とある正義の心象風景   作:ぜるこば

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Prologue:水槽の部屋

 暗い部屋の中、幾つもの円柱形の水槽があり、それぞれが青白い光を発しながら辺りを照らしている。林立するそれらは、互いを照らし合いながら、一つの芸術品の如く部屋を彩っていた。

 それだけ聞けば普通ならば、綺麗なイルミネーションか何かかと感じるかもしれない。しかしながら、その水槽の中身が少し、いや、かなり異質だった。水槽をよく覗けば、中でぷかぷかと浮遊しているのは、桃色の歪な球体に赤い紐がぶら下がったような物体。球体には多くの皺が刻まれており、紐は水槽の底近くまで伸びている。一目では、それが何かは分からないかもしれない。余りにも身近で、且つ眺めるには何よりも遠い存在であるソレ。

 そう、それは脳。正確に言えば、人間の脳と神経を含む諸々の一塊。見渡す限りの脳、脳、脳。宛ら水族館の如く、脳の一群は青い液体の中、ユラリ、ユラリと浮かんでいた。

 常人ならば見ただけで吐き気を催し、トラウマになるような、そんな光景。更に始末が悪いのは、その脳の持ち主は全員生きたまま肉体と脳神経を引き剥がされており、どういう術をもってか未だに生きたまま保存されているという事であろう。そんな常識では考えられないような光景が、ここには広がっていた。

 ――――ここは英国の倫敦、かの大英博物館の地下に在り、アトラス院、彷徨海と並ぶ魔術協会三大部門が一角、時計塔。その一室であり、封印指定の称号を受けた者達を保護している場所。つまりは『貴重品』として魔術師が保管されている場所だ。

 封印指定とは、一代限りであり学問の研鑽により習得する事が出来ない希少な魔術を持つ者に与えられる、魔術師にとっての最大級の名誉であり同時に厄介ごとでもある。その称号を与えられた魔術師は『保護』による自身の研究の停滞を防ぐ為その殆どが協会から逃亡をするのだが、このような『保護』の実態を省みるにむしろ当然の帰結であった。

 

 

 

 

 そんな陰険な雰囲気漂う部屋で、ふいに一つの扉がすっと開き、部屋の埃が宙を舞う。扉の外もまた暗かったが、その暗がりの中から二つの影がするりと、部屋の中へ滑り込んできた。影達はそっと扉を閉めると、部屋をぐるりと見渡す。

「ここがそう……」

 影の片割れである女性が呟く。黒い服装に身を包み、極力目立たないような格好をしているのが伺える。青白い光に照らされたその貌は、美しくも妖しげな気色を放っていた。

「違いないだろう。事前に聞いていた情報に一致するし、此処まで悪趣味な部屋はそう無い」

 この部屋を悪趣味と称したもう一つの影は、それなりに背の高く体格の良い男性のようである。同じような黒い服を着込んでいるが、こちらは威風堂々と言った感じで腕を組んでいた。闇より更に深き所を住処にし、世界の外側を探らんとする魔術師であるが、それでもこの二人はまともな部類に入る魔術師だ。男が漏らした言葉は、決して的外れではない。

「しかし、噂以上に胸糞悪くなるような光景ね」

 ふん、と女性が鼻を鳴らす。そもそも秘匿を旨とする魔術師が、封印指定とはいえ他の魔術師の研究をもって何をするのか。いくら『貴重品』とはいえ再現も出来ないような魔術に、利用価値があるとは思えない。あらゆる望みを叶える願望器と言われていた聖杯すら根源へ到達する手段とは考えていなかった彼女にとって、此処は余り居心地の良い場所では無かった。ましてや、元とはいえ自らのパートナーとも言えるべき存在が囚われているのだから尚更であろう。

 一頻り感想を漏らした二人は、一緒に目的の水槽を探し始めた。彼らはどうやら、ただこの部屋に迷い込んだ、もしくはこの水槽郡を見に来ただけという訳ではなさそうだ。するすると滑る様にして、水槽の合間合間を縫って歩く。時間が無い訳では無いが、あくまで此処は時計塔という魔窟のその一室、しかもそれなりに重要な部屋でもある。二人があまり離れないようにして歩いているのは、正直言って何が起こるか判らない、一緒に探した方が安全でむしろ早く済むだろうと言うだけの話である。

