戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
拠点に帰還したネフシュタンの少女は、自分に"ナイトブレイザーの確保"を命じた同志、ネフシュタンとゴーレムという『力』を与えてくれた恩人に顔を見せに行った。
拠点に帰るまでの間に、休憩込みで6時間ほど指定された特殊な道程を通って、尾行の可能性を潰す徹底さもまたその恩人の入れ知恵だ。
「フィーネ」
「お帰りなさい。報告はいいわ、こちらで把握してるから」
フィーネと呼ばれたその女性は……F.I.S.と米政府の一部を裏から牛耳り、かつての日に奏の死に追い込まれていたゼファーを、マリア達に合わせた女その人だった。
ゼファー達の敵なのか、味方なのか。
分かっていることは、彼女が今は二課の敵として立ちはだかる位置に居るということのみ。
「悪ぃ、初回で一発成功ってわけには行かなかった」
「構わないわ。これで終わりというわけじゃないもの」
ネフシュタンの少女は、鎧を脱いだ状態で拍子抜けしたような表情を浮かべる。
圧倒的な戦力を預けられたというのに、手ぶらで帰って来た失態を自覚していたからだ。
少女は少女なりに考えて撤退を選んだわけなのだが……叱責覚悟で帰って何も言われないということに、少々驚きが勝る。
「それに、あなたを過小評価してるわけではないけど……
アレが一筋縄で行くとは思ってなかったもの。
あなたが無理をしていたら、バニシングバスターがどこに刺さっていたことやら」
「随分と買ってんだな、あのナイトブレイザーって奴を」
「さあ、どうかしらね」
フィーネははぐらかし、ネフシュタンの少女は舌打ちする。
少女はあの黒騎士が気に入らない、気に入らないが……それでも、その実力の何もかもを認めていないというわけではない。
事前のデータから、今日の襲撃は決着まで一分もかからないだろうと予測していた。
にもかかわらず、ナイトブレイザーは単独でネフシュタン・アースガルズ・ディアブロの三体相手に粘りに粘り、少女の油断込みとはいえ十分以上持ちこたえていた。
結果、仲間が駆けつけるのが間に合わったわけだ。
あのしぶとさは、いっそ脅威ですらある。
「……なあ、本当にこれで、この世界から争いを無くせるんだよな?」
「あら、弱気になったのかしら」
「ちげーよ! ただ、あたしは……」
ネフシュタンの少女の脳裏に蘇るのは、自分の鞭を受けて痛そうにしていた一人の少女。
立花響のその姿だ。
よく考えなくても、あの戦いの中でネフシュタンの少女にはたった一つ、それを選ばない理由がない決定的な有効策があった。
戦うことも逃げることもできない変身前の響や麻里奈を捕らえ、あるいは攻撃を向け、ナイトブレイザーに対する人質として利用すればよかったのだ。
そうしなかったのは、このネフシュタンの少女が単純な悪ではなかったから。
この少女が、本質的にはどこまでも『弱者の味方』だったから。
自分が弱者の視点からしか世界を見ていないから、その視点が歪んでいると気付けない、そんな少女だったから。
力で弱者を圧する強者を、心の底から嫌悪する少女だったから。
だから戦いが終わってから時間が経った今となっても、立花響という弱者を傷めつけたことに、少女はほんの少しの気後れを感じてしまっている。
「……後味が悪ぃだけだ」
そんな少女を見て、フィーネは深く溜め息を吐いた。
「あなた、目的のために人生を懸ける気はある?」
「……フィーネ?」
「目的のために命を懸ける気じゃない。人生を懸ける気があるかよ」
フィーネは少女から取り上げた杖を一振りする。
するとノイズが前触れもなく現れて、彼女がもう一度杖を一振りすると消え失せる。
『抗いようのない人類の天敵』と呼ばれ、人に恐れられているはずのノイズが、今この場所では人の玩具のような扱いをされていた。
「戦いの一瞬一瞬に命を懸けるのは意外と難しいことじゃないわ。
だけど人生を丸ごと懸けるのは中々に苦難の道よ?
