・CASE3:フリーターと不屈の心
困ったものですね。
楽しいですね。
そんな相反した二つの思いを内に秘めながら、今、私は少し先にある扉を静かに見つめています。その奥では現在進行形で宴が催されており、現に扉一枚壁一枚では遮断し切れなかったガヤガヤとした喧騒……訂正、ドカンドカンとした五月蝿さが私のいる廊下にも聞こえています。これですとおそらく屋外にも轟いている事でしょう。
先ほど、シャマルが菓子折りを持って外に出て行ったのは、おそらく近隣住民への説明とその侘びの品なのでしょうね。
「……うわぁ、また何か一段と盛り上がってるね」
背後で声が聞こえたので、意識をそちらに向けると一人の少女がトイレから出てきた所でした。
「ごめんね。お待たせ、レイジングハート」
高町なのは。私のマスターです。
《No problem》
マスターとは出会ってまだ1年も経っていないですが、それでも魔導師としてもマスターとしても人間としても大変素晴らしいと断言出来る少女です。
芯が強く、心優しく、真っ直ぐ。
「それじゃ戻ろっか……ちょっと嫌だけど」
嫌というより心底疲れ果てたという表情のマスター。
その気持ちは分かります。闇の書の紅の騎士と激しい戦闘を繰り広げてまだ2時間ばかりしか経っていません。マスターは御兄妹たちと違い体力はごく一般的。むしろ日頃の生活を見るに平均より低めかもしれません。今すぐベッドに入って眠りに付きたいのでしょうし、私もそうさせてあげたいです。
しかし、そうは問屋が卸さないとばかりにとある一人の男性から電話があったのが約1時間前。
「ふえあ~。あー、飲んだ飲んだ。でも、まだ飲んじゃうぞー。その前に1服っとくら~」
タイミング良くと言えばよいのか、その件の男性がドンチャン騒ぎが繰り広げられている部屋から千鳥足で出てきました。
「お?なのはちゃんではあ~りませんか」
「……ハヤさん」
何か面白い玩具でも発見した時のような顔で近づいてくる男性───鈴木隼。
対するマスターは疲労の色が増し増しに。
「こ~んなとこで何してんのよ?」
「今ちょっとお手洗いに行ってたところ」
「あ、便所飯?」
「違うよ!」
「そうかそうか、悪いな。そう言えばお前の事は放ったらかしにしてたからな。ほらほら、便所なんかで飯食わないで、このハヤさんの肘の上でお食べなさいな」
「違うって言ってるよね!?というか膝じゃなくて肘!?肘の上でどうやってモノ食べるの!?」
「ん?実践させてやろうか?」
「興味あるけどそれ以上に怖いから遠慮します!」
マスターと彼の間でポンポンと言葉のキャッチボールが綺麗に成立しています。
ときおり彼の事について話す時、マスターは疲れた顔や呆れた顔ばかり見せますが、それでも何だかんだ言ってマスターは彼の事が好きなのでしょう。
「まったく、ガキが遠慮なんて……およ、レイハちゃんもいんじゃん。おっす」
マスターの胸の前でふよふよと浮いている私に気づいた彼が、少し身を屈めて挨拶してきます。
もちろん、私も無視するわけもなく。
《はい。こんばんは、"マスター"》
「ちょっと待って!」
ん?どうしたのですかマスター?急に血相変えたりして。
「なんだよ、なのは。んな大きな声出して?もしかして日課で発声練習してるとか?」
《そのような日課はマスターにはなかったかと。可能性があるとすれば"マスター"がマスターに何か不埒な事をしそうになったとかでは?》
「ガキに興味はねーよ」
《興味はなくとも、無意識にという可能性もあるのでは?多量のアルコールも入っているようですし》
「酒入ってようが薬キメてようがするかよ。てか、ンな事した瞬間、士郎さんや恭也にブッた斬られるわ」
《追加で私にも撃たれますしね》
「そこは俺の味方しようぜマイパートナー?」
マスターが何故か呆けに取られている間に、今度は私と"マスター"で華麗なキャッチボール。マスターはどうか知りませんが、私はこのようなキャッチボールは心地よくて好きです。
「ストップ!」
どうやら呆けから復帰したようで、不意にマスターから待ったが掛かりました。
「あのね、ちょっとね、ツッコミ所があるんだけど聞いていっていいかな?というかダメって言っても聞くけど」
真顔で淡々と言葉を紡ぐマスター。
「取り合えず些細な事なんだけど……ねえレイジングハート、今日本語で喋ったよね?」
《ええ、そうですね。"マスター"が「俺がいる場じゃ日本語で頼む」と仰いましたので》
「……そっか。うん、まあそれはいいや。ちょっとびっくりしたけど、いい。それよりね、そんなことよりも、なの」
次いで意を決してとばかりに発した言葉は簡潔。
「何でハヤさんの事を"マスター"って呼んでるの!?そしてハヤさんも何でそれを当然の如く受け入れてるの!?!?」
?
