Fate/Next   作:真澄 十

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Act.43 塩

 馬は人に速さをもたらす。人には及びもつかないほどの速度で、遥か彼方まで人を運ぶ。

 輸送に使えば金銭をもたらし、通信に用いれば情報をもたらす。そして、戦に用いれば勝利をも運ぶ。

 馬にまたがれば、矮小な農夫でさえ将軍の威風を纏うことが出来るだろう。

 しかし万能ではない。馬は縦横無尽に走ることが出来るように見え、その大きな体躯ゆえに、ある程度開けた場所でないと方向転換もままならない。

 例えば――今セイバーが踏み入れた山林の中などでは、前方を満足に見渡せないどころか、側面や背後から強襲をかけられたとしても満足に反撃できないことになる。方向が変えられないのだから当然だ。馬に跨りながら背後の敵に応戦するなど至難の業である。

 

 故に、セイバーは拿捕した赤捷をここで解放することを選んだ。深い木々の中では、むしろ馬は邪魔である。手綱を引いて随行させることも考えたが、赤捷から降りた途端、彼が激しく抵抗を始めたためそれもままならなかった。

 手綱を離すと、それ以上セイバーに抵抗することはなく、一目散に山から下りて行った。先に山に入ったライダーは既に山の中腹以上に居るのだろうから、ライダーから離れる選択をしたということになる。おそらく、本来の主人に向かって進むことで、主人の位置を教えてしまうことを嫌ったのだろう。宝具馬は本当に賢いとセイバーは実感した。もしも自身が過去に体験した戦いの際、この馬が手元に居たならばと考えてしまう。

 

 馬を手放したことでセイバーは徒歩となる。ライダーは果たして馬で先行するか、それとも馬を捨て歩くか、既に相手の位置は伺い知れないために採択した選択肢は不明である。だが、騎乗し続けていたとしても、現状では脅威とならない。馬が走れば、必ず大きな音がする。落ち葉を踏みしめる音、小枝を折る音、馬の息遣い。この静かな森の中では、それらの音は非常に目立つ。

 故にセイバーは慎重に歩み続ければ良い。いずれ会敵する瞬間に先手を取れるよう、周囲に気を配ってさえいればそれでいい。

 こういう時、間違いなく澪は役に立ったろう。戦闘能力は限定的とはいえ高いが、サーヴァントはもちろん士朗や凛に劣る。状況が噛み合えばあるいはサーヴァントすら妥当し得るかも知れないが、正面切った戦いではまず勝てない。だが、こと敵を探すという一点においては右に出る者はそう居ないだろう。

 

 セイバーは歩み続ける傍ら、澪について思案した。よくよく考えれば、澪の魔術特性は一体どういうものなのか。八海山の家系は魔術的なパスを繋ぐことに長けているという。しかし、それでは澪の探査魔術の説明が困難である。

 澪の魔術特性を正しく説明できるとすれば、言わば『組み込み』ではなかろうか。人体という既に完成されたシステムの中に、新たな機能を組み込むチカラ。他者との相互通信を可能にするパスを組み込み、探査魔術や脊髄反射魔術という自動機構(オートマトン)を組み込み、他者の人格を己の人格として組み込むチカラ。

 ――下手をすれば己を超人と化すことも可能ではないか。ただ懸念すべきは、組み込んだ何かしらの『機能』を正常に取り外すことが出来ない可能性である。いわば、羊皮紙にインクで書きこんでいるようなものだ。既に完成された文章に新たに書き加えることは可能だ。だがインクで書いた以上、書きこんだものを完全に消しさることは不可能である。インクを消すにはナイフで羊皮紙を削る他無い。しかし言うまでも無く羊皮紙は損傷する。それが、今澪に起きていることに他ならない。

 羊皮紙という名の自我・精神が、書き込みと訂正を繰り返したことによって摩耗している。それも驚くほど速く。

 利点は多い。汎用性に富み、人でありながら人を超えた身にすることも容易い。だがそれは不可逆の変換だ。一度削れた羊皮紙は二度と元には戻らない。

 

 もはや時間が無い。今まさに澪はバーサーカーと出会い、刃を交えているに違いない。あるいは、既に同一化魔術を使ったかも知れない。使っておらずとも、窮地に立たされていることは間違いない。事は一刻を争うのだ。澪と繋がったパスを通じて、恐らく澪が向かいの小山――柳洞山の中腹あたりに居ることは間違いないとわかる。全力で走ればそこまで時間はかからない。だが、ここで自分が澪の元へ向かえばライダーまで付いてくるだろう。バーサーカーとライダーを同時に相手することは不可能だ。故にセイバーが今できるのは、全力でライダーを叩き、返す刃でバーサーカーを斬り伏せる。これしかない。

 

 足を急かして歩み続けると、強い魔力の奔流を感じた。それはもはや一種の瘴気である。強い殺意と闘志が渦を巻き、辺り一帯を包みこんでいる。セイバーはそれに驚くと同時に、心のどこかでこれを予期していた。

 やはりライダーめ。逃げも隠れもしない。引き連れていた姉妹兵を置き去りにする結果になった以上、今望むのは尋常な一騎討ち。

 邪魔も入らず、ただただ命を削りあう殺し合い。心の奥底で、セイバーもまたそれを望んでいることに本人は気付かなかった。騎士であれば、より強い相手と剣を交えたいと願うのは自然な心の機微だろう。斬り伏せたのであれば己の誉れとなり、切り伏せられたのであれば相手の誉れとなる。