一瞬の覚悟だけでなく、一生の覚悟を決められたなら……そんな些事は無視できるはず」
少女はフィーネの眼を覗き、ゾッとする。
覚悟を語る時、この女性はその内に秘めた深い深い何かを微かに見せてくるのだ。
「私なら、目的のために人生の全てを懸けることを躊躇いはしないわ」
「―――っ」
それが試すような、挑発するような語調であったから、ネフシュタンの少女は声を張り上げてその意に応えて見せる。
「上等だ、見てろ! あたしが本気だってことを分からせてやる!」
その少女の威勢の良さに対してか、あるいは扱いやすさに対してか。
フィーネは微笑み、手にしていた"ノイズを操る杖の聖遺物"を少女に投げて渡す。
「いい気勢ね。それでこそ、あの二体を預けた甲斐がある。
アースガルズに、あなたの両親の歌をアルゴリズムとして組み込んだ甲斐がある。
貴重な上位ゴーレムを、事実上あなたとの連携用にチューニングした甲斐がある」
杖の聖遺物が故障していないことを確認したフィーネは、新たな任務を少女に申し付ける。
「新しく二つ、私のお願いを聞いて頂戴な。
ナイトブレイザーとその二つを、私の下に持って来て頂戴」
第二十八話:覚醒の鼓動 5
今回の一件、二課で地味に活躍していた者達が居る。
現場のレーダー端末やカメラを操作し、戦闘の余波でそれらが破壊されたと見るやいなや、無人観測機を飛ばして情報収集に動いた藤尭や土場などの一部のオペレーター達だ。
お陰で二課は謎だらけの新たな敵に対し、一定の情報を得ることができた。
二課の皆を集め、その内容を語るはトップたる弦十郎だ。
「ここを見てくれ。ゼファー達がアースガルズの攻撃で視界を封じられた瞬間……
ネフシュタンの使い手が手元で杖のようなものを操作している。
コイツが以前から存在だけを示唆されていた、『ノイズを操る聖遺物』と見ていいだろう」
無駄に金をかけていそうなシアターに、録画された映像が映し出される。
そこにはアースガルズの対消滅攻撃のさなか、手にした銀色の杖を操る少女の姿があった。
どう見てもそれは単体で機能を発揮しており、完全聖遺物であることは明白である。
響はゼファーの左隣に座り、ゼファーからコーラの入ったコップを渡されてそれを見ていたが、周囲の"ノイズを操る杖"に対するざわめき、何故か自分の背後の席を取った翼の存在が恐ろしくて映像に集中しきれていない。
「以前、ゼファーはノイズに男の影を見たと言っていたな?」
「はい、朧気ですけど……でも今となってはその前言、撤回したいですね。
勘ですが、かつ今更ですが、なんだかその思考が誘導されているような感じが……」
「ふむ、そうか。
なんにせよ、こいつらが今日まで様々な事件の裏で暗躍していたことは間違いない」
不可思議な動きをするノイズ。
近年になって現れ始めたゴーレム。
そして、それらを影で操っていると思われる紫のギアの女性と、ネフシュタンの少女。
今まで断片的にしか見えていなかった『敵』の姿が、ようやく見え始めてきたのだ。
「ゼファー、ネフシュタンの少女は直接戦ってみてどう感じた?」
弦十郎が話を振ると、周囲の視線が一斉に集まってきて、響は気恥ずかしさからか身を縮める。
堂々と言葉を紡ぐ隣のゼファーが、彼女の目にはやたらと立派に見えた。
「蹴りは十分に脅威。拳撃はパワーだけです。
鞭は技量そのものはそこまで脅威じゃないですが……間合いの取り方が上手かったですね」
「うん? 牽制に使ってたってこと?」
「いえ、牽制はあまり無かったです。雑把な牽制ではなく、正確な距離調整だったと思います」
甲斐名が質問に口を開くと、ゼファーは自分の分析に淡々と補足する。
「中距離での鞭の差し込みは恐ろしく巧みでした。
隙を見せれば打って来る。近付こうとしたら打って突き放す。
飛び道具に対する見切り・回避・迎撃も見事でしたね。こっちの飛び道具で直撃はゼロです」
「なーる、読めてきたぜ。そいつは"ネフシュタンを使いこなせていなかった"んだな?」
「はい、俺にはそう見えました。