"マスター"は"マスター"なのですから当然なのですが。確かにそうなった経緯は少々アレでしたが、そこは"マスター"がすでにマスターに説明されてい────
「あん?この前レイハとサシで飲み行った時に俺も準所有者になったっつったじゃん」
「初耳だよ!?!?」
───なかったようですね。
「あれ?言ってなかったっけ?」
「聞いてたらこんなに驚いてないからね!?というか飲みに行ったの!?二人で!?いつの間に!?なんで!?」
《……"マスター"、説明は任せろと仰っていましたよね?》
「はっはっは、ごめんちゃい」
どうやら彼は何も話していなかったようで、マスターが怒涛の如く私と"マスター"に詰め寄ります。
参りましたね。てっきりマスターには説明済みで納得頂いていると思っていたので。それにどのような理由であれ鈴木隼を"マスター"として良しとしたのは私。非も責も彼だけにあるわけではありません。
《申し訳ありません、マスター。ご報告が遅れてしまい、あまつさえそれが事後承諾という形で……マスターのご怒りはもっともです》
「あ、ううん、別に怒ってるわけじゃないよ?ただ純粋に驚いてるだけ」
それに、と今度はどこかさっぱりとしたような、悟ったような顔になって続けた。
「どうであれ、そこにハヤさんが関わってるならもうね、しょうがないんだよね。事故のようなものなの」
諦観の微笑みを浮かべるマスターのなんと清々しい事でしょう。その境地に達する心境、お察しします。
逆に"マスター"はというと。
「う~ん、なのはもマスターで、俺も"マスター"……ややこしいな。レイハちゃん、俺の事は普通に隼でいこう」
こちらの事などお構いなしに、そんな些細な問題の回答を出したようです。
ともあれ。
《では、隼。改めてマスターに私たちの事を説明して頂けますか?》
「ん?ああ、じゃあ、まあ要約すると──」
「ハヤさん、出来る限り詳しく!」
「ちっ」
隼は一つ舌打ちをした後、煙草を携帯灰皿に入れると続けて2本目に着火。廊下の壁に背を預ける。
「つっても別に大した経緯はねーぜ?1~2ヶ月前か、暇だったからお前んち遊び行ったんだけど美由希ちゃんしかいなくてよ、苛めて楽しんでたんだけどそれにも飽きてな。しょうがないからお前の部屋で寝て士朗さんの帰りを待とうとしたんだよ」
「うんうん、ちょっとツッコミ所あるけど、まあいいや。それで?」
「なら部屋にレイハちゃんがいるじゃありませんか。だから俺、思いついて言ったんだよ。飲み行こうぜって」
「……そうなんだー」
マスターが無表情で相槌を打つ横で私もあの時の事を思い出す。
あれは今から48日前。
マスターが私を置いてアリサやすずかたちと遊びに行っていた日。確か夕方頃でしたでしょうか、突然隼がマスターの部屋に入ってきたのは。そしてマスターのベッドに潜り込もうとした時に、彼は私を見つけて少しだけ考え込んだかと思うと一言……『レイハ、レイハ、今晩暇だろ?俺も暇なんだよ。ちょっと二人で飲み出ね?』と。
正直、私は意味が分かりませんでした。私はただのデバイス。飲めない事は当然として、隼との交流自体もマスターを介してのみでしかありません。彼のデバイスですらない、何の関係性もないといっても過言ではないのに、それがいきなりこの提案。
勿論、私は謹んでお断りしました。そもそも人間の隼と機械の私。交遊など成立しないでしょうし、その必要性もないはず。
……そう思ったのですが、やはりそこは独自の感性を持つ隼。
『そりゃいつもだったら夜天やらプレシアがいるしな。でも生憎と今日は付き合える奴が全員出張ってて誰もいねーんだよ』
《学生時代のご友人はどうされたのですか?多いと聞き及んでいますが》