 騎士や戦士の戦いにおいて、戦闘は必ずしも命のやり取りに留まらない。そこには誇りと誉れのやり取りがある。ならば、それに相応しい戦場と状況を望むのは、セイバーもライダーも同じだ。

 

 故に、ライダーの誘いにセイバーは乗り、またライダーもセイバーの誘いに乗って、今に至るのだ。ライダーは数を頼みにした戦術をとることもあるが、それは勝利を第一に考えてのことだ。最も良い戦術と本人の心境が必ずしも一致するとは限らない。

 軍団での戦いを得意とするライダーが、その実一騎討ちを望んでいる。ならば、セイバーもまたそれに応えるべきだろう。戦術的にもライダーがそれを望むのであれば、今セイバーがそれを拒む理由はない。

 

 ライダーの放つ気炎の元へ歩み続けると、やや開けた場所に出た。偶然か、もしくは昔火災でもあったのだろうか、草が茂るのみで木々の類が全く無い、言わば広場のような場所であった。木々で覆われていないため、相手の姿を視認できる程度には月明かりで照らし出されている。そこにライダーの姿があった。広場の中央で騎乗し、その双眸はセイバーを射抜いていた。

 

「セイバー、俺も貴様も、あれほどの速度で駆け抜けてここに辿りついた。我らの速度に迫るサーヴァントはランサーのみであったが、それも既にアサシンの凶刃に斃れた。故にここには我らのみ。

 ――セイバー、俺はつくづく思うのだ」

 

 そう言うと、ライダーは得物を手に取った。セイバーにとってはもはや見慣れた青龍堰月刀。重厚で、凶悪で、それでいて華美。

 それを天に掲げ、まるで詩でも諳んじるかのように高らかな声でライダーは言った。

 

「矜持と命を賭けた戦いに、相手の名も知らぬとはあるまじきことだと! 我が名は張遼! 字は文遠! 天の杯を主にもたらすため、主が怨敵を打ち砕く者なり!」

 

 セイバーはライダーが真名を告げたこと自体には驚きはしなかった。現に先ほど名乗っている。張遼――セイバーと同じように、彼もまた無敵の武人であったのだ。

 その武人に名を名乗られたとあれば、セイバーもまた名乗らないわけにはいかない。先ほどは名乗れなかったため、ここでセイバーはライダーと同じように剣を掲げて己の真名を宣言した。

 

「我が名はローラン! 聖騎士(パラディン)ローランだ! ライダー、問答を交わす機会は今を逃すともはや在るまい。故に聞く、泣く稚児を黙らせる誉れ高き張遼は、如何なる理由で戦うのか!」

「我が主が天の杯を欲したからだ!」

「聖杯は、もはや人にとって災厄でしか無いのだぞ!」

「それは俺の知るところではない。俺は主が掲げた正義の為に戦う走狗にすぎぬ。故に俺には如何なる義も存在しない。

 そもそも、闘争に理由など要らぬ。如何なる義を掲げて闘争を正当化しようと、人を殺めるという罪は依然としてそこに在るのだ。人を殺めることは、紛れもなく人道を外れた行為である。故に俺は人ではなく、一振りの剣であり、走狗にすぎぬのだ」

「ならば――貴方の主君を外道と言うつもりなのか」

「否。我が主は人を殺める罪を知り、それでもなお手を血に染める者だ。己の罪を知りながら、より深き罪を断つために剣を執る者、これを人という。己の罪を知りながら、大義名分で罪を塗りつぶすもの、これを外道という」

 

 セイバーはその言葉に打ち据えられた。ライダーと己の胸中はあまりにも似ている。セイバーもまた、己が正義を掲げて剣を執る者を悪とする。人はその歴史と心中を異にする。故に万人には万人の正義がある。であるならば、己の正義を他者に押しつけることこそこの上無い傲慢で、悪である。セイバーは己の罪の末にそれに至った。

 セイバーは悟る。ライダーは自分を悪とし、自分もライダーを悪とするしかない。そして両者とも自己矛盾と罪を自覚している。自分の罪を知りながら、さらに罪を重ねなければならないという矛盾。

 そして震える手を抑え込み、ライダーの双眸を負けじと射抜き、そして吼えた。

 

「それは――傲慢だ! 己の理想を掲げて他者の理想を蹂躙するなど、あってはならぬ傲慢だ!」

「然り! 人は誰しも理想を求めるが、己の理想が他者と相容れるとは限らぬ! 今の市井であれば、言葉で和解し、互いの理想を認め合うこともできよう。だが俺はそのようには出来ておらぬ。俺は一振りの剣であり、走狗に過ぎぬ故に!