格闘戦も近付いて来た敵を蹴っ飛ばすものだと考えれば辻褄が合います。
近距離はしのぐ、中遠距離で仕留める。あの少女の本職は間違いなく飛び道具です」
そしてその補足に真っ先に理解を示したのは天戸。
ゼファーの目には、ネフシュタンの少女は『離れた場所からの攻撃技術』『距離を保つ技術』『飛び道具を回避する技術』が特に際立って見えた。
逆に近接格闘では蹴り以外に見るべきところはなく、凡庸の域を出ていない。
「近接戦の技量は正直高くはない……ですが、センスが飛び抜けてます。
動きが洗練されていないのにセンスで補ってくるんです。
タイプで言えば俺やツバサとは違う、どちらかと言えばカナデさんに近いタイプかと」
「天才、というわけだね」
「はい」
それでも、ゼファーも翼もこの少女を近接戦で倒すことはできなかった。
ネフシュタンの少女を『天才』と今呼んだ土場を始めとして、ゼファーが奏を例に上げたことでこの場の多くの人間が、この少女の性質を理解する。
突き抜けた"戦闘センス"。
努力不足、技量不足を補って余りある才能の塊の象徴。
完全聖遺物に突き抜けた才能が合わされば、成程、歴戦の聖遺物使いであるゼファーや翼と互角以上の戦いができるのも頷ける。
ゼファーの意見を聞き終わると、弦十郎は次に翼に話を振った。
「よく分かった、座っていいぞゼファー。翼、お前はどう思う?」
「概ね同意見です。……ですが、私は出会ってすぐの頃のゼファーと似た印象を受けました」
「俺と?」
「自分で編み出した技が、銃を持つ手を使わない足技だったってこと」
「……ああ、成程」
ゼファーは最初の頃、翼と模擬戦をした時に弦十郎の正拳の模倣と、自分なりに編み出したカカト落としを鍛え上げてきた。この二つは今となっても彼が信を置く強力な格闘技である。
カカト落としは足技だ。
当時まだナイトブレイザーではなく銃火器がメインウェポンであったゼファーは、両の手を使わない足技の方が使い勝手が良いと、そう認識していた。
銃を使わなくなって――使えなくなって――久しいゼファーと違い、彼との想い出をちゃんと覚えていた翼だからこそ、ネフシュタンの少女とゼファーの類似点に気付いたのかもしれない。
「ディアブロ、アースガルズのデータについては、各自手元の資料を見てくれ」
二体のゴーレムについては過去に戦いの記録があり、こちらは考察・分析・研究も進んでいる。
響も手元の資料を見たが、専門用語が多すぎててんでちんぷんかんぷんだった。
「敵は強大だ。だが、悪いニュースばかりってわけでもない」
弦十郎が響の方を見る。
新たに現れたシンフォギア装者。立花響は、二課に降って湧いた希望だった。
翼とゼファーの生存を考えるのならば、弦十郎は響を二課に誘って一端の戦士として鍛え上げ、戦力を補強すべきなのだが……彼は何も言わない。
おそらくは、奏の時の後悔が残っているのだろう。
奏の二課への参入を許したことが正しかったのか、今でも彼は苦悩しているのだ。
二課のトップとして、人の命が守られる可能性を高めるため、彼は響を誘うべきだ。
だが風鳴弦十郎という個人は、子供をできる限り物騒な場所から遠ざけたいと思っている彼は、一度失敗して子供を死なせてしまった彼は、響をこのまま日常に帰してやりたい。
響が手にしたギアが
そんな彼の考えを、席を立って自己主張をし始めたゼファーが後押しする。
「ゲンさん、俺はヒビキが戦うことには反対です。
今日まで普通に生きてきた女の子に背負わせるには重すぎます」
立花響の特性は、唯一無二と言っていいものだ。
例えば敵として現れたシンフォギア装者が自爆覚悟の絶唱を撃ってきたとしても、それを発動前に無効化して互いの命を守ることすら、いずれは可能になるかもしれない。
今回の戦闘でも、エネルギー無効化は非常に強力な役割を果たしてくれていた。
味方になってくれるに越したことはないのだが……それでも、ゼファーはそれを受け入れない。
立花洸のことを片時も忘れていない彼が、安易に響を危険な場所に置けるわけがない。
