Fate/Next   作:真澄 十

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Act.48 自身は何処だ

 不思議な場所に居た。私はたゆたう中空に浮かんでいて、常に安定しない。私はここを知っている気もする。私はどこにいるのだろう。

 いや、そもそも。私は誰だっただろう。名前はもう分からない。

 右手を見てみたけれど、輪郭があやふやで常に不安定だった。私という存在は一体どうなってしまったのか、私はどうするべきなのか、何も分からない。

 辺りを見渡せば、あらゆる景色が浮かんでは消え、これもまた不定だった。歴史や国すら一定ではなく、ありとあらゆる情景が生滅を繰り返す。

 やはり、私はこの場所を知っているような気がした。

 

「まったく、無茶をやるのう。ここに引き込まなんだら、どうなっていたか知れたものではないぞ」

 

 背後から唐突に声が聞こえ、そちらに振り向いた。そこには美しい着物を着た女性が居て、顔はどことなく見覚えのあるものだった。でも、やはりどこで会ったのかは思い出せない。

 当たり前だ、そもそも自分のことが思い出せないのだ。人のことを思い出せるはずもない。

 

「貴方は?」

「……やはり記憶がないのか。我はこの固有結界、森羅写本が主の稗田阿礼。……自分の名前も忘れているのであろ?」

 

 私は黙って頷いた。すると阿礼は悲しそうな顔をした後、すぐにその気配を隠す。何でもないような顔を作って、彼女は微笑みを浮かべた。

 何故だか知らないけれど、ちょっと胸が痛んだ。

 

「汝(なれ)の名は八海山澪。魔術師であり、我の子孫である。私から数えて何代目かは、正直数えるのも億劫であるが。――世間話をしている暇が、あるようで無いのが現状でな。お前には一つ選択をしてもらわんといかん」

「……選択?」

 

 何を選択しろというのだろう。私は何も覚えていないし、何も分からない。選択のしようも無いと思う。

 阿礼は私に指を突きつけ、言った。

 

「全てを思い出して辛い現実を知るか、全てを忘れて安穏のうちに此処に留まるか。いいか、汝がここに来た経緯を教えてやる。それを聞いて判断しろ」

 

 何を言っているのか、正直分からない。でも、きっと私は話を聞かなければならないのだろう。記憶は無いけれど、何か心に引っかかるものがあった。辛い現実――きっと、私が忘却してしまった何かを、彼女は知っている。ならば聞かなければならない。

 

「汝は、自分の精神を代価に強敵を討ち果たした。それは他者の精神を自己の中で模倣と再現を行ない、現世に蘇らせる奇跡の技である。しかし、自己のうちに他者を作り出すことは自己の破壊と同意である。

 いいか、此処に居るお前は精神だけの存在。汝が何も思い出せず、かつ輪郭が不定なのは、精神が全壊寸前まで追い込まれた事を示している」

 

 私はもう一度自分の手を見た。相変わらず胡乱で、安定しない。ここが精神の世界で、私もそうであるならば、安定しない姿は精神の崩壊を意味している。ここまでは分かった。つまるところ、私はあと一歩で消滅するところだったのだろう。

 ならばどうして助かっているのか。

 

「汝に消えるのは我も望むところではない。よって、こちらに引き込んだ。今のお前の体の中には、他者の精神が渦巻いている。だがここならば我が汝を守れる。これ以上お前が傷つくこともない。

 ――まあ、完全に引き込めたわけではないのだが。ごく一部だが、体に残してきてしまったものもある。汝の瞬間的な感情まではこちらに引き込めなかった。……それが原因で、お前には辛い現実を突きつけなければならないかも知れぬ。不徳の致す限りだ」

 

 辛い現実とは一体何なのだろう。名前すら思い出せない今の状況では、何の予測も立てようがない。

 何とも表現し難い不安に襲われる。精神の世界であるというのに、嫌な汗が出てきた。

 