 慎重に辺りを探りながら、一つ一つ水槽を確認していく二人。締め切った部屋で当然の如く冷房などは存在しないはずなのに、何故かこの部屋は妙に冷え切っていた。

「正直、アンタが協力してくれて助かったわ」

「何だ、いまさら君が礼を言うとは。一体どういう風の吹き回しだ?」

「私達だけじゃミリョネカリオンともパイプを持てなかったし、やっぱり名門のロードは違うわねと思ってね」

 女性が辺りを見渡しながら、少し皮肉気味に笑う。その笑みの裏にあるのは、代を重ねたロード達のみが支配権を握る時計塔の権威主義への嘆きか、それとも力なき自分達への怒りか。そう、封印指定総与へ接触を図るには未だ四階級止まりとはいえ、ロードの名を冠するこの男性の協力がなければ不可能であったろう。

 その事を思い起こさせるような言葉に男性は顔を顰めた。かつての自分もまた、権威主義に反発し自身の実力を認めさせる為、無謀にもある戦争へ参加したことでも思い出したのであろうか。結果として彼はその戦争で敗退してしまったが、得た物もまた大きかった。

 自身の未熟さは置いておいて、その戦争に参加した事自体は全く後悔などしていない。あの戦争に参加したからこそ自分はここに立っているのだし、一生の目標も持ちえたのだから。もっとも、彼の隣にいる女性は正真正銘、その戦争の勝利者でもあるのだが。

 二人して目的の者を探しながら、少し会話が途切れる。二人の間に沈黙が降り、黙々と探していた所だったが、先に静寂を破ったのは男性だった。

「……何も君達自らが、彼の封印を執行する必要は無かったのではないか」

 先程の会話から何を思ったのか、気を遣う様な声を出す男性。彼としても珍しいその声色に、多少驚きつつも女性は頭を振る。

「いいえ、あいつの封印を執行するのは私たちじゃないといけなかった。当時私達にはあいつを助ける計画はあっても、圧倒的に時間も資金も足りなかった。教会からの追手も迫っていたし、教会と協会のどちらにせよ捕まるのは時間の問題だったわ」

「だから自分達で手を打ったと? そんな事は理由にならんな。 ……隠し事は無しだ。私に協力を仰ぐ以上、それが礼儀ではないかね」

 男性の意見も当然。男性はこの女性が感情論だけでは動かない事を、よく理解している。二人はそれなりに長い付き合いでもあった。彼女達がわざわざ直接彼を封印したのは、何かしらの理由があるはずだと踏んでいたのだ。

 そして確かに、彼女達がある男性を自ら封印したのはそれだけが理由では無かった。躊躇いがちな顔を見せたのも一瞬、女性はため息とともに口を開いた。

「……鞘よ」

「何?」

「鞘、騎士王の鞘。あいつの身体からそれを取り出すのが、本当の目的だったのよ」

 あなたにはもう少ししてから話す予定だったんだけどねと続ける女性に、は、と男性は思わずぽかんと口を開ける。騎士王と聞いて彼の脳裏に浮かぶは、あの凛とした佇まいを持つ少女。血に塗れ、怨嗟の声が響き渡る地獄に於いて、なお輝ける戦場の華。

 彼らが騎士王を再び戦場へと呼び出した事は知っていたが、何しろ余りにも不意打ちだった。自身が鞘の実物を見たことはないが、英語圏に住んでいる彼にとってアーサー王伝説がメジャーであるのは言うまでも無い。あの騎士王の鞘なのだから、相当な力を持つ事は想像に難くなかった。

「待て、騎士王の鞘だと!? どうしてそれをあいつが持っている?」

 なんとかそれだけは口に出せたが彼といえども驚きは隠せないらしい、今までより幾分大きめな声が女性の耳を打つ。とはいっても普通の会話レベルの音量なのだが、場所が場所だけにその声はやけに大きく感じた。そんな彼に向かって、女性は、しっ、と人差し指を艶やかな唇に当てた。此処は名立たる魔窟の深部である。何処に鼠が潜んでいるか、誰にも想像は付かないのだから。