『ああ、まあいるけどさ。でもあいつらとはしょっちゅう飲んでるし。それに野郎と飲むより女性と話しながら飲める方が気分良いに決まってんじゃん』
《私は女性ではなく、ただのデバイスなのですが》
『でも中身は女だろ?声も綺麗な女の声してっし。名前も女っぽいし。なら俺にとってはもう女性なわけ。だから野郎<レイハ。つうわけで、オラ、ごちゃごちゃ言ってねーで出ようぜ、レイハちゃん』
そして私は隼に鷲掴みにされ首から提げられると、強引に繁華街へと連れ出されたのでした。
その後は……まぁ、何と言いましょうか、滅茶苦茶でした。
飲み屋に行って隼が飲みまくり、今のように盛大に酔っ払う。私にも何とか飲ませる手段はないかと私を酒に浸したり、酒と一緒に隼の口腔内でモニュモニュされたり。
「いや~、あん時は盛り上がったな。ああ、そん時だよ、レイハちゃんのマスターになったの。飲み屋の他の客の奴らにさ、変身して驚かしてやろうと思ってな。おひねりも貰えるかもだし。で、ちょうど俺のデバイスはシャマルにメンテ出しててなかったから、じゃあレイハちゃんを使おうって、な」
「あははー、そうなんだー。大衆の面前で魔法披露しちゃったんだー。相変わらずだねー」
《勿論、私は拒否し、止めたのですが……》
「うん、分かってる。相手がハヤさんならしょうがないね」
本来なら『しょうがない』で済ませていい事案ではないレベルですが、こと隼が絡むとそうでもありませんからね。
ただ誤算だったのが、隼が私のマスターとなってしまった事。いえ、マスターになれてしまった、と言いましょうか。
隼の魔導師としての質が大変低く、私のキャパシティの片隅に十分に入れた事。そして私自身が思考回路が朧になっていた事が原因でしょう。…………お酒に浸るとデバイスでも酔うのですね。
「で、その後近くのカラオケ行って朝方まで絶唱!なのは、知ってるか?レイハちゃん、歌上手いんだぜー」
《恐縮です》
「………そういえばレイジングハート、いつの間にかいなくなってて、いつの間にか戻ってた時があったけど」
《ええ、その時かと》
思えばあの時に私から説明しておけば良かったのでしょうけれど、マスターからは特に何も言われなかったので説明せず。加えて一晩隼に付き合ったせいで疲れ果てていたというのもありますね。
「まっ、そんなわけで俺もレイハちゃんのマスターにあいなり申して候でござ~い」
「……ハァアア」
これまでで一番大きなため息を吐くマスター。
その原因を作った当事者の片方として心苦しい限りです。そんな私が言うのもあれですが、心中お察しします。
「さてさて、どうでもいいしょーもない話も終わったし、そろそろ戻ろうぜ。ここちょい寒ぃーわ」
重ねて言いますが、この件はどうでもよくないですし、しょうもなくもない、管理局に知られれば説教や反省文etcな案件です。
本来なら隼をマスター登録から外し、私自身も強く諌めなければならない事です。今後このような事がないよう局でメンテナンス、改良を施すのが当然。
……しかし……ああ、しかし。
「おら、なのはもレイハちゃんも部屋入ろうぜ。飲み直しじゃ、飲み直し」
ニカリと笑う隼の顔を見ると、不思議と現状が手放しづらくなる。同時にこれが最良だと思ってしまう。どうでもよくなってしまう。……全てを許したくなってくる。
「はっ、はっ、はっ、えいやさっさ~」
上機嫌で何故か小躍りしながら部屋へ向かう隼。その姿はどこの誰が見てもお気楽で、一切の悩みもないお馬鹿な……しかし、ある意味でどこまでも頼りになる男性。
「レイジングハート、いこっか」
マスターは隼といる時、いろいろな顔を見せます。