 然らば、語り合う術は一つしか残されておらん。古今東西、最も愚昧で単純明快な方法だ」

 

 そう言うと、ライダーは得物を握り直し、黒兎を走らせる。気勢だけならば、およそ人類に到達できる限界にまで達していよう。

 咆哮。しかしながら呼吸は整然と。指の末端まで力を漲らせた一撃は、セイバーの胴体を両断せんと唸りをあげる。見る者が見れば、ライダーの一撃よりもギロチンのそれのほうが手緩いであろうと見抜くであろう。

 

 無論、それほどの一撃を素直に受けるセイバーではない。セイバーの得物は片手剣である。長柄かつ大振りの得物か放たれる一撃を受け止めるようにはなっていない。だからと言って盾で受けることも愚策。この一撃ならば盾もろとも切り裂くだろう。

 よって、セイバーは剣を寝かしてライダーの一刀を沿わせ、熾烈な一撃を受け流した。

 

「闘争だ! 俺はそうやって生きてきた! セイバー、それは貴様もそうだろう」

「……そうだ。私は神の名のもとに、敵を斬り伏せ、集落を焼き払って生きてきた。そうして付いた異名が――『狂えるオルランドゥ』。知っているか、この私は狂人なのだ」

 

 ローランという名は英語圏での名である。ローランの武勇が未だ轟くイタリア、そのイタリア語でローランはオルランドゥと発音する。即ち、『狂えるオルランドゥ』という名は狂人と呼ぶのと何ら変わらないのだ。

 互いに一閃、されど万人のそれを束ねたよりもなお熾烈。鉄と鉄がぶつかり合う音と共に、星明りよりもなお明るい火花が周囲を照らす。

 

 ライダーの振り下ろす一撃を流し、間髪入れずに刺突による反撃を放つ。それをライダーは難なく叩き落とし、返す刃でセイバーの首を狙う。

 一撃、回避、反撃。常人であればもはやそこで戦闘が行なわれていることすら理解出来ぬ程の応酬。それは幾度となく繰り返され、互いの体を徐々に削っていく。

 だが互いにそれで剣が鈍ることはなく、むしろ速度を増していく。技巧ではセイバーに軍配が上がるが、膂力ならばライダー。ライダーの砲撃のような一撃、そしてその間隙を突くセイバーの閃光のような一撃。

もはや、二人の間に徒歩と騎乗の差は無いと言ってもいい。セイバーは幾度となく繰り返されたライダーとの戦闘で、その対処法を身につけつつあったのだ。即ち、自ら剣に飛び込むこと。長柄の刃が速度を完全に増す前に、刃が立つか立たないかの瞬間を身切っての踏み込み。鼻先を黒兎の胴を掠めるかという距離こそ、セイバーにとっての必殺の間合いである。

 

 故に今、二人は完全に互角。どちらが優れているわけでもなく、どちらが勝ることもない。拮抗した状況を覆そうと動けば、残る側がそうはさせまいと動く。

 

 刺突、薙ぎ払い、振り下ろし、殴打、互いにあらゆる手段を以って敵を討ち滅ぼそうとするが、それも叶わず宙を割く。

 セイバーは思った。神の血を継ぐわけでもなく、祝福を受けた剣を執るわけでもなく、ただ一身のみを頼りに上りつめた男。人の身のみでここまで人は強くなることが可能なのか。あるいは、ライダーが聖杯を手にする未来もあっただろう。

 

 だが、それを許すわけにはいかないのだ。あの災厄の釜を誰かの手に渡してはならないのだ。それが例え――稀代の大英雄であっても。

 

 ライダーが一度距離を取るのを見るや、セイバーはおもむろに構えを解いた。それを見てライダーは怪訝な顔をする。ここにきて戦意を失うセイバーではないことは重々承知している。……いや、その場に居合わすものならば明らかだ。むしろ、殺気は先ほどの比ではないほどまでに膨れ上がっている。

 来る。セイバーの、必殺の宝具が。

 

「……私は悔いているのだ。馬鹿げていると思うだろうが、過去の改竄を聖杯に求めたほどだ。

 己の理想を持ち、それでありながら他者にそれを強いることはしない。私がそうであれば、我が友は救えただろう。そして、世界はもっと平和であっただろう。

 ……そして、語り合う言葉を捨てた時、人は人ではなくなり獣となるのだ」

 

 セイバーは盾の具現化を解除した。もはや無用の長物である。そして空いた左手に、腰に留めておいた角笛を握った。

 その行動だけで、ライダーはセイバーが『本気』であることを悟った。今まで決して手を抜いていたわけではない。それは今まで幾度となく鎬を削り合った過去を鑑みれば自ずと知れる。

 例えるならば、敵国の都市に核攻撃を敢行するようなものだ。選択肢は常に存在していたが、最後の最後まで実行してはならない苦渋の策。

 その角笛は、セイバーにとってはそれほどの意味合いを持つのだ。その効果範囲の広さ、無差別性そして制御不能の破壊――言わば極小の核弾頭である。加え、セイバーにとっては己の心的外傷(トラウマ)と向き合うことに他ならない。

 だが――この場ならば、その無差別破壊の宝具を使用することに憂いは無い。都市を焼き払う心配はないし、人目に付くことも配慮しないでいい。加え、ライダーはこの宝具を使うに値する。過剰すぎるということは決してない。

 もはや、セイバーが宝具を使うことに対する制約は、セイバーの心持ち次第である。そして、セイバーは既に覚悟している。再び己の心的外傷に――最大の過ちと向き合う覚悟はある。

 

「貴方は私だ! 私もまたこの様だったのだ! 貴方が自分を走狗であると称するのと同様に、私もまた一匹の獣であった。語り合う言葉を捨てた、人の形をした畜生だ!

 そして――今から私は一匹の獣に戻る。理想を掲げて剣を振るう獣、理想の鬼だ!