「それについてはまた後よ。ただ実際に封印される際どんな事をされるか判らなかったし、事前に取り出しておく必要があったのよ」

 水槽の青白い光が彼女の顔を照らし出しているが、男性の側からは光の加減か、あまりその表情を窺い知る事は出来ない。止むを得なかったとはいえ、一度愛した男を自ら封印した彼女の心の内を、男性は知る事は出来なかったし、知る気も無かった。同情されるなんて事は、彼女には似合わない。どんな難路でも踏破出来るだけの力を持ち、全力で完璧にやり遂げてしまうのが彼女だと、男性は百も承知していた。

「ともかく今はあいつを見つけるのが重要、話はまずそれからよ」

 表情を堅くしたままの女性の言葉を切り目に、二人は再び黙り込み探し始める。封印されている部屋だけあって、此処に掛けられている魔術は、半端なものでは無かったし、それらを一々掻い潜りながら目的の水槽を探すのは、非常に骨が折れた。

 繁く辺りを見渡していてふと、女性は先程の会話から一人の少女を思い出す。あの鞘の本来の持ち主を。気高く、騎士王たるに値する高潔な少女を。そして、共に過ごした者にしか判らない、意外な一面を持つ彼女。一月にも満たない間、一緒に暮らしていただけであったけれど、あの娘の在り様は本当に好ましいものでもあった。聖杯戦争や繰り返しの四日間での思い出に、思わず女性は笑みを浮かべる。

 だがそれも一瞬だ。真に彼女の事を思うならば、今こそこの計画を絶対に成功させなければならない。成功してこそ、漸く彼らは一歩前に進めるのだから。

 そうしておよそ、部屋の水槽の半分近くを調べ終えたところであった。奥の方を探索していた男性が、女性に軽く声を掛けた。

「どうしたの?」

「……どうやら目的のものが見つかったらしいぞ」

「本当!」

 驚きの声を上げ、女性が早足で男性の近くの水槽へと駆け寄る。ほんの数メートルしか離れていないのに、その距離すらもどかしい。掻き分ける様に急ぎ男性の傍にある水槽に近づき、掲げられた封印指定の名前を確認した。ビンゴ。声を上げそうになる喉元を飲み込み、念のため懐から手帳を取り出すと、水槽の番号と手元の番号を確認する。

「どうだ?」

「これで、合っているみたいね……」

 女性は言葉と供に水槽をじっと見つめた。その目には強い決意。未来の彼との約束を果たす為、彼女は此処に立っている。手綱こそ一度手放してしまったが、彼女は決して諦めた訳では無かった。何かに誓うかの如く彼女は目を閉じ、手を握る。

「待ってなさい、必ずアンタを助け出してやるからね」

 

 ――――――――――――――――――――士郎

 

 

 

 

 一切の照明が無いはずなのに、星のような光に満たされた広大な部屋。そこは無数のモニターやボタン、大小様々な機器に、チューブやコードの類で溢れていた。それらは全て空間の中央にある巨大なビーカー……直径四メートル、全長十メートルを超す強化ガラスで出来た円筒の器に繋がっている。円筒には赤い液体が満たされており、緑色の手術衣を着た人間が逆さに浮いていた。その『人間』は銀色の髪を持ち、男にも女にも見えて、大人にも子供にも見えて、聖人にも囚人にも見える。

 アレイスター。学園都市の統括理事長。身体の殆どの機能を機械に任せる事によって、推定一七〇〇年もの寿命を手に入れる事が出来た『人間』。学園都市のありとあらゆる出来事に通じ、有事の際には幾万通りもの解決策を瞬時に叩きだせるほどの怪物。

 そのアレイスターが今、ほんの少しの間ではあるが無窮の思考の海から浮き上がり、一つのモニターに気を取られていた。モニターから察するに、時空もしくは空間の歪みとでもいうべきか、不自然な座標空間の揺れが学園都市第七学区の上空で起きていたのだ。空間の歪み、それ自体は別に学園都市の科学をもって起こせないものでもない。

 むしろ、アレイスターが気になっているのはその後の事。何の規則性も無く揺れ続けていた歪みだが、不意に一瞬、明らかに不自然にたわむ。今現在は、一般的に真夜中と言える時刻だ。空も曇り空で視界は悪く、この不可思議な現象をまともに観測出来たのはアレイスターぐらいであろう。

