』は私の記憶を、一番古いものから汚染してるの。

 私の記憶に勝手に感情を植え付けて、私の記憶ごと改竄してる。

 私が誰をどう思ってるかとか、簡単に書き換えちゃうの」

 

「……まさか、記憶の復旧も出来ないようにしようとしてるのか?

 本物の記憶を改竄したものを脳に焼き付けて……バカな、心より脳の方が先にどうにかなるぞ」

 

「現実の方の私は、ゼっくん達をそろそろ憎く思い始めてるかも」

 

「……最悪だ」

 

 神獣鏡のシンフォギアには『ダイレクトフィードバックシステム』という機能がある。

 この機能が可能とすることは、脳をスクリーンとして使い、そこに映像を映写するシンフォギアをイメージすればイメージしやすい。

 神獣鏡にインストールされたデータを、随時脳に投影する。

 これによって規定のプログラムを、脳内で実行させることが可能となった。

 

 テストで教科書を見ながらやるのなら、百発百中で百点を取れるのと同じだ。

 脳からの指令で、肉体に特定の動きを再現させることができるならば、戦闘技能及び戦闘思考をトレースさせることで、熟練の戦闘者の動きを百点満点で再現できる。

 しかしこの機能は、逆に言えば、特定の脳の動きを強制されるということでもあった。

 

 自分が歌っている時、隣で誰かが歌っているとリズムが崩れて歌えなくなるということがある。

 ならば普通の思考をしようとした時、神獣鏡が別の思考を投影してきたらどうなる?

 混乱する思考の上に更に同じ思考を神獣鏡が上塗りで投影してきたらどうなる?

 何度も繰り返し一定の思考を投影されれば、それ以外の思考ができなくなるのではないか?

 

 それがこのシンフォギアの恐ろしい特性だ。

 時間さえかければ、どんな人間でも洗脳を可能としてしまう。

 人間がシンフォギアを完成させる部品に成り下がってしまう、最凶のシンフォギア。

 

 が。

 強烈な想いがあれば、この洗脳は弾かれてしまう。

 このギアの使用から短期間にシンフォギアを剥ぎ取れば、その洗脳は解けてしまう。

 あくまで脳への情報の書き込みではなく、投影にすぎないからだ。

 情報それそのものは何を見た、聞いた、感じたというレベルのものでしかない。

 強い想い、装者にとっての禁忌、そういったものをギア単体で強制するのは難しい。

 事前に処置を施しても、短期間では確固たる意志は崩しづらいのだ。

 

 そこで七年前にウェル博士が目を付けたのが、『夢魔』との併用であった。

 

 夢魔は先史の時代に作られた、電界25次元を司る電子情報体生物。

 機械の電気信号、脳内の電気信号、電気信号があれば何にでも寄生し操る能力を持つ。

 しかし、要するに電子の塊であり、制御が非常に難しいという難点があった。

 

 先史文明時代には目的に合わせたAIをセットしてから生育する用法がよく使われていたが、現代においてはそれらの技術は全て失われている。

 よって、何をするか逐一指示を出さなければ動かない。

 しかしよく考えなくとも、他人の脳の中に植え付け、その後一々指示を出すのは手間だ。

 そこで指示を出すためのアンテナとして、神獣鏡のシンフォギアに白羽の矢が立った。

 

 この組み合わせが、ウェルさえも予想していなかった相乗効果を生み出した。

 夢魔を併用しての精神操作は情報の脳内投影どころか、記憶の消去・捏造・思考の誘導を自在に行いつつ、脳に全く負荷をかけないことを可能とした。

 脳というハードさえあれば、記憶のコピー&ペーストを繰り返して全く同じ人格と記憶を持った人間の複製すら可能。

 機械的に言えば、処理の早いOS、容量の大きいOS、多芸なOSをポンポン切り替えられる。

 人間的に言えば、勇敢な人間、知的な人間、冷静な人間の人格を切り替えられる。

 

 そのため、今の小日向未来はどんな装者よりも強い。

 それだけでも厄介なのに、ウェルがその精神にまで干渉するためか、脳への負担もかけ始めたようなのがなお面倒だ。

 未来を助けたいゼファーからすれば、厄介な要素がどんどん積み重ねられているようなもの。

 

 ゼファーは虎穴に飛び込んだ。

 敗北の対価は小日向未来の命。敵は人格など鼻歌交じりに吹き飛ばす夢魔。

 未来の記憶が全て塗り潰される前に、未来の心を蝕む元凶を見つけ、打倒せねばならない。

 アガートラームもなく、その精神一つで、敵のホームグラウンドで、だ。

 

「やってやるさ」

 

 この戦いに、ゼファーの唯一無二な友たる小日向未来(フォースデトネイター)の命がかかっている。

 ただそれだけの理由で、いつだってゼファー・ウィンチェスターは誰よりも強くなれる。

 無理無茶無謀など、いつものことだ。

 

「ミク、あの敵が居そうな場所に案内してくれ。なんとかしてみる」

 

「……え、あ、うん。分かった。でも、無茶はダメなんだからね?」

 

「わーってるさ。早めに決着しないと、外の皆も危ないしな」

 

 先導してくれる未来の後に続いて、ゼファーは彼女の心の奥深くに潜っていく。

 あの泥の怪物に汚染された腕が、意識が飛んでしまいそうに痛い。

 それでも、弱音を吐いている場合ではないと、ゼファーは腕を庇いながら歩き始めた。

 

 

 


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