諦め、呆れ、怒り、戸惑い……中でも一番多いのは、楽しげ。朗らかに、年相応に無邪気に笑う。そう、今のように。
ならば、やっぱり良い事なのでしょう。今のこの状態は。
《マスター》
───"マスター"
《ありがとうございます》
───"これからもよろしくお願いします"
・CASE4:フリーターと2代目主人公
それは何でもない日の夕方。
その日、俺は学校終わり一人で帰宅の途についていた。別段、代わり映えのない下校。
帰って何をするか。店の手伝いでもするか。なんて事を考えていた。───"あれ"を見るまでは。
「ぎゃああ!?」
「がぁぁああ、あ、頭がぁ!?」
「ひっ、うげぇえ!?」
聞こえてきたのはどう聞いても人の叫び声。それも悲痛なそれ。場所はすぐ近くの路地裏で、そこは不良が溜り場にしている所。
一体何があったのか、なにをしているのか、察しはすぐについた。おそらく不良同士の喧嘩だろう。よくある事だし、恥ずかしながら当時は俺もそっち側だった。
だからだろう、俺の脚は自然とその路地裏の方へと向かっていた。そしてほどなく歩き───地獄があった。
「ひ……ひゅ……」
「あ、え……」
「………」
死屍累々とはあれを言うんだろう。
狭い路地には所狭しといった具合で倒れている男たち。その数は10人そこら。そのどれもが皆、顔を腫らして鼻血を出し、人によっては腕があらぬ方向へと向いてるのもいる。
酷い有様だ。
素直にそう思った。全員学生服みたいなので、おそらく学校同士の小競り合いでもあったのだろう。とすれば、この男たちをノした別の学校の奴らがまだ近くにいるかもしれない。
(……鉢合わせる前に移動するか)
こんな狭い場所でもし囲まれでもしたら流石に多勢に無勢。
俺は踵を返そうとする。別段、倒れた男たちを心配はしない。冷たいようだが、不良やってるならこうなる事はままある。自業自得だ。
まあ、それでも119くらいはしておくか。
そう考えながら男たちを見下ろしていた時、ふと違和感を感じた。
(学生服がばらばら?)
そう、全員が全員ではないにしろ、学生服が違うのだ。ぱっと見ても3~4校の別々の制服を着た男たち。
(学校同士で喧嘩してたんじゃないのか?)
複数校による乱闘とも考えられるが、そうだったら逆に数が少ない。もっと倒れている人が多いはずだ。
どういう事だ、と胸中で少しばかり考え、そう言えば最近妙な"噂"を聞いたことを思い出した。
それは……。
「あ?お仲間か?」
不意に聞こえたその言葉にぴくりと肩が揺れ、声のした方に顔を向け───すぐさま思考が警戒態勢に入った。
路地の奥の方から気だるげに歩いてくる一人の学生。
髪からつま先まで、血によって真っ赤に染め上げられた姿。右手にはおそらく失神しているであろう男、その髪の毛を鷲掴みにして引きずっている。
(……ああ、こいつが一人でやったのか)
理解するには十分だった。それほどまでに目の前の男は鮮烈で強烈だった。その爛々と輝く獰猛な目が、醸し出す暴力的な雰囲気が、もう人のそれではない。大型の獣か何かだと言われたら納得出来るくらいの荒々しさ。
こいつには関わるな、と頭の中で警鐘がなる。
「……別に仲間じゃない。声が聞こえたから、少し気になって見に来ただけだ」
「ふ~ん」
男はこっちの言う事を理解したのかしていないのか分からない顔で見やり、ふと気づいたように右手に引きずっていた男の髪を離す。地面に硬いものが落下した時の、ゴツという鈍い音が響いた。
「で?」
落とした男には一目もくれず、俺に問うてくる。こちらに歩みを進めながら。
「普通の学生が、不良がたむろってる事で有名なここにゃあ来ないよな?」
自然と俺は警戒態勢から臨戦態勢に移行。