「『あちら』に残った感情は、一種の暴走を引き起こした。今は、我が汝の体に介入して止めておるから安心して良いがな。

 とまあ、これが今伝えられる事の顛末だ。『辛い現実』を知るかどうかは、お前次第だ。

 だが、これだけは言っておく。思い出すにしても、それが今すぐに出来るのか、それとも何十年もかかるのか、我には分からん。お前次第だな」

「私次第?」

「汝はこれから――この広大な情報の海の中から、『自身』を見つけ出さねばならん。この海は過去の記録に他ならない。この中から失った自身を見つけ出し、補完していく。何十年、いや百年あったとて足りるかどうか」

「……それって、思い出す意味あるの? 思い出したとしても、私は年老いて先がないかも知れないのに」

「そうさな。それは一理あろう。だがな、それで悲しむ人もおるのだ。今、汝の体は私がある程度制御している。だからな、ある程度は周囲の状況が分かるのだが、きっと奴らは悲しむだろう。……きっと、お前が愛した人も悲しむだろうて」

「私が愛した人? 誰?」

「……まあ、それを忘れてしまったからこそ、という話でもあるのだが。名前くらいは覚えていないか? 彼の名はローラン。フランスが誇る屈指の聖騎士(パラディン)・ローランだ」

「ロー……ラン」

 

 何も思い出せない。愛した人の名前や顔すら思い出せないという事実が、私の胸を締め付ける。

 だけど、それだけじゃない。何か懐かしいようでいて、温かい気持ちになる。それが誰なのか私にはわからなくなってしまったけれど、それが大事だったことだけは何となくわかる。

 思い出せと言われても、私には何がどうなっているのか分からない。だけど、その名の響きだけで、私が選ぶべき道は示されているように思った。気のせいかも知れないし、このまま此処に留まったほうが幸せなのかも知れない。

 

「ローラン。この響きを私は知っている。けれど思い出せない。……なんだか、それはとても悲しいと思う」

 

 だから私は決めた。私の道を、他でもない私自身で。

 

「思い出すわ。何年かかっても問題ない。ここは現実じゃなくて、現実に私の居場所がある筈よ。だったら、私は思い出す。私自身を取り戻す!」

「……ならばよし! よく言ったぞ、澪。それでこそ我が子孫!」

 

 私は、現実を諦めない。つらい現実も、悲惨な過去も受け止めてみせる。

 ――それが、私の正義。

 

「我も手助けしようぞ。なあに、この空間は過去に何度も汝が接続し、情報を引き出していた場所。すぐに慣れるだろう」

「あなたには、私の情報がどこに格納されているか分からないの?」

「難しい質問じゃのう。一言でいえば分からん。この空間は我の固有結界、私が見聞きしたものを全て記録する無限の書架。だが、いまやこの空間はアカシャのバックアップシステムとなっている。もはや私の認識をはるかに超えた情報量だ。探せばどこかに情報があることは間違いないが、どこにあるのかと問われるとなあ……」

「……結局、自分で探すしかないのね」

「そうだ。手当たり次第に誰かしらの情報を読んでいくしかない。ここは言うなれば、表紙の一切ない本をひたすらに詰め込んだ蔵書の樹海だ。中身を読んで、それが誰の情報なのか判断するしかない」

「……仕方ないか。あれ、でも私には記憶がないのに、それらを見ても分かるの?」

「自分の記憶だ。見ればそれと分かる筈であろ。……確証がないのが痛いところではあるが。……では、手始めにこの人物から始めようか」

 

 彼女がそういうと、手の平の上に光の靄が現れた。何やら甘い匂いのする光だった。その光をじっと見ていると、誰かの記憶が脳裏に浮かんでくる。記憶から判断するに、この人は男性らしい。これは除外しても良いだろう。