 見よ――神の威光を模した人の業を、背徳の街々(ソドム・ゴモラ)を焼き払った断罪の炎を! 響け、『最後に立つは我のみぞ(オリファン)』!」

 

 その名を宣言した次の刹那、角笛が淡い光を発する。角笛を象っていた膨大な魔力が、その真価を発揮せんと牙を剥く。今ならば誰しも納得するだろう。ただの角笛が、どうして必殺の宝具成り得るのか。その真価は知れずとも、その渦巻く魔力を見れば誰の目にも明らかである。

 

 そしてセイバーは、その恐ろしい肺活量を限界まで駆使し、角笛を力の限り吹いた。かつて八海山澪は、セイバーの声に対して「声量が調節できていない」と称した。だがそれはある意味で間違いである。単に、下限が人外れて高いだけだ。それは魔物じみた肺活量が生み出した副作用に過ぎない。

 鼓膜が断裂するかと思うほどの音圧は、しかし耳に心地いい。その音色は荘厳かつ神々しく、それでいて雷鳴のように力強い。

 それはこの世のどんな歌よりも清らかで、どんな言葉よりも胸を打つ。そう、まるで神の威光を知らしめるかのようだ。

 

「何だ、この音は……!?」

「――我らの罪は深く、罰を受けねばならぬ。怒りの日は来る。ダビデとシビラの教えにあるように。かの音は審判者が鳴らす裁きの音色。そして審判の後、罪深き者はもはや居ない」

 

 ライダーは頬を熱い風が掠めるのを感じた。その正体はすぐに知れることとなる。

 角笛(オリファン)から凄まじい炎を発している。――否、もとよりそれは炎で編まれた器物。その奇跡的な構造が解れ、元の炎に戻ろうとしているだけである。

 やがて角笛は炎の礫となり、セイバーの手の上で留まる。次の刹那、その炎は急速に収束を始めた。やり熱く、高密度に。

 

ライダーは直感した。この場に留まっていては命が無いと。あの炎の収束は、言わば恒星が超新星爆発を起こす直前の崩壊だ。完膚無き破壊の直前に与えられたわずか数秒の猶予時間。この時間を、セイバーを斬り伏せることに充てても良い。だが、それでは共倒れは必至。もはやあの炎球は、セイバーが絶命したとしても止まらない。

 

 逃走は必然。だがライダーはそれを拒否した。

 敵の心の機微はいざ知らず、それが大きな決断であったことは分かる。ならば、それに応えるもまた武人の心得であろう。そもそも逃げ切れるのかどうかも定かではない。ならば背を見せず対峙し続けるべきだ。

 サーシャスフィールに、必ず聖杯を持ち帰ると誓った。ならばそれから遠ざかるような真似は一瞬たりとも選択しまい。それが、ライダーの覚悟である。

 

「ライダー、一つ念を押しておくがオリファンの所有者は我が宝具によって傷つくことはない。私が相打ちを狙っているなどと楽観はしないことだ。

 もう一つ言うならば、ランサーはこの宝具に耐えてみせたぞ。お前はどうだ、ライダー?」

「無論、正面より受けてみせよう。そして凌いでみせる。然る後に貴様を斬り伏せる」

「その意気やよし。――ならば全身全霊で受けてみせろッ!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 セイバーの咆哮に応えるように、その手の炎球が爆ぜた。

 否、ライダーにとってそれは「爆ぜる」などという認識に留まらなかった。最初に目に映ったのは、網膜を焼くほどの閃光。そして迫りくる炎の壁である。もはやライダーにとって、それはもはや球ではなく壁であった。瞬時に膨れ上がったそれは、圧倒的な光線と熱、そして体積の所為で「壁」としか認識できない。

 そしてその球が己に到達するか否かの瞬間に、木々をなぎ倒すほどの衝撃を総身で受けた。冗談じみた気密差は破城鎚のような衝撃をライダーに叩きつける。

 ライダーは黒兎から投げ出され、地面に叩きつけられる。ライダーは、顔面を守った左腕を骨折したのみで済んだが、黒兎はそうはいかなかった。急所である顔面に真っ先に衝撃を受け、まず脳震盪を起こした。次の瞬間には襲い来る炎を吸い込んでしまい、肺を焼かれる。体内に入り込んだ炎はそれだけに留まらず、黒兎の血液を瞬時に沸騰させ、黒兎を瞬く間にショック死させた。重度の脳震盪により既に意識が無かったため、ある意味では苦しむ暇すらない安らかな死であったと言える。

 

 しかしライダーにその死を悲しむ暇など与えられなかった。衝撃波に晒されたのは一瞬のみであったが、吹きつける暴風と炎熱は、ライダーの肌と体力を焦がし続けた。

 声すら出せない。否、呼吸すらままならない。未だ吹きつける火炎は、ひとたびライダーが口を開こうものならば容赦なく入り込むだろう。そうなればもはや助からない。肺を焼かれてしまってはもはや死を待つのみである。

 熱い。熱い。アツイ。

 髪を焼き、髭を焼き、肌を焼く。姿勢を低く保ち、可能な限り炎と接する部分を減らす。顔は常に地面に向け、口を外套で覆い、煙と炎を吸い込まないように保つ。

 しかしこの高温に晒され続けていては、いずれ死は必至。体中の水分が失われ、肌の至るところが火傷を追う。

 

 ライダーは舌を巻いた。なるほど、今まで使わなかった訳だ。

 こんなものを市井で使える筈が無い。あまりに犠牲が多すぎる。ある程度は効果範囲の制御が効くのだろうが、それでも下手を踏めば街一つを焼きつくしてしまうかも知れないのだ。そんなものを気安く使うことが出来る者がいたとすれば、それはもう反英雄かバーサーカー以外にあり得ないだろう。無関係な人々を巻き込む心配の無い、深い山の奥だからこそ、セイバーも使ったのだ。