「だからといって、ただの好奇心丸出しな野次馬にも見えねえ。その程度の奴なら、こんな光景見たらそっこー逃げ出すだろうしなあ?」
男が目の前まで来た。見上げてくるその目は雄弁に物語っている……獲物だ、と。
「死ねや」
「っ!!」
それが当然とばかりに拳をこちらの顔に向けて放ってくる男。それを俺はすんでの所でかわすと、俺も半ば条件反射のように拳を相手の身体目掛けて振る。
「ぐっ!」
俺の拳にゴムのような筋肉の感触が伝わる。それも数瞬、振りぬいた拳によって男は僅かながら後方に飛んだ。
しかし男は転ばず、膝さえつく事もなく、軽く踏鞴を踏んだ程度でとどまり、呆然と俺の拳の当たった箇所を見る。
「……痛ぇな、おい」
結構な力で、しかもカウンター気味で入ったにも関わらず、男はまるでただ押されたかのような様子。痛いと口にしながらも、その顔は痛みで歪んではいない。
獰猛な笑みで歪んでいた。
「面白えじゃんかよ、ええ、おい、このデクの坊。さっきまでクソつまんねー喧嘩しちまって気分下がってたけど、テメエのお陰でどんでん返しだよ。サイコーだぜコラ」
ミシミシと拳の握る音が聞こえる。今にも噛み付かんばかりの様相にあの"噂"が本当だったと確信する。
───数週間前に転校してきた男が所構わず誰彼構わず因縁つけて喧嘩を吹っ掛け、デタラメな暴力でどんどん相手を病院送りにしている。
(なるほど、噂に違わぬか)
そして誰が言い出したのか、ついた仇名が───
「ひき肉にしてやるよオラァア!」
───"狂犬"。
………………………………。
…………………………。
……………………。
………………。
…………。
……。
──────と、まあそれが俺と狂犬と呼ばれる男が初めて出会ったときの事。
それからどうにも俺はその狂犬に気に入られたのか、何度もまた喧嘩を吹っ掛けられた。さらにその時一緒にいた真由さんや瞳ちゃんにも喧嘩を吹っ掛けるという、狂犬の仇名に恥じない行動を見せた男は、しかし1ヶ月も経たずパタリと姿を見せなくなった。
聞いた話によれば、どうやら親の都合でまた引っ越して行ったとの事。それが急だった事もあり、知ったときは呆けた記憶がある。勿論、そこに寂しさがあるわけがない。しかし少しだけムッとした。なにせ通り魔のように突然現れ、ストーカーのように暴力が続き、台風のように周囲を滅茶苦茶にして突然消えたのだから。
ちなみに喧嘩の決着は最後まで付かず。そう言えばいつだったか瞳ちゃんが言ってたな……『あの人のせいで無敗だけど全勝じゃなくなった』て。
ともあれ。
数奇な出会いや摩訶不思議な事象が多い俺の人生においても尚、印象に残る男だった。あれほど暴力的で狂っていて、それでいて心の底から楽しそうに喧嘩をする男はそうはいない。
その別れから今日まであいつの姿は勿論、どうなったかの話すらも聞いてない。勿論、喧嘩でしかあの男の事は知らないがきっと普段もああなのだろう。あの性格はちょっとやそっとでは変わらないし、変えられないだろう。であれば、今何をしているの定かではないが真っ当な道を歩んではいないだろうと予想していた。
………………………そう、予想していたんだ。
今日、十数年ぶりに本人に会うまでは。
「ぬわぁんでだよ!何で俺と同じクズのお前が結婚出来てて、俺は未だに彼女の一人すらいないんですかああああ!!おかしいだろ!!なんで?ねえなんで!?」
目の前で魂の訴えを涙に乗せながら叫ぶ酔っ払いの男───鈴木隼。
かつて"狂犬"と呼ばれた男の姿がそこにはあった。
「もうやだ!ボクだって彼女欲しい!そうだ、紹介!紹介して!お願ぇしますだあああ!じゃないとぶっ飛ばすぞコラ!」
「………」
……本当に狂犬?