「大丈夫です、ピンチなんて慣れっこですよ。
ここから俺達だけでも勝てる道を探せばいいってだけの話です」
だからゼファーは、響を二課に受け入れない流れを作り、その上で希望を持たせる流れに持って行こうと決めていた。
だが、それはあくまで彼の考えだ。
響の考えではない。
勝手に話を進めようとするゼファーの言葉を遮り、立花響は立ち上がる。
「私、戦うよ」
「! ヒビ――」
「ゼっくんに言われても、こればっかりは譲れない。
私にだって守りたいものがある。選びたい選択があるんだから!」
一般人ながらも、響は響なりに決断をして立ち上がった。
今日まで、彼女は多くのものを見てきた。今日も多くのものを見た。
ノイズに脅かされ、泣きそうになっている小さな女の子を見た。
見ていられないくらいにタコ殴りにされるゼファーを見た。
ならば彼女が、棚ぼたでも力を得た彼女が、立ち上がるのは当然のこと。
「私はもう、川から引き上げられるだけの子供じゃないんだよ?」
「―――」
力強く言い切る響を見て、ゼファーの中に脳裏に浮かんだのは二つの光景。
一つは彼が二度送り出してきた、リディアンの卒業生達。
彼は学校というコミュニティに生き、卒業というイベントを経ることで、『人は時間と共に成長するものである』ということを実感していた。
こと、少女という人種に対しては特に。
それは立花響という少女の成長を、彼にすっと受け入れさせる。
そしてもう一つが、立花洸が彼に残した最後の言葉だった。
―――生きることも選べない、こんな衝動的に死を選んで、君に最後に心残りを口にしてしまう、こんな情けない男の言葉を聞いてくれるなら。
―――あの子の幸せを、人間としても、父親としても、男としても強く生きていけなかった俺の代わりに……守ってやって欲しい。
ふと、思ったのだ。
"あの人が願ったことは、娘を安全な場所に押し込んでもらって、娘がやりたいことを何もできなくなることだったんだろうか"と。
答えは出ない。死人に口はない。
立花洸の気持ちを、ゼファー・ウィンチェスターが完全に理解することなどできない。
だから悩んで……ゼファーは"妥協の尊重"を、とりあえずで選択した。
「……絶対、俺達の指示を無視して無茶をしたりはするなよ」
「! うんっ!」
周囲が響を見る目が、少しだけ変わる。
"巻き込まれた奇妙な境遇の子"から"ゼファーを言い負かした彼の友達"へ。
立ち上がる響を見る周囲の目線から、先程まであった憐れみは大分薄れていた。
「私、戦います! 慣れない身ではありますが、皆さんと一緒に戦えればと思います!」
響は二課の皆に対し、丁寧にではなく元気よく頭を下げる。
頭の下げ方一つにも、その人間の性質というものは見えてくるものだ。
「よろしくお願いします!」
数秒の沈黙の後、拍手の音が聞こえ始める。
拍手を始めたのは、部屋の隅に居た緒川だった。
そこに朔也、あおい、了子と後続が続き、誰もが口を開かぬままに、全員が拍手で響を二課に受け入れる意志を見せる。
皆が揃って手を叩く音は、千の言葉よりもより強く響の心に響いて、彼女を笑顔にさせるのだった。
誰もが響を見ていたせいで、人知れず翼がこの場所を離れたことに、気付いた者は居なかった。
自室に帰り、翼は拳を壁に叩き付けた。
壁は拳に打ち負けて、ヒビを入れられる。
珍しく物に八つ当りする彼女の姿が、如何程の苛立ちが彼女を苛んでいるかを証明していた。
「……っ!」
翼は胸のペンダントを強く握る。
それは天羽々斬のペンダントではなく、半壊したガングニールのペンダント。
塵芥と化した奏の亡骸だったものの中から、翼が涙ながらに拾い上げたものだ。
「ガングニールは、奏のものだ……!」
翼は奏がガングニールを使うために、どれほどの苦難を乗り越えて来たか知っている。
成功の保証もなく服用すれば死の可能性もある、と言われた上でリンカーを躊躇なく使い、血の海に沈んでなお膝を折らなかったあの強さを、翼は目に焼き付けている。
「奏が血反吐を吐く思いで頑張ったから、応えてくれたんだ……!