 そしてもう一つ驚くことは、これを人が作り出したということだ。ここまで人の信仰とは凶悪になれるのか。神が祝福したわけでもなく、妖精が鍛えたわけでもなく、星が産み落としたわけでもなく――ただの人が敵を殲滅せんとし、その大義名分を欲したというだけで――ここまで容赦の無い奇跡を生み出せるのか。傲慢と言えば傲慢。神聖と言えば神聖。これが人の業であるというならば、なんと罪深いことか。堕落した二つの都、ソドムとゴモラを焼き滅ぼした炎がこれだというのであれば、人の身でどうして太刀打ちできようか。

 

 勝てない。一発逆転の宝具を持たない自分に、この状況を打開する術はない。立ち上がれば前進を炎に晒すことになり、かといって身を低くしていても死を待つのみ。炎もいまだ吹き荒れ、留まることを知らない。

 勝てない、絶対に。剣の技が劣っていたとは思わない。むしろセイバーよりも勝っていよう。だが、この武器の差は覆しがたい。否、覆せない。

 それを悔しく思いはすれ、卑怯だとは思わない。戦闘とは、それが起きるまでに何をするかで趨勢が決する。だからこそ、自分も姉妹兵の鍛錬を行なったのだ。偶然、セイバーが強力な武器を手にして、自分はそれを超える武器を手にしなかった。言わば己の力量不足である。真に優れた武人であれば、窮地を救う何かを予め手にしているものである。それを与えられなかったのであれば、それは己の力量不足。

 

真の武人は天をも味方につけ、窮地にこそソレを発揮するものなれば、我はその器にあたわず。

 

 本望ではないか。自分を打倒し得る敵の手によって斃れる。これを常に望んでいた筈ではないか。

 だが、何故か胸の内は暗い。いや――その理由は明らかである。沙沙だ。彼女に聖杯を持って帰ると誓った。必ず自分が死の運命から救い出して見せると誓った。それが叶わぬから、胸のこんなにも苦しいのだ。

 しかしもはやどうしようもない。自分には過ぎた荷だったのだ。許せ、沙沙。我が愛しい主、我が愛した人ならざる人、美しい女よ――。

 

「許しません」

 

 もはや耳は聞こえない。その声が聞こえたとしたら幻聴か、あるいは――念話か。

 そのときライダーは眼前に、一匹の蛇が飛び込むのを見た。しかしよく見れば、それは蛇などでは断じてない。その姿は銀。炎の中でなお煤をその身に寄せ付けず、光り輝くソレは幾重にも編み込まれたワイヤー。それが生き物のようにうねる。

 これは沙沙の――と思った次の刹那には、編まれたワイヤーが解れてその場に展開される。そして中空に新たな形を象る。

 現れたそれは大盾。ライダーの巨躯を覆い隠すほどの大盾である。その大盾は炎の暴力からライダーの体を守る。圧倒的な熱量に晒されてなお、その盾は融解することもない。まさしく堅牢そのもの。

 

 そしてライダーがその事態を飲めないでいる中、ライダーは自分が治癒の魔術の対象にされたことに気付いた。全身に負った火傷が瞬く間に癒される。熱によって失われた水分はどうしようも無いが、それでも十分に剣を振るえる程度には回復した。

 ライダーはこの状況を整理する。決して賢くはないライダーだが、正答に辿り着くまでに時間は要しなかった。

 この場にサーシャスフィールが居る。これしかあり得ない。

 おそらくセイバーの宝具の効果範囲からは外れているのだろう。それでなければこちらに助け舟を出す余裕などありはしない。しかし、こちらが窮地に陥ってから盾を出現させるまでの間隔は、サーシャスフィールが比較的近くに居ることの証明に他ならない。

 

 どうして、どうやって。

 いや、そんなことは決まっている。今宵で全ての勝負を清算しようとしている自分を助けるべく城を出たに違いない。片足を失っているが、サーシャの錬金術であれば針金を編み込んで義足の代わりとすることも容易い。負傷による高熱で騎乗が困難ならば、城に側近として残した姉妹兵を一人使えば事足りる。

 

「一人で全てを終わらせるつもりですか、ライダー。許しませんよ、そんなこと。私と貴方は一心同体でしょう? ならば最後まで私も戦わせてください。倒れそうになったら、支え合えば良いではないですか。私も貴方も満身創痍ですが、まだ戦えます。二人ならば!」

「――然り、然り、然り! 我は一振りの剣。ならばそれを執る主が居てこそ十全!」

 

 ライダーは立ち上がり、眼前に鎮座する大盾を手に取った。アインツベルンの粋を集めて鋳造した金属は、熱伝導率が術者の意志で変化する。炎に晒されている面は高温に達しているが、その熱が裏の取手側に伝わることはない。

 

「我は張遼! 炎が赤壁を超え、敵の首級を頂戴する者なり!