 これを判断できるまで、体感で二十分。これは長い戦いになるだろう。

 この人は違うと彼女に言うと、残念そうな顔をした。そして直ぐに新たな光を差し出した。見た目は一緒だが、今度は鼻の曲がりそうな匂いがした。まるで汚物のようだった。

 その光もじっと見ていると、その人物の記憶が伝わってくる。この人は女性だったようだが、何やら違うようだった。何も感じるところが無いどころか、正直に言ってろくな人間じゃなかった。清々しいほどの悪女であった。

 この人物を判断するのにかかった時間は、おそらく五十分。さきほどよりも断然長くかかった。

 

「これも違うか。一応、同年代と思われる人物を引っ張ってきてはいるが、それでも総数が多いからの。仕方がない。では次だ」

 

 次々と差し出される光を凝視し続け、その全てが違うように思えた。本当に地味な作業で、彼女が言っていたように何十年かかるか知れたものではなかった。

 でも、私は決めたのだ。私は決して、私自身を諦めない。

 

 

 ◇◆◇◆◇

 

 

 この空間には昼夜というものがなく、それゆえに時間の指針が全く存在しない。私がこの空間に来てから何時間、いや何日経ったのかもはや不明だ。もしかしたら数分しか経ってないかも知れないし、既に何年もたっているかも知れない。

 彼女いわく、この空間と現実の時間は流れる速度が違う。精神の世界は現実に比べて時間の流れが早い。こちらで一時間経ったような気でいても、現実には十分も経っていないということもある。

 だからと言って、あせりを感じないわけではない。そもそもこの空間でどれだけの時間が経ったのか全くの不明であるから、現実での時間経過を推し量れない。

 その点、彼女は分かっているのだろう。私の体に介入していると言っている以上、現実との接点がある筈だ。だが、あえて聞かないことにしておく。もし、現実では既に十年も経過していると言われたら、私はきっと気力を無くしてしまうだろうから。

 

 私が見た光の玉は、もはや数百個に達している筈だ。ある程度まで数えていたが、その無意味さに気付いてからは数えるのをやめた。

 仮に三百に達していたとしても、せいぜい村レベルの人数でしかない。現在、地球上に存在する数十億の人類の内たったの三百。これでは一生を費やしても終わらないかも知れない。

 そもそも、一つの光を見るのに一時間以上かかることが普通にある。性別が明らかに違うと判断できる場合もあるが、大抵は四十分から百分ほどの時間を必要とする。この時間もあくまで体感なので具体的な数字は不明だが、逆算すれば既にこの世界では十日ほど経っていることになる。

 

 さすがに彼女も疲れてきたのだろう。肩を揉みながらぼやいた。

 

「記憶のあるときの汝は、ほとんど一瞬でこれを成しておった。せめてそれを思い出してくれればな……」

「……何それ、初耳なんだけど」

「言うておらんかったか? 前の汝はな、この世界に接続するなり、目当ての記憶を直ぐに抜き出しておったぞ。どうやっていたのか、我にも分からん。一種の才能であるよ、あれは」

「……それを思い出したほうが早いんじゃ」

「思い出す手掛かりもないのにか? こうやって多くの情報を閲覧しているうちに、何かが引き金となって思い出してくれればと期待しておったのだが、なかなか上手くいかないものであるよ」

 

 そう言って、彼女はまた新たな光を差し出した。今度のは何やらすえた臭いがしているように思えた。

 

「また臭いやつ? 匂いの悪いのは基本的に嫌な人間な気がするんだけど」

「……匂いとな?」

「いやほら、今度のヤツ匂うじゃない。カビ臭いというか……」

 

 そこまで言ったとき、彼女が怪訝な顔をしていることに気がついた。光に鼻を近づけて嗅いでみて、さらに怪訝な色が強くなった。

 記憶がないから定かじゃないけど、実は私嗅覚がおかしかったりするのだろうか。いや、こんな匂いは誰だって嫌だと思う。カビ臭いのを好む人間はそうそう居ないと思うのだが。

 