他の誰かが、使っていいものじゃない、何物をも貫き徹す無双のひと振りなんだ……!」
なのに。
翼の目の前に現れた少女には、あの時の奏のような心の強さは欠片も見えやしないのに。
天羽奏の"ギアをかろうじて纏える奇跡"よりもはるかに上等な、"ギアをノーリスクで纏える奇跡"が、立花響には贈呈されていた。
「そんな、意志の強さが奇跡を産んだ、だなんて……」
それが、風鳴翼には許せない。
「……まるで、必死に戦い続けていた奏の意志が弱かったみたいじゃない……!」
立花響の『生きたい』という強い意志が起こした奇跡は、了子が太鼓判を押すほどのもの。
けれど、それでは……まるで奏の意志よりも響の意志が強かったから、奏よりも響の方に大きな奇跡が起こったようではないか。
ガングニールが、奏より響を選んだようではないか。
奇跡が一生懸命の報酬なら――
「あの日死んだ奏が、あの日生きたあの子より、意志が弱かったみたいじゃない!」
――何故、二年前のあの日の奏には奇跡が起こらなかったのだと、翼は理不尽にであれど、そう思わずには居られない。
「皆も、皆よ……
ガングニールは奏のだって、思ってくれないの……?
奏の居場所だった場所が奪われてるみたいだって、思わないの……!?」
支離滅裂な思考は続く。
「ゼファーなら、ゼファーなら、許せた」
翼は胸の壊れたガングニールを握り直す。
彼女はペンダントという形で、奏の形見を受け取っていた。
ゼファーもまた、自分の焔でガングニールの波形・形状を模倣するという形で、"奏のガングニール"を継承していた。
物理的に何も受け取っていないというのに、奏のガングニールを独力で再現し、奏から受け継いだものがあると無言で証明するゼファーのあの日の背中に……翼は敬意すら抱いていた。
だからこそ。
幸運と偶然だけで、奏のガングニールを継承した響を、翼は心から羨み嫉妬している。
「でも、奏と話したこともないような子が、なんで……!」
翼の手の中には、壊れたガングニールしか残っていなかったから。
奏のギアと色以外は姉妹のごとく近しい響のギアを見るだけで、翼の胸の内はざわめく。
中途半端に似ているから苛立ってしまうのだ。
伸ばした髪も、どこか奏を思わせる。
HEXの識別ですら奏のガングニールと同信号。
けれど似ていない部分も多くて、奏と比べると情けなく見える部分や劣って見える部分が目立ってしまい、翼の苛立ちはどんどん大きくなっていく。
翼の中の奏は、想い出の中の奏として美化されていたから、尚更に。
「自分を襲っていた相手に腰が引けて、話し合いだなんて……
奏だったら、立ち向かってた。奏だったら戦ってた。奏だったら……!」
奏だったら、奏だったら、奏だったら。
翼はどこまでも、響を通して奏を見ている。
そして二人の違いに気付くたびに憤怒に似た懊悩を重ねる。
ふとその指先が、彼女の胸のうっすらと残る傷跡に触れた。
「友情の証……? ええ、そうでしょうね。友情の証と、そう思っているんでしょうね……」
翼の胸の傷は、ゼファーが暴走した時に彼女の胸に刻まれたもの。
それもまた、翼が誇る友との繋がり。
彼女が大切にしている『友情の証』だ。
それですら、力と心の両方で繋がっている響の胸のそれと、ただの傷跡でしかない翼のそれを、彼女は比べてしまう。
溢れ出る激情を身の内に収めきれず、またしても翼は壁に拳を叩き付けた。
「受け入れられる、わけがないッ!」
奏が居たはずの場所。
ガングニール。
親友の隣。
何もかもが奪われていくような、想い出が汚されていくような、そんな錯覚すら彼女にはある。
風鳴翼は、弱者を守ると心に決めた武人だ。
そんな彼女が、弱者であるはずの立花響に対し、顔を合わせれば剣を向けかねないほどの激情と敵意を抱いてしまっている。
それがどれほど異常なことか。
それがどれほど異常で捻じ曲がった激烈な感情が翼の内にあるのかを、知らしめる。
生半可な人間がガングニールを纏うこと、それすら許さない。