 沙沙、主は陣の奥で鷹揚に構えておると良い。敵の首を食いちぎるは走狗が役目! それこそ武人が華! さあ、セイバーよ待っていろ、この張遼が行くぞッ! 決して臆することなく――我が剣戟に付いて来られるか!? 遼来々、遼来々!」

 

 そしてライダーは常識外れの質量を誇る大盾をものともせず走り出す。ライダーの早さの所以たる黒兎はもう居ない。だがそれでも、ライダーは裂帛の闘志を以て駆け抜けた。長柄で大振りの青龍刀に、身を覆い隠すほどの大盾。もはや人類が扱える重量ではない。だが、まるでライダーの周囲だけ重力が軽減されているかの如く、ライダーは爆心地たるセイバーの元へ駆け寄った。

 

 迫りくる炎と暴風を盾で防ぐ。既に焼き尽くされて灰になったのだろうか、純白の地面を踏み抜く。ライダー自身、未だこんな余力があるとは驚きだった。

 愛しい誰かが傍に居る。ただそれだけのことで――こんなに足が軽いとは!

 そして炎の奥に、セイバーの姿を認める。ライダーは吠えた。渾身の力を以て、声だけで相手を殺さんとするほどに。

 

「セイバァァァァッ!」

「やはり向ってくるか、ライダー!」

 

 激突する刃と刃。だが騎馬による速度を失った分、ライダーの一撃は今までのそれよりも軽い。

 セイバーはライダーの一撃を弾き返し、返す刃で刺突を放つ。それをライダーは大盾で防ぐ。しかし、セイバーのデュランダルは大理石をも断つ切れ味と、不壊の加護を持つ聖剣である。刃はライダーの盾を貫き、ライダーの肩口を浅く裂いた。

 セイバーはこのまま盾ごと切り裂こうとする。しかし、セイバーが剣に力を込めるよりも早く、盾の一部が解けて蠢く触手となり、デュランダルを絡め取ろうとした。

 慌てて剣を引き抜くセイバー。内心では焦りを禁じえなかった。

 

 ライダーが今まであのような盾を使ったことはなかった。騎乗していたからか、それとも別の理由かは知らないが、軽視できる存在ではない。ライダーに聞こえぬよう、小さく舌打ちをした。

 対してライダーはこの盾を非常に頼もしく感じていた。先ほどの盾の挙動はライダーによるものではない。盾を制御しているのはサーシャスフィールだ。だが、まるでこちらの意を先んじたかのような動き。まさしく一心同体。

 

 セイバーは油断なく剣を構えたまま、ライダーを見据える。あの盾の得体が知れない以上、うかつには飛び込めない。下手を打てば剣だけでなく、手足の自由を奪われる。ライダーの地力を鑑みれば、そうなってしまえば死は必至である。

 

「面妖な盾を持つのだな、ライダー」

「使うのは始めてだ。だが莫逆の友のようにも感じる」

「……仕方あるまい。ここで睨み合いをしている時間も惜しい。決めさせてもらうぞ、ライダー」

「決める? 貴様の手の内はもう終いであろうが」

「誰が言った? 私の宝具は二つだなどと。私の宝具は……三つある」

「……はん。出し惜しみは無用だ。俺は耐えてみせよう、遠慮無く出すがいい」

 

 ライダーは構えなおし、セイバーを睨む。これ以上何が飛び出してくるというのか。炎の次は氷河か、それとも落雷か。

 だが防御力という点では、ライダーは先ほどよりも堅牢になっている。この盾を構成する金属は強固でありながら柔軟性に富み、熱伝導率や絶縁率も術者の意のままだ。如何なる攻撃が来たとしても凌いでみせよう。少なくとも、オリファンを超える宝具などもはや所有してはいない筈だ。これほどの宝具を二つも三つも持てる訳がない。

 

「知っているか。ソドムとゴモラを焼き払った炎は、それを見たものを塩に変える。私が操るコレは模造品ゆえに、直視しようが触ろうが塩になるほどの力はない。だが、この炎が一カ所に集まればどうなるか? さすがに見ただけではサーヴァントには効果が無いが――触れたとあれば保障は出来んぞ。

 そして……私は先ほど言ったな。私もまた一匹の獣であると。その意味、とくと知れ。

 ――『封印:狂える炎熱(オルランドゥ)』!」

 

 セイバーが剣を掲げて宣言すると、今までセイバーの左手から噴き出していた炎がその剣に収束を始める。それだけではない。既に周囲にまき散らした炎も剣に吸い込まれる。

 ライダーからすれば、常に噴き出す炎によって発生した斥力に晒されていたのが、急にそのベクトルを反転させて引力に変じたように感じた。そのせいで一瞬のみだがバランスを崩す。

 

 炎が剣に集まる。それに合わせて剣が熱と赤みを帯びる。既に、尋常な剣であれば熱で融解しているだろう。だが、ことセイバーのデュランダルはそうはならない。何故なら、いかなる状況であろうとも、例え所有者が絶命しようと、デュランダルは決して壊れない。その姿を変質させることもなく、その切れ味も決して落ちることはない。

 

「□□ァ……□□□ァァァッ」

 

 ライダーはその場に相応しくない声を聞いた。それは、理性を失ったものが放つ声であった。まさしくバーサーカーの声である。だがこの場にバーサーカーが居る筈もない。居るならばとっくに乱入している筈だ。それに、声色が微妙にライダーの知るそれと異なる。

 

 炎が剣に封印されていく。剣の内部で再構成されていく。『封印:狂える炎熱(オルランドゥ)』は角笛の状態から炎に戻ったオリファンの炎を、剣の内部でそれに相応しい形で再構成する宝具。人の手で作り出された模造品であるからこそ、人の手で制御も可能。この宝具は、デュラダルを制御するための術式である。