うん、そのはずだ。あれから年月が経っているので少しは変わっているが、十分にあの頃の面影はある。それに向こうも俺を見てすぐに分かっていたのだから。
───そう、再会はほんの一時間前。
さざなみ寮の皆で飲み会をしていた時にリスティさんに電話があった。なんでもリスティさんの知り合いが別の場所で飲み会をしているらしく誘われたようだ。最初は断ろうとしたみたいだけど、飲食無料の上にさざなみ寮の皆も来ていいと言われたようで彼女は即了承。俺たちを連れ立って飲み会が催されている知り合いの家(厳密には知り合いの居候先のここ八神家)にお邪魔し……そして、そこに狂犬がいた。
『夜分に大勢で押しかけてすみません。これ、余りモノであれなんですが………ん?』
『いえいえ、こっちが呼んだんっすから構やぁしませんよ。それじゃ………あん?』
八神家の玄関先でお互い見詰め合って沈黙。思考の末、ややあって口を開いたのは同時だった。
『お前、もしかして狂犬か?』
『テメエ、もしかしてあのクソデク野郎か?』
俺は呆然とした。まさか狂犬にこんな所で会うとは夢にも思っていなかったのだから。
しかし向こうはそうではなかったようで、俺だと分かるや否や拳を握り込んで振りかざした。
『ここであったが100年目!昔の借り返しちゃるわあああ!』
──その時の条件反射のような暴力的行動は相変わらずだった。まさしく狂犬だった。………だから、俺の左手薬指に輝いているものを視認した瞬間に絶望の表情とともに崩れ落ちた時は何事かと思った。
「俺だってなあ!結婚したいさ!というか彼女!まず彼女が欲しいんだよ!可愛い彼女!でも出来ない!なんで!?加えてなんでお前みたいな奴に愛さんみたいなべらぼう美人の嫁さんがいんだよ!!妬ましい!!死ね!!!」
玄関先での悶着のあと、狂犬は幽鬼のような足取りで奥へと入っていった。どうしたものかと頭を悩ませていたが、代わりにやってきた家主であるはやてちゃんの案内で中に入り、飲み会に加わったのが一時間前。
そして今、改めて狂犬が俺の元に来て愚痴とも文句とも取れない言葉を吐いている次第。
「やっぱ顔か?それとも身長か?クソ、こうなりゃ整形手術と骨延長手術受けてやろうかバッキャロー!」
俺の所に来るまでに他の人たちと飲みまくったのだろう、すでに狂犬の顔は真っ赤に染まっており言葉もどこか滅裂。それでもまだ飲み足りないのか、右手にビール瓶を持ってラッパ飲みしている。
(……なんというか、本当にこいつはあの狂犬か?)
再度頭の中を過ぎる疑問だが、答えは出ている。十年以上も前、俺と何度も喧嘩をしたあの狂犬で間違いはない。……だけど、流石にこれはあまりにも過去の姿とかけ離れてるだろ。
(酔ったせいでこうなってる、てわけでもないみたいだし)
少し前、なのはちゃんが『耕介さん、ハヤさんと知り合いだったんですね。いっつもこんな感じだから呆れや疲れを通り越しちゃいますよね。あとでお姉ちゃんやお兄ちゃんたちとハヤさんの愚痴言い合いません?』なんて耳打ちしてきた。
(……ちょっと信じられないけど、これがいつも通りなんだよな?)
ちなみにその時耳ざとくなのはちゃんの言葉を聞いていた狂犬は、すぐさまなのはちゃんに襲い掛かり、彼女が息絶え絶えになるまでくすぐり攻撃をしていた。
(まあ、人は変わるというし、現に俺もあの頃とは変わったから不思議ではないんだけど……)
ただもう一点。
あの頃の姿とはあまりにもかけ離れた印象を与える要素がある。
それは───。
「大丈夫です、隼!隼には私がずっと付いています!ずっとずっと一緒です!!」
「くぅ~。久遠もいっしょ。だったらさみしくない?」
「お前ら……くっ、なんていじらしい奴らよ!誰か!誰かこの子たちに甘い菓子を持てい!」
ウサギのような小動物的雰囲気のユーリちゃんと、巫女服姿の妖狐(幼女ver)な久遠を膝の上に乗せている狂犬の姿。
正直、違和感しかない。
(子供好きだったんだな、こいつ)
八神家に来て1時間、ちょくちょく狂犬の姿を目で追っていたが、ずっとではないにしろ子供たちの誰かがコイツの傍にいた。それも嬉しそうな、楽しそうな顔で(アリサちゃんとヴィータちゃんは除く)。