それが風鳴翼という、あまりにも真っ直ぐすぎて自分を曲げられない人間だった。
己を少しだけ曲げればぶつからない人生の曲がり角で、ぶつからずにはいられない少女だった。
小日向未来は、寮の部屋でずっと響を待っていた。
(遅い……いくらなんでも遅すぎる……)
響がCDを買いに行くために未来と別れたのが夕方。
しかしながらもう時刻は19時を回っている。
今が四月であることを考えれば、外がどれだけ暗くなっているのか想像するのは難しいことではないだろう。
寮で夕飯も食べずにずっと待ち続けていた未来は、響がCDを買いに行っていた辺りにノイズが出現したというニュースを見たことで、響を本当に心配していた。
それこそ一時は、警察に問い合わせようと決意していたくらいに。
(ゼっくんがメールくれてなかったら、警察行ってたかも)
そんな未来を押し留めたのは、ゼファーの『響は遅くなるけど俺がそっちに送ってくから、安心してくれ』というメール。
単なるメール一本だが、それがあるとないのでは大違いだ。
未来は響のことを心配し、されど行動に出ることはなく、響の帰りを待っていた。
「ただいま~」
「! おかえり、響!」
そしてようやく、疲れ果てた様子の響が帰宅する。
駆け寄る未来の視点では、戦闘・検査・歓迎会の三連発という、響が疲れた理由に思い至ることすらも難しいだろう。
ぐでーっとしていた響だが、そんな彼女の無事を喜び、未来は心底ホッとしていた。
「こんな時間までどこに行ってたの?」
「ごめん、心配かけて……」
「……響?」
だがそこで、響は未来をギュッと抱きしめる。
未来は少し戸惑うが、響の体が震えていることに気付き、顔に心配の色が戻って来る。
響を未来が抱き締め返すと、まるで未来に響がすがりついているかのような構図になる。
「どうしたの? 何かあったの?」
「ううん」
何かに怯えているような、何かを怖がっているような、けれどそれを乗り越える過程を進んでいるかのような響の姿に、未来は只事でない気配を感じ取る。
響は何かを隠している。
けれど、何を隠しているのか分からない。
「なんでもない。なんでもないんだ……」
"なんでもない"と言う響の服から、僅かに何かが焦げた時特有の臭いを嗅ぎ取り、未来の中の不安は更に膨らんでいくのであった。
未来はベランダで、心地のいい夜風を肌で感じていた。
部屋の中を見てみれば、晩御飯のコンビニ弁当をレンジで嬉々として温める響が見える。
未来の手には、着信音が鳴り響く携帯電話。
彼女が通話に出ると、スピーカーの向こうから、ゼファーの声が届けられた。
「はい、もしもし」
『こんばんわ、いい夜だな』
未来はゼファーからの着信を確認し、外に出て電話に出たのである。
『ヒビキ、そっちに着いたか? 寮の前までは送ったんだけど』
「うん、ちゃんと着いたよ」
『そうか、よかった。帰りにコンビニで弁当やプリンとか買って持たせたから、後で食べてくれ』
「女の子を太らせる気?」
『女の子だから甘い物好きなんだろ』
「味音痴が何言ってるんだか……ありがとね、本当に」
未来の感謝の言葉は、彼女らが好きな甘い物に対してだけでなく、響を無事に連れて帰って来てくれたことに対しての感謝でもあった。
ゼファーの"心配していた未来への贈り物"、"未来が心配で怒っていた場合これでご機嫌を取って響に助け舟を出す"という意図が見えるからこそ、未来はあまり響を強く叱れなかった。
もうこういう心配は二度とさせないで欲しいものだが、仕方ない。
「それと、響が何か隠し事してる気がするんだけど、心当たりない?」
ここで未来は何があったのか、直球で事情を聞きにいく。
ゼファーの知人の中でも指折りの女の子らしさと、それ相応の女の勘を持つのが小日向未来という少女だ。何かあったのだろう、ということだけは確信に至っている。
でなければ響が門限を守らないことも、ゼファーが響を送ってくることもありえない。
未来はこの二人のことをちゃんと理解しているから、そこに違和感しか感じないのだ。