 だがいくら模造品とはいえ、それは神の奇跡。これを人の身であるセイバーが制御するとなると代償が必要となる。

 

「□□□□ァァァァアアアッ!!」

「お前か、セイバー……? 貴様、炎と一緒に正気までも封印したのか!」

 

 この炎を剣に封印するには、剣と一緒に精神も封印することでしか成し得ない。剣の外部からではなく、内部から押しとどめなければ不可能なのだ。剣が門だとするならば、炎は荒れ狂う獅子。外から門を閉めるだけでは溢れかえるというならば、内から獅子を静める必要があるのだ。

 そして正常な精神が封印された後に残るのは、セイバーのもう一つの側面。そう――狂えるオルランドゥ、狂人としての側面のみが残る。

 一時的とはいえ、宝具によって己のクラスを変更することが可能な唯一のサーヴァント。それがローラン。今、ローランはセイバーからバーサーカーへ変貌を遂げる。セイバーの言葉を借りるなら――正義を掲げた狂人、理想に取りつかれたバーサーカーへとなり果てる。

 

「それがかつての貴様の姿であるというのか! それが貴様の正義の末路か!」

 

 ローランはそれに応えない。返答の代わりに咆哮を以て答える。

 セイバーの狂気の声に呼応するように、デュランダルへ炎が吸い込まれていく。熱で赤みを帯びた剣は次第に白へ変化し、輝きを増す。それはまさしく極小の太陽と言っても過言ではない。炎を封印していくにつれ、より熱く、より眩い光を放つ。そして炎をすべて封印しきったとき、その剣は月よりも明るく闇夜を照らしていた。昼よりも眩く、どんな炎よりも鮮烈に。

 その輝く剣は、まさしく神の威光を束ねたもの。罪深き者を焼き尽くし、罪なき者を救済する断罪の剣。

 ソドムとゴモラを焼き尽くした炎は今――まさしくセイバーの手の中にある。

 

「□□□□ァァッ!!」

 

 ライダーに視認できたのは、尾を引く剣の軌跡のみであった。あまりの閃光に剣筋が見えない。だがそれでも刹那の見切りで身を引き、盾で身を守った。

 セイバーの薙ぐ一閃はライダーの盾を袈裟に切り込む。だがそれは金属と金属が衝突する音では断じてなかった。ライダーの耳に聞こえたのは、ただ剣が空気を切り裂く音のみ。盾に伝わる衝撃も驚くほどに軽い。

 だが決してセイバーの一撃が空振りに終わったわけではないことは、ライダーには疑う余地もなかった。何故ならばゴトリという音と共に、切り裂かれた盾の一部がライダーの足元に転がったためである。まるで熱したナイフでバターを斬るかのように呆気なかった。断面は赤熱し、一部が融解している。

 あまりの熱量の所為で、斬りつけたものを溶かしながら斬る剣。それがセイバーの宝具の真髄。

 まさしく防御不可能の一撃だ。不壊の属性を持つ武器や防具でなければ決して防げない一撃だ。そしてライダーにはそのような武器は無い。防御ではなく回避に専念する意外に活路は無いが、この閃光の前では剣筋を身切ることは困難。

 

「□□□□ァァ、□□ァッ!!」

「――ッ!」

 

 逆袈裟に振り下ろす一撃。踏み込みは深く、セイバーの一撃を避けることは不可能。

 だがそれでもライダーは最後の瞬間まで回避を試みた。それと同時に得物での防御を試みる。ライダーの右側面から振り下ろされる一撃を、ライダーは左へ飛ぶことで回避せんとした。しかし、セイバーの剣はライダーの得物の柄を斬り落とし、そのままライダーの腕を肘から切り落とした。

 

「がああッ……!」

 

 流血は無い。斬られた瞬間には傷口を焼かれている。だがその圧倒的な熱量はライダーの血を煮え滾らせる。ライダーは煮えた血が全身に回らぬように、握り潰すほどの勢いで肩口を押さえた。いや、実際に握り潰していた。それほどまでしなければショック死は必至。もし常人がセイバーの刃を受けていたら、間違いなく煮えた血が全身を回り絶命していたことだろう。

 

「ぐ、おおお……」

 

 身を焼かれる痛みは筆舌に尽くしがたいものだ。だがライダーはその痛みに耐える。双眸はセイバーを睨み続ける。その眼光は、未だ闘志に燃えていた。

 そのときセイバーの動きが止まる。剣に施された封印を保てなくなったのか、剣から炎が噴き出し始め、それはセイバーの眼前で再び角笛の形を象っていく。

 それと同時に、セイバーの狂気の目に理性が戻る。封印:狂える炎熱(オルランドゥ)の効果は僅か数秒しか持続しない。必然的に、セイバーのクラスからバーサーカーのクラスへの移行も僅か数秒しか持続しない。

 

「まだだ……まだ腕が一本落ちただけだ! まだ俺は両足で立っている、まだ左の腕が残っている!」

 

 そう言うとライダーは半ばほどで切り落とされた青龍刀を拾い上げ、左腕一本で構える。額には大粒の汗が浮かび、息も荒い。しかし闘志だけはいささかも衰えてはいなかった。

 しかしセイバーは構え直さなかった。

 

「いや……もう終わりだ、ライダー」

「何をッ――」

「得物を良く見てみると良い」

 