さっきもなのはちゃんがこいつの事を『ハヤさん』と言っていたが、どうやら子供たちもこいつの事が好きらしい(特にユーリちゃん、すずかちゃん、フランちゃん)。
暴力的な性格の変化以上に、まずそこに一番驚いたよ。
もとから子供好きだったのか、あるいはそうなったのか……それは分からないが、一つだけはっきりしている事がある。
「えっと、まあ、なんだ……狂犬、お前もいろいろあったんだな。魔導師、だったか?」
俺も中々奇天烈な人生を歩んできた自覚はあるが、今のこの八神家の参加者を見るにこいつも中々な人生を送ってきたようだ。
この飲み会に参加して1時間、狂犬の知り合いという人たちと話したが誰も彼もが普通じゃなかった。魔導師、戦闘機人、魔導生命体などなど……正直、説明を受けた今でも信じられない事が多い。あのなのはちゃんも魔導師だって言うし。
「あ?ああ、まーな。リリックな日常を絶賛踏破中だよ。つか狂犬言うな。そう言われるのも嫌だし、お前もそんな呼び方すんの素で恥ずいだろ」
ああ、実はかなり。
「紳士な鈴木隼様と呼べや」
それもそれで恥ずかしいだろ。
「はやぶさ様?」
「久遠、お前は可愛いから隼でいいからな~。ハァ、最近フェイトやアリシアで癒されてなかった俺の荒んだ心が癒される」
「くぅ?よくわからないけど、隼がうれしそうでよかった」
「むむむっ、私だって隼の事癒せますもん!!」
久遠が隼を撫でるように尻尾を動かし、それに触発されたのかユーリちゃんも負けじと赤い翼で隼を包み込む。
その光景はまるで妹二人が兄を取り合っているような、あるいは分け合っているようなもの。
なんとも微笑ましい。……一見すれば、だけど。
(……今、この二人から鈴木を取り上げる事が出来る人ってこの世界にはいないだろうなぁ)
両手に花、と言えば聞こえはいい。が、なんというか……その花がちょっと高価過ぎる、とでも言えばいいか。
久遠は何百年も生きる妖狐で、本気(大人ver)になれば街の一つや二つはどうにでも出来る上、今じゃ対魔師として薫の仕事も手伝ってるから実戦経験も豊富。
片やユーリちゃんも聞いたところ、本気を出せば久遠と同じかそれ以上の力を発揮できるとの事。
そして、そんな二人を膝の上に乗せてだらしない顔で頭を撫でまくっている鈴木。
なんというか……すごいな。
(というか、今更ながらどうやって鈴木は久遠をあそこまで懐かせたんだ?)
久遠は過去の事もあって人間不信のきらいがある。今ではそれもかなり軽減されてはいるが、それでも1時間やそこらで久遠がこんなに懐く人なんて、たぶんフィアッセさん以来だ。なのはちゃんなんて、久遠と仲良くなる為に何日も神社に通ってたみたいだし。
「おい、なにこっちみて微笑ましそうにニヤニヤしてんだよ?あ、テメー、もしかしてロリコンだな?愛さんに言いつけてやろ」
その台詞、今のお前にだけは言われたくない。
「ちょっと愛さ~ん、おたくの旦那さん、ロリコ───」
「本当に言おうとするな!?違うからな!」
「この際、真実はどうでもいい。ただお前が不幸になりさえすればなあ!」
「最低だなお前!!」
こういうタチの悪さはどうやら変わってないようだ。
「そうじゃなくて、ただいつの間に久遠と仲良くなったのかと思ってただけだ」
「あん?」
「くぅ?」
鈴木と久遠、揃って首をかしげる。
「そりゃお前、たい焼きだよ」
「くぅ~、たい焼き、甘い、おいしい」
「は?」
まったく持って意味が分からず、今度はこっちが首を傾げる。しかし、そんな事気にせず鈴木は続ける。──幾分、声を大きくして。
「甘いものが苦手だからってたい焼きにチーズやらカレーはねーわなあ。そんなもんをチョイスする奴の気がしれねーわ。あれだね、そりゃもう味音痴。うわぁ大食いのくせして味音痴とかマジ救えねー」
「…………」
うん、まあ、なんだ。聞いといて早々悪いが、取り合えずもうこの話は止めとこう。久遠とどうやって、どんな経緯があって仲良くなったのかなんてどうでもいい。仲良くなれたならいいことじゃないか。そう、仲良しが一番だ。………だから恭也君、そう怒気をこっちに飛ばさないでくれ。八景の鯉口切らないで。美由希ちゃん、美沙斗さん、しっかり抑えて置いてください。たい焼き、チーズやカレーも俺は良いと思うよ?