彼女はナイトブレイザーのことも知っているため、"ノイズ出現"と重なった今回の響の門限破りに、何かしら感づいているフシがある。
『……』
普段ならすぐに言葉を返していたゼファーが、一秒ほど言葉を選ぶ。
その一秒が、未来に察する機を与えた。
何せゼファーは、彼女に約束したことがあったから。
――――
「俺は今、未来に"隠し事はある?"って聞かれたら、はいとしか答えられない。
いいえって答えたら嘘になる。未来に嘘はつきたくないし、嘘をついても意味ない気もする」
「仕事関連の話とか、どうしても話せないってことはある。
だから本当にどうしようもなく隠さないといけないことは明かす。
そんでもって、本当に隠さないといけないことがあったら、こうして未来に言うことにした」
――――
苦しそうに言い淀むくらいなら前言撤回しちゃえばいいのに、と未来は呆れた顔で思う。
未来は隠し事無しに付き合える人間関係を好む少女である。
そんな彼女にとって、思いやりから時折隠し事をする響と、思いやりから「隠し事をしてるけど言えないごめん」と面と向かって言ってくるゼファーの二人は、ちょっと悩みの種だった。
そんな二人の不器用さを"愛おしい"と思えるくらいには、小日向未来の懐は深かったりするのだが。それでも、隠し事はして欲しくないわけで。
未来は深呼吸して、グッと堪えて、友達のために我慢する。
「いいよ、何も言わなくて」
『え?』
「言えないことなんでしょ? ……そりゃ、気にならないって言ったら嘘になるけど」
聞きたい。気になる。打ち明けて欲しい。
そう思うも、未来はその気持ちを胸の奥に押し込んでいく。
「でも、それを聞いてゼっくんが嫌な気持ちになることなら……
ゼっくんが気遣って黙ろうとしてることなら、聞かない。我慢する」
『ミク……』
「信じて、聞かない。それが響が関わってることなんだとしても」
響とゼファーが共有している秘密。
ゼファーが話せないこととなれば、それが物騒なことなのだと邪推もできる。
それでも、未来は聞かない。
話すべきでないと決めたゼファーの判断を、響を今日も守ってくれたのだろうゼファーの考えを信じる。とことん信じる。
そして、約束を要求する。
「何があっても、二人一緒に帰ってくるって約束してくれる?」
『ああ、約束する』
今度は言葉を選ばずに、彼は心からの返答を返す。
あの日、仮面を剥がされてからというもの、ゼファーは未来の前では上手く仮面を被れない。
響の父に関することを隠すので精一杯だ。
それゆえに彼もまた、未来と同じく彼女と何も隠し事のない関係を求めていた。
それでも隠し事をしなくてはならないのは……彼が隠し事なく付き合える子供ではなく、大人になりかけているから、ということなのだろう。
何もかもを明け透けに明かし合うには、今の彼は背負っているものが多すぎる。
『今はまだ、話せないけれど……
この秘密も、いつか笑い話としてミクと話したいな。少なくとも、俺はそう思ってる』
そうして。一言二言言葉を交わして、二人の通話は切れた。
「ふぅ」
未来はベランダから部屋の中に戻り、レンジの前でウキウキしている響を尻目に、ベッドに腰掛ける。彼女は自分が納得できていると思っている。
自分は割り切れていると思っている。
自分は寛容になれていると思っている。
事実がどうであるかは、別として。
現に彼女の中には、はっきりとしない『不満』に近いものがあった。
(でも、なんだか、寂しいな……)
信じると彼に言った。今でも信じている。それでも、秘密を共有する響とゼファーに仲間外れにされているような気がして……未来の胸の内で、モヤモヤとした気持ちが膨らみ始めていた。
ゼファーの周囲の人間関係に、いくつもの時限爆弾が埋設された今日この頃。
それらの起爆を待たずして、新たな敵は動き出す。
「しっかし、フィーネはあんなもん欲しがって何に使うんだ」
「
「まあいい」
「機を見て行くぞ、アースガルズ、ディアブロ」
「あたしらの次の目的地は、海の底の管理特区。『深淵の竜宮』だ」