 ライダーが目線を青龍刀へとやる。その変化は歴然であった。何やら白い物体が青龍刀の断面に付着していた。そしてその物体は凄まじい速度で青龍刀を侵食し始めた。否、そうではない。断面からおぞましい程の速度で、青龍刀が白い物体に変質し続けていた。

 驚きの声を上げる暇すらなく、青龍刀は完全に白い物体に変質してしまった。そしてライダーが少しだけソレを握る手に力を加えると、それは音もなく崩れる。手に残った僅かな粉末をライダーは観察した。そしてそれの正体を知った時、自分の命運もまた知った。

 

「――塩」

「そうだ。背徳の街を焼き滅ぼす炎は、炎に触れた者を塩へ変える浄化の炎。周りを見てみろ、ライダー。見渡す限り白い世界へと変わっているだろう。これは灰ではない。全て塩だ」

「……つまりは俺の命運もここまでか」

「……そうだ。今際の際に、何か言うことはあるか」

「何も無い。俺は最善を尽くした。故に悔いることなどない。……主との誓いを果たせないことは遺憾極まるが、それを今更言っても仕方があるまい。……もはや令呪の力を以ってしても覆せぬ死の運命だ。せめて笑って逝くのが武人だろう」

 

 ライダーは左腕に感じていた痛みが引いていくのを感じた。見れば、既に左腕は殆ど塩に変質している。

 この塩化の神秘は強力無比だ。これを覆すには、運命すらも覆すほどの強力な治癒が必要になるに違いない。成程、あのランサーだけは生き延びることが出来る筈だ。裏を返せば、ランサー以外にこれに耐えられる者が存在しないのではあるまいか。

 

「……セイバー。悪いが、前言撤回だ。一つだけ頼みがある」

「内容によるが、聞こう」

「おそらくこの山中に我が主が身を隠している。俺の死に報いようと、お前を襲おうとするやも知れん。だが、何があっても見逃してくれまいか。

 アレも、俺と同じ。すぐそこに死が待ち構えている命運よ。ならばせめて一秒でも長く生きていて欲しいのだ」

「……聞き遂げた。貴方のマスターには手を出さないようにしよう」

「すまない。セイバー、貴様を信じるぞ。……聞いたか沙沙、それが俺の最後の願いだ。断じて、俺の後を追おうなどと考えるでないぞ」

 

 ライダーの塩化は首元まで進んでいる。呼吸が出来なくなるまでもはや幾許も無いだろう。

 ライダーは不敵に笑い、そして手を天に掲げ、高らかに謡った。

 

「我が名は張遼! 字は文遠! 古今無双たる我が名を聞け! そして我を破った武人に誉れあれ!

 さらばだ沙沙! いや、サーシャスフィール・フォン・アインツベルン! 俺は先に逝く、せいぜいのらりくらりと、遅れて付いて来るが良い!」

 

 そう言い終わるや否や、ライダーの心臓は塩へと代わり、ライダーは苦しむ暇も無く絶命した。絶命した後の塩化の速度は今までの比ではなく、一秒足らずで全身くまなく塩となった。後に残されたのは、ライダーの形をした塩の像である。

 だがそれも自重に耐えかねて崩れ落ちる。そうして出来た塩の山は徐々に光る粉末へと変じ、ほどなくしてライダーは完全に消滅した。

 

 セイバーはそれを確認すると、踵を返して往路を戻り始めた。決してライダーのマスターを探そうなどとはしない。

 山を下る途中、一度だけ女が泣く声を聞いたが、それを気の迷いと打ち捨てて進み続けた。結局、セイバーの前に誰かが現れることはなかった。

 

 

 

//-------------宝具情報---------------//

最後に立つは我のみぞ(オリファン):A+

対城宝具:レンジ1~999

 

 人が造り出した神の炎の模造品。通常は角笛の形をしているが、その実それは炎で編まれた器物。真名解放の後に笛を吹くことで発動可能。解放されると、周囲全方位に渡って神の炎を噴出する。

 無差別性ではおそらく右に出る宝具は無いと思われる。唯一効果の対象外となるのは所有者のみである。ある程度効果範囲の指定は可能だが、最低でも半径50メートルは火の海となる。

 また、この炎を見た者や触れた者を塩の塊へと変質させる効果を持つ。通常、解放した状態では一般人すら塩に変えることは出来ないが、草木や無機物などであれば塩化させることが可能。炎を集中させればサーヴァントでさえ塩化させ得る。

 

 ◆

 

封印:狂える炎熱(オルランドゥ):C

対人宝具:レンジ1

 

 オリファンの炎を何かに封印することを可能にする宝具。オリファンの無差別性を排除し、ある程度の汎用性を持たせる為に編み出された術式。しかし、一度オリファンを解放させた状態でしか使用できないため、無差別性が完全に排除されたわけでない。

 デュランダルに封印することで、オリファンの塩化効果を最大限に発揮させることを可能とする。事実上、この宝具はデュランダルが無ければ使用不可能である。なぜなら、不壊の効果を持つ宝具と対で使わなければ、封印させる器物そのものが塩化してしまうからである。逆に言えば、塩化されても構わないのならばなんにでも封印することが可能。

 この宝具を使用する代償として、術者は自分の理性をも炎と一緒に封印しなければならない。結果、術者のクラスは自動的にバーサーカーへと移行する。その際の凶化スキルはD相当となる。


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