「おい。これはただの情報の塊ぞ。匂いなどある筈もない。……汝、何を言うておる?」

「え? いやほら、すえた匂いがするでしょ? あれ、私って嗅覚おかしいの?」

「……では、これはどんな匂いがする?」

 

 そう言って彼女は別の一つを差し出した。これは良い匂いがする。レモンのような、柑橘系のさわやかな匂いだ。

 

「……柑橘系の匂い?」

「……なるほど」

 

 そういって彼女は、その光を凝視し始めた。その仕草はまるで何かを確かめているかのうようで、時間が経つにつれてその顔に歓喜の色が浮かび始める。

 その情報を最後まで閲覧しきった時には、その顔には自信と確信に満ちた顔をしていた。

 

「よし、聞け。汝がどうやってこの空間で、特定の人物の情報を探し当てていたのか分かった。汝の魔術は、自身の体に新たな機能を付け加えるものだ。あるいは、既存の機能を変更するものだ。汝は忘れているだろうが、そういう魔術を得意としていたのだ。

いいか、汝の中にはな、最初から常人とは違うものが組み込まれているのであろ。それは、『他人の性質を匂いに置き換えて知覚する』というものだ。これが生まれもった特別なものなのか、幼少期あたりに魔術の失敗でこうなってしまったのかは定かではないがな。きっと、今までだってそうだった筈だ。それを処世術として無意識に活用していたんだろう。『この人は信用できる』とか『この人はろくでもない人間だ』とかな」

「……人の性質を匂いに置換?」

「お前はな、第六感すらも自分の機能の一部として使っておった。その活用と考えれば良いかも知れんの。相手を一目みて、その性質を六感で感じ取り、それを嗅覚に置換して感じ取る。六感はそのままだと胡乱な感覚でしかないが、嗅覚や視覚で訴えれば確たる情報だ。

うむ、さすがに偶然だろうが、我が固有結界との相性は抜群である。我のそれはただ貯蔵するだけの空間であるが、汝はこの雑多な空間から特定のものを探し当てることが出来る。素晴らしきかな、我が子孫は」

 

 そう言って彼女はからからと笑いだした。しかし、まだ私は腑に落ちない部分がある。

 

「……でもそれって、既に嗅いだことのある匂いであるとか、匂いの元となる何かが無いと同定できないでしょ? 自分自身の匂いなんて、私分からないんだけど」

「だからこそ確実に分かるであろ!」

「……はい?」

「汝にとって無臭の情報こそが、汝自身に他ならん筈であろ!」

「……あー、なるほど」

「何をぼけっとしておる! 今まで一つあたり相当な時間を食っていたが、匂いだけ追っていけば一瞬で終わる! おい、これは急ぐ必要が出てきたぞ。言うておらんかったがな、汝の周辺は結構大変なことになっておるようなのだ。上手くいけば、事が済んでしまう前に帰れるぞ、澪!」

 

 そういって彼女は次々に光を差し出してきた。しかし、今までのように一つにつき数十分を費やすこともない。一秒もあれば十分だった。何せ、何かしらの匂いがあったらアウトという非常に単純な話である。

 しかし気になるのは、外は結構大変なことになっているという言葉だった。記憶が全くないために何も推論できないが、私は早く元に戻るべきなのだろうか。

 そして、辛い現実という言葉がいまだに心の奥で燻っていた。一体何があったというのだろう。きっと、ローランという人が関係していることは間違いないだろう。一体、その人に何があったというのだろう。最悪の場合、その人の死を覚悟しておくべきかもしれない。

 

 だが今は余計なことを考えないほうが良いだろう。私は再び情報の海の中から自身を探すために、目の前の仕事に没頭することにした。そうしないと、不安に押しつぶされそうだったから。




 皆さんあけましておめでとうございます。
 新年早々ですが、研究室であるとか実家に帰って色々なことの手伝いやらで忙しく、あまり文章量がありません。
 しかも物語にあまり動きのない回というね。ほんと申し訳ない。

 こんな真澄ですが、新年もどうかよろしくお願い申し上げます。

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