 急激な変化に観測機器がアラートを告げているのが判る。だがアレイスターは、全く慌てていなかった。歪みそのものの発生からは、既に十秒ほど経っている。それだけの時間があればアレイスターには対策を考えるには十分であった。後は、結末を見届けるのみ。観測地点に、より意識を傾けるアレイスター。

 ついに、歪みが今までに無いほど大きく揺れる。そしてその歪みから、ポンッとコミカルな擬音が出てきそうな感じで二つの黒い物体が飛び出してきた。なんというか、予想していたよりもあまり緊張感を感じさせないようなそんな出来事に、思わずアレイスターは目を細める。まあ、五感さえも機械で管理しているかの人間にとっては本来そんな必要は無いのだが。

 観測機器によれば、既に空間の歪みは終息を迎え消えつつあり、突然歪みから出現した黒い物体は何のアクションを起こすことなく、第七学区へと落ちていったという事を伝えていた。さらにあの黒い物体は、黒い服を着た人間と鞄のような物であると計器は伝えている。残念ながら角度の関係か、その計器では落ちてきた人物の顔を確認することは出来なかったようだ。

 アレイスターは考える。学園都市には十一次元における絶対位置座標を正確に把握し、特殊な計算式によって『空間移動(テレポート)』を可能にする能力者が五十八人ほどいる。だが、今のアレはそのいずれでもないと計測機器は告げているし、能力無しにあんな芸当を可能にするような、そんな方法はこの学園都市の科学力でも難しい――――出来るかどうかは別として――――と断定した。

 そもそも、東京の三分の一の広さを誇る学園都市の内部を完璧に把握しているアレイスターがアレの予測も出来無かったと言う事は、アレは学園都市の外部の何かが原因であるという事で、それはつまり学園都市のセキュリティーを丸ごとすっ飛ばして此処に現れたという事でもある。何も学園都市への不法侵入が、不可能と言っているわけではない。敢えてアレイスターはそれを見逃してはいるが、その気になれば不法侵入くらいならば可能だ。

 ただ、それをアレイスターが事前に感知し得なかった事が重要なのであった。アレイスターは考える。あの現象は科学とは「全く別の法則」を利用して起きた何かであると。前触れも無く、ただ自分の『庭』のど真ん中に異物が入ってきたと言う異常。アレイスターは、それを可能にする術を知っている。

 魔術。科学とは異なる法則を持つ、世界の異端。

 この世界の常識を支配しているのが科学であるならば、魔術はその裏を補うものだ。大多数の一般人を含め、「科学側」に存在する人間でもその存在を認知している者はそう多くない。そんな秘匿された存在が、この科学が支配する街である学園都市に侵入してきた可能性がある。学園都市内部の出来事に付き、本来ならこちらから出向いて処断するのが得策だが、「魔術側」がかかわっていると言うのならば話は別だ。

 都合のよい事に、つい先日学園都市へと侵入した「禁書目録(インデックス)」を保護するためにイギリス清教の魔術機関「必要悪の教会(ネセサリウス)」から学園都市への関与に対する取引が持ち掛られたばかりである。向こう側が勝手に接触し合ってくれるならばそれで良し。接触する様子が無いのなら、こちらから圧力をかけるまでだ。ただ、アレイスターには一つ気になる所があった。

 それは、あの人物の落下予想地点。狙って落ちたのかは知らないが、あの地点に落下したという事はアレと関わり合う事になるには必須である。と、なれば。

(……もしかすると、プランを短縮出来得るかもしれんな)

 あの落下地点にはアレイスターのプランに深く関わってくる要素の一つが存在している。だがアレイスターはイレギュラーの要素すら、プランの短縮に組み込みさえ出来る傑物。今回も、その例外ではなかった。

 落下した人間がどのような人物かはこれから調べるとして、今は様子見の段階だなとアレイスターは結論付けた。アレと関わり合う事で、プランが短縮できる可能性があるならばそれに越した事は無いからだ。しかし相手は魔術師である可能性が高い現状、一応は部外者となっているアレイスターが今直接関わる事は出来ない。一旦は魔術側の反応を見る必要もあった。それを含めて、プラン短縮について考え始めるアレイスター。

 餅は餅屋に、この国の諺である言葉を思い出しながら、アレイスターは再び思考の海へと沈んでいった。




ハーメルン様では初投稿です。
よろしくお願いいたします

まさかの6400字。改訂しようにも、プロローグだからちょっと辛かった。

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