「……ハァ。呼吸するように喧嘩を売るお前のそういうとこ、変わらないな」
何だかんだでさっきも晶ちゃんやレンちゃんと顔つき合わせて罵りあってたしな。本当にこの辺りは変わっていない。
(……いや、もしかしたらこいつは本当に何も変わっていないのかもな)
ただ俺が知らなかっただけかもしれない。
(今の鈴木のこの姿もまた本当のコイツの姿なんだろうな)
暴力的で愉しそうな笑顔で喧嘩をする鈴木。ユーリちゃんや久遠に好かれ、同じような屈託の無い顔で笑う鈴木。女性陣に対して時折向ける、邪気と下心に塗れた顔の鈴木。
どれか一つだけなら、きっとどこにでもいる男だ。しかし、こんな色々な面を同時に持つ……それも全て仮面ではなく本当のモノというんだからすごい。
まあ一番すごいのは、1時間やそこらでそれが本当に仮面なんかじゃなくて素面とこちらに分からせる事なんだろうけど。
「おい、なにまたボケっとしてんだ?」
「ん、いや、なんでもない。ただ、まあ、なんだかこれから先、またお前と度々顔合わせるようになるかもな」
そんな確信にも似た予感。
なにせ学生時代もたった1ヶ月とはいえ、学区が違うのに週に4、5回は顔を合わせていたからな。それが今は同じ場所で、共通の知り合いもいるんだ。コイツとの縁が復活するのは目に見えている。しかも前回よりも濃く長い間で。
「はんっ、野郎と、しかもお前と顔合わせるなんてゴメンだぜ。あ、久遠は別な。正月過ぎまでこっちいるんだろ?その時までまだ俺の命があったら遊び行こうぜ~」
「くぅ~♪」
そう言って久遠を撫で、俺には中指を立てた拳を向けてくる。反面、向こうもこれっきりになるはずがないと薄々は感じているのか、続けて言った。
「まっ、昔のケリもまだついてねーし、あの瞬殺とか言われてたアマやその姉にもオトシマエつけさせてーからな。お、そうだ、お前まだあいつらと連絡取ってんのか?取ってんならここに呼べや。捻り潰してやる!」
「取ってはいるけど、それは遠慮しておく。せっかく皆楽しんでるのに水を差すような乱闘騒ぎを起こさせるか」
「ちっ、んだよ、酒と喧嘩はセット販売が常識だろ」
「お前の常識を一般常識に当てはめるな」
そう、こいつの常識はちょっとおかしい。
いい例がこの宴会だ。
色々秘密にしなきゃいけない事や隠さなきゃいけない事がオープン状態。久遠や十六夜さんの事もそうだし、なのはちゃん曰く魔導師という事も当然隠す事らしい。他にも多々あるけれど、それを鈴木は『無礼講なんだから気にすんな。いちいち野暮言うのは常識外れってもんだぜ?』というまったく意味の分からない言葉とともにこの場を作り出した。
当初は本当にこれは大丈夫なのかと冷や汗を垂らしたが、恭也君や美由希ちゃんやなのはちゃん、八神家の面々……というか鈴木を知ってる全ての人間が悟った顔で『いつもの事。慣れる』と遠い目をして断言していた事で少しだけ察せた。
皆、こいつに苦労させられてるんだな。
「昔からだったが、お前は本当に滅茶苦茶な奴だな」
「あん?何がよ?いや、そうだ、それよりリっつぁんから聞いたけどテメエ酒豪らしいな。だったら俺と勝負だ!昔の喧嘩のケリ、こういう形でつけるのも悪くねーだろ。先に酔いつぶれた方が負けだ!」
そう言って渡される酒瓶。ラベルを見て頬が引きつり、俺は断ろうとしたが……。
「もし逃げるならお前の黒歴史をさらにエグく脚色して上で有る事無い事すべて愛さんにバラす!」
「鬼かお前は!?」
「あ、もちろん酒は薄めずに一気な」
「…………」
………さっき確信にも似た予感と思ったが、どうやら訂正する必要があるようだ。
(これから先、というか今晩から俺はまたコイツに降り回される日常が始まるんだろうなぁ。取り合えず、なのはちゃんの提案通り、今度みんなでコイツの愚痴の言い合いをしよう。………あと愛さん、俺の介抱よろしく)
そんな事を思いながら、俺は渡されたスピリタスの蓋を開けるのだった。
遅々とした投稿で申し訳ありません。
次回は早めの更新予定。遅れた分、今月中にもう1~2話投稿します。